不思議に思う少女の前で、やおら男性陣達は色めきたった。
「…幸村部長、ここは一つ彼女にもミーティングに参加して頂いては? テニスの練習内容などの話ではありませんし、何ら支障はないと思われます」
挙手してそう提案した柳生に、幸村は少し考え込むと、今度は桜乃へと顔を向ける。
「竜崎さん、今少し時間ある?」
「は、はい…大丈夫ですけど…一体何があったんです?」
全く話の読めない展開に、桜乃がきょろきょろと周りのレギュラー陣を見回す。
「実は、今度の海原祭のパンフレットに掲載するイラスト、テーマが『萌え』ってことなんだけど…」
「俺達ではまるで分からんのだ。さっきから話し合っているのだが、どうにも掴みきれん」
「はぁ…あ、有難うございます」
「どういたしまして」
幸村と真田の簡単な説明に頷きながら、桜乃は柳生が引いてくれた椅子に、遠慮がちに腰掛ける。
流石に『紳士』はどんな時でもそういう心配りは欠かさない。
「萌え、ですか…確かに漠然としてますけど…これまでのイラストはどんな感じだったんですか?」
「別に指摘がなければ飾り文字だけで済ませていた時もあるし、特にこだわりはない。しかし、今回のテーマでは文字では不向きだろうか…」
柳の指摘は確かに的を得ており、言葉の飾りで『萌え』を表すのは至難の業だ。
「うーん…じゃあ、ひねりはありませんけど、レギュラーの皆さんのイラストをそれっぽく描いたらいいんじゃないですか?」
「それっぽくって…?」
そこが一番重要な点であり、そして一番難解な点なのだ、と幸村は首を傾げる。
「私もそんなに詳しくないですけど…何か女の子っぽい感じのイラストなんですよ。顔が小さくて目が大きくて…それにその人の特徴を加えていくんです」
「少し描いて見せてもらえるかな? 言葉ではちょっと…」
さりげなく、幸村は手にしていた鉛筆と手元にあった白紙を桜乃へと差し出す。
「私もあんまり絵は得意じゃないですよ…」
「参考にするだけだよ。このまま何時間も同じ議題は、流石に時間の無駄だから。悪いけど、協力してくれないかな?」
「ん〜、じゃあ」
幸村を始めとする全メンバーは本当に困っている様子だ、このまま放っておくのも何となく心苦しい。
桜乃は、躊躇いながらも鉛筆を手に取り、先ずはじっと幸村を観察する。
顔を知っている、というのと、特徴を捉えるというのは、似ているようで違うものらしい。
「幸村さんはテニスをしている時はバンドを着けていますから、やっぱりこれはトレードマークに着けた方がいいですよね、それと、髪がふわふわしている感じにして…肩にジャージを羽織って…と…」
レギュラー全員が、興味津々といった様子で桜乃の手元に注目する。
得意じゃない、と本人が言っていたが、なかなかどうして。
見る見るうちに、世間でいうところの『萌えイラスト』に近い作風で、幸村が描かれていく。
全体を描いてみたところで鉛筆は止まり、そこには特徴を上手く捉えた、三頭身キャラ風の可愛い幸村が笑っているイラストが描かれていた。
「…こんな感じかな」
少女の手が止まったところで、辺りから感嘆の声が幾つも上がる。
「すっげ〜〜〜〜!! 上手いじゃんか竜崎!!」
「確かに感じは幸村だ」
「大したもんじゃのう、似とる似とる」
切原やジャッカル、仁王達が手放しで褒め、幸村本人も少し照れながらイラストを覗き込む。
「へぇ…俺を『萌えイラスト』にしたらこんな感じなのか……確かにこういうイラストは街中で見たことはあったけど…ふぅん」
絵の出来に満足しているのかくすくすと笑う幸村に、真田も微かに笑った後に桜乃に向き直った。
「ほう…お前にこんな特技があるとはな」
「特技というか…ただの趣味とか遊びですよ。友達への手紙とかでも書いたりしますし」
「ふむ…では、俺のも描けるか?」
「え? 真田さんのもですか?」
「む……難しいか?」
もしや、特徴の無い顔なのか?と悩む副部長に、桜乃は慌てて手を振って断った。
「い、いえ、てっきり幸村さんの例だけでいいかと思ったんですけど…」
「えー!? そりゃないだろい? おさげちゃん、俺のも描いてくれよー」
「今更降りようなんて、そりゃあ問屋がおろさんぜよ」
「ここは一つ、俺達に貸しを作ると思って…頼むっ」
「無理な願いをしてしまい大変心苦しいのですが、他に逸材がいないのです」
次々と懇願をされてしまっては、断ることも難しくなる…
しかし、絶対に引き受けたくないという理由も特にないので、結局桜乃は全員分のイラストを描くことになった。
