ピアスは禁止


「アメリカと日本の学校の違いって、どんなのがあるのかなぁ?」
「ん?」
 或る日の昼休み、いつもの様に昼食後、購買部で買った炭酸ジュースを飲んでいた越前リョーマに、そんな声が聞こえてきた。
 声の主は隣の席の女子…竜崎桜乃のものだ。
 独り言にしては大きかった台詞…という事は、自分への問いということだろうか。
 相手はじっと英語の教科書を眺めて、まだ思案に耽っている様子だ。
「ケッコー、色々」
 端的に越前が答えたところで、桜乃の頭が動き、顔がこちらへと向けられる。
「色々って?」
 更に深い説明を求めてきた少女に、リョーマは一時飲み物を飲む手を止めて、彼女の方へと顔を向けた。
 普段からそっけなく、クールな一面がある少年だが、問われたことに答えない意地悪な性格とは違う。
 それは彼の元々の資質か、それとも長年過ごしてきた米国の風土によるものなのかは分からないが、取り敢えず彼は少し考えて自身の経験から答えられる事を述べた。
「日本って誕生月で学年分けられるでしょ?」
「うん」
「向こうは、きっちりそういうので決めるんじゃなくてさ、本人の年齢の他にも知能とか体格とかも考慮して決めてもいいんだ。だから、親が判断して進学を半年進めたり遅らせたりってあるよ」
「へええ」
「…ウチのバカ親父は俺の身長が低いからって、年単位で遅らせようとか言ってたけどね…」
「ああ、その時からリョーマ君のお父さん、あんな感じだったんだぁ」
「向こうが手続き取る前に、俺が勝手に教師と面談して入学時期決めてやったけどね…ウチの親は蒸発中で来られませんって言って」
「もう親子喧嘩の範疇を超えてるよ…」
 そこまで言わなくても…と桜乃が苦笑して、再び話題は元に戻る。
「後はやっぱり自由度かな…教師に対してはアメリカの方が軍事国家だけに厳しいよ、先生に軽口叩くとか文句言うのはご法度だし」
「そうなんだ」
「でもお洒落とかそういうのは断然アメリカの方が自由だね。俺の同級生でも結構タトゥーとか入れてる奴いたし、目がチカチカする色に髪染めてる奴もいたし…後はピアスとかさ」
「ピアスなら、最近は許可している学校、日本にもあるよね」
「みたいだね。青学では見たことないけど…アンタみたいに限りなく地味だと、クラスメートにも覚えてもらえないかも」
「どうせ地味ですよーだ…でも、ふ〜ん、やっぱり向こうは自由の国って感じなんだ」
 一定の答えを得られて満足したのか、桜乃はうんうんと頷いたが、越前は彼女の答えに軽く首を傾げた。
「日本も悪くないと思うけど…和食とか俺、好きだし…あ、でもやっぱり学校は向こうのが良かったかも」
「自由だから?」
 少年の言葉に素直な反応を返すと、向こうは嫌な事を思い出したのか、少しむすっとした顔で答えた。
「夏休みの宿題が断然少ない」
「羨ましーいっ!!」
 学生としての純粋な答えに、同じく学生の桜乃は心から羨望の声を上げた。
 それを切っ掛けに、同じクラスの生徒達が二人の傍に寄ってきて、同じ話題について盛り上がり始めた。
 流石にバイリンガルの越前は格好の情報源という事もあり、それから彼らにも色々と質問を受け雑談に興じていたが、桜乃はそこから一時離れ、教科書をしまって代わりに一冊のファッション情報誌を取り出し、広げていた。
「お洒落…かぁ」
 越前に指摘を受けた通り、自分は現在、自他共に認める地味な外見である。
 ヘアスタイルはおさげで化粧もせず、せいぜい私服の変化を楽しむ程度…しかし、最近、中学に入学してから初めて、桜乃は意識の変革の時期に差しかかっていた。
(私も、もう少しお洒落に気を遣うべきよね…髪を染めるのは流石にダメだし、タトゥーなんて入れたらお祖母ちゃん達引っくり返っちゃうし、間違いなく絶縁モノだわ…ヘアスタイルは最近、外では変えたりしているけど、もうちょっとアクセントに何か欲しいな…)
 そう思いながらぱらぱらとページを捲っていくと、見開きで煌びやかな硬質の輝きが目に留まった。
 新作のピアスだ。
(あ、ピアスだぁ…)
 素材はクリスタルグラスだろうか?
