最強無口系
「え、私も参加するの? お祖母ちゃん」
「ああ、ちょっと人手が欲しくてね。良かったら手伝ってほしいんだよ」
或る日の夜、桜乃は祖母である竜崎スミレから、明日から行われるテニス部短期合宿についての参加依頼を受けていた。
テニス部合宿と言っても青学だけのものではなく、全国から各強豪校が参加する結構大規模なものだ。
夏の大会が終わって、初めて全国的規模で企画されたその合宿は、彼らの体力向上だけではなく、夏の反省点や今後の自身の課題などを抽出する意味もあるらしい。
「わざわざ遠方からも来る方もいらっしゃるなんて、皆さん本当に熱心ね…」
「何言ってんだい、もう来年に向けての戦いはとっくに始まってるんだよ。お前ももう少し彼らを見習って、その呑気グセを直してくれないもんかね」
何かとのんびり屋で少しおっちょこちょいなきらいがある孫のあまりに緊張感に欠けた台詞に、女傑である祖母は呆れた様に言ったが、相手はあまり改善に向けて積極的ではなさそうだ。
「えー? でも私が急いだら、転んだり迷ったり…ろくなコトにならないもん」
「やれやれ……けど、今を逃したらいよいよ二年生が台頭してくる時期になるからね。三年は受験とかもあるし、暫くテニスから離れざるをえない時期でもある。彼らが高校でもテニスを続ける場合に自分のスタイルを忘れない為にも、この時期の復習は決して無意味じゃないんだよ」
「…そっかぁ…全国大会でも、凄い三年生の方々は一杯いたものね」
「そういう事…アイツらからプロが出る可能性だって十分あるんだし、育てる方は責任重大なんだよ」
祖母が背負う責任というものを改めて見せ付けられた孫は、少しだけ居住まいを正して同じく居間の畳に座っていた相手に尋ねた。
「でも、私は何をしたらいいの?」
「前にも夏に合宿があっただろう? あれとほぼやる事は変わらないよ。ただ今回は全国的に面子が集まっているから、あの合宿を知らない奴らも多い。お前は、案内と簡単な物品の運搬と、奴らの身の回りの世話をしておくれ」
過去の記憶を辿り、桜乃はその時の仕事の内容を考え、自分にも出来るものだと判断した。
難しいテニスの技術指導や戦略の考案についてはさっぱりだが、食事の栄養バランスの考慮や、水やスポーツドリンクの配布、備品の整理なら、仕事人としてかなり自信はある。
「う、ん…そのぐらいなら出来そうだけど…全員のお世話って結構大変そう。人数、かなり多くなるんでしょ?」
「まぁその辺りは皆も子供じゃないんだし、或る程度は自活してくれるだろうさ…けど、慣れない土地の奴らは何かと大変だろうから…そうだ、お前確か、比嘉の生徒とは結構親しかったね」
「あ、うん…凄く良くしてもらってた…たまに知念さんからはメールも貰うし」
桜乃は、過去に幾度は沖縄で比嘉中の面々と出会い、そこで交流を深めた前歴がある。
何故か彼らは本土の人間達に対しては高い壁を作っていてなかなかとっつきにくい面があるのだが、人畜無害…寧ろ生き抜く力が非常に弱そうな桜乃に対しては敵対心、警戒心を持つこと自体が不毛と理解した様で、何かと世話を焼いてくれていた。
『殺し屋』と呼ばれていた部長の木手さえも、彼女にはあまりきつい皮肉は言えないらしい。
更に、彼らの中でも特に無口で何を考えているのか分からない知念寛という若者は、特に桜乃を気に入っているらしく、口を開かない分、行動で示す形で彼女に何かとかまっていた。
本土の人間が殆どのこの合宿に於いて、桜乃の存在は祖母にとって有り難いもので、彼女はそうだと手を叩いた。
「丁度良い、向こうも誰とも知れない相手よりは、見知った人間の方が遣り易いだろう。今度の合宿では、お前は比嘉の面々をみてやっておくれ」
「うん、別にいいよ?」
他人にとってはどうだかは知らないが、少なくとも桜乃にとっては優しい若者達である彼らだったので、彼女は二つ返事で引き受けた。
(久し振りに比嘉の皆さんにお会いできるんだ…楽しみ〜)
そして、それから特に大きな問題は生じることもなく、彼女は祖母の手伝いをしながら準備を進め、いよいよ合宿日当日を迎えることになった。
「おーおー、やっぱ凄い人さぁ、永四郎」
「当然でしょう、全国規模で集められた合宿ですからね」
「へへ、でも憂さ晴らしには丁度いいさぁ、最近ずーっと勉強ばっかだったからなぁ」
