「…え?」
 どういう事…?
 聞き返す切原の声と同じく、他の部員達の騒ぎも多少沈静化する。
「…ええと、ずっと内緒にしていたんですけど……私、昨日まで手作りチョコについて他の子達に教えてたんです…」
「教えていた…?」
 柳の反芻に、こくりと頷く。
「…家でだったり調理実習室だったり、結構人数が多かったから、小分けにしてグループで教えていたりして…」
「ちょ…チョット待て、チョコ作るのって、そんなに倒れる程にハードなのか!?」
 幾ら繰り返し教えていると言っても、まさか自分達の様にリストバンド付けて鍋振ってる訳じゃないだろうに!と、尤もな疑問をジャッカルが述べた。
 確かにその程度なら体力の浪費などはあまり考えられない…あまりに疲れが過ぎると食欲は減退するのは事実だが、それとは関係なさそうだ。
 ではやはり精神的な悩みがあって食欲が失われていたのではないか?
「…分からないな…お前の食欲を失わせたものは一体何なのだ?」
「……チョコ」
「は?」
 柳の質問にぽそりと答えた桜乃に、丸井が眉を顰める。
「チョコ…が何で?」
「だって…あの匂い…」
 そして遂に、桜乃がこれまで語れずにいた、胸の内に留めていた真実を一気に吐き出した。
「もう毎日毎日毎日毎日チョコの甘い匂いに囲まれてたら、それだけで食欲がなくなっちゃって…教えていた人達の中にも明らかに味覚か何かがおかしい人がいて、皆さんにいつ早まってニンニク入りやらヘンな薬入りのチョコを渡すかと思うと気が気じゃなくて、不安で心配で夜も眠れなくて…! 皆さんの命と健康はマネージャーの私が絶対に守らなきゃって思ってたからもう必死だったんです」

(ナニ食わされる筈だったんだ俺等〜〜〜っ!!??)

 若者達が驚き、その数秒後にあれ…?と丸井が首を傾げる。
「…でもさ、チョコの甘い匂いくらいで、何で食欲なくなるんだよい?」
 自分に照らし合わせたら到底納得出来ない事実に、む〜っと首を何度も傾げる相手に、幸村が後ろからびしっと指摘する。
「…考えるのやめなよ…彼女が正しいんだよ」
「むー…」
 まだ納得出来ない、とは思ったものの、彼らの注目すべき問題は別のところへと移ってゆく。
 まさか自分達の間近にそんな危険があったとは…!!と驚いていた男達が、桜乃の真実を知って後、思い出した様に互いに顔を見合わせた。
「そーいやさっきも言ってたッスけど…たまーにあったッスね、ナニ入れてるか分からない様な呪術的なチョコが…うん、ホントたまに…」
 切原の顔がやや青くなっているのは、その過去の曰くアリのチョコを思い出しているからだろう。
「よく見ても普通のチョコに見えて、実はとんでもないモノが混入されてたりな…滅多にないことだから、気をつけてたら回避出来ないこともないが…」
「手紙の中に種明かしが書かれている場合はまだいいのですがね…確か幸村君、イモリの黒焼きの粉入りチョコを渡されたことがあった様な…」
「もし食べていたら、俺、どうなってたかなぁ…」
 過去の忌わしい記憶を久し振りにほじくり返された幸村が、遠い目をしてふふふ、と乾いた笑い。
 恋心とはたまに恐ろしい事を現実に仕出かすことがある。
 相手に振り向いてほしいばかりに相手にどう思われるのかという事に思い至らず、恋の炎に浮かされ煽られ、とんでもない行動を起こす事もあるのだ。
 そう、恋する男に逢いたいばかりに都を火の海に変えた、一人の女性の様に。
 怪しいチョコ程度なら被害は最小限で済むだろうが、怪しいものである以上、贈られた当人達にとってはそれでも受け取りたくないに決まっている。
 今年はどうやら…その手のモノが送られる『当たり年』だったらしい。
「…今年は、私が皆さんの好みを一番把握しているだろうってコトで、手作りチョコを作った人達の殆どは私のアドバイスを受けていますから、変なモノは入っていない筈です! 検閲もしてますから!」
「じゃあ…別にお前が恋患いになっていたって訳じゃあないんだな?」
 ジャッカルの確認に、少女はあっさりとそれを否定した。
「そんなの患う暇なんかないですよ、私、皆さんのマネージャーですもん。恋より、今はマネージャーの仕事で皆さんの役に立てる事の方が嬉しいし」

