理想の二人(前編)
「ええ、そういうワケでウチら、無事に全国大会出場を果たすことと相成りました」
『やんややんや〜〜〜〜〜〜〜〜!!』
某日の放課後、白石達、四天宝寺のテニス部レギュラー達は、先日行われた試合に於いて相手校を下した事を受けて、部長である白石本人の家に集まっていた。
白石の部屋は同年代の男子のそれとしては非常に整頓されている部類に入る。
しかも至るところに健康グッズが置かれており、一見するだけでは中学生の部屋とは思えない。
しかし整頓されているお陰で、部屋の中は結構な広さもあって、訪れた部員達は比較的ゆったりとした格好でくつろげていた。
「次は全国ねぇ、カワイイ子がいたらいいんだけど」
「浮気はやめぇ言うとるやろ、小春」
金色と一氏がそんなやりとりをしている隣では、遠山が熱心に読み物をしている。
意外に読書家なのかと思ったら大間違い、漫画である。
これからテニス部のちょっとした部会が行われようという時に不謹慎とも言える態度だったが、誰もそれを咎めようとはしない。
咎めたところで無意味な事は既に全員が周知しており、何よりその漫画を貸し与えているのが他でもない、部長の白石本人だったからだ。
遠山金太郎は、四天宝寺の中でも一番若手でありながら、最も活躍を期待されていると言ってもいい一年生ルーキーであるが、テニスを離れた場所に於いては並ぶもののない野生児である。
人の言葉は通じるが、基本、聞くより先に行動するタイプだ。
そして、行動した後には大体何かが破壊されているという天然クラッシャー。
更に、本人には至っては悪意のないところがまた厄介なところだった。
そんな若者が一つの場所に長時間拘束されて、諭されたぐらいで大人しくしている訳がない。
潔癖症とも言える程に美しく整頓された自室を、ものの数分で台風一過の如き惨状に変えられて、白石が遠山に激怒したことも一度や二度ではない。
そうしている内に白石が学び、下した結論且つ方法が、漫画。
大人しくしている事は基本苦手な遠山だが、大好きな漫画を読んでいる時だけは例外であり、読むものさえあればじーっと静かなイイ子に変貌するのだ。
但し、読んでいる間は誰の声も耳には入って来ない…から、部会などで何かが決定されても知りもしない。
しかし、元々が『考える前に動く』どころか『考えずに動く』タイプの少年であり、部会に参加したところで理解してくれる可能性は非常に低いので、それならいっそ漫画で大人しくさせていた方が周囲の平和には貢献出来る、というのが白石の持論だった。
今のところ、反論する者はテニス部にはいない。
「まー俺らの実力なら当然の結果やったけどなぁ」
「油断禁物っす、忍足先輩」
忍足謙也と財前光のやり取りの後で、石田銀が几帳面に挙手をしてから発言に及ぶ。
「シングルスとダブルスの組み合わせは後日決めるいうことになってましたが、今日の集まりの目的は?」
「ん、集まる程のことでもないかもしれんけど、俺ら、あまり団体で東京行く事は滅多にないやろ? やから、ここで一応注意を含めた確認ってことで『旅のしおり』を作ってみたんや」
(基本だ…)
(基本っすな…)
流石、基本に忠実な聖書男…と、忍足と財前が或る意味感動している中で、白石がお手製のコピー用紙数枚を綴じたパンフレットを皆に配っていく…と、
「……」
「……」
ふと、配ろうとして、或る人物と目が合った。
今日は男子テニス部の臨時部会…なのにも関わらず、相手は女性。
長いおさげを揺らした彼女はうきうきとした様子でちょこんと座り、じーっと白石の方へと視線を向けてきている。
同じテニス部員ではないが、白石にとっても他メンバーにとっても、彼女は非常に縁の深い人物だった。
特に、白石と彼女とは切っても切れない縁があるのだ。
しかし…
「……」