 美しい円形にカットされたものや、花弁を象ったものが幾つもページの上で美しさを競っている。
(そうよね…ピアスぐらいなら、学校で付けないなら大丈夫かも…それに…)
 そう思いながら、桜乃は無意識の内に自身の左の耳朶に手をやり、軽く触れていた。
 その脳裏に浮かぶのは、一人の男性。
 黒髪ですらりとした長身、控え目に見せかけているが千載一遇のチャンスは決して逃さない、鷹の目を持つ様な男。
 そんな彼の耳にも、一つ二つでは済まない煌きが幾つも光っていた。
(…もし私がピアスを付けたら…お揃いにも出来るんだ)
 あの人と同じピアスを付けるって…今まで思いつかなかったのが不思議なぐらい。
 その時桜乃は少しだけ、耳朶に穴を開ける時の痛みを思って心が引けたが、それでも好奇心や希望が全て失われたワケではなかった。
(せ、専門の処に行って開けてもらったら大丈夫よね! 覚悟はまだつかないけど、今度会った時にでもアドバイスをしてもらって…)
 そう思っていたところで、教室に一人の教師が顔を出した。
 青学男子テニス部顧問である竜崎スミレ…桜乃にとっては祖母にあたる人物だ。
「ああ、いたいた。桜乃、ちょっとこっちにおいで」
「!? お祖母ちゃん?」
 呼びつけられ、桜乃は祖母に呼ばれるままにとことこと彼女が立っている教室の入り口まで歩いて行く。
「なぁに?」
「お前、週末は何か予定があるかい?」
「? 別に今の処は…」
「そうかい…大阪に遊びに行くつもりはないかい? 桜乃」
「え!?」
 思わず動悸を自覚したのは、先程まで思い出していた若者に馴染みの深い地名を出されたからだろうか…
 しかし、いきなり遊びに行く…とは?
「ど、どういうコト? そんないきなり…」
「週末にね、関西で行われる会合に参加する予定だったんだけど、先方の都合でお流れになっちゃったのさ。そうなったらアタシはやっぱり部活の方に顔を見せたいし、かと言ってキャンセル料まで取られてチケットをご破算にするのも勿体無いじゃないか。こないだ部員達で行った関西合宿の時にはお前は連れて行けなかったし、お前も随分悔しがっていたからね。どうだろう?」
 行くかい?と再度尋ねられ、桜乃は一も二もなくその提案に飛びついていた。
「うん行くーっ! お祖母ちゃん、有難うーっ!!」
 そして週末、急遽桜乃の大阪来訪が決定したのである。


「大会終わって、何かやっぱ少しは気ぃ抜けてますわ…」
「財前はん、やるべきことがなければ自分で探すべきです」
「ん〜…」
 同日の放課後、いつもの様に部活に参加していた財前光は、同じく四天宝寺のメンバー、石田銀にそう嗜められていた。
 流石に仏の化身と言われている相手だけあり、自らを律する心構えは大したものである。
 しかし凡人に過ぎない財前には、その境地に至るにはまだ道程は遥か遠い。
「一応ちゃんと部活は参加しとりますって…やるべきことはちゃんとやってますけど、やっぱあんだけ凄い大会だと…」
「ふむ確かに…」
 相手の言葉を全て否定する訳でもなく石田が頷いたところで、脇で聞いていた金色がしみじみと言う。
「まぁ、スゴい大会だったわよねぇ〜………色々な意味で」
「むっちゃ楽しかったやん! サーカスみたいで!!」
「俺ら一応テニスプレーヤーなんやけどなぁ…」
 更にしみじみと遠山のはしゃぎながらの一言に、部長の白石が溜息をつきつつ突っ込んだが、それに千歳がしれっと返す。
「ただのテニスプレーヤーは、関東からの客人にあんな歓迎ばすっと?」
「千歳、それはテニスプレーヤーやのうて関西人やからや」
(モノは言い様ばいね…)
 これ以上の突っ込みは無駄だと判断した千歳が黙ったところで、今度は忍足が財前に向かって楽しそうに突っ込んだ。
「大会後や何や言うて、ホントは恋人に会えんのがつまらんのとちゃう?」
「なっ…何言うてはるんですか、先輩」
 そんなワケないでしょうと返した財前の代わりに、初耳だとばかりに遠山が食いつく。
「恋人?」
「おっ、金ちゃん知らんかったん? しゃーないなー、じゃあ健全な青少年を育成する為にも、そろそろ金ちゃんにも色々なコトを財前君を手本に…」
 うふふふ、と怪し過ぎる笑みを浮かべて遠山に迫った一氏だったが、その背後からひょいとスポーツタオルが首に掛けられ、直後、ぎりぎりぎりっと財前によって締め上げられていた。
「お・し・え・ん・で・も・え・え・で・す!!」
「ぐええええ!!」
 流石に止めを刺すまでには至らなかったものの、相手はあっさりと失神…もしかしたらそれもネタなのかもしれないが。
「きゃあああああ!! ユウジ君が紫色に〜〜〜っ!」
「わーっ! カニみたいに泡吹いとるで!?」
 慌てて金色と遠山が駆け寄る…が、どう見ても遠山の方は心配というよりは野次馬だ。
 一方、騒動を起こした財前には早速部長の白石が声を上げて非難していたが…
「財前っ、ツッコミが甘いで!! どうせ殺るなら頚椎脱臼させるぐらいにやな…!」
(ええーっ!? 突っ込むトコ、そこーっ!?)
