「はい?」
「財前に相談したいコトって、ナニ?」
「え…」
「部長っ!?」
 いきなり気になっていた話題の核心を突かれ、問われた桜乃より財前の方が慌ててしまった。
 勿論いずれは聞くつもりでいたし、早く知るに越したことはないのかもしれない。
 しかし、他人に聞かれて困るようなデリケートな話題だったら…
 焦る財前の見ている前で、問われた質問に一瞬ぽかんとした桜乃は、ああと思い出した様子で頷き、意外にもあっさりと返事を返してきた。
「皆さんも聞いていらっしゃったんですか…あの、私、ピアス付けたいなって思ってて」
「…ピアス?」
 『へ?』といった表情で白石は聞き返し、桜乃は再びはい、と頷いた。
「穴を開けるのって、何処の店でもいいのか病院に行った方がいいのか…財前さんにアドバイスをもらいたいなって思って…あと、時間があればピアスを選んでもらったり出来たらいいかと思って…」
「……相談までしたいってコトは、ヘソ? 口?」
「耳ですっ!!」
「………そんだけ?」
「はい」
 そうですけど?と桜乃が最終的に答えたところで、他のメンバーが一斉にぐるりと背を向けた。
『なーんだ、つまらないわねぇ…血で血を洗う痴情のもつれが見られるかもって思ったのに…』
『アホくさ。お好み焼き食って帰って寝ようや、小春』
『わーい! お好み焼き〜っ!』
『金ちゃん、あんま暴れたら人にぶつかるけん、気ぃつけるたい』
『チャンスは泡と消えたか…』
「……」
 彼らがナニを期待していたのか…大体のトコロが察してしまえるだけに怒りがこみ上げてくる。
 勿論、詳細を桜乃に語るわけにもいかない財前は、わなわなと震える拳を必死に握り締めて自身を抑え付けていた。
(いっそ舌でも噛んでくれたら…っ!!)
「あの、財前さん?」
 どうしました?と不安そうに声を掛ける少女に、相手ではなく白石が何でもない、と応じて笑った。
「そうか、ピアスなぁ…そら確かに財前の奴に訊くんが一番や、色々と教えてもらったらええ」
「はい」
「それとなぁ」
「?」
「…大阪と東京はちょっと遠いけど、同じ国内思たら大した事ないやろ。財前は生意気なトコはあるけど、基本ええ子や。アンタんコトもめっちゃ好いとるみたいやし、仲良うしてやってな?」
「!」
「んな…っ!!」
 かぁ、と赤くなってしまった桜乃と、声は出たものの言葉にならなかった財前の隙をついて、白石もまた別のメンバー達を追いかけるようにその場から動く。
「ほんじゃ財前、デートの内容については後日、原稿用紙十枚に纏めて提出な。部長命令やで」
「原稿代わりに退部届け、出させてもらいますわ」
 離れざまにぽんと肩を叩かれながらの『部長命令』に、財前はけっと遠慮もなしに拒絶し、見越していた様に再び白石は笑って今度こそ去っていった。
(ったく、ヘンな心配はともかくとして、もうちょっと言うタイミングってもんがあるでしょ)
 やるならせめて、自分がいないところでやってもらえないものだろうか…目の前でやられたら、気恥ずかしいことこの上ない。
 舌打ちをしたところで、隣に歩いてきた桜乃と目線が合い、財前は随分とその場に留まっていた事を思い出した。
 そうだ、彼女は今日日帰りで来ているのだった、今は去ってしまった仲間達に聞こえない文句を言うところではない。
「あーすまんなぁ、賑やかしい奴らの所為で、随分と時間無駄にしたわ」
「いいえ、皆さんにも久し振りにお会い出来てよかったです。相変わらず、お元気そうですね」
「まぁな…あいつら揃って大人しうしとったら、間違いなく地球最後の日や」
「うわぁ……まぁ、言いたい事は分かるような気が…」
「せやろ?」
 こっちはお陰で難儀しとるんや…と息を吐き出した財前に、桜乃が不意にくすりと笑った。
「…ん?」
「いえ…仲が良いんだなぁと思って、財前さん達」
「はぁ!? 何処が!?」
「だって、見ていて楽しかったですよ。白石さんも、何となく財前さんのコトを心配していたみたいですし…良い部長さんですよね」
「……」
 まぁそれは認めるところもあるけれど…と内心では思いつつ、結局彼は声に出して答えることはせず、代わりにぐいと少女の腕を引いた。
「?」
「今日は俺とのデートやねんから、あんまり他のヤツらのコトは話さんどこうや。勿体無いやん」
「!…そうですね」
 少し照れながらも了承してくれた相手に満足し、財前は彼女の手を握ったままに歩き出した。
 自分達はまだ駅さえも抜けていない。
 この子と一緒に見たい処は沢山あるのだ。
 しかし…
(……ホンマなんかな、ピアス付けたいって…)


