「忙しいねぇ」
「うん…お友達連れた団体さんも多くなってきたからね」
「ふぅん」
そういう話を聞きながらも、桜乃はメニューの確認に余念がなく、クラスの外に立海軍団が来ている事実にまだ気付いていなかった。
もしここで気付いていたら、裏方に隠れるという裏技もまだ出来る余地があったのだが…
「うわぁ。結構混んでる」
「盛況みたいだね…何だか俺達も嬉しいな」
「完全に保護者な気分だよなー」
そういう会話をしながら、いよいよ彼らは他のメイドによって一番大きなテーブルに通された。
美形が揃った男性陣に、クラスの女子達が一斉に色めき立つ。
「ちょっと! カッコイイ人達!」
「やだ〜! 私行きたい〜〜」
「ね、桜乃。ちょっとだけテーブル担当位置、変わってくれない?」
「うん? 別にいいけど…じゃあ私、あっちに行くね」
相変わらず知人達が来ている事実に気付かず、桜乃はいよいよ他のテーブルへとメニューを持っていく。
そしてその向こうでは、早速丸井達が桜乃の姿を目を光らせて探していた。
「う〜〜、何処だ何処だ〜、おさげちゃ〜〜ん」
「裏にいるんすかね…」
「お前ら…見た目完全に不審人物だぞ」
真田は入店した時から、部屋の中の甘い雰囲気に呑まれて酷く居心地が悪そうだ。
「いつもと違う服装だと、全然別人に見える時もあるからね…」
「あ」
幸村がそう言い終わるか否かという時、丸井が口をあんぐりと開ける。
見つけた。
彼の視線の先で、おさげを解いた桜乃が艶々とした黒髪をなびかせてしずしず歩き、滑らかな動きで老夫婦の客人達にメニューを差し出していた。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
小首を傾げて微笑む少女は、まるで普段とは別人…
いや、普段から可愛いとは思っていたが、ここまで雰囲気が一変してしまうとは。
まさに脳ある鷹は爪を隠す…おさげというアイテムが彼女を日頃地味に見せていたのか。
「う…っ」
「ほう…」
真田が息を呑み、仁王が面白そうに笑う。
そして真っ先に彼女を見つけた丸井と切原は、ぽかんと開けた口で大きく息を吸い込み…
『うっわ―――――――!! 何だあのカッコ―――――――!!!!』
『おさげちゃん、かっわい――――――――――――――っ!!!!!』
と遠慮もなしに叫んだ。
「ひゃんっ!!」
いきなりの背後からの賛美に、桜乃が飛び上がって振り返ると…
「え…」
二人を押さえつけて叱る真田と、苦笑しながら手を振る幸村、そしてまじまじとこちらに視線を送る立海軍団がいた。
(イヤアアアアアア――――――ッ!!! どうして皆さんがぁぁぁぁっ!!!!)
途端に桜乃はパニック状態に陥ってしまった。
「もしもしメイドさん? 注文を」
「あ、は、はいっ、申し訳有りません! ご注文をどうぞ?」
パニックに陥っても、助けてくれたのはテニスで鍛えられた精神力。
何とか応対していた客の注文をとり終わると、桜乃は即座に裏方へと入って行った。
「桜乃、知り合い!?」
「何か、すっごい気合の入った雄叫びが…」
「聞かないで…お願いだから…」
皆さんにこういう格好を見られるのがとても恥ずかしかったから内緒にしてたのに…
今日は立海のテニスの練習日と重なっていたから、安心していたのに…!!
なのにどうして、よりにもよって全員揃ってここに来てるの〜〜〜〜〜!?
(ま、待って…待って待って…そうよ、別に無理やり出ることもないし…)
内緒にしていた筈の情報が、まさか不二先輩から流されていたとは知る由もなく、桜乃はうろたえながらも裏方から暫く出ないことを心に誓った。
彼らがいなくなるまで、何とか裏方で働かせてもらおう…と思ったのだが…
「だめ〜〜、桜乃、注文お願いー、あそこのテーブルー」
「え、えっ!? な、何でっ!?」
物の五分としない内に問題の立海テーブルを他の女子から指差され、後ずさった桜乃に、相手は肩を竦めて首を振った。
「それが私が行っても、注文入れてくれないのよ〜〜。『あの子は』『あの子は』って桜乃のことばかり呼ぶ人もいるし…このままじゃずっと堂々巡りになっちゃうわ」
(きっと丸井さんだ〜〜〜〜!!)
