風鈴


 日本の夏と言えば、鮮やかな青空に入道雲。
 燦々と照りつける日光に、それに答える向日葵達。
 麦わら帽子に虫とり網、カブトムシにスイカ割り…などなど
 実に多くのイメージが湧くものである。
 そして今日、夏のある日。
 立海大附属中学三年生である若者・柳蓮二も、いかにも夏のイメージを彷彿とさせる『ある物』を求めて、着なれた浴衣を纏い、外へと繰り出していた。
「ふむ、晴れたのは何より…しかし、夏もこれから本番とは言え、今からこの暑さだと体調管理は特に気をつけねばな…」
 呟きながら、からころと心地よい下駄の音を響かせる彼を、通りすがりの通行人達がほぼ全員例外なく振り返ってゆく。
 見苦しいとか不釣り合いな格好だからという訳ではなく、実はその逆。
 顔の造りの良さもさることながら、見事に和服が嵌まり、決まっているからだ。
 現代の日本に於いては、若い男性が浴衣なり和服を纏うのは、かなり畏まった場面か、祭りがある決まった夏の日ぐらいのもの。
 それにしても普段、そういう服を着慣れていないだろう人間は、上手く着付けていたとしても、動きの何処かにぎこちなさが滲んでくる。
 日本の着物は、実は洋服よりも着こなすことが難しいと言われている。
 本人は意識せず自然体に振舞っているつもりでも、慣れていなければ身体が無意識の内に不自然さを感じ取ってしまっているからだ。
 しかし、柳にはそれがなかった。
 びしりと背を伸ばした長身の彼は見栄えも良いばかりでなく、纏った浴衣が非常によく馴染んでいた。
 色も利休鼠の落ち着いたもので、華美な華やかさはないものの、その名が示すように利休が好んだ侘び寂びの感をよく出している。
 袖の中に腕を入れ、前を見据えて自然に歩いてゆく柳は、男女問わず羨望の眼差しを一身に受けていたが、本人は気付いているのかいないのか、全く動じることもなく淡々と歩みを進めていた。
 やがて、彼が足を止めた場所。
 そこは普段、広場になっている某寺の敷地内だったのだが、今日だけはその様相は大きく変わっていた。
 数多く立ち並んでいる大小様々なテント。
 その中に溢れ返る人々と、威勢のいい掛け声。
 そして、風が吹く度に耳に響く、風鈴の音、音、音…
「…うむ」
 自然と、柳の口元にうっすらと笑みが浮かぶ。
 今年も、自分にとって恒例になった夏の行事の日が来た。
「さて…今年は好みにあうものが見つかるだろうか?」
 そんな彼の視界に広がっていたのは、テントの下に無数に吊り下げられた風鈴達の姿だった。
 今日は都内で毎年行われる、某所での風鈴の祭りの日であり、それに参加する為に柳はここまで足を延ばしていたのだ。
 因みに、浴衣なのは祭りに合わせたからではなく、彼の普段着そのものが和服の事が多いからである。
 年に一度、関東で行われるこの行事は、日本全国の風鈴を見比べ、買い求める事が出来る非常に珍しいものだった。
 中学生でありながら、日本の文化を愛し、和の情緒を愉しむことを良しとする柳にとっては、今日の祭りは正直何処かの花火大会よりも外すことの出来ない重要なイベントなのだ。
 毎年、必ず気に入った風鈴を買うという習慣は持ってはいないが、何か心の琴線に触れたものがあるなら買っていこうと、多少のお金は準備してきている。
 果たして今年は…?
「…先ずは、見ないことにはな」
 さて、と居住まいを正した後、柳はからころと下駄を響かせ、人ごみの中へと紛れていった。


 数時間後…
「……ふーむ」
 来たときの笑顔とは打って変わって、一通りの店を巡った後の柳の表情は、あまり冴えないものだった。
 今更言うまでもないが、この若者の記憶力、分析力は常軌を逸していると言っても過言ではない。
 彼が意識して見たものは決して忘れず、望む限りは記憶に残る。
 その記憶力を利用して、彼は巡った店のほぼ全ての風鈴を覚え、自身の好みから候補の風鈴を数十は選び出していた。
 しかし!
「…今一つ、決定打に欠けるな」
 そう、それなのだ。
 一応目には留まったものの、『是非に欲しい!』と思わせる程の逸品がない。
 立ち止ったままの彼の脳裏に自室の縁側の様子が思い浮かび、そこに幾つかの候補である風鈴が掛けられた状態を予想してみるのだが…どうにもしっくりこない。
(これだけ数があれば一つぐらいは見つかるかと思っていたが…妥協するのも性に合わない、もうひと巡りしてみるか)
 現物と脳内に刻まれた記憶はそれでも何か違うものだと若者が考え、踵を返そうとしたところで、彼の視線が不意にある人物に止まった。
「ん?」
 生活圏より離れたこの場所で、自分の知己と出会う確率はかなり低いものの筈…なのに、その人物は明らかに自身の記憶の中に刻まれていた…それも、とても深く。
「竜崎?」
 間違いない、青学の学生である竜崎桜乃だ。
 しかも、この風鈴祭りに合わせてか、普段は洋服派である彼女も今日は浴衣を纏っている。
 呟いた時には、もう彼の足は風鈴売り場ではなく、彼女の方へと数歩を踏み出していた。
 それ程遠くもなかったので、柳はすぐに彼女の傍へと寄りつつ、相手に呼び掛けた。
「竜崎? お前もここに来ていたのか」
「っ…柳さん!」
 呼びかけられ振り向いた少女は、相手を知ると同時に驚いた表情を浮かべながら、改めて身体ごと柳に向き直った。
 学校こそ異なるが、彼らはテニスが縁で知り合った仲であり、柳の相手に対する目の掛けようは、他の立海の学生とは比較にならない程である。
 自分達より年下だし、テニスに対して真面目に取り組んでいるから好感が持てる、というのが彼の弁だが、それだけが全てでもないだろう。
 そんな彼は久しぶりに桜乃に会えた事で、いつもよりやや深い笑みを浮かべながら相手と対峙した。
「こんな所で会えるとは思わなかったな…久しぶりだ」
「はい、お久しぶりです、柳さん。柳さんも、風鈴を見に来たんですか?」
「ああ、毎年来ているが…」
「まぁ、私もですけど、全然気がつきませんでした…あ、でも去年までは知り合ってませんでしたから、当たり前ですね」
 当然の事実に、桜乃が苦笑いをすると、柳も同じく苦笑した。
「確かにな……俺もお前とは随分前から知り合っていた気がするし、そう考えると不思議な気分だ」
 出会ってまだ間もないというのに、ここまでしっくりと言葉を交わす事が出来るというのは珍しい。
 普通なら、人は相手の性格を理解・把握し、馴染むまでには相応の時間を要するものだが…彼女に関してはその時間がやけに短かった。
 相手の事が気に入ったと言えば簡単だが…それは俺だけが感じていることなのだろうか…?



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