無言のまま、白石は少女の襟首をむんずと掴むと、ずるずるずると部屋のドアの処まで引き摺っていき、そのままぺいっ!と廊下へと放り出してしまった。
更に、すぐさまバタンとドアを閉めて、おまけに鍵まで掛けてしまう徹底した排除っぷり。
すると、途端に向こうからどんどんどんっ!!と激しくドアを叩く音と訴える声が聞こえてきた。
『うわあ〜〜〜〜〜んっ!! くぅ兄ちゃんの意地悪――――っ! あーけーてーよーっ! 私も一緒に行く〜〜〜!!』
「あかん」
(うわあ…)
他メンバーがドン引きしている中で、白石はドアに背を向けてふん、と鼻を鳴らした。
絶対に許さへんで、と無言の背中が語っている。
「め、珍しいこともあるわね、いつもはあんなに桜乃ちゃんにメロメロの白石君が」
「痴話喧嘩かー? 夫婦ならつきモンやけど、兄妹はほどほどにしとけよー」
「喧嘩やない」
金色と一氏の突っ込みに、否定しつつも部長はドアを開ける様子はない。
何故なら…
「…今回の大会、アイツは留守番や」
「え!? 何で!?」
今までずっと漫画に集中していた遠山ですら、その台詞に驚き、視線を久し振りに白石へと向けたが、彼はもう決めたことだとばかりに毅然とした態度を崩さなかった。
「何で桜乃一緒やないんや!? お弁当なかったら、ワイ、死んでまうやん!!」
「お弁当なら、東京(向こう)で美味そうなモン買うてやるから我慢し」
「けどぉ…」
珍しい物好きの遠山でも、そこまで言われて尚渋る程に、少女のお手製のお弁当は少年に好評らしい。
諦め切れない少年の後ろから、彼とは対照的に非常に高身長の男が口を挟んできた。
関西弁の面子の中にあって、唯一九州の熊本弁を使う千歳千里である。
「ばってん白石、彼女も遊びに行く訳じゃなかっちゃろ? あんなに頑張って俺らの応援してくれとったっちゃけん、連れていくぐらいよかもね。東京に行くことになっていきなり留守番なんて、嫌われっとよ」
「…千歳」
意見した九州二翼の強さを誇る仲間に、白石はくるっと振り返り…
「そもそもの発端が誰の所為か分かっとるんやろうなぁ〜…」
と、黒いオーラを漂わせた笑顔で迫ると、向こうは逆に白いオーラで対抗してはっはっはと笑って返した。
「たかが遊びにそこまで過剰反応しとったら、白髪になっとも近かばい」
「『たかが』なんてもんちゃうわ!!」
がぁっ!と白石が千歳に食って掛かるのには訳がある。
彼の言う通り、今回の決意の発端は千歳にあると言っても過言ではないのだ。
白石が先程ドアの外に追い出したのは、彼の実妹である桜乃…白石の二歳年下に当たる中学一年生。
彼女がこの世に生を受け、今まで生きてきた中で、最も近くにいてその身を守ってきたのは親ではなく白石本人だった。
いや、身体だけではない。
その精神も、『清く正しく美しく』をモットーに、白石が外部の邪な情報は殆ど遮断し、桜乃を素直でしとやかな少女に育て上げてきたのだ。
この関西弁が溢れ返る周りにあって、桜乃だけが標準語を操れる様に教育したところからも、彼の執念が伺える。
常日頃から、白石は妹の桜乃の事を何より優先的に考えて行動する、過剰なまでの『兄バカ』であり、一方の桜乃も、そんな優しいお兄ちゃんの事は心から慕っていた。
普通に考えたら、そんな可愛い妹が大会行きに同行して応援したいと希望したら、兄としては泣く程に嬉しいことの筈である。
なのに、今回に限ってドアの外に追い出す様な暴挙に走ったのは何故か…
それは、過去に千歳が桜乃に仕出かした、或る『心理テスト』が原因だった。
簡単に言えば、桜乃の『理想の男性』を探る為のテスト。
たかが遊びレベルの心理テストであり、どういう男性が合うのか、その程度の解釈で済めば白石もここまで目くじらは立てなかっただろう。
ところが、千歳はよりにもよってその心理テストの最中に、具体的な人名を挙げてしまったのである…意図的に。
桜乃の理想とする男性は、立海大附属中学のテニス部部長「幸村精市」。
