メイドさんと一緒


『駄目かな、幸村』
 或る日の夜…
 立海大附属中学男子テニス部部長の幸村精市は、家でゆっくりとくつろいでいたところに、一本の電話を受けていた。
 もうそろそろ眠ろうかと思っていた時の電話の向こうにいるのは、青学の三年生、不二周助だ。
 同じ三年で、一人は『神の子』一人は『天才』と称されたテニスの申し子達だが、この日の電話の内容は、テニスとは全く関係の無いものだった。
「うーん…難しい頼み事だね」
 話を受けた幸村は、しかし眉をひそめて首を傾げていた。
「俺達が行かなくても、そんなに支障はないと思うけど…」
『まぁ、草の根作戦ってことでね…知り合いには全員、声を掛けるようにしているんだ。何しろ年に一回のお祭りだからね、みんな気合が入っているよ』
「今度の日曜が青学の文化祭だとは知らなかった…興味はあるけどね」
 そう、文化祭…学生達が主導する年に一度の祭りである。
 幸村が不二から話を持ちかけられているのは、まさにその文化祭への勧誘だったのだ。
 今年は青学は無難に何かの屋台をするつもりらしいが…
 しかし、幸村が受話器とは別の手で取った卓上カレンダーの同日の日付には、部の活動日を示すマークがしっかりと記されていた。
 他校の文化祭とテニス部の活動…より重きをおくべきなのはおのずと決まっている。
『俺達にとっても最後の中学生生活でのイベントだから、やっぱり色んな人に来てもらいたいんだ』
「うん…気持ちは分かるよ」
 にこ…と受話器を口元に当てて微笑む幸村だったが、その語尾にはやはり申し訳ないという色が滲んでおり、向こうの不二も敏感に相手の様子を察知した。
『そうか…やっぱり難しいんだね、残念だな。来てくれたらこっそり特典をあげようかと思っていたんだけど』
「……特典?」
 聞き返しながら、何となく幸村は一抹の不安を覚えた。
 果たして、自分でやっておいて何だが、聞き返して良かったのだろうか…
 相手は普段は温和な顔をしているが、実はかなりの策士家で、自分が決めたことに対しては結構強引な手法を使ってでもやり遂げるような男だ。
 その男が、何か…こちらを巻き込もうと一計を案じている気配を感じる。
(今からでもきっぱりと断ろうか…でも、特典? 気になるな)
 結局、幸村はそこは大人しく相手の話す内容を聞き、明日、レギュラー達と相談しようという結果に脳内が落ち着いた。
『うん。俺が写真が趣味なのは知っているよね? で、今回の文化祭の中で、一般人が見られない裏での生徒達の活動を撮って、モデルの人だけにプレゼントするつもりなんだけど、その写真のどれでも好きなものを焼き増ししてあげる』
「? あまりテニスには関係ないものだね。君の活動そのものはいい事だと思うけど、俺達の練習を止めてまで貰う必要性は感じないな…」
 これは、他の部員に知らせるまでもないだろう、と幸村が心で思っていた時、ああそうだ、と不二の続きの台詞が聞こえてきた。
『そう言えば、一年生の竜崎さん。きっと君達には恥ずかしがって内緒にしていると思うんだけど、彼女のクラスでは今年、メイド喫茶をやるんだって。彼女、メイド、やるみたいだよ。それと…』