合宿当日、比嘉の代表者である木手を筆頭に、彼らは無事に現場に到着して周囲の喧騒を眺めていた。
青学は言うに及ばず、立海や氷帝、四天宝寺…それはもう枚挙に暇が無い程に各校の面々が揃っている。
「ま、折角来たんです。楽しませてもらいましょうか…」
木手が早速斜に構えた物言いをしている脇では、平古場がきょろっと改めて周囲を見回しながら素直な感想を漏らした。
「結構立派な合宿所やし…けど、こんだけ大人数の合宿なんて初めてだからなぁ、慣れるまではちょっと大変かも」
「竜崎先生からは強力な助っ人を頼んでおいたと聞いていますが…まぁ、期待せずにおきましょう。助っ人か何か知りませんがこちらは勝手にやらせてもらいますよ、言いなりになるのは御免です」
「あー、まーた何かひと悶着ありそー。助っ人に喧嘩売ってどうするんさ」
そう言う甲斐は、言葉とは裏腹に楽しそうな様子である。
そんな三人を他所に、同じく参加組である田仁志は相変わらずアンマンを頬張っていて、知念は寡黙を守っていたが、やがてそのぎょろっとした大きな瞳が何かを捉え、彼は真っ直ぐそちらを指差した。
「…助っ人」
「ん?」
何だろうとそちらへ視線を引っ張られた平古場達の視界に、とててーっと走ってくる一人の少女の姿があった。
「お…っ」
「アイツは…」
平古場と甲斐が驚き見守る中で、その少女は明らかな意志を持って彼らの前に到着すると、にこーっと笑いながら深々とお辞儀をした。
「お久し振りですー、比嘉の皆さん」
「竜崎さん!?」
「な、何でやーがここに?」
激しく動揺する男達に、桜乃はきょとんとした目を向けた。
「え? お祖母ちゃんから、皆さんのお世話をするように言われてたんですけど…聞いてませんか?」
「全然」
断言する甲斐に、桜乃は更にあれ?と首を傾げた。
「おかしいなぁ……知念さんにもメールした筈なんですけど」
その途端、知念相手に甲斐と平古場の組手合戦が勃発。
『やーはどーしていつもいつも肝心の情報を〜〜!!』
『危うく竜崎に喧嘩売るとこだったさーっ!!』
大騒ぎをする二人とは対照的に、知念は無言でひょいひょいと彼らの攻撃を軽い動きでかわしていたが、その騒動は早くも他校の若者達から注目を受けていた。
「何だか騒々しいね…あ、竜崎さんだ」
「えっ、おさげちゃん!?」
その中で、立海のメンバー達も、見知った少女の姿をそこに見つけて興味深そうに様子を窺っていた。
青学以上に桜乃との付き合いが深かった彼らだったが、その少女が沖縄の学校である比嘉の生徒達と一緒にいるのがとても意外なものに見えたらしい。
「今回、合宿に不慣れな彼らには竜崎がサポートとして就くらしいな。竜崎先生の指示だそうだ」
データマンの柳の言葉に、え〜っ!と丸井が不満げな声を漏らし、ぶんぶんと両手を振り回した。
「いーなーいーなーっ! おさげちゃんに付きっ切りで奉仕してもらうなんて、うっらやましー!」
「そういう言い方はやめんか!! 要らん誤解を生むっ!!」
今度は自分達立海が下手な勘繰りを受けて注目されかねないと真田が眉間に皺を寄せながら怒鳴ったが、他のメンバーの意見は概ね丸井寄りではあった。
この合宿が始まる前に、どうやら桜乃もボランティアで参加するらしいという旨を聞き、練習の合間にでも楽しい一時を過ごせるかと思っていたのだが…遥か南の彼方から意外な伏兵出現。
「なかなか面白い取り合わせじゃな」
「まぁあれだけ毒気のない方ですからね…比嘉の方々も波風を起こそうにも起こせないのでは?」
柳生の予想、大当たり。
向こうの男達はようやく組手にも満足したのか、今は桜乃を取り囲む形で挨拶を行っている様子だった。
果たしてその内容は…
「では、宜しくお願いしますよ、竜崎さん」
「こちらこそ、至らないところもあると思いますけど、精一杯頑張りますから!」
丁寧に挨拶をしている木手は、どうやら彼女が相手なら特に物騒な意見を述べるつもりもなさそうである。
勿論、桜乃の人となりを気に入っている事もあるだろうが、一番の理由は…嫌味や皮肉を言ったところで通じない可能性が高いからだ。
そんな木手の傍では、他の面々達がちらちらと立海含めた周囲の学校の様子を気にする様子で眺めており、挨拶が済んだ木手本人も彼らの反応を訝しんだ。
「何をしているんですか、平古場君、甲斐君」
「いや…俺らも最近知ったんだけどさー、竜崎って結構他の学校…特に立海の奴らとも仲が良いらしいさ」
