「邪魔するで」
「また来たの?」
翌日…忍足は再び立海を訪れていた。
部室には、相変わらず元レギュラー達が揃っている。
いつもここにいるという訳ではないのだろう、おそらく自分がまたここに来たということが知られた時点で、彼らが自ずからここへ揃ったという見方が正しい。
「……」
ちら、と確認すると、やはり…予想していた通り、切原と桜乃がいない。
「…あの可愛いマネージャーさんは?」
「赤也と一緒に回っているが?」
真田が相変わらずの仏頂面で答えたが、それは忍足にとってみたら別の意味でも立派な答えだ。
「例の跡部が一目惚れしたいう女性の事なんやけどなぁ…」
「だから知らないってば…」
困り顔で答えた幸村に、忍足は懐から取り出した一枚の写真を突きつけた。
「これなーんだ」
それは、あの日…スパで撮影した写真。
あの、桜乃の髪を解いた姿が明らかになっている証拠写真だった。
「っ!!」
ちら、とそれを見た相手の顔が明らかに強張り、声を失った様を見て、遂に忍足は確信した。
(彼女か!!)
やっぱり跡部の想い人は竜崎桜乃で…こいつらはそれを知っていた!!
幸村の異変に気付いた他の部員達も、皆が何事だと写真を覗き込んでは色を失っていく。
「…べ、別に何と言うこともない写真では?」
何気なく振舞っているつもりなのだろうが、真田が相手を誤魔化そうとしているのは明らかだ。
しかし、元々が人を欺く事を良しとしない性格の為か、明らかに挙動不審である。
いよいよ核心に迫った忍足は、相手を追い詰めるべく追撃をかけた。
「ほー……何と言うこともないなら、これ、跡部に見せて正体ばらしたろか」
「わーっ!! ダメ〜〜〜〜ッ!!」
見事に引っ掛かった丸井の絶叫に、隣の詐欺師があーあと目を伏せて呟いた。
「馬鹿が…」
黙っていたらまだ何とかやりようはあったものを……
「……こりゃいよいよ誤魔化せなくなったかのう…」
意外と早く終りが来たもんじゃ、と仁王が苦笑するのを始め、立海の面子は全員渋い顔をした。
もう少しもつと思っていたが…意外なところから秘密が漏れてしまったか…
誰かの溜息が聞こえたところで、納まらないのは忍足本人である。
たったこれだけの事実を得るまでに、自分がどれだけ跡部の様子を気に掛けて、ここまで足を伸ばしたと思っているのか!
まぁ足を伸ばしたのは今回で二度目だが、それでも精神的負荷は大きかった!
「自分ら、よーもたばかってくれたな――――っ!!」
珍しく、アツい一面を見せてメンバー達を糾弾した忍足だったが…
『誰の所為だと?』
珍しい立海メンバー全員の逆ギレが返って来て、即座に謝罪。
「すみません、ウチのリーダーが迷惑かけます……って何で俺が謝らなあかんのや!」
どちらにとっても不本意な言葉の応酬だったが、いつまでもそんな不毛な会話を続ける訳にもいかなかった。
「…つまり要約すると…」
早速冷静に状況を分析した柳が、相手に確認した。
「先ほどのお前の発言から推測するに…お前は竜崎の事に気付いたが、跡部にはまだ知らせていないという事か? 彼はまだ何も知らないのだな?」
「そうやな」
忍足がそれを肯定すると、傍の丸井が机に立てかけてあった自分のラケットをぎゅっと握り締めて怪しい言葉を呟いた。
「……こんな所に手頃な鈍器が…」
「わ――――っ! わ―――――っ!! 丸井、早まるな〜〜〜〜〜っ!!!」
必死に相棒のジャッカルが犯罪を未然に防いでいる脇では、至極真面目な顔で幸村が忍足と対峙していた。
「…で、どうするつもり?」
「そう睨むなや、俺かて穏便に済ませたいんやから…それに、幾ら俺でも自分らに喧嘩売る程身の程知らずでもないし…」
「賢明だな」
ばらしたらただではおかん…と凄まじい目線を寄越した真田は、正に鬼神そのものだ。
そんな相手の威圧にも怯むことも無く、忍足は黙っていた事実を彼らに告げた。
「…跡部が昨日倒れたんや」
『!?』
全員がぎょっとする。
まさか、あの男が…!?