 青学の文化祭当日…
 その日は天気も良好で、朝から多くの人々が青学の文化祭に訪れていた。
 テニス部は、今年は無難にたこ焼き屋をやっている様で、校舎の前の広い道の一角では桃城たちの威勢のいい呼び声が響いていた。
「らっしゃい、らっしゃ……あれ?」
 その桃城が不意に声を切らせ、店に寄ってきた集団を見て目を見開く。
「おわ、立海の!!」
「やぁ、こんにちは」
 ひょこっと顔を覗かせたのは、普段着に身を包んだ立海のレギュラー達だった。
 およそ自分達の部活動を優先して来ないだろうと踏んでいた男達のいきなりの来訪に、屋台にいた他の青学レギュラー達も驚きを隠さなかった。
 無論、不二一人を除いては。
「お前達も来たのか、幸村」
「やぁ、邪魔するよ手塚。繁盛してる?」
 微笑んで手塚とのんびり話をしている幸村の隣では、早速丸井や切原が屋台へと身を乗り出して、たこ焼きを複数注文していた。
「ソース、一杯つけちくりっ!」
「マヨマヨもー!」
 最早、山猿にも等しい騒ぎ様に、呆れた真田がむんずと二人の背中の服を掴んでぶら下げる。
「いい加減にせんか! 見苦しいっ!!」
「だって〜」
「腹減ったっす…」
 ぶーっと不満を漏らしている、首根っこを掴まれた猫状態の彼らの脇では、仁王や柳生が普通にたこ焼きを買い求める。
「まぁ折角来たんだし」
「お手並み拝見といきましょう」
 柳やジャッカルも乾達と平和な談笑をしている間に、手塚達の処に不二が寄ってくる。
「や、いらっしゃい」
「不二、お招きに与ったよ」
「そう言えば、立海の勧誘は不二が引き受けていたのだったな。俺は断られることを覚悟していたが…」
「うんまぁ…そのつもりだったんだけどね」
「俺が粘って無理を言ったんだ。正攻法の勝利だね」

『へ―――――、あれが正攻法かよ』

「ん?」
 一瞬、物凄く冷たい視線と声無き非難が立海メンバー全員から不二に向かって放たれたが、手塚がみんなを見た時には、既にそこはのんびり和やかな空気に戻っていた。
 鮮やかな変わり身の早さだったが、他の青学メンバー達は何かを感じたのか顔色が青くなっている。
 そして一番それを感じ取った筈の不二は、相変わらずにこにこと幸村と微笑みあっていたが、二人の間には、ごごごご…と擬音が入りそうな黒い空間が渦巻いていた。
(な、何したんスか、不二先輩っ!!)
(黒い…! あそこだけブラックホールだ!!)
「???」
 ざわざわとざわめいている周囲の部員達を見ても、根が完全に堅気で純粋な手塚にだけは、何がその場で起こっているのか理解出来なかった。
「ふふ…じゃあ、あまりここで邪魔しても仕方ないから、そろそろ行くよ。頑張ってね」
「ああ…ゆっくり楽しんでいってくれ」
 そつのない挨拶を交わして、立海のメンバー達は買い求めたたこ焼きを手にその場を立ち去った。
 人ごみの中をゆっくりと歩きながら、やがて言葉を出したのは仁王だった。
「正攻法とは言うたもんじゃのう…」
「ま、乗せられた俺達が言える台詞じゃないけどな」
 『けっ』という声が聞こえてきそうな銀髪の男に、ジャッカルが苦笑いをして返す。
 真実は……

 幸村が電話を受けた翌日、彼は早速レギュラーを集めて一部始終を話した。
 桜乃のメイド服…その実物が見られる上、写真の特典付きともなれば、それはもう決は決まったようなものだった。
 しかし、真田と柳は、かなりの魅力を感じながらも、かろうじて立海のレギュラーの立場を守るべく、一度は反対したのだ。
 女子の装いに惹かれて練習を休むなど言語道断!と反対を表明した真田達だったが…
『…練習日は次の週に回す。日を変更するだけだ、総ての練習量にも内容にも支障はない』
 副部長と参謀の意見を拒絶する形で、部長の幸村は当日の練習の予定変更を決行する意志を示した。
『精市!?』
『お前らしくもないな…私情を挟むのは私事だけに留めておくべきだと思うが…?』
 テニス部の規律を何よりも固く遵守している筈の幸村が、異例の措置に踏み切ったことに対し、親友二人は明らかに訝しむ顔を向けた。
 確かに次週へ持ち越すだけなら問題はないだろう、しかし何故敢えてここまで…
『…だって』
『…ん?』
『何か…?』
 机の前に座り、両肘をそこについて指を組み合わせていた幸村が、ふい、と顔を俯けた。
 そして、ふるふると肩を震わせて…
『不二が、もし来なかったら竜崎さんの着替え写真を裏でバラ撒くって言うんだもん…』

(スジ金入りのド外道だ―――――――――っ!!!!!!)