(殺人教唆も犯罪ばってんが…)
 忍足と千歳が、ついていけないとばかりに言葉を失くして見守っていると、ふい、と財前が自身のウェアーのポケットに視線を落とした。
 そして、そこに手を入れて取り出したのは、彼の手持ちの携帯。
 ライトが点滅を繰り返しているところを見ると、どうやら着信があったらしい。
「ん?」
「ちょっとすんません…」
 メールか?と白石が発言を止め、財前は携帯を開いて詳細を確認する…と、
「…!」
 はっと何かに衝かれた様な表情を浮かべると、財前はすぐに携帯をポケットに仕舞い込むと、いそいそとその場から離れていった。
「ええ、ちょっと所用が…すぐに戻るんで」
「?」
 多くを語らずに去っていった後輩を白石が不思議そうに見送っていると、ぼそっと石田が小さく呟いた。
「先程の財前はん、目の色が変わってましたな…微かに色欲の色が見えましたが」
「色欲って…」
「アナタのことだから悪気はないんでしょうけど、仏道の言葉にしろ、もうちょっと言い方ってモノがあるでしょ」
「面目ない」
 忍足と金色の進言を受けて相手が素直に反省していると、石田の言葉に反応した白石が、復活したばかりの一氏に振り返った。
「えーと、アイツの恋人って確か…?」
「げほっ…青学のおさげの子おりましたやん? あん子ですわ」
「桜乃ちゃんやね? 嫌味んなか、よか子だったばい」
「ああ、竜崎先生の処の…」
 先輩達がそんな雑談を交わしている間に、一時席を離れた財前は、再び急いで携帯を取り出すと、画面に映ったままのメールを食い入る様に見つめた。
「うわ、ホンマに? めっちゃ嬉しい!」
 心の中だけでは済まず、声に出してしまう。
 あの子が…自分の可愛い恋人が、ここに来る!?
 向こうは急な話だから遠慮している様な文面だったが、こちらは全く問題なくウェルカム状態。
「どないしよう、じゃあ早速デートコースチェックして…あ、服も考えとかんとなぁ、忙しゅうなりそうや…ん?」
 ふと、画面を下へと送っていったところで、彼は気になる一文を見つけた。

『ちょっと、財前さんに折り入ってご相談したいことがあるんです。詳しいお話は、大阪でお会いしてからにしますね』

「…ご相談?」
 そんな改まって言われる程の相談事とは、一体…?
 いやそんな…けど、まさか…
「大阪と東京じゃ遠すぎるわ、私達もう別れましょ」
「わーっ!!」
 思わず脳裏に浮かんだ不安を具現化した様な台詞が耳元で囁かれ、財前が声を上げる…が、勿論それは桜乃本人ではなく、声色を使った忍足だった。
「…なーんちゃって」
「カーネルのおっちゃん代わりに道頓堀に沈めたるわーっ!!!!」
 最早敬語も何処へやら。
 激怒する財前からきゃ〜っと逃げ出した忍足は、流石に俊足を売りにしているだけあり、なかなか確保には至らない…と言うより、今捕まったら冗談抜きで道頓堀に沈められそうなので、そうなる訳にもいかないだろう。
 二人の追いかけっこを見つめていた他の部員は、彼らの事を心配するでもなく、逆に結果がどうなるかトトカルチョまで始める始末。
「道頓堀やのうて、ウチのプールに一票」
「互いに行き倒れに一票」
「オッズはどないしょー」
 スポーツマンにしてはあまりに不健全且つ非情な部員達を眺め、溜息をついた白石は、まだ走り回っている自分の仲間達へと顔を向けた。
(あの財前があそこまで動揺するなんて…ホンマに惚れとんのやなぁ)



 そんなアクシデントはあったものの、それから財前は殺人罪に問われることもなく、行き倒れで収容されることもなく、無事に運命の日、桜乃を大阪に迎える事が出来ていた。
「財前さん、お久し振りです!」
「はは、いらっしゃい。楽しみにしとったで、桜乃」
 新幹線から降りて改札口を抜けたすぐのところで、桜乃は懐かしい顔を見つけて急いで駆け寄る。
 普段見ているテニスウェアーではなく私服の出で立ちの若者は、久し振りに会う少女を両手を広げながら迎え、そのままぎゅ、と抱き締めた。
「きゃ…ちょ、財前さん、人がいるのに…」
