野生児の霍乱
男子テニス全国大会決勝の翌日…
「あれー? 金ちゃん、何処行った?」
東京に滞在中のホテルで、四天宝寺中学の三年生、男子テニス部主将の白石蔵ノ介は、同部の一年ルーキーである遠山を探し回っていた。
「全く…迷子になる言うとったのに…ああ、謙也」
「お、お早う白石。どうしたんや、何やせわしないなぁ…」
同じくホテルに泊まっていた同年の忍足謙也が、丁度廊下で擦れ違ったところで、白石は当然自分の探し人の目撃情報を収集にかかる。
「金ちゃん見んかった? 食事食べて少し目ェ離しとった隙におらんようになってん」
「またか…もういい加減諦めたらどうや」
あの超小型爆弾(自発運動機能搭載)は、一度目を離してしまえばもう何処にいるのか分からない。
いっそ燃料切れで帰って来るのを待った方が確実ではないかと忍足は常日頃から思っているのだが、白石は相手に渋い顔で首を横に振った。
「…放置して、挙句何処かの店から損害賠償請求が来たら、謙也払うてくれるん?」
「すまん無理」
二人の会話に出てくる金ちゃん…遠山金太郎は、とにかく元気な中学一年生だ。
そして元気に加えて邪気がなく、自分の心にあまりに正直だ。
だから、心の赴くままに暴走し、後先考えずに色々な処に激突することが時々ある。
不思議なのは、そういう場合激突した本人よりも、激突された対象物の方が被害が大きかったりするので、それがまた部長である白石の悩みの種だった。
いい子だ、確かにいい子なんだが……
「うーん…取り敢えず、金ちゃんを最後に見たんは何処や?」
「十分ぐらい前かなぁ…千歳に遊んでもらっとったのをロビーで見たで」
「そうか、おおきに」
「携帯はまだ覚えんのかいな」
「アイツの操作可能機種はゲーム機とかテレビのリモコンレベルなんや」
取り敢えず、千歳にも聞いてみようと踵を返した白石は本当に困った、とため息を漏らしつつ呟いた。
「…これはもう、金ちゃん大人しゅうさせるには、食い物に痺れ薬でも混ぜといたがええんちゃうやろか…」
「もしバレたら『いつかやる思てました』ってワイドショーで言うたるわ」
物騒な事を相手が本気で考えていると悟った忍足は、廊下の窓の外へと視線を逸らして淡々と言い切った…
「あー…昨日は本当に凄かったなぁ」
その頃、青学の一年生である竜崎桜乃は、昨夜の盛大な祝賀会を思い出しながら、のんびりと近くの公園の並木道を歩いていた。
今日は休日、部活動もない普通のオフであり、桜乃は午前中の涼しい時間を利用して散歩を楽しんでいた。
(まぁ確かに念願の優勝を果たしたんだから、皆盛り上がるのは分かるけど…この静かな日常が久し振りって感じだなぁ、特に何のイベントもない普通の日…)
平和な日々がようやく戻ってきたとばかりに深呼吸して、今の気分を噛み締めようとした時、ふと道の脇に設置されていた自動販売機の前に、何か異様な物体が転がっているのを少女は目撃してしまった。
「え…」
それが自分の見間違いではないと分かった瞬間、
(イヤアアァァァァァ!!! しっ…死体!?)
桜乃の心の中で絶叫が上がった。
自動販売機の本当に目の前で、ばったりと、一人の男が倒れていた。
背は高くないし、そう年齢が高い訳でもない…うつ伏せた状態だった為に詳細は分からなかったが、見た目は明らかに学生服を纏っており、自分と同年代ぐらいの若者だ。
せめて声に出す事無く心で済ませたのは天晴れだったが、本人は心の声を上げた後もわたわたと明らかに狼狽しながら、取り敢えずは販売機の前まで急いで走り寄った。
初見では死体を連想してしまったが、本当に死んでいるのかどうかは定かではない。
しかし見事に死体と間違われかねない姿であんな場所で倒れていたら、普通に寝ている状態とも言えない。
そう、少なくとも普通の事態とは思えないのだ。
「あ、あのっ…! 大丈夫ですか!?」
駆け寄り、膝をついて相手の肩に手を置き、数回揺さぶってみる。
そして、白いシャツから覗く腕を掴むと、取り敢えずは人肌の温もりと脈が伝わってきた。
良かった、死体ではない。
「もしもし!? あの…っ」
うつ伏せの状態から何とかころんと上向きにさせると、何処かで見覚えのある顔だった。
驚くことに、彼の額に明らかな打撲の後が残されている。
(け、怪我してる!…でも、あれ? 誰だっけ…)
同年代の、凄くやんちゃそうな人だけど…ううん、今はそんな事気にしている場合じゃない!
