理想の二人(後編)
白熱する試合は次々と進み…
いよいよ、桜乃にとってはこの日最大のメインイベントを迎えていた。
(くぅ兄ちゃん…!!)
コートの上に立っているのは、自分の兄だ。
そして対する相手は、青学で天才と呼ばれている程の実力者である若者らしい。
見方によっては、部長である男よりも扱いが厄介だと言われているらしいそんな相手に、彼は今、部長として、一人のテニスプレーヤーとして真っ向から挑んでいる。
(凄い…こんな試合、見たことないよ)
お兄ちゃんが、あそこまで本気になってるのなんて、見たことない…
戦況は…多分こちらが不利。
流石に全国の戦いは、そうあっさりと勝たせてくれる訳はないとは感じていた。
こういう事にもなるだろうと或る意味覚悟もしていたけど、そんな状況になっていても、兄は向こうの天才に全力をぶつけて戦っている。
『俺のスタイルは基本に忠実。ま、見ている方は地味で面白くないやろうけどな。結局どんだけキテレツな技を編み出したところで、幾千、幾万と積み上げた基本に裏打ちされた鉄壁のプレーには死角はないんや』
そんな事を、部屋でボールで遊びながら語っていた兄の姿が思い出されたが、桜乃は今、彼の言葉を否定していた。
(そんな事ないよ…お兄ちゃんのテニス、凄く格好良いよ! 地味なんて、そんな事ない!)
こんな凄いことをしている人が、私のお兄ちゃんなんだ…
当たり前の事だけど、凄い事実を今、改めて思い知らされている。
「やるじゃねぇか、白石の奴…不二を本気にさせてあそこまで食らいつくとはな」
「ああ…実に見事だ。究極まで高められた動き、聖書の名にふさわしい」
英雄は英雄を知るのだろう。
跡部と幸村もまた、彼らの試合を観戦して、純粋に二人の戦いを評価していた。
耳に心地よい賛美の言葉を紡いでいた二人が、いよいよの瞬間を迎えて活目する。
「決まるな、これで」
「…良い戦いだった」
決着の時
これで勝てば、この試合、白石の勝利となる。
その時、桜乃は初めて立ち上がって身を乗り出し、手すりに縋りながら声を上げていた。
誰にも内緒でここに来た、誰にも素性を明かしていない事も忘れて。
「くぅ兄ちゃん!!」
『っ!?』
叫んだ少女の言葉に、傍の二人がぎょっとする。
くぅ兄ちゃんって…?
周囲の動揺にも構わず、桜乃は届かないだろう声援をそれでも兄に向けて送っていた。
「くぅ兄ちゃん! 勝って!!」
その叫びが、どれだけの言霊になって兄の許へ届けられたのかは分からない。
しかし白石は、その妹の願いを聞き届けたかの様に見事に天才を打ち負かし、勝利を収めていた。
どっと沸き上がる会場。
賛美を惜しまない人々の拍手が鳴り響く中で、兄はそのスタンディングオベーションに応えていた。
そして…彼の妹は、拍手も出来ない程に心を震わせ、じっと彼の姿を目に焼き付けていた。
「…君は」
不意に後ろから声が掛かる。
幸村が、まだ驚きから抜けられない表情のままに少女を見つめており、それは他の立海、氷帝メンバーも同様だった。
彼らもまた、桜乃の兄への声援を耳にしていたのだ。
「……えへ、バレちゃいましたね」
興奮して叫んだ自身の言葉を省みると、バレない事がある訳もない、と、桜乃ももう分かっていた。
「…私のお兄ちゃん、白石蔵ノ介です」
「…!」
疑念が確信に変わった男達に、桜乃はゆっくりと振り向いて、晴れやかな笑顔で告白した。
「…私、白石桜乃と言います」
「ステキだったわ白石クン! アタシシビレちゃった〜!」
「ははっ、おおきにな。どうなることかと思たけど、ま、面白かったわ」
「ええな〜ええな〜、メッチャ目立っとったで白石!」
仲間達からの祝福を受けながら、白石は笑ってベンチへと戻っていった。
全身が汗だくだったが、心は感動する程に晴れやかだ。
こんなに充実した試合は…これからどれだけ経験出来るだろうか?
