イイトコ見せましょ
『ゲームセット! ウォンバイ財前 6−0』
高らかにコールが響き、観客席から声援が起こる。
彼らの視線を独占しているコートの中の若者は、既にラケットを下ろして自分方のベンチの方へと歩み寄ると、白いタオルを受け取っていた。
「…ふぅ」
軽く滲んだ汗をタオルに吸わせている間に、試合が終われば遠慮はいらぬと言う様に黄色い声援が聞こえてくる。
彼のファンらしい同年代の女子達が、若者の気を引こうと声を上げて名を呼んでいるのだ。
『きゃーっ!! 財前クーンッ!!』
『こっち向いて〜〜〜〜っ!!』
ともすれば騒音とも取られかねない声援に、財前と呼ばれた若者はタオルで口元を隠しつつ視線を遣り…
「……」
声で答える代わりに、ばちっと軽くウィンクを返した。
『キャ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!』
そして、更なる大騒音となって帰って来る声、声、声…
モテない男子が見たら、それだけで僻みの対象になるだろうことは間違いない。
「あんまり煽んなや、財前」
「サービスっすわ」
やれやれと少し呆れ顔で、先輩の忍足がベンチに座りながら相手に忠告したが、若者はあっさりと切り返す。
「別に彼女ら全員にやったもんでもないですし」
「?」
どういう事や?という表情で忍足が眉をひそめたが、彼が質問を口に乗せる前に、一年生唯一のレギュラーがぴょんっと飛び跳ねながら楽しそうな声を上げた。
「おおーっ! カッコエエ!! むっちゃカッコ良かったでぇ、財前!!」
「おおきに、次は金太郎の番か」
「ワイも頑張るでーっ!!」
相手の活躍に発奮したのか、その一年生、遠山金太郎も張り切った様子でぶんぶんとラケットを振り回しながらコートへと飛び出して行った。
一見したら、『ラケット使ってタコ殴り!の図』にも見えるが違う。
あれはあれで立派にテニスをやりに行くのだ…見た目完全に野生児だが。
「お達者で」
そんな野生児の背中に呼びかけた財前の言葉の宛先は、実は三割が遠山で七割は彼の相手だ。
ようやく引き始めた汗を改めてタオルで拭いながらベンチの脇に腰掛けた財前に、部長である白石が声を掛けた。
「お疲れさん、財前。ええ試合やったで」
「部長…」
「珍しく自分が自己主張しとったから何事かと思うとったけど、自信たっぷりに言うだけあるな。いつになく気合が入っとったやん」
「そりゃまぁ…勝ったモン勝ちっすから。あんだけアピールしといて負けたらエエ面の皮でしょ」
「負けたら思い切り指差して笑うたろ思てたんやけどなぁ…」
「あーりがたいっすね〜」
けっと毒づきながら返した財前の脳裏に、前日の打ち合わせの情景が浮かんできた。
「今回は、俺、絶対にシングルスでやりたいっす」
メンバーが集められた部屋で、はいっと勢い良く上げられた手と、気合の入った声。
ミーティングが始まって早々の財前のそんなアピールに、他メンバー達は珍しいと一斉に彼に注目していた。
その中で、プリントを手に翌日の試合の組み合わせを決めるべく進行役を務めていた部長の白石は、相手の立候補を聞いてぴらりとプリントを捲りつつ尋ねた。
「……ほう、してそのこころは?」
「目立ちたい」
「はい消えたー」
間髪入れずに即断した部長に、今度はがたんっと席を立って財前が訴える。
「審議ぐらいしてくれてもええんちゃいますか!?」
「…ほう、となるとこのミーティングの議題は…」
言った後で、白石は同室に備え付けられていたホワイトボードにきゅきゅきゅーっと黒ペンで何事かを書き込んでいった。
『財前クンを試合で如何に盛り上げ目立たせるかということについての案件』
そして書き終わると、白石はずいっと財前の目前に寄って陰のある笑顔で迫りながら、低い声でダメ押し。
「何で俺らが自分目立たせる為に集まらなあかんのや、書いてて尚更腹立ったわ」
「書かんかったらええでしょ!!」
大体そういう意味で言ったのではない!と否定しようとした財前に、白石はプリントで自分をぱさぱさと扇ぎながらしれっと言った。
