「え? 何で?」
 当然、幸村がその理由を尋ねたが、真実を語る事が出来ない相手は言葉を濁すしかない。
「いや、何ででも」
 そこに跡部も加わって食い下がる。
「俺達もお前に用があるんだが…」
「すまん、後にして」
「急用だ」
「こっちも同じや」
「お前にとっても重要な話だぜ」
「俺かてもっと重要なコトがあんねんて」
「……ほぉー」
 どうあっても譲る様子のない相手に跡部は冷えた視線を相手へと向け、今度は幸村がバトンタッチ。
「いいんだね」
「ああ」
「知らないよ?」
「かまへん」
「ほんっとうに行っちゃうからね」
「やからそうしてって…」
「止めないでね」
「しつこいわ」
「……」
 ここまで念押ししたら十分だろうと、そこで幸村はくるりと振り向き、桜乃の肩に手を置いた。
「桜乃ちゃん、くぅ兄ちゃんは君より大事な用があるみたいだからあっち行こ」
「だな、戻って観戦続けようぜ。何か食いたいものあったら買ってやる」
「え?」

「のわあああ―――――――っ!!!」

 待っていた妹が、よりにもよって例の二人の背後から出てきたのを受け、白石が物凄い悲鳴を上げた。
 今、目の前で起こっていることは現実なのか!?
 出会わせたくなかった二人と一緒にいるだけではなく、もう既に見知った様な雰囲気だし、何より…
「桜乃――――っ!! お前、何やその格好はーっ!! ひっ、氷帝のジャージ…」
 だぶだぶジャージ姿は可愛くはあったが、デザインが大問題だった。
 どうして彼女が、あの学校のジャージを纏っているのか…
「ああそれは…」
 何気なく、そこは跡部が簡潔に説明した。
「岳人に汚されたから」
「よくも俺の大事な妹を〜〜〜〜〜〜っ!!」
「わ――――っ!! よく分からねーけど覚えてろ跡部〜〜〜っ!!」
 ダッシュで白石の猛攻から逃げ出した向日はそんな悪態をついていたが、跡部はふんと鼻を鳴らしてあっさりかわした。
「嘘は言ってねぇ」
「…生き延びてや、岳人」
 そもそもの原因はやっぱり自分にあんねんから…と忍足が十字を切って見守っている間に、幸村は桜乃を見下ろして一つの問いを投げかけていた。
「…そう言えば、ちょっと気になったコトがあるんだけど」
「え?」
「君はさっき言ってたよね…俺達二人に会えて嬉しかったって。まるで、会う前から俺達を知っている様な言い方だったけど…どうしてだい?」
「あ…」
「そうだな…俺様も気になった。白石の奴から俺様達の話を聞いていたというならそれまでだろうが、何か別の意図があった様に思えてならねぇ…何故だ?」
「ええと、それは…」
 少し、自分で言うには恥ずかしい内容だな、と困った桜乃が言葉を濁していると、向日を追いかけ回していた白石が再びその場に戻ってきて、ぐいと桜乃の肩を抱き、彼らから引き離した。
「こらーっ! 桜乃に馴れ馴れしく近づくなや!」
「おかえり、早かったね」
 もう少しは追っかけっこが続くと思っていたのに、と、幸村が悠然と言っている背後には、ぜいぜいと息も絶え絶えの向日が、膝に手を置き前のめりになって必死に酸素補給をしている姿があった。
「〜〜てめえも一度、全速力で走りながら身の潔白を説明してみやがれ…!」
 かろうじて向日の疑惑は晴れたらしいが、白石は幸村と跡部に対する警戒を解くことなく、桜乃を庇う様に前に立つ。
「どういう事情かは知らんけどな、人の妹にちょっかい出さんといてんか」
「!! くぅ兄ちゃん、ひどーいっ!」
 険悪になりそうな雰囲気を一蹴したのは、桜乃の必死の訴えだった。
「お二人は悪くないのっ! 迷子の私を助けて下さって、服も貸して下さって、凄く良い席でお兄ちゃん達の試合も観戦させて下さったもん!」
「さ、桜乃…?」
 戸惑う白石に構わず、桜乃はぶんぶんと両手を振り回した。
「悪いのは私だもん、内緒で来たのも全部自分でやったことだから私が叱られたらいいの、草むしりもちゃんとやるからお二人に酷いコト言わないで! お兄ちゃんだって、跡部さんのコト『理想の人』って認めてたじゃない!!」

