それは詐欺か友情か


「あ、比呂士お兄ちゃんだぁ」
 その日、友人の雑務を手伝っていた為多少帰宅時間が遅れてしまった桜乃は、鞄を持って下校している途中、男子テニス部のコート脇を通り過ぎた。
 コートでは多くの部員達がラケットを手に各々の練習に打ち込んでいる。
 その中で、レギュラー達の内の一人…髪を七:三に分け、偏光眼鏡で表情を一切隠した一人の若者が、銀髪の若者と何か話し込んでいる。
 偏光眼鏡をかけた若者は柳生比呂士と言い、この立海でも並ぶものなき紳士と称えられ、人望が厚い人物…そして桜乃の自慢の実兄である。
 その彼と話している銀髪の男は、「コート上の詐欺師」という異名を持ち、人々から一種警戒の念を抱かれている事が多い、曰く有りげな人物、仁王雅治だ。
 全く正反対の性格の様に見える二人が、何故テニスでダブルスを組むまでに調子が合うのか、他の人間達から見たらかなり異質な姿に見えるらしい。
 しかし桜乃は兄の交友関係上、仁王とも接する機会は何かと多く、向こうも親友の妹ということで彼女を一際可愛がっていることから、二人がああして一緒にいる事については何ら疑問には思わなくなっている。
 と言うよりも、今では仁王も彼女にとっては兄の様なものなのだ。
「んー、どれどれ? 今日は…お互いに変装してはいないみたいね」
 遠目からでも二人の変装を見抜ける程に眼力を磨いた意外と出来る少女は、部長である幸村が全員に集合の号令をかけたところで、今日の彼らの活動が終了するのだと察した。
(あ、終りかな…じゃあ、今日はお兄ちゃんと一緒に帰ろうっと)
 いつも優しく理知的な兄を心底慕っている少女は、自分の帰宅が遅れたことを幸いに、今日は兄と一緒に帰路につくことを決めると、彼らの解散をそわそわとコート脇で待っていた。