うわああん!と泣きそうになった少女だったが、泣いて状況が変わる訳でもなかった。
「桜乃〜、おかしくないってば。可愛いんだから自信持ちなよ〜」
「知っている人が相手だと、緊張しちゃうの…」
くすん…と鼻を鳴らしながらも、ようやく覚悟を決めて、桜乃はメニューを片手に彼らのテーブルへ向かう。
「あ、あの…お帰りなさいませ、ご主人様がた…メニューをどうぞ」
普通に渡すより、照れによる頬の赤みが加わり、可愛さ度大幅アップ。
まるで犬の様に丸井が伸び上がって彼女に顔を寄せ、見えない尻尾をぱたぱたと振った。
「うわあ〜〜! おさげちゃんがおさげちゃんじゃない〜〜!」
「驚いたな…髪を解くだけでここまで印象が変わるとは、人間の目とはつくづく不思議なものだ」
柳の批評を受けて更に頬を染めながらも、桜乃は幸村にメニューを手渡した。
「どうぞ」
「有難う、可愛いメイドさん」
くすくすと笑いながらメニューを受け取ると、幸村がこそっと小声で話しかけてくる。
「こんなイベントがあるなんて知らなかったな…教えてくれたら良かったのに」
「恥ずかしかったんですよ〜〜〜、見られるなんて思ってなかったです〜〜。幸村さん達こそ、どうして分かったんですか? 誰かから聞いたとか?」
「ああ、それはね……………」
言い掛けた幸村は、そこで一度言葉を切り、そして暫しの沈黙の後…
これ以上はなかろうというほどに哀愁を漂わせた背中で答えた。
「…ちょっと最近、久し振りに泣いちゃったコトがあってね…」
「はい!?」
幸村さんが泣いた!?
肩を落とし、俯いた部長に代わって、仁王達が慌てて話に割り込んできた。
「いや、気落ちしたコイツに青学の文化祭の事を教えてくれたヤツがおってのう!」
「ここは一つ、私どもも気分転換にお付き合いしようかと!」
「はぁ…流石に凄い気合の入れようですね」
まさか本当の事を言える訳もなく、真田が咳払いをしてその場を取り成した。
「すまんが、機密事項に関わるから詳細については言えんのだ。まぁ、詫びと言っては何だが、今日は色々と注文させてもらおうか」
「わ、有難うございます…ご主人様」
「っ…う、うむ」
にこっと笑って真田の言葉を封じた桜乃は、傷心の部長を覗き込んで気遣うような笑みを見せた。
「ご主人様、お元気出して下さいね」
「うん…有難う」
何処までも健気で優しい桜乃に、複雑な心境の中で幸村は笑った。
その機密は桜乃の守護であり、たこ焼き代とここでの喫茶代がその代価だなど、誰が言えるだろうか?
(自分の為にこうなってるだなんて、微塵も思ってないだろうな〜〜〜)
(言っちゃなんだけど…安っちいよなぁ、彼女の秘密…たこ焼きと喫茶代ってよぃ…)
(何と不憫な…)
ジャッカル達の隣では、柳生が何も知らない桜乃を哀れに思い、眼鏡の奥で涙を拭いていた。
(やっぱりこの子、立海に引き抜いてこようかの〜〜〜、あの腹黒野郎にオモチャにされるのはどうにも我慢ならんぜよ…)
何の悪巧みをしているのか、仁王の目つきがいつもより恐い。
(マジでいつもより可愛いし…幸村部長が仕方なく乗る形にはなったけど、実際は来て良かったよなぁ〜〜。いやぁ、いいもん見た! うん!)
仁王の隣では、切原がぶつぶつと何ごとかを呟いている。
「…何だか皆さん、いつもと違いますね」
怯えた笑みを浮かべてしまう少女に、柳がぱたぱたと手を振った。
「心配ない、慣れている人間は噛まないから」
「はぁ…」
それもちょっと違うんだけど…
「では、そろそろ注文を頼みたい」
「あ、はいどうぞ」
ぴっと注文票を手に持って桜乃が構えると、幸村が他の部員の注目を集めるように手を上げた。
「さて…今日は特に制限はしないからね、好きなだけ食べていいよ」
彼の一言が、他の部員達の何かの引き金を引いた事は確実だった。
「はいはいは――――い!!」
「えーっと、まずメニューの全部の品物、人数分持って来て!!」
「はっ…はい」
早速飛んできた注文に、桜乃はすぐに裏方に戻り、出来上がったものから順番に持って行った。
さて…それからが凄かった。
「ふむ…おそらくこの量だと…すまん、あと十、同じものを持ってきてくれ」
「じゅ…」
「コーラ、おかわり」
「あ、俺も」
「俺はコーヒーを貰おうかの」
「は、はいはいはい…」
最早、戦場にも等しい修羅場へとクラスの一画が早変わり。
無論、表だけでなく、裏方も火事場の様な様相を呈し、桜乃はその間を何度も往復させられる羽目になってしまった。
(たっ…食べる人達だとは知っているつもりだったけど……何なのこの忙しさ〜〜!)