『……………』

 桜乃の最後の問題発言で、その場が一気にブリザードに包まれる。
 何故か唯一動けた幸村が、全身の産毛を逆立てていた跡部の肩にぽんと手を置き、物凄くイイ笑顔で言った。
「お幸せに」
「それ以上言ったら顔面にタンホイザー飛ぶぞてめえ…」
「そーゆー意味ちゃうわーっ!!」
「そういう意味じゃない!」
 それからも桜乃と白石を巻き込んだ騒ぎは続いていたが、業を煮やした立海の参謀が、白石に同行していた金色に声をかけた。
「…詳細且つ簡潔に説明を願いたい。「理想の人」というのは一体どういう意味で発言されたものだろうか…返答によっては今後の四天宝寺との付き合い、根本から考え直す必要がある」
「あらイイ男」
「褒めて頂き光栄至極、俺にはそういう趣味はない」
 どきっぱり!と肝心なトコロは隠さずに否定した柳の隣では、真田が硬直して思考まで停止させていた。
「んもう、デキるトコほど身持ちが固い人が多いんだから…」
 シナを作りつつそうボヤいた若者は相手の質問にきろっと目を桜乃に移すと、特に何を誤魔化すでもなく素直に説明を与えた。
「桜乃ちゃんの「理想の人」って意味なのよ。幸村クンは心理テストで出た「理想の人」、跡部クンは白石が望む妹の相手としての「理想の人」ってコ・ト。運命って、乙女には特に無情なのねぇ」
「!」
 幸村の瞳が見開かれ、その視線はそのまま桜乃へと向けられた。
 もしかして、俺達二人に会いたかったというのは…そういう話があってのことだったのか…?
「小春〜〜〜〜!!」
「黙っててもいずれバレちゃうじゃない? 乙女気取って隠れててもチャンスは巡って来ないんだし、ここはイイ男を狙ってアタックあるのみよ桜乃ちゃん」
「黙っとったらばれへんかったわ! ナニ勝手にけしかけとんのや!!」
 激怒する白石に、ほーうと跡部が唇を歪めた。
「まぁ、俺様を選んだ人選眼は褒めてやるぜ、白石」
「褒めんでええ!!」
 跡部と白石が相対している間に、幸村が乙女に声を掛ける。
「桜乃、ちゃん…?」
「〜〜〜」
 赤くなった少女は、理想の人の一人に慌てて弁解した。
「あ、あくまで心理テストですからっ…! 私は、何の強制もしませんし、お二人が凄く格好よくて良い人だってコトが分かっただけでも、嬉しかったですから…!」
「…」
 告白された若者は暫し沈黙した後に、首を傾げて相手を覗き込みながら笑った。
「…お眼鏡には適ったかい?」
「え…」
 不思議な問いかけに顔を上げると、優しい瞳をした幸村の笑顔が視界にあった。
 君のお眼鏡に、適う様な男だったかい? 俺は…
 そんな無言の問いが瞳で語られ、桜乃は更に顔を赤くしながら思わず大きく頷いていた。
「はっ…はいっ!」
「そう、なら…いいよね」
「え…?」
 いいよね…って?
 どういう事だろう、と思っていた桜乃だったが、それを聞く前に、幸村はさっさとまだ言い合いを続けていた跡部と白石の方へと歩いていった。
「白石も跡部もやめなよもう…桜乃ちゃんは無事だったんだから、それでいいじゃないか。俺達への変な嫌疑ももう解けた事だし」
 幸村の尤もな諫めに、二人は舌戦を一時中断してから一息ついた。
「…はぁ…普段は素直に言うこと聞く、ええ子やったのになぁ…くぅ兄ちゃんは悲しいわ…」
 妹が反抗期に入ってしまったと哀愁に浸る兄に、桜乃が慌てて取り縋った。
「ごめんなさい! でも、もし勝ったら家でじゃなくてここでお兄ちゃんにどうしても言いたいことがあったから…」
「え?」
「…『おめでとう、くぅ兄ちゃん。お兄ちゃんのテニス、すーっごく格好良かったよ!』」
「っ!!…お、おう…」
 可愛い妹からの心からの賛辞に、一転、白石は天にも昇る様な心地になる。
 庭の草むしり、一週間から五日に短縮してやってもええかな…

『……』

「あ、もう少ししたら戻ってくるから心配しなくてもイイわよ。いつものコトだし」

(いつものコトなのか…)

 微妙な視線を送る周囲に淡々と爽やかに金色が断る。
「…良い妹さんじゃないか。君の為にここに来たんだよ」
 皮肉や世辞ではない心からの幸村の言葉に、は、と白石が我に返った。
「…ああ、まぁな…ちょっと引っかかるけど、自分らに妹が世話になったことは事実みたいやな…この恩は何かの時に何かの形で返すわ」
「そうか」
 兄の白石の発言を拾い、跡部が徐に桜乃をひょいっと抱き上げた。
 所謂、お姫様抱っこをして、さらりと言い切る。
「じゃあ、お前の妹を寄越せ」