動揺しているが故に相手の詳しい情報を思い出す事も今は出来ず、桜乃はハンカチを相手の額に当てつつ、ぽんぽんと相手の肩を叩いて覚醒を促した。
「しっかりして! 大丈夫ですか!?」
「…う、ん…」
良かった! 気が付いた!!…まだ少し朦朧としているみたいだけど…
「……お、かね」
まだ前後不覚の状態らしいが、兎に角、目が覚めた若者はたどたどしくそう言った。
お金…って、こんな所で怪我して倒れてるってことは、まさか…!
「どうしたんですか!? まさか、誰か暴漢に襲われたんですか!?」
夜ならともかく何て大胆な…!と思っていると、続けて若者は、
「落としたら、そこの自販機の下に、転がってってもうて……」
と告白。
「…?」
「……追いかけとったらつまずいて…そのままぶつかってもうてん」
「あ」
よく見たら、自動販売機の下部に凹んだ跡がくっきりと残されている。
まさか…ここに額をぶつけて凹ませてしまったのだろうか…?
だとしたらそれは痛かっただろう…けど、一応は金属の板でそれなりに強度があるものを、生身の頭で凹ませるって…
「だ、大丈夫ですか?」
「うん…目ぇ覚めてきたぁ」
ふるふると首を振って己の頭を抑える若者の、どうやら無事な姿に桜乃はほっと胸を撫で下ろした。
良かった…事件ではなかったみたい。
でも、お金を追いかけて、つまずいて、派手にぶつかって失神って…
(…これが、今巷で噂のドジッ子?)
ちょっと失礼な事を考えてしまった桜乃だった。
因みに、自分にも十分にその要素が備わっている事には気付いていない。
「うあ――――――っ! ワイの大事な五百円玉が〜〜〜〜!!」
「ひゃっ!」
完全に覚醒した少年が唐突に叫び、がばっと跳ね起きると未練も露に自販機の奥を覗き込んだ。
「何処や〜〜〜〜!! あれでたこ焼き買お思てたのに〜〜!」
何とか隙間から手を入れて取ろうとしているのだが、腕が太くて入らない様子…いや、太さは同年代の男子と変わりないのだが、まぁ隙間も結構狭いから無理も無い。
それでも諦めない相手の必死さに暫くまじまじと見ていた桜乃だが、そうしている内に徐々に過去の記憶の一部と相手の姿が一致してきた。
「あ…遠山さん…?」
「へ? 何でワイの名前…」
名を呼ばれて怪訝な顔でこちらを振り返った若者に、桜乃はやっぱり!と嬉しそうに笑いかけた。
「今日は制服を着てらしたから気付きませんでした…私、青学の竜崎と言います」
「んん…」
青学…と言うと、あのコシマエの学校やな…そう言えばこのねーちゃん、どっかで見たことあるよーな…
「ええと、おむすび…」
「! おー!! あの時の美味いおむすびのねーちゃんや!! 思い出したー!!」
対戦前に微かに触れ合った互いの縁が、今ここで再び繋がる…多少、ロマンに欠ける格好ではあったが。
「久し振りー!…って程でもないなぁ」
「うふふ…」
あけっぴろげな相手にもう一度笑った桜乃は、それから相手から視線を外すと、販売機の下の隙間を見て言った。
「…私がやってみましょうか?」
「え?」
「私の手なら入るかもしれません。ちょっと場所を交代して下さい」
「う?…」
言われるままに遠山が少女に場所を譲ると、彼女はぺたんとその場に膝を付き、そのまま場にうつ伏せる形になると、細い手を問題の隙間にゆっくりと差し込んだ。
ほんの少しの腕の太さの違いが、決定的な相違となった。
遠山の場合は途中で突っかかっていたそれがするりと全て奥へ呑み込まれ、桜乃はそのままごそごそと奥を探っていき、何かの感触に触れてそれを掴んだ。