「ウ、ウソ…」
「嘘や冗談で言えるかいな、こんなコト…今日は部活も休んどってな、何でもないって話やったけど…」
一度そこで言葉を切って、彼ははぁ、と息をついた。
「主治医の話やと、肉体的には何ら異常はないんやて…ただ、最近のアイツ、家ではずっと塞ぎ込んで殆ど食事らしい食事、摂っとらんかったらしい」
それで部活には昨日まで参加しとったんやから、化けモンやな…と評しつつ、彼は自分の見解を述べた。
「で、思うんやけど、多分…恋患いの所為やないかと」
直後、ばっさりと真田が一言。
「断る」
「まだ何も言うてへんやろ!!」
「次はどうせ跡部を元気にする為に竜崎に会わせろとか言うつもりだろうが! そんな事をしたら、今度は彼女が奴に追いかけまわされるコトになる!」
「やろなぁ」
「分かっててぬかすか貴様〜〜〜!!!」
「弦一郎、弦一郎、お父さん化してるよ」
箱入り娘…もとい箱入り妹分を他所の男に近づけさせるのは危険だと判断したらしい親友に、幸村がさらりと注意して、代わりに忍足に声を掛けた。
「そちらの気持ちも言い分も分かるけど…彼女には彼女の意志と生活がある。隠していたのは俺達の責任だけど、あの子が跡部の事を覚えていないのは真実なんだよ。それなのに、いきなり一方的に相手に会って過剰な気持ちを押し付けられるのは可哀相だ」
「……まぁな」
それは分かる、と氷帝一のフェミニストは理解を示した…が、今回ばかりはそのまま引き下がる訳にもいかなかった。
「引ければええんやろうけど…あのままいけば跡部の奴、もっと酷くなりそうやしなぁ…俺もそこは引けんのや」
互いが互いに引けない事を知っている…そしてそれは己の為ではなく他人の為。
「何とか一目でも跡部に会わせる事は出来んのやろか…? 彼女の素性を隠したまま、何とか…ちょっとあの子にも協力してもらって」
「…竜崎さん、に」
「むう…」
本当なら断固として断りたいところではあったが、流石に相手が倒れたとなるとそこまで我侭を押し通す事も憚られる。
あの心優しい娘なら、そういう事なら喜んで協力してくれるだろう。
しかし…
深く深く考え込み…悩んだ幸村が苦渋の決断を下す。
「…あくまでも、彼女の正体を暴露しないという条件なら…竜崎桜乃という女性に関わりのない話としてくれるなら、彼女に話してみるよ」
「ホンマに?」
「でも、絶対に彼の気持ちを彼女に押し付けるような真似はさせないこと…あの子は竜崎桜乃という女性としていくんじゃなく、その探していた女性として行く…何度も言う様だけど、あの日跡部とそんな事があったなんて、彼女は一切知らない…覚えていないんだ。真実を打ち明けたところで、彼女を混乱させるだけなのは目に見えている」
「……分かった、そこは俺も上手く言うとくわ」
「……」
さぁ、どうなるだろう…
不安は残るものの、その条件を取り付けたところで、幸村はその場に桜乃を呼びつけた。
コートにいた彼女は、先輩達の呼び声に応じ、すぐにその場に駆けて来た。
「失礼します……どうしたんですか?」
「……竜崎さん、君に頼みがあるんだけど…」
「はい?」
「…実は、跡部が倒れてしまったらしい」
「え!?」
あまりにも予想外のニュースに、桜乃は大いに驚き、その開かれた瞳を忍足へと向けた。
「ど、どうしてっ!? あの御方が…!? 何かのご病気に…」
「あーまぁ…病気の一種みたいなものなんやけどな…笑わんといてな、アイツ、恋患いになってもうたんよ」
忍足の告白に、しかし桜乃は笑うこともなく真剣に受け入れ、そして質問をした。
「…もしかして、この間お話になっていた、メイドさんですか?」
「うん…まぁな」
君です、と言う訳にもいかず、曖昧に忍足は答えを返し、そして改めて説明をした。
「彼女に会わん限りは、アイツは元通りにはならんやろ…でもなぁ、その子、何処におるんかまるで分からんでな」
「跡部さんが探しても分からないんですか…」
それは、本人がこうして分かっていないからな…と立海メンバーが思う。
本当に、あの帝王の眼力ですらおさげのカモフラージュが見抜けないとは…まぁ、元々違う学校で、滅多に会える機会もない少女なら、彼の興味も殆ど無かったのだろう。
それは幸いだったのか、それとも不幸だったのか……
少なくとも自分達にとっては僥倖だった。
「でも、お気の毒です…何とか励まして差し上げる事は出来ないんですか?」
そんな桜乃の殊勝な願いに便乗する形で、真田が已む無く本題へと入った。
「それがだな…その女性というのが」
「? はい」
「どうやら、髪を解いたお前と瓜二つらしいのだ」
「え!?」
そして、それを受けて柳が続ける。
「相手の女性の居所が分からなければ、引き合わせる事も不可能だ…しかし、幸い跡部はその女性とは一言、二言しか言葉を交わしてはいない…ほぼ初対面と言ってもいいだろう」
「〜〜〜〜〜」
そんな…それだけしか面識がない女性に一目惚れをして、しかも病に臥せってしまうだなんて……
(…知らなかった…あの人がそこまで情熱的な人だったなんて…)
いつも冷静で、他人に対してもクールな印象が強かったから、想像出来ない。
しかしだからこそ、彼の本気の程が伺える。
