甘い香りの乙女(後編)
運命の金曜日…
『うーむ…』
放課後の部室にて、かつてのレギュラー達が各々の準備していた紙袋に詰められたチョコの山を見つめていた。
「お前、貰ったか?」
「いや、まだッス…昼休みにも来なかったし」
「…何かヤバくね?」
ジャッカルや切原、丸井の不安を滲ませた声に、周囲の若者達も無言で渋い顔をしている。
今年も全員、沢山の女子から沢山のチョコレートを貰った。
個人差は多少はあれど、他の一般男子生徒と比較するとずば抜けた数と言ってもいいだろう。
これだけ貰ってその上不満を述べるなど、間違いなくバチが当たる行為だが、それでも、彼らの持つ紙袋の中には肝心のチョコレートが入っていなかった。
もし目的の物を得る為に、今持っている全てのチョコレートとの交換が必要であったなら、彼らは全員例外なく手持ちのチョコを差し出したことだろう。
「朝練の時にくれるかって期待してたんだけどなぁ…おさげちゃん」
「いや、まだこれからの部活動もあるし…どんなに遅くても今度の日曜は練習試合もあるじゃないッスか。これからッスよ…多分」
丸井と切原の会話に、さりげなく紳士が割り込んで釘を刺した。
「お二人とも、自分からねだるような事は控えて下さいね。マナーにもとる行為ですよ」
「じゃな…まぁチョコの好みを聞いてきたぐらいなんじゃ…何か意味があっての事じゃろ」
「そうだな…俺も仁王の読みは正しいと思う。竜崎はいたずらに人の気持ちを煽る様な事はしたことがないし、これからもする事はないだろう」
柳生に続いて仁王と柳も然程心配する様子は見せなかった。
こちらは切原を除けば今年卒業予定の三年生…その切原にしても桜乃とは一年先輩に当たる二年生だ。
同級生相手の様に、気軽に教室に来て衆目の中チョコレートを手渡すという訳にもいかないだろう。
そうなると、自ずから渡すタイミングは限られている…その一番のチャンスとも言えるのがこの部活動中なのだ。
因みに、まだ肝心のマネージャーは部室には来ていない状態で、そこには幸村達だけが集まっていた。
「…今のところ、彼女が本命らしき誰かにチョコを渡した気配はないみたいだから、安心はしているけど…油断は出来ないよね」
「………ちょっと待て、学年もクラスも違う彼女がそんな事をしていないと何故分かる」
「優秀な監視員がいるじゃないか」
突っ込みに返した幸村の台詞を受けて、は、と真田が振り返ったのは、いつの間にかこちらに背を向けている詐欺師だった。
「お前…まさか…」
「ちょっと最近購入した双眼鏡の性能を試したくて」
「王者立海から逮捕者を出す気か貴様〜〜〜〜っ!!」
「大丈夫、バレやせん」
喧々囂々と二人が遣り合っている脇で、丸井とジャッカルが青い顔をしている。
(いや、全然大丈夫じゃないだろ…人として)
(いつかこいつとの交友関係が理由で警察署に呼ばれる気がする、俺…)
友情は人生の宝だということは分かっているが、どうしても一抹の不安が…と悩んでいたところで、話を逸らそうとしたのか切原が意味深な台詞を口にする。
「それより、竜崎相手なら味も保証付きでしょうけど、今年も何とか無事に終わって欲しいもんッスよね…チョコ食べて、そのまま病院送りになったりしたらマジで欝ッスよ俺」
「う…やめろ、思い出したくない」
何か過去にあったのか、ジャッカルが本気で苦虫を噛み潰した顔をしている…ここまでこの陽気なブラジル人ハーフが嫌悪を示すのは珍しいのだが、誰もそんな彼の態度を咎めようとはしなかった。
「口にせんほうがええよ赤也…言霊っちゅうもんは厄介じゃからのう」
口にしたら、それは真となって己に返って来る、と詐欺師もそれ以上の相手の発言を止めたところで、部室のドアが開かれ、マネージャーが入って来た。
過去に何かがあったのは確かだったが、それも桜乃の登場で彼らの会話は一時中断されることになった。
「こんにちは…」
「あ、竜崎さん…ん?」
入って来た少女へ視線を向けた幸村が、軽く首を傾げてすぐに相手に声を掛けた。
「どうしたの? 君、顔が真っ青だよ!」