「なんだよな? 竜崎」
「え? はい、とても良くして頂いています」
ぽむ、と手を叩きながら、『まるでお兄ちゃんみたいなんですよ』と嬉しそうに評する桜乃を見て、改めて向こうの面々を見ると…確かに妹が変な虫につかれないかと心配そうにこちらの様子を窺っている。
「…妹ですか、成る程…」
木手がぼそりと呟き、そこに平古場達は何らかの策略の匂いを感じ取った。
「え、永四郎…?」
「何か、ヤバイ事考えてないか?」
仲間達の不安げな台詞を受けるとほぼ同時に、リーダーである殺し屋は珍しく爽やかな笑顔で宣言した。
「皆さん、今回の合宿中には思い切り竜崎さんと親睦を深めて、実のある合宿にしましょう(他校に嫌がらせをしてあげましょう)」
「まぁ、嬉しいです」
勿論、純粋に喜んでいる桜乃に木手の裏の台詞は聞こえていない。
「永四郎…すげぇイイ笑顔さー」
「台詞の裏は真っ黒だけどなー」
予想した通りの展開に平古場と甲斐が諦めた表情を浮かべている一方では、田仁志が桜乃に夕食の献立を聞き、知念が木手の提案を素直に受け入れ、早速桜乃の頭を撫でている。
そして、いよいよ桜乃も巻き込んだ合宿が始まったのであった。
合宿では、同じ学校の仲間同士であれば惰性が生じるという事もあり、様々な学校の様々な生徒達が分散してグループを作る形となったが、そこでは数日後には意外な展開が待っていた。
朝…
「……」
「あ、知念さん、お早うございます。昨日頼まれていたボタン付けですね。済ませておきました、はいどうぞ」
「……にふぇーでーびる(有難う)」
昼…
「……」
「知念さん、タオルお探しですか? 新しい物がありますから、これを使って下さい」
「…ああ」
夕…
「………」
「平古場さんと甲斐さんなら、トレーニングルームにいましたよー?」
「……そうか」
見事な読心術…かどうかは知らないが、桜乃は比嘉一番の寡黙人間、知念と完璧な意思疎通を行える様になっていた。
「まぁ俺らでも、簡単なやり取りなら大丈夫だけど」
「ここまで短期間で知念無言流を習得出来る奴がいるとは、本当に広ぇ―やな、日本」
「色々な意味で面白い人ですね、彼女は」
その日は特に天気が良かったので、外のコート脇に食事を持ち込んで久し振りに同学校生徒で集まり、昼食会を開いていた比嘉の面々は、自分達をサポートしてくれる少女について感嘆しながらぱくぱくと彼女の手作り料理をぱくついていた。
そんな彼らの向く先は…その桜乃と一緒に行動している知念だ。
桜乃は今は昼休みで使用されていないコートの簡単な片づけを行っており、その少女を手伝うように知念が傍で手を貸している。
「すみませんー、知念さんも午前中の練習でお疲れなのに」
「ちけーねーん(大丈夫だ)…やーは?」
「私も大丈夫ですよ……っと」
落ちていたボールを拾い上げて、そのまま勢いをつけて身体を起こした桜乃が、ぐらっと急によろめいた。
「ふえ…?」
あれ…空が回ってる……
「っ!?」
とててて……っ
バランスを立て直そうとしたものの、平衡感覚は急には戻らず、桜乃は実に危なっかしい足取りのまま、数歩バックした。
その間にも身体の体勢は大きく乱れ、もう少しで頭から倒れこみそうになったところで、間一髪、素早く後ろに回りこんだ知念の身体が少女の身体を抱きとめてくれていた。
「わ…」
「……」
倒れかけた拍子に丁度上を見ることになった桜乃は、逆にこちらを覗きこんでくる知念と、間近で目が合った。
互いの上下が逆転した状態で。
(わ…顔、近い…)
知念は、非常に彫りの深い顔立ちをしており、見るからに南国系である。
その上目力もかなり強いので、初見で気弱な人は先ず彼の視線に引いてしまうのだが、桜乃は元々目力が強い知己が多かった所為か、すんなりと受け入れられたのだった。
しかし流石にここまで間近に接近されながら見つめられるのは、相手が知念に限らず初めてのことであり、桜乃はどうしていいのか分からず激しくうろたえ赤面してしまった。
「…竜崎?」
「は……はいっ」
あわあわと心が焦っている間に、向こうが珍しく憂いた表情に変わり、声を掛けてきた。
そうしている内に、今度は桜乃の異変に気付いた他の男達も何事かと駆けつけてくる。
「どうした!? 竜崎?」
「知念君?」
平古場や木手の呼びかけに、最初に答えたのは知念だった。
「…倒れた」
「ええっ!?」