「えーと…じゃあ真田さんは…やっぱり帽子は抜かせませんよね…あとは、目と眉を強調して意志が強くて厳しい感じを出したら…あ、口は寧ろ引き結んでいる方がいいかも」
「そういうイラストで笑ってる副部長は、最早『萌え』どころかホラーに近いッスよね…」
「何か言ったか、赤也…」
「いや…何でもないッス」
真田と切原が目に見えない火花を散らしている間に、また一つイラストが出来上がる。
これもなかなか上手い出来で、真田もほうほうと頷きまんざらではない様子だった。
「一言で可愛いイラストというと、どうにも俺自身のものとなると気色悪いものを連想してしまうのだが…これは十分に見られるな、いや、大したものだ」
「そんな…でも、喜んで貰えたら嬉しいです」
次は順番からいくと柳の順番になり、桜乃は柳の顔を数回凝視しながら鉛筆を走らせ始める。
「俺は特徴らしいものは少ないと思うのだが…」
「そんな事はないですよ…柳さんは顔が全体的に細めで、いつもは大体目も細いですからそれを特徴にして、後はサラサラの髪を強調して…」
「ふむ…確かに必要に迫られなければ、そんなに目を開かなくても用は足りるからな…」
「目が良いですよねぇ、柳さん」
『…もしかして…本気で特徴少ないと思ってる?…』
『無くて七癖、とも言うけどよ…あれ? 違ったか?』
丸井とジャッカルがこそこそと囁き合っている間に、柳『萌え』バージョン完成。
「どうですか?」
「…正直、これだけの簡素な筆遣いでここまで特徴を捉えつつ、男性的要素を払拭させるとは思わなかった」
「す、すみません、私が知る限りでは、萌えで男性的要素はあまり見せないもので…」
「いや、別に責めている訳ではない。有難う」
淡白な感想が先に来てしまったが、柳にも及第点を貰え、桜乃は次は切原のイラストへと取り掛かる。
「男前に描いてくれよな」
「赤目で描いてやれ竜崎、赤目」
「ちょっと! 横から変なコト吹き込まないで下さいよ、仁王先輩!」
「あはは…えーと、切原さんはやっぱりその髪型ですよね…あとは、目をきょろっとした感じで…口元はちょっと生意気そうに…」
「何だよそれ!」
「えー? だって切原さん、結構自信満々って発言するじゃないですか、先輩の方々に。大体その後、真田さんに叱られてますけど」
「…………」
柔らかい言葉なのにざっくりと胸に痛烈な一撃を受けて、切原は机の上に無言で突っ伏してしまった。
(意外とやりますね…)
本人には相手に見事な右ストレートをかました自覚は全くないようだが…と柳生が分析し、結局、絵が完成するまで切原が浮上することはなかった。
「はい、出来ました」
「んあ? お――――! イイ感じじゃんか!」
にょっと顔を上げた切原は、確かに生意気そうに笑うイラストの自分を見て一気に気分を浮上させ、身体を起こした。
生意気そう、ではあるが、不敵ともとれる、いかにも彼らしい特徴を捉えている。
「次は俺、か? すまんな竜崎、手間をかけさせて」
「うふふ、いいですよ。参考になるか分かりませんけど」
「別にジャッカルだったらさ、頭ハゲにしとけばへのへのもへじでも…ってぇぇっ!!」
「?」
丸井の余計な一言を相手の足を陰で踏む事で止めたジャッカルは、涼しい顔で桜乃に断った。
「ああすまん、持病の癪が出たようだ、すぐ治まるから放っておいてくれ」
「はぁ…」
『突っ込むつもりは毛頭無いが…いつの生まれだあいつは』
『表向きは俺達と同じ筈だ…俺達自身、分かってしまう辺りが悲しいが』
真田と柳が密談している間にも、桜乃の手の動きは滑らかで止まる様子が無い。
「頭だけじゃダメなんですよー、桑原さんはハーフですから、肌の色も出しましょう…後は、目元をキリッとさせて…」
性格は温厚なジャッカルだが、眉が細い所為もあるのか確かに目元は鋭い印象で、桜乃の観察力はしっかりとそれを捉えて絵に表していった。
「はい」
「おお、凄いな…顔だけでも俺だと分かりそうだ」
「贔屓目だよ贔屓目」
足を踏まれた丸井がぷーっとガムを膨らませて、またもささやかな悪態をついている。
「お前な…あんまり言うと竜崎をけなすことになるんだぞ」
「うっ!! そんなつもりは全くないって! あくまでもジャッカル相手だから!!」
「はっきり断言するな!!」
「あはは…じゃあ、次は丸井さんですね。髪は幸村さんとは少し違う感触でふわっとした感じ…で、目が大きくて…トレードマークを付けたら出来上がり」
「トレードマーク?…あっ!」
覗き込むと、イラストの自分が大好きなガム風船を膨らませている。
「おー、分かってんじゃん、おさげちゃん!」
「でしょ?」