「何言うとるんや財前クン。明日は全国大会以来の大きな試合やで? ここはミーティングでも形からびしっと入ってやなぁ…」
「そのびしっと入ったミーティングで折り紙折っとる子もいてはりますけど?」
財前が指差した先では、大人しく座っていると思っていた遠山が配られたプリントを早速折り紙代わりにしてうきうきと楽しそうに遊んでいる。
ミーティングに参加しようという気が全く、微塵も見受けられない。
「ああ、アレはもうアレやから」
「どれがどれなんです」
食い下がる財前に、まぁまぁと笑いながら金色が口を挟みつつ、自前のアフロウィッグを差し出してきた。
「あら水くさいわね財前クン。そんなに目立ちたいならコレ貸してあげても…」
「イロモノで目立ちたいんとちゃいます!!」
根本的なトコロから間違っている!!と喚く後輩に、仕方がないなぁと白石がぱらぱらとプリントをしつこく捲った。
別に遊びで作ったワケではないそれには、彼らの各能力の分析データが緻密に記載されているのだ、それこそ肉体的、精神的なあらゆる要素を含んだ形で。
そして白石もノリツッコミだけで部長の座に就いている訳ではなく、財前のシングルス出場を渋るのにはちゃんと理由があった。
「ん〜…そうは言うてもなぁ…お世辞抜きで自分のメンタルの強さはなかなかのモンやし、状況を冷静に分析して動ける柔軟性の高さはダブルスではかなりの強みなんやけど…千歳ん時も、ちゃんと裏方に徹してくれたしなぁ」
最後の台詞に、ぴくん、と財前の肩が揺れ、瞳に殺気が宿った。
「ええやないですか、どうせ大きな大会言うても青学ほどの実力校やないんでしょ? 適当に千歳先輩と忍足先輩でも立たせといたら迫力で逃げて行くんちゃいます?」
「どついたろかピアス野郎」
「あんま周りば怒らせとったら老後が寂しかばい、財前」
はっはっは、と背後の先輩達は笑っていたが、目は笑っていない。
「うーん…」
困ったなぁと呟いた白石が、くるっと振り向いて顧問の助言を求める。
「先生、先生のご判断は?」
「…………あ、好きにやっといて、生徒の自主性を重んじるのもエエ教師の仕事や」
反応が遅れたのは、片耳に付けているイヤホンから流れてくるラジオ音声に集中していたからだろう。
その後も『3−7が固いかな〜』と呟きながら眺めているのは赤や緑がカラフルな『いかにも』な新聞。
今この教師が気にしているのは生徒達がちゃんとミーティングを行っているかという事よりも、明日の競馬の中身らしい。
(よく廃部にならないよなココ…)
皆が一様に思ったところで、しかし、と石田が珍しそうに財前を見る。
「確かに珍しいことですな、財前はんがそれだけ前に出たいと言わはるんは…何か心境の変化でも?」
「……」
それなりに鋭い指摘だったのか、財前はその質問を受けると一度口を噤み、ふいっと視線を逸らしながらず〜〜〜んと目に見える程に重い空気を背負った。
「…全国大会…世のテニスファンが一同注目する試合に、俺もしっかり出てた筈やのに…その会場にいてた人から『アンタ誰?』って言われた気持ちが分かります?」
(あ、ヤバイ…)
どうやら地雷を踏んだらしい、と皆がぎくりとしている間にも、向こうの若者は一層深く暗い闇を召喚しつつあった。
「まぁね…俺もあん時は実質シングルスになるとは分かっていたし、納得もしましたけどね…あんまりにもあんまりなんちゃうかと思うワケですよ……幾ら向こうが青学の手塚サン言うたかて、そこまで空気扱いせんでも……ええ、お陰で誰かサンの独壇場になって、結果俺はオマケ程度でしたし…なら、ショボイ大会でもちょっとぐらい日の目見させてくれたってええやないですか…」
「何かよう分からんけど、財前可哀相になってきた…」
何とかしたって?とくいくいと白石の袖を引っ張って、遠山が気の毒そうに訴える脇では、その独壇場にしてしまった千歳があちゃ〜と渋い顔で笑っている。
「そう言えばそうやったね〜…」
「うーむ」
財前の怪しいオーラと一緒の訴えは部長の心にも響くものがあったのか、白石はプリントをぱさりと閉じて唸った。
