「気に入ったのは見つかりましたか?」
「え?」
不意にそう問われ、珍しく柳が返答に困っている間に少女が無邪気に問い直した。
「風鈴です。何かお気に入りのものは…?」
「あ、ああ…風鈴、か…そうだな」
「?」
惑っている自分に不思議そうな視線を向けてくる相手を誤魔化すように、柳は身体を彼女から風鈴市場へと向け、視線を一時外しながら当たり障りなく答えた。
「いや…良いものがあるかと思って見回っていたが、なかなかな…信楽焼や瀬戸焼、出石焼に上神(かずわ)焼…ガラスや蒔絵も色々とあって目には面白いものだったが、いざ何かを選ぶとなると、イメージがしっくりこない」
「ふわぁ…お詳しいんですね。もしかして柳さんの目が高いから、条件に合うものが見つからないんじゃ…」
「そんな事はない、どれも単体としては素晴らしいものだが、今一つ俺の部屋に飾るイメージが湧かない。こういう時には、そのものの美しさもさることながら『調和』というものも重要だ」
「なるほど…」
言いたい事は何となく理解出来る…例えば、マイセンの食器でお茶漬けを食べるような行為は、およそ『調和』というものは無縁だという話だろう。
(…こういう例えを考える時点で、私のレベルの低さも相当だけど…)
そんな事を考えてこっそり落ち込んでいた桜乃だったが、ふと柳の目が、彼女の顔に浮かぶ大量の汗を捉えた。
確かにもう日も高く上がりつつあり、人の熱気も凄い場所なので、桜乃に限らず自分を含めた参加者達も汗はかいていたのだが。
きらきらと太陽の光を浴びて輝く汗は健康そうなイメージでもあったが、柳は逆に相手の体調を心配して声を掛けた。
「お前、汗が凄いな…熱中症ではないか?」
声を掛けながら彼は桜乃の方へと更に二歩踏み出し、袂から梨園染めの手拭いを取り出すと、それを相手の額にひたりと当てた。
「あまり日向を歩いてはいけない、水分はちゃんと取っているのか? 気分が悪ければ、向こうの救護所に…」
「い、いいえっ! 大丈夫ですっ、体調は全然問題ありませんから…」
「そうか?…にしては顔が赤い」
「いえ、その…これは、そのう…」
熱中症とかではなく目の前の若者が原因なのだけれど、桜乃にそれを堂々と言える度胸はなく、もごもごと口を濁すのみだった。
そして濁しついでに、軽く別の方へと話を振ってみる。
「えと、さっきまで風鈴作ってましたから、その所為だと思います!」
「? 作った? 風鈴を?」
「はい…あ…」
この若者の怪訝な表情から見るに、元の土台から造ったと想像していると気づいた少女は、慌ててそれを修正する。
「あの、造ると言ってもその、絵付けだけでしたから! 体験学習って形で、あそこのコーナーで参加させてもらったんです。描いてるだけでも熱中しちゃって、その所為なんです」
「ふむ?」
桜乃が指示した方向を見ると、確かに市場から少し離れた場所にその様な案内板が立て掛けられている…市場の中にしか興味がなかったので見過ごしていた様だ。
しかしよく見てみると、その案内板には既に『好評につき、終了致しました』と更に上から貼り紙が貼られていたので、今からの挑戦は難しいようだった。
「あんな催しがあったのか…確かによく考えたら、最初から造るには炉が必要だからな。ここでやるのは不可能だ」
「江戸風鈴の、オーソドックスなものに絵付けをさせてもらうものだったんですよ…ええと、小口っていう種類でした」
言いながら、桜乃はごそっと左手に引っかけていたビニル袋を右手で取り、中を覗き込みながらそこに入れられていた物体を取りだした。
緩衝材に包まれた、丸いもの。
何であるのかは、最早この話の流れでは問わずとも分かるもの。
「このぐらいの大きさのです」
「ふむ」
「……」
「……」
頷いたきり、じっとその物体を凝視する相手に、桜乃はついそれを再び袋に仕舞うタイミングを逸してしまう。
「えーと…柳さん?」
「ん?」
呼びかけられても、彼の視線はずっとその緩衝材で覆われた物体から離れる様子はない。
これは、やはり…
「……み、見たいんですか?」
「非常に興味があるな」
びしっと即答され、桜乃はやっぱり、と思いながらも、話を出してしまった手前断る訳にもいかず、渋々と覆われていた小口を取りだした。
「うう…下手なんですよ、慣れない筆書きだからよたっちゃって…」
そう言いながら彼女が見せたのは、一見して、金魚鉢のイメージと分かる絵付けされたガラス風鈴だった。
赤い小さな金魚らしき絵がちらほらと舞う中で、水色と蒼の彩が波打つ水面を表し、緑の金魚草が曲線に沿って描かれている。
たまに金魚と共に踊る白い小玉は水泡だろうか。
敢えて詳細に描かず抽象的なイメージで表されている分、自身の中での想像が掻き立てられる。
勿論、売り物で似たような品物と比較したら技術的な面では及ばないものだったが、素人ならではの「味」もあり、風鈴としては十分に用途を為せるだろうものだった。
「…」
「…下手でしょ?」
「いや…」
まじまじと見ている相手に桜乃がおずっと問い掛けると、向こうは手を口元に当てつつぼそりと言った。
「……可愛いな」
「っ!!」
何気ない一言だったが、それを聞いた桜乃がどきりとする。
可愛いって言った…? 柳さんが…!?