人によっては顔が一部隠されてしまうことを敬遠されるものでもあるが、こういう遊び心が大好きな丸井は、嬉々としてそのイラストを受け取ってくれた。
「俺だ俺だ〜〜!」
「…そんなに喜ばれるほどのものでもないですよ」
あんまり嬉しそうにされてかえって桜乃が照れていると、仁王が笑いながら首を振った。
「いやいや、なかなかの腕前じゃよ。お前さんになら、安心して描いてもらえそうじゃ」
「仁王さん、褒めても格好良さ、割り増しにはなりませんよ」
「ほう、お前さんもなかなか分かってきたのう」
桜乃とのやりとりを楽しみつつ、仁王はじっくりと桜乃のお手並みを拝見する。
「仁王さんは、銀髪と後ろ髪がトレードマーク……後は、細くて鋭い目と…あ、唇の右下にホクロをぽちっと…」
少し髪型で手間取った様子はあったものの、これもまた上手く描かれていき、仁王は時々頷きながら楽しそうに途中経過を観察していた。
「…はい、どうでしょう」
「何だか照れ臭いのう…しかしよく描けとる。有難うな」
「どういたしまして〜、じゃあ、最後は柳生さんですね」
「宜しくお願いしますよ」
「はい…でも、柳生さんと仁王さんが時々入れ替わる事を知っていると、仁王さんを描いたばかりだから、ちょっと変な感じですねぇ…あ、だからって手抜きはしませんけど」
自分で言った事に動揺している正直な娘に、柳生と仁王だけでなく部員全員が思わず笑う。
「はは、本当に正直じゃの」
「私が本物の柳生ですよ。ですから、安心して描いて下さいね?」
「はい…柳生さんは、眼鏡があるから瞳の表情が描けない分、髪型と顔の形をはっきりさせて…あー、あまり表情を出すのはお好きじゃないみたいですから、笑い顔は止めておいた方がいいかなぁ…」
「ほう…」
「あ、あれ? 違いましたか?」
「いいえ、仰るとおりですよ…貴女は観察力が意外とお有りのようですね」
「はぁ…そうですか?」
イラストを描く桜乃を見つめていた柳生の視線が、一瞬仁王のそれと重なる。
『この娘、どうやら見た目とは違う』
二人の視線は共にそう語っていたが、それは結局本人には知られることは無かった。
「出来ましたー」
「ああ、有難うございます、よく描けていますね」
結局、これで全員分を描ききってしまった…
「…あいたたた…見られながら描くとやっぱり緊張しますね〜」
肩をぐりぐりと回しながら笑う桜乃に、メンバー全員が感謝の面持ちで頭を下げた。
「本当に有難う竜崎さん…『萌え』については全然理解出来ないけど、イラストは十分参考になるよ」
にこにこと笑う幸村に、桜乃が照れて頷いた。
「私のなんか落書きのレベルですよ? そういうイラストの本も出ていますから、そっちの方が参考になると思います」
「ふふ…あ、もうこんな時間なのか」
描いているところを見ていても殆ど退屈など感じなかったが、やはり結構な時間が流れていたようだ。
今日のミーティングはこれで終わりにしようという事で全員の意見も一致する。
「じゃあ私、先に外に出てますね」
「うん、帰りは駅までみんなで送るから。この埋め合わせは必ずするよ」
桜乃ももうすっかり慣れた感じである。
彼女が一足先に部室の外に出て行くと、幸村がぴら…と描いてもらった全員分のイラストを取り上げる。
「…さて、そういう事で、竜崎さんが参考に描いてくれたイラストなんだけど…」
『………』
他全員が幸村の発言に注目したところで、彼はくるっと背を向けてあっさりにこやかな声で言い放った。
「このまま出しちゃおっか」
「さんせーい!」
「さんせーい!」
「済んだ済んだ〜〜!!」
「いやー、良い仕事したなぁ!」
こういう場合でも、一致団結する気概は立派なものと呼べるのだろうか…
「じゃあ、蓮二、宜しく」
「うむ」
後は彼が鉛筆書きのイラストを上手く画像処理にかけて、提出するだけである。
「……」
部長に賛同の声を上げる部員の中で、唯一納得出来かねる顔をしていた真田だったが、やはりこれ以上の優れたアイデアは思いつかない。
(すまん、竜崎)
嘘をついたりした訳ではないが、確かに後で何らかの埋め合わせはしなければな…と思いつつ心の中で合掌する。
そして結局、この企みは海原祭のパンフが出来上がるまで、桜乃には一切秘密裏に運ばれたのである。
後日
『部活動部門で、イラスト大賞取ったよ』
という幸村のコメントと一緒に送られてきた海原祭のパンフに、自分のイラストが堂々と載せられているのを見て、桜乃が悲鳴を上げたのは当然のことだった…
了
$F<前へ
$F=立海ALL編トップへ
$F>サイトトップヘ