『……………』

 何だろう、嬉しい…ことの筈…なんだが、何処かで何かが間違っているというか、気の毒と言うか……
「…何か、上手く言えないんだけどゴメンね…」
「え?」
 ひし…!と幸村に頭を軽く抱かれ、ぐりぐりと撫で回された桜乃はまだよく事態が飲み込めていないらしい。
(私達の所為で…)
(間違いなくこいつの行ける筈の道が一つ閉ざされてる気がするぜよ…)
 常日頃は彼女の異性との交友関係には過剰な程に反応を示す男達なのだが、こういう風にその現実を見せ付けられ、しかもそれに少女本人が気付いていないと、『ちょっとくらいはそういう恋愛事を経験しても…』と不憫に思えてきてしまうのだった。
 但し…そう思ってもすぐにそこには『相手は自分限定で』という条件がもれなくついてきてしまうのだが。
 そういう風に思われていると知らず、桜乃は幸村に抱かれたままはた、と何かに思い至った様子で顔を上げた。
「それで、その…」
「え…?」
「すみません…ぎりぎりまでチョコ作りに付き合ってましたから、今日、私から皆さんへのチョコは間に合わなかったんです…でも! 日曜日には必ず持ってきますから…!!」
「ああ…そんなの気にしないでいいよ、もう」
「え?」
 幸村の言葉と共に、他のメンバーも全員彼の言わんとしている事は察しているとばかりに笑っていた。
「…君が誰かに教えて、その結果のチョコがここに沢山入っているんだろう? なら、これは君が俺達にくれたチョコだって事と同じさ。嬉しいよ、普通は一個しか貰えないけど、君が関わってくれたチョコがこんなに沢山あると思うとね」
「そうだな…作ってくれたその女子の気持ちも無論、有り難いものだが、お前の陰の努力を無視するということもなかろう」
 真田も幸村の言葉に賛同し、頷く。
「ありがとなー、今年はチョコのトレードはなしで、ちゃんと責任持って食うからよい」
 うんうんと首を縦に振りながら、丸井も嬉しそうに桜乃に宣誓した。
「あ、有難うございます…」
「礼を言うのは俺らの方じゃよ、モノが食えん程に気持ち悪くなるまでチョコを作るのに頑張ってくれたんじゃろ?」
「何か…済まなかったなぁ、そんなにしてくれてたのに気付きもしないで」
「いえそんな…」
 自分が勝手にやったことです、と仁王とジャッカルに桜乃が断ったところで、柳生が柳に向かって提案をした。
「少しは顔色は良くなった様ですが…食べていないのでしたら力もあまり入らないでしょう。今日は久し振りに柳君が彼女のサポートをしては?」
「ああそうだな、無論それは行うつもりだが、彼女の体力を速やかに回復させる事も必要だ…竜崎、一切何も口にしていなかった訳ではないのだろう?」
「あ、はい…最低限の食事は摂れていましたから」
「ふむ…それなら胃腸の消化活動もさして低下してはいない筈だ。精市」
「うん?」
「今日の練習の後は、俺達と竜崎と一緒に食事をしよう。竜崎の部屋はまだチョコの香りが抜け切っていない可能性もあるから、外で食べた方がいいだろう。それに、俺達も同席することで食事量の確認も出来るし、ひいては安心に繋がる」
「ああ…それは確かに名案だね。竜崎さんを家にそのまま帰しても、ちゃんと食べてくれてるか心配だから」
 元参謀の意見に元部長が賛同したところで、はいっと現部長の切原が勢い良く挙手した。
「はーい!! 肉がいいと思います! 焼肉、焼肉−っ!!」
「えええ!?」
「スタミナつけるには肉が一番でしょ、やっぱ!! 俺、丁度、近くの焼肉屋のクーポン持ってますから、ほぼ半額で美味い肉食い放題!! あそこに行きゃあ、竜崎に染み付いたチョコの匂いもぶっ飛びますって!!」
「いいな…野菜もきちんと取れば、まぁまぁ栄養バランスも取れるだろうしな」
「フム…運動後のタンパク質の摂取と考えても合理的ではあるな」
 桜乃はいきなりの展開に驚いていたが、ジャッカルや真田の賛同も受けて、幸村もそれには異を唱えず軽く頷いた。
「…いいね…そうしようか。竜崎さん、どう? 無理に食べる必要はないけど、少しは体力も戻さないと後のマネージャーの活動が辛いよ」
「あ…そう、ですね…」
 立海のマネージャーの立場を出されたら、遠慮する訳にもいかなくなる…確かに今日の様にへろへろのままだと、テニス部員達にも迷惑をかけてしまうだろう。
 そうならない様に、早めに回復するのに越した事はない。
「…じゃあ、ご一緒させてもらいます」
「うん、チョコ作り頑張ってくれたお礼に、今日の夕食代は俺達で持つから」
「え、そんな…」
「いいからいいから」
 誰も幸村の言葉に反対しない中、それまで傍観していた詐欺師の仁王が、にやっと笑みを浮かべて相棒の柳生へと囁いた。
『焼肉とはまた、意味深な選択じゃと思わんか?』
『ええ…切原君は何も考えずに発言したんでしょうけど、幸村君は明らかに気付いているでしょうね…そしてその上で決定した筈ですよ』
 世間では、よく言われる…『焼肉に行く男女はクサイ仲』。
 まぁ今回はカップルではなく集団という条件ではあるが、それに因みたいという気持ちも少なからずあるのだろうな…自分達と同じ様に。
「はは、まぁバレンタインにしては多少ムードはそぐわんが、俺らにはぴったりかもしれんの」
「そうですね」
 いつか、自分達の中から、彼女と二人でそういう場所に行く奴が出るのだろうか…
 複雑な気分だが、今はまだ考えなくてもいいかもな…と思いつつ、彼らもまたその案に賛成した。

 恋愛感情についてはまだまだでも、その日、桜乃とメンバー達の絆が深まったのは間違いないだろう…





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