厄介な病・3


 親への宿題の輸送の連絡が上手くついたのかつかなかったのか…
 連絡した白石本人にも詳細は不明なまま、兄妹は何をするでもなく豪華な病室でまったりとした時間を過ごしていた。
「お母さん、送ってくれるって?」
「多分…届けるとは言うてくれとったからな」
「なら大丈夫だねー」
 まったり…
「…」
「…」
 何となく会話が続かない…いつもの自宅なら、幾らでも話題は出てくるのに、こういう場所だとどうにも身分不相応の様な感じがして落ち着かないのだ。
「…そ、そう言えば私、小さい頃から王族みたいな暮らしって、憧れてたんだぁ」
「あー、それええなぁ、王族かぁ」
「……」
「……」
 まっっっっったり……
「……くぅ兄ちゃん」
「…ん?」
「……何していいのか想像もつかない」
「骨の髄まで小市民だよな、俺ら…」
 庶民の精神は既にこの身の中で極太に成長しきってしまっているらしい…と、二人は何となく心にダメージを受けて同時にがっくりと肩を落とす。
 それでも庶民は庶民なりに立ち直ろうと、白石は何とか別の話題を妹に振った。
「まぁお前は一応病人の身やからなぁ、横になるんも今は立派な仕事やねんけど…あ、ほなら、この時間に考えたらええやろ。自由課題の内容」
「あ、そっかぁ…うーん」
 至極真っ当な兄の意見に、桜乃は軽く腕を組んで、くい、と首を傾げる姿勢をとる。
「自由ってことだから、何を題材にしてもいいんだろうけど、決められてないと却って悩んじゃうよねぇ」
「あれはどうや? 俺が去年提出した、『街でも何処でも簡単に見つけられる毒草の種類及び効能のまとめ』の関東バージョン」
「…あれ提出した後、お兄ちゃん、担任の先生に呼び出されてなかった?」
「『学校楽しいか?』ってマジ顔で聞かれたわ」
 嫌な記憶を思い出してしまった…と、ふっと白石が背中を向けて窓越しに空を仰ぐ。
 勿論、そのアイデアは却下。
「料理とかスポーツとかを題材にしたものも、身体の回復を考えたらちょっと難しいし…無難なのは手芸とか絵画かな」
「おー、絵画…ええんちゃうかな。自分、結構そっちも上手いやろ?」
「道具は、跡部さんに頼んだら貸してもらえるかなぁ…後は描く題材だけど…」
 じ〜〜〜〜〜〜っ…
「……ん?」
 妹からの妙な熱視線に、兄がむず痒そうに身体を揺らす。
「な、何や?」
「お兄ちゃん、モデルになってくれない?」
「へ!?」
 いきなりのリクエスト。
「お、俺が!?」
「うん、折角の課題だもん、静物画だと何だかつまらないし…お兄ちゃんなら家族の肖像ってことで提出するのも自然でしょ?」
「う、まぁ、そりゃそうかもしれんけど…いや、そんなん…ちょっと照れるわ」
 挙動不審になってきた白石は、桜乃から視線を外しながらまだ何かぶつぶつと呟いている。
「まぁ桜乃のモデルならやってもええけど…いや、でもなぁ…えーと…俺が一番格好良く見えるポーズは…」
(何だかんだ言ってて、やる気は満々みたいね…)
 まぁ断られる心配はしなくていいからいいか、と、桜乃は苦笑しながら相手に提案した。
「ただ座っているだけのって何だかつまらないから、動きがあるのがいいなぁ…くう兄ちゃんなら、やっぱりテニスしているところが一番格好いいと思うけど…」
「テニス? いやまぁそんな…ラケットは一応、持ってきとるけど…」
(まだ照れてる…)
 或る意味感心しながら、桜乃はふと相手に尋ねた。
「あ、でも…ここって医療施設だから、流石にコートはないかな?」
「ああ…考えてみたらそうやな」
 そうだった…あまりの内装の豪華さについ忘れかけていたが、ここはあくまでも医療施設なのだった。
「んー…今からでも跡部に連絡して聞いてみるか…コートはなくても、壁を使わせてもろたら壁打ちでもラケットは振れるしな」
「そだね」
 妹の頷きを受けて、白石は、一度ここに来たものの既に席を外してしまったあの若き帝王に、再度携帯で連絡を試みた。
『もしもし?』
「跡部? 俺や、忙しいとこ何度もすまんなぁ」
『白石? どうした? 妹に何かあったか?』
「いや、あったというかないというか…」
『?』
 それから白石が桜乃との課題の計画をかいつまんで跡部に説明すると、向こうは何だ、とあっさりと答えを返してきた。
『コート? あるぜ? そこはリハビリ目的にテニスコートが屋外に六面設置されている筈だ、ナイターも使用出来る』
「……」
 ほんっとーにコイツの家は何でもかんでも過剰な贅沢を…と、つい庶民の僻みにも似た気持ちが湧きあがったが、少なからず今は自分達もその恩恵に預かっているので、余計な口は挟まないでおく。
 その間にも、跡部は更に言葉を続けていた。
『絵画を描く道具もすぐに揃えてやろう。但し、コートの使用に当たっては整備係に前もって準備などの手続きが必要なんだが、生憎これから俺はまた忙しくなる。連絡先とやり方を教えるから、白石、お前がやっておいてくれ』
 相手からの要求に対し、四天宝寺の部長を張る男は決断も早く、気後れもせず、すぐに頷いた。
「分かった、その程度なら俺でも出来るやろ」
『よし、じゃあ、PCがある場所があっただろう、そこに移動してくれ』
「ああ」
 言われるままに、若者は一度席を立って、ここからは死角になっているPCの方へと移動して行き、ベッドに桜乃一人が残された。
 兄が部屋の中にいるのは変わりないので、別に心細さを感じることもなく、桜乃は大人しくベッドの上で彼の戻りを待っていた…ところで…
 とんとんっ
 聞こえて来たノックの音…病室のドアのそれだ。
「? はぁい?」
 跡部ではないだろう事は分かる…が、とすると誰だろう?
 言われていた看護婦さんの見回りの時間にはまだ早い気もするし…と思いつつも、桜乃は素直に返事を返し、相手が入ってくるのを待った。
 ドアが開いて入って来た人物は……
「…っ、まぁ!」