 前日のチェックにチェックを重ねた財前の涙ぐましい努力は功を奏し、二人はそれから大阪の街を思い思いに巡りながら、楽しい時間を満喫していた。
「わ、美味しい」
「せやろ? 大阪は食い倒れの街やからな、ここで舌を鍛えとる俺が選んだ店なんやから、間違いはないって。言うてくれたら、どんな食い物でも折り紙つきの場所に連れていったる」
「頼もしいです〜」
 若者のアピールの通り、桜乃は昼食だけではなく、デザートやその他諸々の食べ歩きに果敢に挑戦していたが、彼に勧められたどれにも満点をつけたいと思う程だった。
 若い女性は常にダイエットなどとも戦うのが宿命の様なものであるが、今日という特別な日ぐらいは休戦でいいだろう。
 目だけではなく、お腹も舌も満足させてもらったところで、桜乃は街を相手と歩いているところで、一つの店舗の前で立ち止まった。
 アクセサリーショップだ。
 小さいが、数と種類は充実しているらしく、客は結構入っている。
 何より桜乃の目を引いたのは、『ピアスの穴あけ、当店で出来ます。ファーストピアス用のチタン製ピアス準備』という目を引く広告だった。
「あ、ここだと開けてもらえるんですねー。自分でやるのは恐いし…お願いしちゃおうかなぁ」
「えっ…」
 次は何処に行こうと考えていた財前は、意外と行動力のある少女の発言に驚き、思わず立ち止まってしまった。
 その所為で、彼女に更に店の品物を確認させる機会を与えてしまい、桜乃は本格的にじーっと店先に並べられていたピアスの見本を真剣に見つめる。
「最初に開けた時に金属製のを使うと、アレルギーが出るらしいですね。でも、こういうのを見ていると、早く色々と試したいなって思っちゃいます」
「え…!? ホ、ホンマに開けるつもりなん? もう決めたんか?」
 最初にメールを受け取って、それから駅で仔細を聞いた時にも、印象としてはまだ決めかねているという感じだったのに…
 問い掛けた若者に、桜乃は一時ピアス達から目を離し、相手に微笑みかけながら小首を傾げた。
「うーん…迷ってたんですけど、本物見ていたらやっぱり付けたいなーって。一応、家族会議でも学校以外の場所に限るならいいよって許可も貰いましたし」
「ふ、ふぅん…?」
「流石に財前さんみたいに幾つもつけるコトは出来ませんけど、ちょっとはお洒落してみたいじゃないですか」
 確かに六つも七つもピアスを付けている財前には、相手にそれを止める権利などないに等しいのだが、それでも何故か彼は何処となく渋い表情で到底乗り気には見えなかった。
「ま、まぁ、お洒落はええねんけど…桜乃、まだ中学生やん」
「…財前さんもですよね?」
「そ、それにほら、大人ならまだしも子供がつけたら不良に見られるかもしれんやろ…?」
「……財前さんもですよね?」
「へ、下手に街歩いとったら、おまわりさんに声掛けられるかもしれへんし…」
「………財前さんもですよね?」
 徐々に追求の前の沈黙が長く重くなっていき、財前は観念したようにがっくりと首を項垂れた。
「止めたいなら止めたいで、もう少し通じる言い訳を言って下さい」
「すんまへん……」
 テニスの試合や別人相手なら、きっともっと気の利いた言い訳や、尤もな理由が思い浮かんだのだろう。
 しかし、この子に関しては…下手に嘘をついたり誤魔化したりすることが出来なくなるのだ。
 好きになる…というのは、本当に厄介だ。
 そしてそれ以上に厄介なのは、だからと言って「恋人やーめた」とは、口が裂けても言えないところなのだが…
「私がピアスするのは、嫌なんですか?」
「んー…まぁ、なぁ…」
 桜乃の質問に言葉を濁しながらも、明らかに否定的な匂いを漂わせると、財前は逆に質問で返した。
「逆に聞いてええ? 何でいきなりピアスなんか…? 桜乃、こないだまではそんなん全然関係ないいう感じやったやん」
「う、それはそのう…」
 ちょっとどもって、少女はちらっと財前を上目遣いに見上げながら小さい声で答えた。
「…その…財前さん、凄くお洒落ですから…私も少しはお洒落をして、ちょっとでも釣り合う様に見えたらいいなぁって……お付き合いする前には、確かにピアスなんて考えたこともありませんでしたけど…」
「!」
「それに、もしピアス付けられるようになったら…その、財前さんとお揃いに出来るかなって…」
「!!」
 男としてそこまで言われて喜ばない者はいないだろう。
 勿論財前も男性であり、無防備な心に見事に萌えの一撃を食らってしまっていた。
