(まぁ、確かにええ曲やねんから、買って失敗っちゅう訳やないんやけどな…)
 自分を納得させるように、財前はあのCDを聴きながら、そんな事を漠然と考えていた。
 ここは全国大会会場の外…広い敷地内に設置されていた噴水の前のベンチ。
 準決勝の時を待つ暫しの間、彼はそこに座ってぼんやりと噴水の水面を眺めていた。
 次の相手は青学か…結構な実力校だ、気を抜けば俺達でもやられてしまうだろう。
 本当は、こんな時にはお気に入りの曲をかけて気分を高揚させるのが常だったのだが、今自分の持っているCDプレーヤーには、あの問題のCDが入っている。
 しかも、さっきから聴いているのは、彼女が聴いていた曲…アフロディーテだ。
 実は昨日、ホテルに戻った後でも、自分はこれを繰り返し聴き続けていた。
 他の曲もたまに聴いたりしたが、結局最終的にはこの曲へと戻ってしまう。
 そして聴く度に、あの娘の姿と声が思い出されていた。
(誰かも知らんし、名前も分からんし、ただの赤の他人やんか…アホ臭い…のに、何でここまで気にせんとアカンのやろな…)
 はぁ、とため息を一つついて、ぼんやりと水面を眺めた財前は噴水の水のダンスによって生み出される数多の泡に目を向けた。
 泡から生まれる女神ねぇ…彼女がそうでもそうでなくても、もう会えんのに、勢いでCD買ってもうて…ホンマにアホちゃうか、俺。
 CD買うても、彼女が付いて来る訳やないのになぁ…
「…ちっ」
 知らず舌打ちをして、若者は目の前の噴水を屈んで眺めつつ、手を伸ばしてぱしゃんと水を掬い、遠くの水面へと放る。
 そして、再び直下の泡たちとそこに映った自分の姿に目を遣った時だった。
「!?」
 おさげの子だ!
 俺の隣に立って…水面の向こうからこっちを見ている…!
 え? 何で…?
 彼女って…まさか、ホンマに…泡から…
「っ…おわぁっ!!」
「きゃ…っ」
 心臓が止まったまま後ろを振り向いた財前は、確かにそこにあの少女の姿を認めて、思わず飛びずさってしまった。
 その勢いで男の耳からイヤホンが外れ、鞄を置いていたベンチにぶつかった所為で、中の荷物が幾つか零れて地面へと落ちてしまったが、今の彼にそんな物に気を向けるゆとりはない。
 ただ、自分の反応に驚いている少女を見つめるだけだった。
(ホ…ホンマに…あの子、や…)
 この長いおさげも、この顔も…見間違いの仕様もない!
 まさか、また会えるなんて…しかもこんな場所で…!
「〜〜〜〜〜〜」
「す…みません。驚かせてしまいましたか…?」
 懐かしい声…あの時に曲をなぞり、紡いでいた声だ…ああ、歌わなくても分かる。
「い、いや、すまん、俺もぼーっとしとったから…」
 手を振り、首も横に振りながら思い切り否定の意を示しつつ、若者は再び過剰に働き出した心臓の鼓動を感じていた。
 本当に…女神が向こうから眺めていたのかと思った…頭沸いとるんか。
「な、なに…?」
「いえ…ちょっと涼しそうだなーって思って、見に来たんです」
 綺麗ですよねぇ、とにこやかに笑いながら噴水を眺めた少女は、それからすぐに彼の鞄から零れた荷物に気付いた。
「あ、ごめんなさい、私の所為で…」
「い、いや! 気にせんでええから…!」
 慌てた様子で腰を屈め、自分の荷物を拾おうとしてくれた少女に、財前が断りかけたところで口を閉ざす。
「あら…?」
「…!」
 彼女の手に…あのCDのケースが握られていた。
 それをまるで見覚えがあるかのように、彼女はしげしげと眺めている。
 見覚えがあるのは当然だ。
 この娘があれを聴いていたのを、自分は目撃しているのだから。
 どうやら向こうの態度から、店で自分と会った事は覚えていない様子だが、ただの通りすがりに等しい関係だった以上、無理もないだろう。
「……」
 何をどう言えばいいのか、と悩みつつ頭を掻いて少女に近づくと、彼女はくるんと財前を見上げて微笑んだ。
「これ、知ってます…とても綺麗な曲ですよね」
「ん…あ、ああ…」
 正直、この子が聴いてなければ自分だって知らなかったCDだけどな…
「知ってるんか…?」
 わざとらしくならないように、さりげなくそんな質問を投げかけてみた。
 この偶然を切っ掛けに、この娘と話す絶好の機会、逃すなど考えにも浮かばなかった。
「知っている…という程詳しくもないんですけど…こういう曲、好き、なんです」
 自分のCDケースを相手が持っているだけで、やけに心がざわめくのを感じつつ、更に若者は話を途切れさせることのない様に質問を重ねる。
「持っとるん?」
 この答えは大体予想はつくが……
 そして少女は彼の予想に違わず、ちょっとだけ残念そうな表情で笑い、首を横に振った。
「いえ…欲しかったんですけど、ちょっと今月は厳しくて…シューズを先に買わないと」
「シューズ…?」
「ええ、テニスシューズなんですけど」
「君、テニスやるん?」
 意外な新情報に財前は食いついた様に身を乗り出し、相手は素直に頷いた。
「はい…あ、でも今日は応援です」
「応援…そう言えば、制服、やな…何処の?」
「青学ですよ」
「!」
 青学…これから自分達が戦う相手校だ!