人の感じ方はそれぞれだが、そこまで想われているのなら、女性も冥利に尽きるだろう。
そうさせているのが自分だとは知りもせず、知らされもせず、桜乃はそこまでを聞いたところで、は、と彼らが自分に望んでいる事を察した。
この話の流れでいくと、もしかして……
「あの…もしかして……」
その問い掛けに、忍足が深く頷く。
「すまんけど…その子の振りをして会うてくれんやろか、お嬢ちゃん」
「えええええっ!?」
何も知らない子が驚くのは分かる。
無茶を言っているのは承知とばかりに、忍足は深く頭を下げた。
「頼む、この通りや。今もアイツは食事を殆ど口にしとらん…少しでもアイツの気力を回復させられるのは、お嬢ちゃんしかおらんのや」
「あ、あ、あの……頭を上げて下さい忍足さん! 私もお力になりたいとは思いますけど…きっと私なんか、すぐに見抜かれてしまいますよ」
帝王の『眼力』を知る人間なら当然とも言える主張だったが、それは彼女が知らないからだ。
あの日に跡部に出会っていたのは、紛れもない彼女本人であるということを。
しかし、今はそれを語る事無く、桜乃を舞台に連れ出さなければならない。
「いや…それは大丈夫や。お嬢ちゃんが黙っとってくれれば、多分、遣り過ごせる…俺でも分からんかったんやから。それにどの道、方法はこれしかあらへん」
「う…」
確かに…今からそっくりさんを見つけるというのはあまりに非現実的な話。
自分がそこまで似ているというのなら……やはり自分がやるしかないのか…
(こ、困ったなぁ…でも、あの時も私、忍足さんに言っちゃったし…)
『応援しますよ!』
別にそれを後悔するつもりはないし、助けになりたいという気持ちも本当だ。
学校こそ違えども、彼もまた自分の知己であり、その相手を助けられるのが自分だけであると言うのなら、ここはもう腹を括るしかないのかもしれない。
「わ、分かりました……私でも出来ることがあるのなら」
「おおきに! ホンマに恩に着るわ」
深く礼を述べた忍足の傍ら、どうしても不安が拭えないらしい立海メンバーの幾人かが幸村にこっそりと耳打ちした。
『…仕方ないことだけどさ…本当に大丈夫かな、跡部にバレたら…』
『それこそ神に祈るしかない事だね…けど、相手も最低限の常識は弁えている。万一全てが明らかになって彼女に迫ったとしても、竜崎さんはそれに流される様な軽い女性じゃない…そして跡部も、本気で嫌がる相手を無理やりに…なんて無粋はしないだろう。誇り高い人間なら尚更さ』
丸井と彼の会話に切原も混じって頷いた。
『いいんじゃないッスか? どっちみち、ばれたら今生の別れってんでもないでしょ、ちょっと面倒は起こりそうっすけどね』
そしてそれから、彼らは桜乃を跡部の許に連れて行く日時を決めると、その日は忍足を帰した。
流石に昨日の今日という訳にはいかないが、あまりぐずぐずしてもいられない。
「…君が竜崎桜乃として行く訳ではない以上、俺達が同行したら却って怪しまれる…悪いけど、その日は忍足と一緒に行ってくれるかい?」
「はい……私が何処まで上手く振舞えるかは分かりませんけれど…」
「あまり身の上に関わる事は語らない方がいい…まぁ、忍足にもフォローは頼んでおいたがな」
「分かりました…あ」
「? どうした?」
真田の呼びかけに、桜乃は早速途方に暮れた表情を浮かべた。
一つの大きな問題に気付いたのだ。
「そう言えば…その時私は何と名乗ればいいんでしょうか…幾ら何でも名前も名乗らない訳には…」
「そう言えばそうじゃったな」
「まぁ適当に名乗ればいいと思いますが…かと言って、あまり普段とかけ離れているものだと、却って反応が鈍くなってしまうかもしれませんね…」
さてどうしよう…
暫く悩んでいたが、幸村が彼女に提案した。
「安易過ぎるかもしれないけど、桜、でどうかな」
「桜…」
「君の名に因んだものだし、そんなに珍しいものでもない…ここまで本来の名と近ければ、逆に相手も同一人物だと疑ってかかることもないかもしれない」
「…そう、ですね…」
自分の名と音が近ければ、呼ばれても本来の名前の様にすぐに反応しやすい。
それに、桜…この花は自分も凄く好きだ。
「……分かりました、桜と名乗ります」
「………」
じっと見つめてくる幸村の不安げな表情に、桜乃が首を傾げる。
「…やっぱりばれると思います?」
「もしそうなったとしても、俺達もフォローに回るつもりだから心配しないで……ただ、心配なのは…」
そこまで言うと、彼は、はぁ…と苦悩の極みにあるような溜息を吐き出した。
「跡部が病に浮かされて、君に告白しないかそれだけがね……されたとしても、安易に答えたらダメだよ」
「は、はい……でも大丈夫ですよ。だって、それは私が相手じゃないんですから」
「……そうだね」
実際は彼女が相手だったが…記憶にないという事を思えば真実だ。
彼はそれ以上深く語る事はなく、他のメンバーもこの件についてはそれ以上は沈黙を守るのみだった。
そしていよいよ、桜乃が別の女性として跡部を見舞う日が訪れた……
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