(あーもう、こんままウチに連れて帰りたいわ!! じゃなきゃ、俺が東京に行ってもええ!! 青学でも氷帝でも立海でも!!)
 四天宝寺のメンバーが聞いたら全員でどつきまわされるコト間違いナシの大暴言だったが、心の中の自由は許される。
「財前さん…?」
 咄嗟に背中を向け、過呼吸を抑えていた若者に桜乃が不審に思い声を掛けたが、財前は何でもないと断った。
「あーうん…いや、嬉しいねんけどな、そこまで言うてくれたんは…」
「じゃあ…」
 許してくれますか?と許可を願い出る桜乃に、しかし財前は却って最初よりもきっぱりと拒絶した。
「アカン、やっぱ」
「え?」
「最初から乗り気やなかったんは確かやけどなぁ…今の桜乃の言葉聞いたら、尚更許せんわ」
「ど、どうしてですか?」
 戸惑う相手に、財前がびしっと三つ指を出してそれを突きつけた。
「理由は三つ。ええか? 今からそれを説明したる。もし三つとも聞いて、それでも桜乃がピアス付けたい言うんなら俺ももう止めんわ……それならええやろ?」
 闇雲に否定されるより、ちゃんと理由聞いた方が納得も出来るやろうからな、と続けられ、桜乃は確かにそれはそうだと頷いた。
 自身はピアスをそんなに付けているのに、他人がするのをそこまで渋るとは、一体どんな理由があるというのだろう?
「分かりました」
「じゃあ一つ目の理由」
 三本の内二本の指を曲げ、人差し指のみを立てた状態の右手を桜乃へと向けながら、財前は先ず最初の理由を述べた。
「ピアスは、耳朶に穴開けるやろ?」
「? そうですね」
「それがアカン」
「ほえ?」
「穴開けるいうんは、つまり桜乃の身体をワザと傷つけるいうことや…許せるワケないやろ、そんなん」
「え…」
 思わず相手の顔を見上げてしまったが、向こうは本気でそう考えているのか、むすっと不機嫌な表情を浮かべている。
「俺はええねん、男やし、傷の一つや二つ、三つや四つ、五つや六つ、なんちゅうコトない。他の女もどうでもええわ、けど、桜乃のカラダは別」
「〜〜〜…」
 物凄いコトを言われている気がする…
 それはつまりは「お前のカラダは俺のモノ」と宣言されているのと同じことでは…?
「あ、う…」
 何か返そうと思っても、上手い言葉が出てこない。
 そうしている間に、財前がずいっと自分のすぐ目の前まで近づいて、上から覗き込んできた。
「二つ目の理由。俺のおらんところでそんな色気出されたら、他の野郎がちょっかい出すかもしれんやろ? そんなん許したら俺、もう心配で心配で三日後には大阪の空の下で心不全起こして倒れてまうで?」
 今度は、先程の不機嫌な表情とは少し違う、何か訴えかける様な顔…
 自分の健康状態を持ち出して相手の良心に訴える策略だろうか…まぁテニス出来る健康優良中学生が心不全で倒れるなど先ず有り得ないことは分かるのだが、何となくそう言われてしまうと、いかにも自分が悪い事をしようとしている様な気になってしまう。
「…どうや? 諦めるか?」
「……」
 本当はもう、二つの理由を聞かされた時点で諦める方に心は決まっていたのだが、すぐに頷いてしまうと如何にも相手にしてやられた感がしてちょっと悔しい気分もする。
 そもそも自分は身体を傷つけるなんて考えはなかったし、こういう風にお洒落を考えるようになったのにも、さっき話したような理由があるのだ。
 すっきりしない心情を表す様に桜乃は敢えてすぐに返事を返さず、う〜んと渋るような態度を取り、拗ねた口調で答えた。
「…あなたの為にお洒落するのは、いけないコトなんですか?」
(ホンマに嬉しいコト言うてくれるなぁ、俺の可愛え恋人はんは…)
 ついにやけてしまいそうな顔を必死に引き締めつつ、財前はそこは心を鬼にしてあくまでも反対の姿勢は崩さなかった。
「何や、まだ諦めんのかいな…しょうがないやっちゃな。ならこっちも最後まで言わんとアカンか」
 いよいよ最後の理由を言うしかないか、と財前が苦笑し、ちょいと桜乃に人差し指を曲げてこっちに寄れ、とジェスチャーで促した。
「はい?」
「最後の理由はちょいと恥ずかしいからな…こっそり教えたるわ。ほれ、寄って」
 言われるままに更に相手に近づくと、彼はゆっくりと顔を自分の耳元に近づけつつ、手を添えてきた。
 所謂、『内緒話』のスタイルだ。
『あんなぁ…』
「ふんふん…」
 こっそりと小さな声で話かけてきた財前に、興味津々の様子で桜乃が頷いた…直後、