「やっぱりダメ―――――――ッ!!」

「……」
 そう言えば、「理想の男性」は俺だけじゃなかったっけ…
(…強敵と言えば強敵…か。かなり手強いお兄ちゃんもいるみたいだし…)
 幸村がふと見ると、白石は跡部から無事に妹を取り返し、相手に対してがみがみと苦言を呈していた。
「ふふ…」
 何だか、面白いことになりそうだな…こういう勝負は初めてだけど。
(…欲しいから、負ける訳にはいかないな)





 善戦空しく、四天宝寺は準決勝で敗北を喫してしまったが、その戦いは誰からも賞賛されるに値するものだった。
「今日はこのままホテル?」
「ん、ああ、一度そっちへ向かってから宴会に向かうわ。跡部に呼ばれとるんや」
「そう」
 リムジンバスに四天宝寺の面々が乗っていくのに混じり、桜乃も飛び込みで同行していた。
 当初の人数より増えることになったが、ホテルの部屋は跡部が手配を済ませてくれて、無事に彼女も宿泊出来る運びとなっていた。
「跡部さん、お部屋まで準備して下さって、何とお礼を申し上げればいいか…」
「ふん…下手に疲れさせて東京(こっち)の人間の評価を下げられるのも癪だからな。明日もある、せいぜい楽しんでいけ。ああ、東京土産も適当なのを見繕って届けさせよう」
 相変わらず言い方はきつめだったが、もう桜乃も彼の人となりについては理解しつつあった。
「はい…跡部さん」
 ぽえん、と幸せそうに微笑む少女の姿に、またも帝王が毒気を抜かれてしまう。
「…チッ」
 何故か舌打ちをした彼の横から、今度は幸村が別れの挨拶に現れた。
「俺達は明日が決勝だから、君とゆっくりお話する機会は持てないかもしれないね…関西に戻っても元気でね。はい、これ」
「?」
 差し出されたものを受け取ると、それは小さなぽち袋だった。
 よく見ると、ノート紙を使って折り紙の要領で作られた手製の袋で、中に何か軽いビーズ玉の様な物体が入っているのが手触りで分かった。
「何や?」
 横から白石が覗き込みながら尋ねたのに対し、幸村がにこりと笑う。
「うん、花の種。習慣で持ち歩いてたから、桜乃ちゃんに植えてもらえたらと思って」
「…気障やな〜」
「植物が好きな人に、悪い人はいないってコトだからね」
「……」
 聞いた事がある…と言うよりも覚えがある発言に、白石がむぅと言葉を封じられている間に、幸村はばいばいと桜乃に手を振った。
「また東京に来ることがあったら、是非会いたいな」
「お構いなく、そん時はもれなく俺も同行するんやし」
「もう、お兄ちゃん!」
「ふふふ…」
 ムキになる兄と窘める妹のやり取りに笑いながら、幸村達はバスが見えなくなるまで、それを見送っていた。


 ホテルに行きチェックインを済ませ、兄達が出掛けた後で桜乃は一人部屋で大人しくしていた。
 当初の目的は果たせたし、予想外の収穫もあったし…とにかくイベントが目白押しの一日だったので、流石に多少疲れていたのだ。
(お食事は、このホテルの何処の店で食べても大丈夫だって言ってもらえてたけど、もう少しゆっくりしたいなぁ…あ)
 そうだ、このゆっくりした時間を使って…
 桜乃はポケットの中にしまっていた、あのぽち袋を取り出すと、ごそっと中を覗き込んだ。
 確かに、種らしいものが数粒入ってころころと転がっている…
「…ん?」
 何だろう…袋の内側に何か書かれている様な…?
「?」
 気になって、種を取り出した後に桜乃はその袋を丁寧に分解して広げてみた。
 そこに書かれていたのは、とあるメールアドレスとメッセージ。

『二人だけの秘密を持ってみない?』

「…!」
 部屋には一人しかいなかったのに、つい辺りを見回してしまった。
 兄の目を盗む形で届けられた秘密のメッセージ。
 おそらくこのメールアドレスの向こうには…彼がいる。
(幸村…さん…)
 これって、もしかして…理想が理想でなくなる兆しなの…?
 そして秘密を抱えたまま少女は兄達と共に関西へと戻ったのだが、その後跡部に借りていたジャージを氷帝学園を通じて返却した後に、彼からも連絡用のメルアドと電話番号を教えられた。
『いちいち氷帝を挟むのも面倒だから俺様の連絡先を教えておく。誰にでも気安く教えるんじゃねぇぞ、例え兄貴でもな。お前さえ知ってりゃ済む話だ』

 かくしてその少女は理想の二人と同時に秘密を共有することになり、彼女の日常は波乱の幕開けを迎えることとなったのである……






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