「ええやん? 久し振りやし、ホンマ会いたかったんやから。知らん人に見られても構わんし」
「………………えーと」
「? どうしたんや?」
 抱き締められたまま、暫しの沈黙の後に言葉を渋った桜乃に財前が尋ねると、彼女は彼の背中の向こうにあった光景を見つめつつ、真っ赤な顔でようやく返事を返した。
「し、知っている人もいるみたいなんですけど…」
「え?」
 そこで財前が軽く振り向くと…
「っ!!!」
 いつの間に来ていたのか、四天宝寺の面々がずらっと柱の陰から顔だけ覗かせた状態で、じーっと二人の様子を観察していた。
「〜〜〜〜!!」
 声を出そうにも声帯が一時ショックの為に麻痺してしまったのか、財前は息をするのがやっとの様子で、桜乃から離れざまに彼らの方へとダッシュを掛けた。
「ナニ覗き見してくれとるんですかアンタら〜〜!!」
「あらやだ、青春ねぇ、財前クン」
「いやいや、俺らは問題ないからそのまま続けたって」
「アンタらの存在そのものが大問題っすわ!!」
 金色と一氏の台詞に、とっとと彼らを追い返そうと財前が思い切り凄んだのに対し、遠山と石田の二人だけが何となく気まずい表情で言葉を返した。
「別に俺らは覗くつもりはなかったんですが…」
「こんなトコおっても退屈でつまらんしー、ねーちゃんに挨拶しよ思ても白石が止めるんやもん〜」
「し・ら・い・し・ぶ・ちょ・う?」
「いやいやはっはっは」
「いやいやはっはっはやないでしょう!! 大体何で俺の都合知っとるんですか!! 今日この時間、ココに迎えに来ることは誰にも教えとらんはずですけど!?」
「まぁ部長の立場としては部員の管理をするのも務めやから、ちょっとメールを盗み見て…」
「おまわりさーんっ! ここに犯罪者がいてます〜〜〜〜!!」
 殆ど錯乱寸前の財前が騒いでいるのを他所に、忍足と千歳はちゃっかり桜乃に近づいて挨拶を交わしていた。
「おー、久し振りたいね。暫く見んウチに随分女っぽくなったばい」
「気合入っとるなぁ、財前の為にお洒落してきたんやろ? あー羨ましーやっちゃなぁ」
「い、いえ、そのう…」
 実際、財前に会えるのでおめかししてきたので、否定も出来ずに桜乃は赤くなって言葉を濁している。
 しかし、恥じらいながらそわそわと身体を揺らす仕草は、確かに先日千歳が言った様に嫌味がなく可愛らしい。
 本当に何でこんな良い子があの生意気盛りの後輩の恋人に…と思った矢先に、忍足達は姫君を守る騎士様に、けりけりっ!と続けざまに蹴りどかされてしまった。
「おっとっと」
「あたたたっ!! 何すんねん!」
「こっちの台詞ですわ、桜乃に変なボケ菌が移ったらどないすんですか! ほら、アメあげますからちゃっちゃとどっか行って下さい」
「ガキの使いやあらへんで!」
 しっし!と無碍な扱いをされた忍足がむきーっと言い返していると、脇で聞いていたメンバー内で一番の子供が早速食い付いて来た。
「アメくれるん!? ちょーだいちょーだい!」
「はいはい、金ちゃんはええ子やから多めにやったる。貰ったらどっかに行くんやで」
「うん!」
(金ちゃん…もうちょっと人を疑う事を覚えようや…)
 いいように扱われとる…と思いつつ、白石は今度は東京からの来訪者に部長としての挨拶を兼ねて話しかけた。
 最初こそ恥らっていたが、今はメンバー達の騒ぎに圧倒されてそれも忘れてしまっている様だ。
「しかしよう来たなぁ、お疲れさん」
「はい、皆さんもお久し振りです…ええと、今日はご一緒に行動を?」
「んんー、こんな可愛え子と一緒におれるんならそれもええなぁ…」
「……………」
 言いかけたものの、背後から地縛霊ばりの妖気と殺気を漂わせつつ睨んできた後輩に命を奪われる危険を感じ取り、さり気なく付け加える。
「けど、俺の健康的な人生の為にもちょっとココは引かせてもらうわ…あ、その前に一つ聞きたいコトがあんねんけど、ええ?」



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