「見事な試合でしたな、白石はん。四天宝寺の部長の名に恥じない名勝負でした」
「うん、おおきに」
ふーと息をつきながら自前のスポーツタオルで体の汗をあらかた拭いたところで……
「……あ、桜乃にメールしとこ」
心に感じていた感動も何処へやら。
名勝負を終えた四天宝寺の部長は、もうその名残の一片も残さずに、ただのシスコン兄貴に戻っていた。
「これさえなけりゃなぁ…」
「実力はあるお人なんすけどねぇ…」
全部台無しだ…と思いながら見遣っている忍足と財前の視界で、白石はいそいそとバッグから自分の携帯を取り出していた。
「えーとえーと…ん?」
ぴろりろりんっ
どんな文面にしようかと思いつつ携帯を開くと同時に、メールの着信音が鳴った。
非常に良いタイミングだが、誰だろう…?
さして何も考えることなく、その届いたばかりのメールの送り主を見た白石の目が、は、と見開かれる。
『白石桜乃』
(桜乃から!? 何やろ…)
取りあえず勝利報告を送るのは後にして、先に内容を見てみようと思い、メールを開いてみると…
『くぅ兄ちゃん、おめでとー!』
と、短いながらも興奮感溢れた一文が届けられていた。
「おおっ!」
可愛い妹からの手放しの賛辞メールに、白石大喜び。
これは是非データとして保存して、ミニSDカードの方にもバックアップを…と思ったところで、はた、と彼はふとした疑問にぶち当たった。
「…あれ?」
このタイミングで…こんなメール?
まるで今の試合をリアルタイムで見ていた様な…いや、そうじゃなければおかしい。
じゃあ彼女は…「何処で」それを見ていたんだ?
「…な、生中継でもされとるんかな…」
「どぎゃんしたと? 白石」
「いや、ちょっと…」
そうだな、生中継に違いないと自分に言い聞かせながらも、何となく顔色を青くした白石は、メールの予定を変更し、直接電話を実家にかけていた。
「…あ、おかん? うん、俺やけど…ああ、俺は勝ったで、試合はまだ全部は終わってへんのやけど…桜乃、おる?」
(家…?)
メールではなくて直接電話での報告か…と千歳が見ている中で、携帯を耳元に当てていた白石の顔が見る見る内に強ばって、更に血の気を失っていった。
(ありゃ…何かあったばいね)
「そ、そうなん? いや、俺にはまだ…うん分かった、会うたら連絡する…」
何となく心ここに在らず、といった返答を返して、ぶち、と一度携帯の通話を切った白石は、蝋の様に白い顔のままに、再び携帯の通話ボタンを押した。
「え、えーと…ひ、110番…! あと、自衛隊って何処にかけたら…」
「待った待った待った」
明らかに錯乱している部長を千歳が押し留め、公共機関への嫌がらせを未然に防いだ。
尤も、本人は大真面目なのだが。
「どぎゃんしたとね白石? 色男が台無しばい」
「…桜乃が」
「え?」
「桜乃がここに一人で来とるっ!!」
『!!!』
その白石の激白に、他のメンバーもぐるっと振り向いた。
「桜乃はんが?…留守番してはる筈では…」
「今家に電話かけたら、やけに朝から慌ただしく出かける準備して、行き先言わんままに飛び出したらしいんや! さっき俺の携帯に、試合見とった様なメールも届いたし、間違いあらへん!! アイツ、ここにおるんや!」
「あらまぁ」
びっくりした金色が声を出している間に、再び白石は携帯をいじりだした。
「早う見つけてもらわんと、どっかの誘拐犯にさらわれてまうかもしれんやんか! けっ、警察に…!」
「待たんねシスコン部長」
けりっ!!