 それから数分後、白石は無事に跡部に言われた内線の先の係に、コートの使用希望を出し終わろうとしているところだった。
「はい、じゃあそれでお願いします」
 そんな言葉で締めて、かちゃ、と受話器を置いたところで、白石の耳に桜乃の笑い声が聞こえて来た。
「ん?」
 何や、おもろいテレビでもやっとるんかな…?
 一段落付いたし、自分も元の場所に戻ろう…と、白石がベッドの区画へと移動してみると…
「はい、どうぞ」
「わ、うさぎリンゴだぁ」
「…………」
 目の前に広がる悪夢の光景…
 よりにもよって、兄の目の前で、妹が他の男子と思い切りいちゃついていた。
 しかも相手は見ず知らずの男ではなく、兄の白石もよく見知った若者だった。
「…」
「あ…やぁ白石」
 戻って来た白石の姿に気付いたそのウェーブのかかった黒髪を持つ美麗な若者は、朗らかな笑みを浮かべながら彼に挨拶したが、相手は応えずにすたすたすたと自分の荷物の方へと歩いて行った。
「…よいしょ…と」
 そして、自分愛用のラケットを一本手に持つと…

 かんかんかんかんかんかんかんっ!!!!!!

 断っておくが、踏み切りの警報音などではない。
 白石のラケットと、相手のラケットが激しく打ち合う音だった。
 更に断っておくが、二人のラケットは『テニス』の道具のそれである。
「きゃーっ! お兄ちゃんっ!」
 桜乃が声を上げる中、打ち合いは然程長くは続かずすぐにどちらからともなく終了した。
「相変わらず元気そうで安心したよ」
「くっそ〜〜〜〜…!」
 いきなりのラケットでの強襲にも一切動じず、打ち合っている最中と変わらないにこにことした笑顔を浮かべながら、若者…幸村精市は脇から取り出したラケットを再び元の場所に戻しつつ、遅ればせの挨拶を白石に行った。
「何で自分がここにおるんや幸村っ!!」
「そりゃあ桜乃ちゃんのお見舞いにだよ、当然じゃない」
「だから何でそれを知っとんのか聞いとるんやっ! 跡部かっ!? 跡部がリークしよったんか!?」
 物凄い剣幕で迫る白石に対し、幸村はポーズではなく、心から不思議に思っている様な表情で相手に言った。
「何でって……君が教えてくれたんじゃない、白石」
「は?」
 胸倉を掴む勢いだった男の動きが、ほんの少し鈍くなる。
「…俺?」
「そう…君、跡部に電話してたじゃない、会議室中に響き渡る大声で『桜乃が高熱で苦しんで唸ってる』って。俺も最初に聞いた時にはビックリしたよ」
「……」
「あれから跡部に入院予定のこの場所を聞いてさ、部活とか全部済ませてからお見舞いに来たんだ。今日は部員の皆は都合つかなかったけど、日を改めて来たいって。入院生活って結構暇だから話し相手になってあげるよ、桜乃ちゃん」
「わぁ、賑やかで楽しそうですね、それ」
(あの時の俺をくびり殺してやりたいっ…!!)
 こんな事態になってしまったのが実は自分が原因だと今更知った白石は、悔し涙を浮かべつつ頭を抱え、懊悩の獄で苦しんでいたが、今からでも遅くないと防御線を張りに掛かった。
「いやいや、桜乃はインフルエンザやし、幸村に移したらアカンから辞退させて」
「もうかかりつけでワクチン打ったし、桜乃ちゃんも内服加療始めてるから、俺なら大丈夫だよ」
「夏休みの宿題が」
「とっくに終わってる」
「テニスの活動も忙しいやろうし」
「外にコートがあったのを見たよ、あそこ設備良さそうだったな」
「……」
 次はどういう攻撃を仕掛けようかと白石が悩んでいる間に、桜乃がおどおどと割り込んできた。
「くう兄ちゃん、折角来て下さったんだしそんなにしなくても…私もお話したいし」
「あかん! あかん! 絶対あかん!! 話し疲れて自分の病気が悪化したらどないいするんや! 桜乃は大人しく…」
「…っ」
 断固として厳しく対応しようとした兄の台詞に、桜乃が言葉もなく、ぷわっと目に涙を浮かべた…途端、兄豹変。
「うわ〜〜〜〜っ!! な、な、泣かんといてーな桜乃っ!! 分かった分かった! お兄ちゃんがおる間は許したるから!!!」
 ころっと態度を軟化させた兄の狼狽している姿を眺め、幸村は自分の分のうさぎリンゴをぱくっと齧っていた。
「…相変わらず、最強は桜乃ちゃんなんだね…」



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