その脳裏では相手方の学校の能力値が幾度も繰り返して反芻され、財前がシングルスに出場した場合のその他の組み合わせが何通りも浮かんでいた。
「金ちゃんがダブルスっちゅうのは無謀やとして…小春?」
「金ちゃん抜いて、アミダでもやったらいいじゃない」
オネエ言葉でそう言った後、金色は眼鏡に手をやりながらその瞳を一瞬鋭く光らせながら、今度は年齢相応、性別相応の言葉遣いになる。
「今計算した上での確率から言うたら、誰と誰が組んでも大した誤差はないやろ。勿論、ウチが勝ついう意味でな。白石、部長の自分がきっちり決めぇや」
「やろな。ま、勝てる可能性が十分言うなら、決める部長の立場も楽でええわ…よし」
相手の天才的頭脳によるシミュレーションからも、十分に自分達の勝算が高いと判断されたところで、白石は最終決定を下した。
「財前は今回はシングルスに出したるわ。んじゃ、残りの枠を埋めていくで」
かくして、翌日のシングルスの一戦は、財前の名で埋められることになった。
「お陰で今回は、俺が隠居させてもらうことになったんやけどなぁ…」
「ええやないですか、部長もたまにはベンチでふんぞり返って部員の活躍見るんも」
そう言われても、補欠要員になった白石は何となく身体を動かせなかった悔しさからか、ぼそりと小さく愚痴を零した。
「老兵は黙って去るのみか…」
「アンタ幾つですか」
突っ込みながら財前がやれやれとベンチから立ち上がる。
「何処行くんや?」
「飲み物切れたんで、ちょっと買うてきます」
言い残し、財前はそこから離れて試合会場のロビーへと向かった。
他の箇所にも自動販売機は設置されているが、やはり一番数と種類が揃っているのはこういう場所なのだ。
「…えーと…」
ちゃらちゃらとポケットの中で小銭を鳴らしながら、財前が暫し自販機の前でうろうろと迷っていると、その隣に人が近づいてきた。
そして彼が相手の気配に振り返る前に、向こうから声が掛けられる。
「お疲れ様でした、財前さん」
「ん?」
細く高い声に呼ばれて振り向いた若者の表情が、相手の顔を見た瞬間驚きに変わり…そして次には笑顔に変わった。
「桜乃!?」
「うふふ…ベンチを離れるの見てましたから、ここじゃないかなって思って」
目の前に立つおさげの少女は人懐こい笑顔を見せながら財前へと話しかける。
青学の一年生、竜崎桜乃…財前にとっては可愛い恋人でもあった。
「ははっ、久し振りやなぁ、こうしてすぐ近くで会うんは!」
「きゃっ…!」
ぎゅっと思い切り抱き締められ、桜乃が赤くなりながら慌てて相手を嗜めた。
「ダ、ダメですよ、誰か来たら…!」
「久し振りなんやから、これぐらいええやろ?」
ちゅう…っ
「ちょ…っ!」
抱き締めるだけではなく頬にキスまでされて更に少女はうろたえたが、財前はそんな相手の反応を楽しむ余裕すら見せつつ、くぐもった笑みを彼女の耳元で漏らした。
「…見えた?」
「…っえ?」
「ウィンク…桜乃だけにしたんやけど?」
試合に勝利した直後、黄色い声援を送った女性陣達が並ぶ観客製に向かって、しかし財前は一人だけの為にウィンクを送っていた。
小さく、しかしはっきりとコートからも見えていた恋人の為に。
「!…気障なんですから」
それを見逃すことなく若者の真意を含めてしっかりと受取り、他の女性達の興奮の影でこっそりと頬を染めていた桜乃は、今は少しだけ拗ねた様子だ。
「あんなにキャーキャー騒がれているのに、私より美人さんも一杯いるのに…どうして…」
どうして私なんかを、と続ける前に、財前がにやっと意地悪な笑みを見せながら尋ねた。
「ヤキモチ?」
「そ、そうじゃなくて…っ」
実際そうなのだという事は、少女の動揺しまくっている態度から明らかだ。
「ちょっと前には『あなた、誰ですか?』って言うとった子が、ヤキモチまで焼いてくれるようになったん? 嬉しいなぁ」
「もう! 謝ったじゃないですか、あの時の事は…」
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