爽やかな笑顔で止めながら、千歳が相手に蹴りを入れてから迫った。
「いきなりそれで電話かけられても、悪と戦っちょるおまわりさんも迷惑たい。桜乃ちゃんからメール届いたんなら、向こうもそればいじれっちゃろ? まずはそれで連絡入れて、迷子のアナウンスでも入れてもらえばよかよ」
「…………そう言われたらそうやな」
相手に諭されて白石が頷いた向こうでは、ひそひそと忍足と財前が内緒話を交わしていた。
「…桜乃ちゃんがおらんかったら、部長の基本そのものがズタボロですわ」
「しゃーないやん…アイツの人生の基本そのものが桜乃ちゃんやねんから…」
真理である。
「…あ」
「どうかした?」
「メール…」
一方、桜乃の方では、試合が終わっての小休止の時間に、彼女の携帯にもメールが入っていた。
開いて、皆がのぞき込む中で確認してみると…
『正直に言え、今何処にいる』
という端的な文章が入っていた。
誰からのものかは言わずもがな。
あらら、と苦笑していると、今度はその場に場内アナウンスが入った。
『迷子の白石桜乃さん。お兄様がお待ちですから、至急ロビーに…』
「あー、完全にバレてますね…まぁメールから大体分かっちゃったでしょうけど」
「良かったのかい?」
幸村の質問に、バレたにも関わらず、桜乃本人はすっきりとした笑顔で頷いた。
「いいんです…内緒で来たのは事実なんだし…自分が悪い事した以上、謝らないと。それに、叱られてもやっぱりここで会って、おめでとうって言いたい」
そして、くるっと幸村と跡部の方へ振り向いて軽くお辞儀をする。
「今日は本当に有り難うございました…お二人に一度に会えるとは思っていませんでしたから、凄く嬉しかったです。じゃあ私、行きますね…あ、跡部さん」
「あん?」
「ジャージ、有り難うございました。帰ったらお洗濯してお返ししますから…」
「…はん、別に大した事じゃねぇよ。それより、まだ次の試合まで少し時間はありそうだな」
「…はい?」
「ロビーに行ったら白石の奴に会えるんだろ? 俺も行くぜ。このまま女一人放り出すのはスマートなやり方じゃねぇからな」
宣言した帝王に続いて、幸村も同行を申し出た。
「俺も行くよ。何だかんだとあったけど、君をここに誘った責任もあるしね…一緒に怒られてあげる」
「そんな! お二人はだって…」
「いいからいいから」
さぁ行こう、と少女を連れた二人を眺めていた他のメンバー達も、面白そうだったのと空き時間が暇だったこともあり、揃ってぞろぞろとついていった。
通路を通り扉を抜けて、ロビーの迷子預かり所の方へと向かうと…
「あ」
「フン」
そこには既に先ほどの勝利者が到着しており、うろうろうろうろと明らかに挙動不審の様子で辺りを歩き回っていた。
「ちょっと落ち着きなさいよ、白石クン」
同行していた、白石と同じく既に試合を終えている金色が眼鏡に手をやりつつ呆れ顔で言うが、言われた本人は至極真面目に答えた。
「落ち着け言われても…桜乃に何かあったら」
妹の身を案じての行為というのは分かるが、部外者が見たら何事かと思うかもしれない。
「獲物を狙う誘拐犯みたいだね」
「相変わらず言うな、お前も」
そんなことを話しながら、幸村と跡部は、自分達の後ろに桜乃を連れる形で白石へと近づいていった…が、他メンバーと比べても低身長の桜乃は、殆ど男達の陰に隠れてしまっていた。
「やぁ白石」
「久しぶりじゃねぇか。不二を下したのは大したもんだったな」
「っ!!」
呼びかけられ、振り向いた若者の表情がびきっとあからさまに強ばった。
『?』
確かに久しぶりに出会う相手だし、テニス強豪校の部長としては馴れ合えない部分があることも認めるが…やけに警戒されていないか?
二人は不審に思いつつ、ちら、と目配せする。
まさか、自分達が桜乃にとって「理想の相手」とみなされた事があるなど、彼らは知らなかったのだから当然である。
「どうしたの?」
「ちょっとご挨拶じゃねぇか?」
「い、いやっ…! その、すまんけど自分ら、ちょっとここ、席外してもらえんかな?」
白石は彼らの背後に妹がいるとは気がつかないまま、慌てた様子で彼らを追い払おうと試みていた。
もしここに呼び出した妹が来てしまったら、彼ら二人が「理想の人」候補であることがバレてしまう!
本当は、ここで落ち合って早々に引き上げるつもりだったのに、どうしてよりにもよってこの二人がピンポイントで来てしまったのか…!
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