この大きさと形は、間違いない…
「よい…しょ…っ」
腕を引き出し、伏せていた身体を起こし、遠山の前に立った桜乃は、所々服が汚れ、片側の頬を地面に付けていた為にその部分も埃と砂で汚れてしまっていた。
が、桜乃はそんな事に気を向ける様子も無く、入れていた方の手を遠山へと差し出し握っていた拳を開く。
「はい、取れましたよ?」
掌の上には、確かに輝く五百円玉…
「あ、お…」
『おおきに』と言うつもりが、それ以上声を出せず、遠山はその場で固まってしまう。
視線の先は、汚れた顔のままで屈託無く微笑む少女…
痛みもないのに、胸がおかしくなる…焼け石を押し当てられたようだ。
それに、汚れてしまっているのに、今の自分には何故か、相手が物凄く眩しく見えて…
あれ…? 何や、コレ…何か、おかしいで、ワイ……
「どうぞー?」
そんな少年の心の異変に気付く事も無く、桜乃はぽえんとのどかな春の日差しの様な笑顔を向けて、手にしていた五百円玉を相手の手に乗せた。
どきんっ!
動いてもいないのに、何故か始まる胸の動悸に、遠山は一気にパニックに陥ってしまった。
今まで普通に話していた相手から目を逸らし、俯き、どもりだす。
元気だった声が途端にぱったりと途絶え、落ち着き無く彼の身体がゆらゆらと揺れ始めた時だった。
「金ちゃん!?」
「!?」
「あら…?」
そこにいきなり割り込んできた呼び声に二人が同時に振り向くと、遠山の保護責任者でもある白石が走って向かってくるところだった。
「やぁっと見つけたで! 外に勝手に出るな言うたやろ! ホテルに近いから見つかったようなものの…」
「し、らいし…」
白石がようやく見つけた遠山の傍まで来ると、相手は彼に向かってととっと走りより、そのまま桜乃から見えない様に彼の背後に身を隠してしまう。
それはまるで、人見知りをする幼児が初対面の人間から隠れる仕草にも似ていた。
「? 何や? どうしたんや金ちゃん?」
「……」
遠山は答えず、白石のシャツを握り締めたまま、こっそりと陰から桜乃の姿を覗いては俯く動作を繰り返している。
「あのう…」
ふと呼びかけてきた桜乃の声に、白石は、ん?と自然に顔を向け、遠山はそれだけでびくんと身体を震わせる。
「ええと、何処かで会うたな…んんー…」
「竜崎桜乃です…青学の一年です」
「ああー、成る程、見覚えある訳や…ん?」
納得、と頷いたところで、白石は相手の顔が汚れているのに気付いた。
「どうしたん? ほっぺた汚れとるよ?」
「あ、ああ、これはちょっと…」
「…まさか金ちゃん…女の子いじめてた訳やないやろな…」
「ちゃうわ!」
もしそうならお仕置き確定や…と、早速しゅるんと左腕の包帯を解きかけた白石に、遠山はムキになって叫ぶ…が、握ったシャツを離す様子は無かった。
「…金ちゃん?」
ここに来て、白石は明らかにいつもとは異なるルーキーの様子に気付く。
普段なら、自分が包帯を解いたところで相手は例外なくその場から逃げ出す、或いは離れながらももっと大袈裟に喚いて騒ぐのに…今日はどうしてこんなに大人しいのか、それに…
「何をそんなにコソコソしとるんや?」
「……」
尋ねても一向に答えようとせず、相変わらず桜乃の様子を伺うばかりの遠山に、白石は肩を竦めて今度は桜乃に問い掛けた。
「もしかして、ウチの部員が迷惑かけてもうたん? 何か、服も汚れとるし…」
「いえ、そういう訳じゃないんですよ」
こしこし、と手で頬を擦って砂を落としながら、桜乃は簡単にこれまでの経過を白石に話した。