『有難うございましたっ!!』

 やがて聞こえる、解散の合図でもある部員揃っての挨拶が済み、全員がわらわらと散って着替えを済ませてゆくのを確認して、桜乃が小走りに兄の許へと駆け寄った。
「お兄ちゃん、比呂士お兄ちゃん」
「ん? おや、桜乃ではありませんか、どうしました? こんな遅くまで残って」
 傍に来た妹の姿に、柳生は意外そうな声を出しながら眼鏡の縁に軽く手をやった。
 普段ならもとっくに家に戻って夕食の支度なり、家事に精を出している筈の妹がここにいることに、軽く驚いている様子だ。
「お友達のお手伝いをしていたら、少し遅くなっちゃったの。お兄ちゃん、部活終わったんなら、一緒に帰ろ?」
 うきうきとした様子で誘ってくれる妹に、柳生も嬉しいと思いつつも、その時の表情は心苦しいといったものだった。
「…ああ、申し訳ありませんね、桜乃」
「え?」
「部活は終わりましたが、生憎私はこれからまだ少し生徒会の仕事が残っていましてね…帰れるまでもう少し掛かりそうなのですよ」
「ええー?」
 折角のチャンスなのに…と残念に思った桜乃だったが、そこで諦める前に一つのアイデアが思い浮かんだ。
「あ、じゃあ私も手伝うよ。何か書類の整理とか運ぶのなら私でも出来るし」
「え? いや、しかし…」
 これもまた嬉しい申し出だったが、柳生はすぐに答えを出せない。
「桜乃も家に帰ったら色々と大変でしょう。食事の準備とか、普段も色々と家事など頑張っていますし…」
「大丈夫! 遅くなってもちゃんとやるから」
「そうではなく、桜乃が疲れる方が心配なのですが…やはり貴女は早くお帰りなさい」
「そんな事ないよ、私元気だもん」
 なかなか折れようとしない妹に、柳生が困った…と密かに眉をひそめた。
 これはもう、自分がどう言っても手伝うつもり満々の様だ…逆にこちらが遠慮することで、意固地になってしまうかもしれない。
(さて、困りましたねぇ…)
 かと言って、自分の仕事を放棄して一緒に帰る訳にもいきませんし…と柳生が考えているところで、脇から第三者の声が入って来た。
「のう、やぎう〜〜」
「? どうしました、仁王君」
 先程、試合中の作戦について話していた時とは打って変わって、実に気の抜けた声で呼びかけてきたのは、例の銀髪の詐欺師だった。
 柳生よりも遅く着替えを済ませて来たらしい若者は、のろ〜っといつにも増して脱力した猫背姿で二人の許へと寄ってくる。
「あ、仁王先輩…」
「今日、俺ん家、帰っても誰もおらんのじゃ〜。夕食代に貰ったお金、おこづかいに回したいから何ぞ食わせてー」
「仁王君、そういう邪な企みで人様の家を利用しないで下さい、全く…」
「えー? ええじゃろー? 一人分増えるぐらい……あ、桜乃」
「こんにちは、仁王先輩」
 挨拶をした親友の妹を見つけると、今度は詐欺師はそちらに標的を定めてふりゃ〜っと寄って行く。
「なぁ桜乃―、俺、今日はお前さんのビーフシチュー食べたいのう。柔らかお肉がごろごろ入って、野菜にもたっぷり味が染みこんで、とっろとろに煮込んだヤツ」
「あらあら」
「仁王君っ!!!」
 まるで人の姿を借りた猫の様にごろにゃんと妹に擦り寄っていく仁王に、柳生が少し声を荒げて嗜めた。
 可愛がっている妹に異性が寄っていくのは、例え親友であっても許せないらしい…まぁ仁王の場合は近づき方が何となく如何わしいので、それも仕方ないかもしれないが。
 一方の桜乃は、そんな仁王でも少しも嫌がる素振りもなく受け止めてやり、彼の我侭とも言えるリクエストにも好意的に答えていた。
「ビーフシチューなら、今から帰って圧力鍋で作ったら間に合いそうですね。本格的なものは流石に無理かもですけど…いいですよ、じゃあ早速買い物しないと!」
 それからリクエストに答えるべくそちらにスイッチが入った桜乃は、張り切った様子で片手を上げて二人に挨拶した。
「先に家に戻って支度してますね!」
「おう、楽しみにしとるよー」
「……」
 ここに来てようやく詐欺師の企みに気付いたらしい紳士だったが、どうしても素直に喜ぶ事が出来ない。
 早い内に妹を家に帰し、余計な仕事をさせずに済んだのは良かった…良かったのだが、しかし…!
「さて、それじゃ俺もぼちぼち…」
「待ちたまえ」
 桜乃に希望を言うだけ言ってこそこそとその場を立ち去ろうとした詐欺師の肩を、柳生が逃がすかとばかりにぎゅっと掴む。
「何じゃよ柳生」
「桜乃を家に帰してくれたことには礼を言いますが、君をこのまま帰す訳にはいきません。折角ですから、桜乃の代わりに私の手伝いをお願い致します」
 掴まれて逃げ場のない詐欺師が、あからさまに嫌な顔をする。
「えー? 面倒じゃのう」
「とか何とか言って、どうせあわよくば私が生徒会に足止めされてる間にウチに行って、桜乃にちょっかい出すつもりでしょう。そうはいきません!」
「制服にエプロン姿って、男として一度は見たいと…」
「私は見慣れてますから結構です。さぁいきますよ、夕食分はキリキリ働いて頂きますからね!」
(今、さらっと自慢しよったの、コイツ…)
 それが想定内だったのか想定外だったのかは分からないが、泣く子も黙る筈のコート上の詐欺師は得意な筈の逃亡を阻まれ、親友に襟首を掴まれたままずるずると生徒会の方へと引き摺られていったのだった…





Shot編トップへ
サイトトップへ