びっくりする甲斐に、慌てて桜乃がぱたぱたっと手を振った。
「だ、だ、大丈夫ですよう、ちょっと立ち上がった時に眩暈がしただけですから…」
断る桜乃をじっと覗き込んだ木手は、しかし首を横に振った。
「…いえ、少し休んだ方がいいですね」
そう言って、改めて自分の見解を述べる。
「汗も凄いし、顔色も少々優れません。過労でしょう。竜崎先生には私から伝えておきますから、貴女は午後は自室で休憩を取っていたら宜しい。これからの練習は特に人手も必要ありませんから、次に備えて大事を取っていて下さい。いいですね」
「………はい、すみません」
次に備えて…と言われてしまったら、桜乃もそれ以上食い下がる事は出来なかった。
ここは素直に彼の言葉に従い、次にその分頑張ることにしよう…
そう桜乃が思っている間に、木手はてきぱきと知念に指示を出した。
「一人では不安ですから、知念君、部屋まで連れていってあげてくれますか」
「……」
こっくりと頷いてそれを承諾した無口な若者は、そのまま桜乃の身体を軽々と前に抱き抱えて立ち上がる。
「ひゃ…っ」
「…行って来る」
「宜しくお願いしますよ、ああ、ついでに行く時にはこの道順で…」
何故か桜乃を連れて行く道順まで事細かく指示され、しかし知念はそれについて何ら疑問や反抗を示すこともなく、その場から歩き去る。
『ち、知念さん、私、歩けますから…』
『……』
木手の言葉には従いつつも、桜乃の訴えには無言の無視状態で、知念はすたすたと言われた通りの道順を辿るべく、歩いて行く。
「まぁ、大事なくてよかったし…」
「知念のヤツ、相当竜崎のコト気に入ってるさ〜…けど、何で道まで指定したんさ永四郎」
別に一番の近道でもなかった様だし…と疑問を呈した平古場に、相手はけろっとした顔で答えた。
「あの道順で行けば、他の生徒達にも見られる算段が高いので」
(嫌がらせかよっ!!)
流石にそこまでするのは…とは思いつつも、またゴーヤーだ何だと嫌な罰ゲームが来ることを恐れ、他の比嘉の面々は一様に口を閉ざすしかなかった。
幸い田仁志に関しては、最初から食事を目一杯咥えていた所為で口を利くどころではなかったらしいが。
何れにしろ、そんな木手の目論み通りに他校の生徒達を混乱に陥れながら、知念は桜乃を彼女に割り当てられていた部屋に運び込んだ。
中は殆ど最初から備え付けられていた備品しかなく、彼女の荷物らしきものはない。
勿論、実際はそういう事でもなく、きっと調度品の中にきっちり整頓されているだけの話なのだろう。
「有難うございました、知念さん。助かりました」
途中に出会った他の学校の生徒達からの視線はかなり気になったものの、それが木手の策略とは夢にも思わず、ベッドに優しく下ろされた桜乃は素直に知念に礼を述べた。
「………」
上から覗き込んでくる若者の目の表情を読み取り、桜乃は苦笑いしながら断った。
「分かってます。ちゃんとここで休んでいますから…知念さんも、お食事まだなんですから早く戻らないと…」
ぎゅ…
「!?」
「………」
まだ上体を起こしていた桜乃を、ぬくもりが包む。
「…ち、知念さん…?」
自分が相手の胸の中にいると気付いて桜乃が軽くパニックになっていると、相手は無言を守りながらぽんぽん、と背中を優しく叩いてくれた。
(あ……)
つい条件反射でよく見る映画でのラブシーンを想像していた桜乃だったが、彼のその行動で思考はすぐに落ち着いた。
まるで…兄が妹を気遣っている様だ…
(…そっか…心配してくれてるんだもんね…それなのに私ったら)
変な期待、しちゃったな……
無口な人だしその分誤解されることも多いみたいだけど、本当は凄く優しい人だから何となく気になっていた。
でも、だからと言って都合よく考えるのは自意識過剰だよね…気をつけなきゃ。
「えへ…有難うございます、知念さん…」
「……―――し」
「はい?」
いつもより更に小さな声で何事かを言われ、聞き返した桜乃だったが…
「…いや」
何でもない、と断り、そして同時に彼は桜乃から離れた。
「……寝ていろ」
「はい」
さわ、と最後に頭を優しく撫でられて、桜乃はぽてんとベッドに横になり、去っていく相手の背中を見つめていた。
(……たまにだけど…分からなくなる時、あるなぁ)
あの人が…本当は何を考えているのか…
$F<Field編トップへ
$F=サイトトップヘ
$F>続きへ