「…はぁ成る程、金ちゃんのお小遣いを取ってくれたんやな、それはおおきに」
ええ子やなぁ、と白石は桜乃にお礼を言った後、その視線を今度は自動販売機の下へと移動させた。
そこにはべっこりと凹んだ跡…
「……」
ある意味自分の悪い予感が的中してしまって少しばかり欝になってしまった白石だったが、せめて相手が生身の人間ではなかったことは幸いだった、と前向きに考えることにする。
「…そう言えば、金ちゃんはちゃんとお礼言うたん?」
「……」
何も言わなかったが、微かに相手の肩が揺れて狼狽を顕した事で、白石は敏感に答えを感じ取った。
「まさか言うとらんの!? あかんで! 人に助けてもろたら『おおきに』ぐらい言いや!」
後輩を嗜めながら相手の身体を桜乃の前へと押し出し、礼を言わせようとした白石だったが、少年は何故か頑なに抵抗し、絶対に自分の背後から出ようとはしなかった。
「や…嫌やって!!」
「何が嫌や! めっちゃ失礼やでソレ! ホンマに毒手お見舞いしたろか!?」
きつく叱り付ける白石を止めたのは、対象となっている桜乃本人だった。
「きゃああ! 大丈夫です、気にしないでいいですから! 私こそ、御恩返しのつもりでしたから!」
「…恩返し?」
不思議な言葉にきょとんとする白石に、少女はこくんと頷いた。
「はい…落としたおむすび食べてもらって、美味しいって言ってもらえた事とか…決勝戦では立海の幸村さんに挑んで、時間を引き延ばしてくれた事とか…遠山さんには本当にお世話になって、とても嬉しかったんです。だから是非、お礼を言いたくて…有難うございました」
「〜〜〜〜」
桜乃の言葉を聞いた遠山が、今度は真っ赤になって更に俯き、顔を隠す。
「……」
そんな彼の様子を見て、白石はぴーんっ!と相手の様子の激変の原因について察した。
(お〜〜……もしや金ちゃん…)
「幸村さんと戦った後にお身体の調子を崩されて、心配だったんです…大丈夫でしたか?」
隠れている遠山に桜乃が問い掛けたが、相変わらず彼は俯いて言葉も出ない様子で、代わりに白石が答えた。
「ああ、心配してくれておおきに。大丈夫や、もうピンピンしとるさかい」
「そうですか、良かった…」
言いながら、遠山の様子を暫く伺っていた桜乃だったが、結局出てきてくれない相手に苦笑する。
「な、何か警戒させちゃいましたか? どちらかと言うと印象は薄いって言われる方なんですけど…」
「…いや、めっちゃくちゃ濃かったんやろ。○たふくソース並に」
「はい?」
「あーいやいや」
その辺りの核心については触れず、白石は遠山の分もと軽く頭を下げる。
「ほんま堪忍や。俺が言うのも何なんやけど、金ちゃん、悪い子やないんやで」
「あはは、知ってます…そう言えば皆さんは関西の方ですよね。まだ東京に?」
「いや、今日の午後に新幹線で帰る。確か二時の…」
「慌しいですね」
「はは、一応学生が本業やからな…ほんじゃ、俺達はそろそろ行くわ。越前クン達にもよろしゅう伝えといてな、カワイコちゃん」
「え…っ」
爽やかな笑顔で、珍しく白石が軟派な台詞を口にして桜乃を赤面させると同時に、遠山を唖然とさせる。
「ちょ…白石ナニ言うとるん…」
ごんっ!!
「やかましわ! 甲斐性無しに発言権は認めん、きびきび行きや!」
怒鳴ろうとした相手を拳骨で黙らせると、白石はずるずると後輩を引きずって、戸惑いながら見送る桜乃の視界から消えて行った……
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