白石本人は死んでも否定するだろうが、彼が妹の相手に望む理想的な男性は、氷帝学園のテニス部部長「跡部景吾」。
そう、どちらも全国的に知名度が抜群に高いテニス強豪校なのだ。
となると、部長という立場である向こうの二人は当然会場に赴く事になるだろう。
それでも、それだけで済んでいたら、白石も桜乃の大会への同行を禁止するまでには至らなかったかもしれない。
しかし…
「あれから毎日毎日、何かと向こうの二人について桜乃から質問されて、お兄ちゃんは悲しいやら憎らしいやら…」
くっと口元を手で押さえて心の痛みを耐え忍んでいる姿に、兄の哀愁が漂いまくっている。
麗しい兄妹愛…と言いたいところだが、流石にここまでくると立派なシスコン。
「お嫁に出す時は大変ねぇ、桜乃ちゃん」
「嫁にはやらん」
「うわ言い切ったでこのヒト!!」
がーんっと忍足が驚いて言葉を失っている間にも、白石はきっぱりと全員に断言した。
「そんなワケで、桜乃は今回は連れては行かん。必ず会う可能性もないけど、アイツが幸村らの名前覚えとる以上、興味持って探しに行かんとも限らへんからな」
「……まぁ」
ふぅ、と石田が達観した様子で溜息をつき、白石の宣言に応じた。
「桜乃はんの同行については家族の問題でもありますからな、そこは家族同士で決めはったらええでしょう…ただ…」
「ただ?」
聞き返した白石に、相手は隣でべそべそといじけている遠山を哀れむ目で見遣った。
「…せめて出立の日に、弁当を作ってもらうぐらいはお願い出来ないかと」
「うう〜…弁当〜〜、桜乃の弁当〜〜〜…飢え死にや〜〜」
「…善処します」
いきなり話の内容が弁当論議へ激変した白石の自室内だったが…一方、外でそれを何とか聞き取ろうとしている人物がいた。
「…よく聞こえない」
当然、そこから追い出された白石の妹である桜乃だ。
盗み聞きははしたないことと十分理解はしているのだが、今回ばかりは彼女もそうあっさりと諦める訳にはいかなかった。
(くぅ兄ちゃんの中学生最後の大会だもん…折角大舞台で活躍出来るのに、それをその場で見られないなんてやだ)
どうやら、桜乃は兄の白石が心配している程に例の二校の部長達に関しては執着はなく、あくまでも第一目的は『大好きなお兄ちゃんとそのお友達の応援をする』ことにあるようだ。
それを知らされたら白石の対応も少しは異なったものになっていただろうが、残念ながら今二人の間には、無情のドアが彼らを隔てて存在していた。
(…やっぱり聞こえない)
何が話されているのか殆ど分からず、桜乃は仕方なくそこでの情報収集を諦めて、すごすごと自分の部屋へと戻った。
「心配なのは分かるけど、くぅ兄ちゃんと一緒なら安全なのに…可愛い子には旅をさせろって言うじゃない、もう…」
どうやら、彼女は兄が自分の安全を考えた上で今回の決定を下したと思っている様だ…まぁ、或る意味間違ってはいない。
「うーん…」
どうしようと思いながら、桜乃はすとんと自分の勉強机の前に座ると、無言のままに机の引き出しの一つを開けて、奥へと手を差し入れた。
引き出してきたのは、一つの自分名義の通帳。
金銭感覚もしっかりしているこの娘は、自分のおこづかいもある程度は貯金しているのだ。
それもまた、兄の教育の賜物である。
(大阪から東京までは、新幹線でだったら確か…)
おおよその金額を思い出し、十分、預金額で往復代が賄えると判断した桜乃は、さして長く悩むでもなく、うんと力強く頷いた。
「よーし、こうなったら一人でも応援に行くもんね…こっそり内緒で行っちゃおっと」
そして皮肉にも、白石が防ぎたかった最悪の事態が、まさか彼自身の行動によって引き起こされるとは、その時は誰も予想していなかった…
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