(びっくりしたぁ…! 普段、凄く固いイメージでそんな事を言う感じしないもん…でも)
可愛いって…褒め言葉だよね?
売り物には劣るだろうけど、ちょっとはそれらしく見てもらえたのかな…
(えへへ…何だか照れ臭いな…)
そう思うと、少女は嬉しくなって自然に相手に申し出ていた。
「あげましょうか?」
「え?」
「良かったら、差し上げますよ、これ」
意外な桜乃の台詞に、柳は驚きながら彼女と風鈴を交互に見遣った。
悪いと思いながらも、彼にとっては非常に魅力的な申し出だった為に、すぐに断る台詞も出てこない。
派手ではなく実に素朴な絵柄で、見た者を和ませ、涼ませるだろう水の中の一景。
何より、描いた人物は見ず知らずの達人でなく、目の前のこの娘。
「…しかし」
すぐにでも頷きたいところをぐっと堪え、相手が苦労して仕上げたのだろう作品を思いながら柳が一度は躊躇う表情を見せたが、相手は意外とあっさりと断ってきた。
「いいんですよ、無料体験学習だったからお金もかかってませんし。たまたま来たらやってたので参加しただけで…私は柳さんみたいに目が肥えている訳でもないですから、売っている風鈴の中でもきっとお気に入りが見つけられると思いますし」
「いいのか? しかし、お前が描いた以上はこれも思い出の品だろう」
「柳さんに差し上げるのも、十分、良い思い出になりますよ。手元に残すものだけが、思い出という訳でもありませんし」
「…」
桜乃の台詞に、柳が沈黙する。
何となく、心の中に残る言葉だった。
彼女の言っていることは正しい、共感できるものだった……しかし一方で、若者は心の中に共感出来ない別の自分がいることも自覚していた。
「俺は…」
『思い出』で終わらせたくはない…風鈴も、今日の事も。
『思い出』という単語だけを聞くと、それは自分だけが持つ過去の記憶になってしまいそうな気がする…決してそれだけとは限らないと分かってはいるのに。
出来たら、この思い出は自分一人でなく、彼女と共有したい。
互いにそうだったねと、いつまでも語り合える、そんな『思い出』にしたいと願う。
「柳さん?」
「!…ああ、すまない」
「大丈夫ですか?」
声を掛けてきた少女に優しく笑うと、柳は気を取り直すように頷き、相手が差し出してきた、あの風鈴が入った袋を素直に受け取った。
「有難う、きっと大事にする。お前はところで、これからどうする?」
「風鈴を見て回ります。最初に絵付けに参加しちゃったから、まだ全然見てないんですよー」
「そうか…では、良かったら俺と一緒に見ないか?」
「え!? 良いんですか?」
「ああ、今日はとても良い土産を貰ったからな…代わりに、お前が飾る風鈴は、俺に見立てさせてくれ」
「わぁ…じゃあお願いします!」
「ああ」
そして、柳は桜乃と並んでゆっくりと歩き出した。
「何処から行こうか?」
「えーとえーと、じゃあ…!」
二人はそれから仲良く市場をゆっくりと見て回り、互いに悩み、楽しみながら時を過ごしていった。
桜乃の質問に柳が丁寧に説明し、そこに雑談も交えて二人の笑顔が零れる。
短くも長い、のどかで愛おしいひと時だった。
風鈴達の共演は、それからも二人の目と耳を大いに満足させ、そして、最後に桜乃が選んだ風鈴を、柳は贈り物として彼女に進呈したのである。
「何だか却って悪い事しちゃった気がします…」
「いや、気にしなくていい。今日の思い出としてお前の部屋に飾ってくれるなら、俺も嬉しい」
「はい! 早速飾ります!」
にこっと笑って頷く桜乃に、柳も満足そうに頷く。
「今日は付き合ってくれて有難う、とても楽しかった」
「私もです。下手な絵を見られちゃったのはちょっと恥ずかしかったですけど…」
「…いや、あれはお前と同じ様に十分可愛い。この夏の楽しみが増えた、礼を言う」
「はぁ…………ん?」
何か今…凄い事を言われた様な気が…?
反芻するより早く、柳が桜乃に今日の暇を告げた。
「では失礼する…また二人で、こんな機会を持ちたいものだな、竜崎」
「あ、は、はぁ…有難うございました、失礼します…」
ぺこっとお辞儀をして、去ってゆく相手を見送り…桜乃は落ち着いて柳の台詞を再度思い返したところで、今度こそ真っ赤になった。
(ま、また可愛いって…!! しかも今度は風鈴だけじゃなくて…私も!?)
それじゃ、もしかして最後にあの人が言った台詞って…もしかして…
胸の奥がかっと熱くなる感覚を覚えながら、桜乃がそんな自分を咄嗟に戒める。
(…ま、まさかね…そんな…)
あんな凄くてモテそうな人が、私なんか…でも…違ってほしくはない、かも…
心の中で否定したい気持ちと、期待したい気持ちが交錯する。
「う〜〜〜〜〜ん…」
確かめた方がいいのだろうか?
けど、やっぱりお世辞かもしれないから、まさか自分から相手に会いたいと積極的に言う訳にもいかないし、かと言って、本気だったのなら、こっちも心の準備しないといけないし…!
どうしよう…? 取り敢えず…取り敢えず…
(…夏休みの宿題、早く終わらせておこう…)
その桜乃の決意は、柳からデート(?)の誘いが来た後日、大いに報われることになる……
了
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