 ぐらっと真田が失神しかけ、柳も突然襲った眩暈に前によろめいたが、何とかその場は意地で堪えた。
 珍しく仁王も含めた他の部員達が石と化した中、幸村は肩を震わせ続け、更に顔を下へと向ける。
『取り敢えず、文化祭の訪問と品物の購入の確約で、写真の流布と着替え現場の盗撮は阻止したんだ。この件については、俺は部長命令を発動するのも辞さない覚悟だ。みんなには練習の機会を次週に回してもらって申し訳ないんだけど……ぜっっったいに竜崎さん本人にはこの件は内緒で!!! こんな事実が知られたら、彼女があまりに不憫で…っ! 今度こそグレちゃうかもしれないしっ!!』
『幸村―――――――っ!!!』
『分かる!! 分かるぞ、お前の泣きたい気持ちっ!!』
『大丈夫ッス! 俺達、一生ついていきますからーっ!!』
 最早、真田と柳も、反論の仕様もなかった。
『では…全員一致で次の練習は中止、翌週に持ち越しということで』
 そして、今日という日に至ったのだ。
 正直、可愛い妹分の健全な人生を守る為なら、練習の繰り越しなど安いものだ。
 しかし、そもそも彼女の人生を危機に晒そうとしてくれた不二には怒りの念しか沸かない。
 温厚な幸村がブラックホールを生み出しても、自分達は完全に納得できるし、止めるつもりもなかった。
「まぁ…よくよく検討したら、不二が言った作戦が脅しである確立は九十七パーセント以上なのだが」
「百パーセントじゃない以上、無視する訳にもいかんだろう」
 柳の言葉にも、真田は憮然とした表情だった。


「ねぇ、変じゃないかな」
「うわ、全然変じゃないよ。桜乃、かわい〜!」
 一方、立海の男達の愛情を一身に受けている少女は、そんな大事件が自分の周りで起こっているとは全く知らず、自分のクラスで着替えた格好を友人に見せていた。
 メイドと決まった時にはどんな服かと冷や冷やしたものだが、流石に中学生できわどい格好もないだろうという事で、ほぼ足元まですっぽり覆うタイプのヴィクトリア調メイド服で収まった。
 黒のスカートに白いエプロンで、頭にも白いフリルのバンド…
 そして何より桜乃にしては非常に珍しい、ストレートヘアの出で立ちである。
「へぇ〜〜、桜乃の髪って、三つ編みにしているのに全然クセがないんだね。綺麗なストレートだよ」
「きつきつに編んでないからかな…おかしくない?」
「全然!! なんか、いつもより可愛さアップだよ! 普段からそうしていたらいいのに〜〜〜」
 ぶーっと不満を漏らす友人達に、桜乃はえーっと照れ臭そうに笑った。
「でも、やっぱりこれだけ長いと邪魔っけなの。テニスの時にもそうでしょ? 今日は特別、レア仕様でーす」
「あははは、じゃあそのレア仕様で、格好いい男の子ゲットしちゃいなよ! 客寄せしてもイイ線いけるんじゃないかなぁ」
「まさか〜」
 そうこうしている間にいよいよ開店時間となり、桜乃は前もって覚えていたメニューを反芻しながら、自分の持ち場についた。
 天気の助けもあり、開店してすぐに結構な人が入って来てくれた。
 桜乃はあまり自覚はなかったが、確かにそのクラスのメイド喫茶で一番可愛い女性は、彼女だっただろう。
 元々の線が細く、身長もまだ短く、歩く姿からして愛らしい。
 更に加えて黒く艶やかな髪と、同じく黒曜石の様なつぶらな瞳、はにかむような笑顔は、男子の心を捕らえる上ではかなりの武器になっていた。
「お帰りなさいませ、御主人様」
「おやおや、可愛らしいメイドさんだね」
 もしこれが都内某所のメイド喫茶だったら、最初から桜乃は恐ろしい経験をさせられたかもしれないが、幸いにも学園祭と言う場所柄、利用するのも学生や友人、その家族が殆どである為、比較的平和な環境だった。
「はい、コーヒー二つとクレープ一つですね」
 いそいそとメニューを確認し、注文をとっては裏方へと伝えに行く。
「へー、何だか様になってる。本物のメイドさんみたい」
「そうかなぁ」
 流麗かつ機敏な動きと、細やかで繊細な手先の仕草は、偏にテニスで培われた賜物かもしれない。
 時間が経過するに従って更に客足は伸びてゆき、桜乃以外のメイド達もほぼ出ずっぱりで、クラスは満席だった。



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