「え…? あ、ちょっと…」
何でもない…というジェスチャーのつもりだったのか、桜乃が微笑みながら軽く手を振った…その身体がくらっと傾ぐ。
「っ!?」
「おさげちゃん!?」
「竜崎!?」
他の男達が見ている前で傾いだ身体を立て直す事も出来ず、桜乃はぱったりと倒れてしまった。
丁度見ていた幸村のお蔭で、彼の腕に支えられ、床への直撃は支えられたが、細い身体からは明らかに力が抜けてしまっている。
突然の異常事態に、バレンタインなどという行事も頭から一気に吹き飛び、男達は大慌て。
「ブン太、そこの荷物どかして。とにかく休ませよう」
「わ、わかったい!」
「熱はないか? 精市」
「ない…寧ろ冷たいくらいだ、顔色も悪いし…どうしたんだろう」
柳に応えながら桜乃を傍のベンチに寝かせ、自分が羽織っていたジャージを優しくかけてやった後、幸村が愁眉も深く姿勢を正した。
「少し、痩せてないか彼女…今まで気付けなかった俺も未熟だったが」
真田がひそりと言った言葉に、柳生が眉を顰めて頷いた。
「そう、ですね…今までいつもと変わりなく積極的に活動されていましたから…元々痩せていらっしゃる方でしたが…迂闊でした」
「どうしたらいいッスか? 先生方呼んで、家に帰した方が…」
切原が先輩達に指示を仰いだ時、一時的に気を失っていた桜乃がぱちりと目を覚ました。
「…?」
最初に飛び込んできたのが天井の光景だったので、多少困惑した様子で瞬きを繰り返したが、その後周囲を見回し今の状態を把握したらしく、慌てて身体を起こそうとする。
「すみませんっ!! あの、私…っ」
「まだ起きたらダメだ、じっとして…ほら」
とん…と軽く相手の肩を押さえ、優しく言い聞かせながら幸村が桜乃の姿勢を戻す。
優しいが、そこに絶対の意志を感じた桜乃が大人しく従うと、柳が淡々と相手の不調の原因について質問した。
「竜崎? 意識ははっきりしている様だな…気分の不快はないか」
「だ、大丈夫です…すみません、ちょっとだけ眩暈がしてしまって…」
「見たところ、疲労が溜まっているようにも見受けられる。食事と睡眠について前日にも尋ねたことがあったが…自己管理が出来ないとは、お前らしくもないな」
「すみません……食べないといけないのは分かってたんですけど…どうしても食欲が沸かなくて…」
小食だった筈の少女が更に食事を食べられないとは…と、男達が顔を見合わせ言葉を失くすと共に、嫌な…非常〜に嫌な可能性が彼らの脳裏に浮かんだ。
バレンタイン前にあれだけチョコの香りを纏い、物憂げに気持ちを込める事の難しさを語り、食欲まで失うとは…それは…
(まさか、マジで恋患い〜〜〜〜〜っ!?!?!?)
そんな…俺達だってまだ彼女からチョコも貰っていないのに…!!と衝撃を受ける彼らの中で、かろうじて幸村が口を開いた。
「竜崎さん…一体どうしてそんなに思い悩んでいるんだい?…もしかして、好きな人が出来た…とか?」
「え…」
幸村の端的な質問に、桜乃が聞き返すと同時に微かに顔を朱に染めた。
血色がなかった分、その色調変化が如実に現れ、若者達に現実を突きつける。
「うわ――――――――っ!! マジで〜〜〜〜〜っ!!??」
「うううう嘘だろオイッ!!」
「何処の誰っ!? てか、ウチの生徒かそりゃ!!」
「きゃあああ!!」
切原達の動揺振りに怯えてしまった桜乃から彼らを引き離すように、柳生達がその襟首を掴んでそのまま引っ張る。
「お静かにっ!!」
「怯えさせてどうするんじゃ! また気絶するぜよ」
いつもなら真田が率先して行う作業だが、今は彼も多少なりとショックを受けていたのか、殆ど動く事が出来ない様子だった。
そんないつになく動揺が激しい若者達に、桜乃があわあわと手を振って発言した。
何かよく分からないけど、激しく誤解されている気がする…!!
「あ、あのっ! 何か誤解されてるみたいですけど…私がチョコを作っていたのは別の話で…!!」
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