 かぷ…っ

「っ!!」
 耳朶に何かが触れてきた。
 いや、触れたというものではない、これは…!
(かっ…)
 噛まれた…っ!?
 勿論、強く痛みを感じる程に噛まれた訳ではなく、優しくそっと甘噛みされた程度であるが、その生々しい感触は桜乃に衝撃を与え、パニックを起こさせるには十分だった。
 そして財前は相手が身体を強張らせている隙を突いて更に…

 ぺろっ…

「!!!」
 今度は耳朶を舐め上げ、濡れた舌の感触と水音で追い討ちをかけた。
 桜乃の動揺した身体は激しく揺れ、財前が腰に手を回さなければ最悪バランスを崩してへたりこんでしまっていただろう。
「〜〜〜〜〜…!!」
 道行く人には二人の秘密は知られるコトはない…が、場所は往来の激しい街の中。
 そんな場所での秘め事に、桜乃は真っ赤になって息をするのがやっとだった。
 憐れな乙女に、意地悪な恋人は更に低い声で耳元に囁きかけてくる。
『ピアス付けられたら、こーゆーコトした時、俺のクチが怪我するかもしれんやん…?』
 そして、最後に一言。
『俺の恋人なら、ピアス諦めるぐらい我慢して…その代わり、桜乃は俺がめっちゃ大事にして、可愛いがったるから…な?』
 そこまで言われて誰が歯向かえるというのだろうか。
 既に桜乃には相手に抗する気力は微塵も残っておらず、ついでに自身を支えるだけの腰の力も抜けてしまっていた。
 そうなると、この大阪の往来の激しい人混みの中とは言え、相手に縋りついて身体を密着させるしかない。
 傍から見たらどれだけアツアツのカップルに見られることか…
 恥ずかしさに顔も上げられず、桜乃はひたすらに顔を相手の胸に埋めていたが、ようやく火照りが治まったところで相手から少しだけ離れて自力で立った。
「…諦める?」
 ピアスの事を言ったのだろう相手に、桜乃は瞳を潤ませつつ、照れながらぷいっとそっぽを向いた。
 勿論、本心から怒っている訳ではない。
「ひ、人前で恥ずかしいコトしないで下さい…!」
「だって桜乃があんまり可愛く駄々こねるんやもん」
「…………」
 これ以上茶化したら本当に怒られるか…と敏感に察知した財前は、苦笑しながらはいはいと頷いた。
「分かった分かったって…お詫びにこれやるから…ほれ」
 言いながら、自身の左耳に手を伸ばすと、彼はつけていたピアスの内の一つを取ると、続けて桜乃の襟元の服の生地にそれをつけてやった。
 小さいが、細やかなカットで星の様に輝くクリスタルグラス。
「…これ?」
 わぁ…と感動してそれをしみじみを見つめる少女に、少しだけ胸を張りながら若者が誇らしげに語る。
「キレイやろ? 身体に傷つけるんは反対やけど、これならええわ…小さな勲章みたいやん?」
「勲章って…何もしてませんよ、私」
「ふーん、結構スゴイ事してんねんけどな」
「はい?」
「いや、何でもない…それより早う行こ。ピアス諦めさせた分、お詫びにもっと楽しいトコ連れていったる」
「わぁ、本当ですか?」
「ん。やからほら、行こ」
 そっと手を差し出してそれを握らせると、財前はゆっくりと相手のペースに合わせて歩き出しながら、こっそり心の中でだけで白状していた。

(俺をここまで惚れさせたんやからなぁ…その功労を賞して、ソレ(勲章)は俺から自分だけにくれたるわ)






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