 向こうの面子や能力については色々と検討を重ねてはきたが、流石に女子の制服まではリサーチ範囲外だった。
「…どうしました?」
「あ、いや…ほんなら、お互いに頑張ろうっちゅうトコかな」
「え?」
「俺、四天宝寺」
「!」
 次の相手ということは彼女も知っていたのか、え、と瞳を見開いた少女は、そこで初めて彼の纏うジャージの胸元に、学校の名前を記した校章があるのを認めた。
「まぁ…そうでしたか」
 お互いに次の試合には敵となる相手ではあるが、娘は敵意を示す素振りもなく、ただ素直に納得した様に頷いて、にこりと財前に微笑みかけた。
「もしかして、レギュラーの方ですか?」
「あ、ああ…まぁ…」
 控えめな返事をしたのは、その間、少女の笑顔に見蕩れてしまっていたからだ。
 ここに来てようやく財前は、自分が相手に執着している理由を、認めざるをえなくなってきていた。
(嘘やて…冗談やて思いたいけど…やっぱ、これはアレなんか…?)
「凄いですねぇ、頑張って、良い試合にして下さいね」
 相手の心中など知りもせず、少女は凄い凄いと素直に驚き、声援まで送ってくれている。
「ああ…おおきに」
 青学の生徒だが、彼女に限っては敵側だという認識はとても持てそうにない、ここまで垣根なく話しかけられてしまうと…
「…あ、やだ、私、これ持ったまま…どうぞ、ええと…」
「財前や…財前光」
 CDを差し出しながら、相手の娘が困った顔で首を傾げたのに対し、若者はすぐに答えを与えた。
 それを受け、彼女は再び優しく笑う。
「あ、はい、財前さん……ええと、竜崎桜乃、です」
「竜崎さんか、よろしゅうな…ん? 竜崎…?」
 何処かで耳にしたことがあるような…と考え込んだ若者に今度は桜乃が答えを与えた。
「おばあちゃん、青学のテニス部顧問なんですよ」
「ああ!!」
 そう、思い出した!! 確かにそういう苗字の教師が青学の監督だった!!
「そりゃまた、御見それしたわ」
「いえいえ」
 ちょっと冗談交じりに頭を下げる財前に、つられて桜乃もお辞儀を返しながらくすくすと笑った。
 本当に…とても可愛い笑顔で笑う子だ。
「えーと…なぁ」
「? はい?」
「…じゃあお近づきの印に、このCD、後で焼いて送ったるわ」
「ええ!?」
 驚く相手に、財前はにっと愉しそうに笑う。
「気に入っとるんやろ? 焼くぐらいは簡単やし」
「で、でも…ご迷惑でしょう? それに会ったばかりの方にそんな事をさせる訳にも…」
「全然構わんよ。同じ音楽好きな奴に会うたんやもん、嬉しいし…住所は、竜崎先生と同じ?」
「え、はい…」
「なら、ウチの監督の持っとった資料の中にあるやろうし、大丈夫やな…あ、念の為に…」
 その音楽を教えてくれた張本人には真実は伏せたまま、財前は自分の携帯を取り出した。
「?」
「君のメルアドだけでも教えてくれへん? 多分、無事に着くとは思うけど、一応確認とかする時の為に」
「あ……そ、うですね」
 半ば相手の勢いに押されつつも、確かにそれは道理だと、桜乃も携帯を取り出した。
 そして、互いのメールアドレスを通信で交換しあうと、満足した様に財前が笑った。
「よっしゃ、これでええわ。絶対に送るから、楽しみにしとってな」
「ええ…でも、何だか申し訳ないですね」
「ええんよ」
 別にこのCDそのものをくれてやってもええんやけど…そうしたら、ここで縁は切れてしまうやろ?
 君と繋がる手段を得るには、こうするのが良かったから。
 ただCDを送るだけで済ますつもりはないからな…と心で呟いて、彼は桜乃からCDを受け取り、不意に思い出した様に訊いた。
「…君は、どの曲が一番好き?」
「あ…このCDでですか?」
「そう」
「えと、そうですね…どれも凄く好きですけど……うん、これ」
 そう言って桜乃が指差したタイトルは…
「…やっぱな」
「え?」
「いやいやいや…俺もめっちゃエエ曲や思てたから」
 Aphrodite…
「俺もすっごい好きなんよ」
 アフロディーテ…君のことが。
 だから、どうしても手に入れたくなったから…ごめんな、本気にならせてもらうわ。
「そうなんですか?」
「ああ…大好きや」
 いつか、その大好きな君が、またあの曲を口ずさんでくれんかな…また、俺の傍で、俺の為に……


『今日は準決勝。残念ながら我が校は惜しくも敗退。結構イイとこまでいけたんやけどなぁ、まぁ、これも人生や。負けたらもっと悔しがる思てたけど、何か今日はそんな気分やない。それは多分、試合が俺なりに納得、満足出来たものだったコトと、認めてやってええぐらい向こうが強かったからやろうと思う。ああそれと、これはちょっと内緒の話。俺、ここに来て、めっちゃ綺麗な曲に会うてん。女神の名前なんやけど、ホンマに信じられんくらい綺麗やった。ガラじゃあないけど、どうやら俺はその女神に恋したみたいや。さっきからも、この曲ばかり聴いとるし。独り占めしたいから名前は教えたらんけど、いつかこの女神については、またここで報告するかも、な』






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