あっちへ行ってはこっちへ戻り…とぱたぱたと往復する桜乃と、ひたすらに食べ続ける立海軍団は、当然他の客人達の目をも引いた。
「見て見て…凄い食べっぷり」
「何かの大食い選手権の番組?」
「でも、凄くやせてる人達ばかりだけど…」
「うわ、可愛いメイドさんだなぁ」
「…ちぇ、忙しそうだし、とても声なんかかけられないよ」
それを狙っていたのかは定かではないが、立海の面々は涼しい顔で次々と食料を口の中に放り込んでいる。
黙々と……ひたすらに……
その状態がどれだけ続いた事だろうか…
「……」
傍に来た桜乃に、丸井が顔を上げて声を掛ける。
「わり、プリンパフェおかわり…」
「…すみませんっ!!」
「へ?」
いきなり謝罪の言葉を伝え、桜乃は深々とお辞儀をした。
「本日の営業は、全て終了致しました〜!!」
「ん?」
もきゅ…と最後のクレープの一切れを口の中に運んだ幸村が見たものは、店に張り出されていたメニューの全てに『品切れ』という紙が貼り付けられている光景だった。
「ありゃりゃ…」
「何だ、終わりか…」
ジャッカル達がへーっとそれを見ている部屋の外では、入室を断っている生徒の姿があった。
どんだけ〜っという視線を受けながらも平然としている彼らの前で、桜乃の同級生達が嬉しそうに駆け寄ってくる。
「やったね桜乃〜〜! 昨日の残った材料も含めて完売だよ完売!! しかもこんなに早い時間で!!」
「間違いなく黒字! お手柄〜〜!!」
「う、ううん、でも私は何もしてないから…」
「何言ってるの、桜乃のお客様のお陰だよ!」
ありがとーっと礼を言う他の女子達に、肘をついていた幸村がにこりと笑う。
「…じゃあ、君達はこれから自由なの?」
「あ、はい、今からなら、色んなところに見学に行けます〜」
「ふぅん…じゃあ、俺達も行かないといけないな…会計と…そうだ、竜崎さん」
「はい?」
立ち上がり、幸村はその手を桜乃の首に回すと、そのままぐいっと自分達の方へと引き寄せた。
「君は俺達と一緒においで」
「っ!!!」
キャ―――――――ッ!!!
上がる黄色い悲鳴の中、桜乃が真っ赤になっておどおどと立海のメンバー達を見上げた。
「あ、あの、あのう…」
「折角じゃ、色々と案内してくれんか」
「そのまま、メイドバージョンでシクヨロッ!」
「殆ど俺達の専属メイドだったもんな〜、今日一日、尽くしてくれってな」
「えええええ〜〜〜!」
桜乃がおろおろとしている間に、幸村はちーんっ!とレジの前で会計を済ませていた。
「手持ちで足りるのか? 精市」
「…部費で払うよ、まだ今年の分はゆとりがあるしね」
部長の特権を利用しまくる幸村だが、真田と柳の両人とも、文句を言う気配はない。
「…いっそ不二につけとく手もあったがな」
忌々しげに呟く真田に、幸村が眉をひそめて頷いた。
「それは俺も考えたけど…それでまた彼女に危害が及ぶかもと思うと……」
「…本気で仁王に頼むか? 竜崎の立海転校」
立海の三強が物騒な話を交わしている間、何も知らない、おそらく今回の一番の被害者である桜乃は、照れまくりながらも他の部員達に可愛がられていた。
それからその日は、青学の中で美形軍団を引き連れ、場所やイベントの説明をする可愛いメイドの姿が見られたという。
その後、数多の男性にかしずく『伝説のメイド』という新たな呼び名が桜乃に与えられた。
果たして彼女が青学を去るまで、幾つの呼び名が与えられるのかは、神のみぞ知るところである……
了
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