お兄ちゃん'Sは心配性(氷帝編)前編
「お花見―――――――――っ!!」
「ひゃん!」
三月…関東での桜の開花宣言がテレビで賑やかに伝えられるようになった或る日、立海大附属中学 男子テニス部部室にて、非常に元気の良い叫び声が響いた。
丁度居合わせていたマネージャーである竜崎桜乃が思わず飛び上がってしまった程だ。
その声は、並んだロッカーの前で円になって話し込んでいたレギュラーの中から飛び出したものであった。
「ど、どうしたんですか、いきなり…」
「おう、悪いな竜崎」
振り返って尋ねた彼女に謝ったのは、ダブルスプレーヤーのジャッカル桑原。
ハーフの肉体能力を駆使し、試合では相手に殺意を抱かせる程の鉄壁の守護を誇る若者である…が、普段は専ら温厚で…ついでに言うと、不幸の女神にこの上なく愛されてしまっている。
彼が謝ったのは自分が叫んだからではなく、自分の相棒が彼女を驚かした張本人だったからだ。
「いきなり大声を上げるものではありませんよ、丸井君」
そう言って犯人を嗜めたのは、別のダブルスプレーヤーである柳生比呂士であり、彼に進言された赤毛の男、丸井ブン太はにっと笑いながらガム風船を膨らませた。
「わりーわりー、おさげちゃん! 今さぁ、お花見行くって決めてたんだ、みんなで行くの」
「え?」
「予定、じゃろうが。まだ決定でもないのに、浮かれ過ぎじゃよ」
そう言ったのは、銀髪の若者、仁王雅治…『コート上の詐欺師』とも呼ばれる要注意人物である。
「何だよー、ノリ悪いな。なぁおさげちゃん、おさげちゃんは行きたいだろ? お花見―」
ネガティブな意見にぶーっと不満そうな顔をした丸井は、桜乃を取り込んで反撃を試みようとする。
「お花見ですか…いいですね。皆さんと一緒に行けたら凄く楽しそうですね」
「だろだろ?」
にこっと笑って頷いてくれた可愛い妹分に、丸井もようやく望んでいた反応を得られて、にっと嬉しそうに笑い返した。
「たーしかに幸村達にも相談しなきゃいけないけどさぁ、別に向こうも反対する理由はないと思うぜ? 皆で親睦を深めるのは重要だって、幸村も言ってんじゃんか」
そこにはいない立海の三強である、部長の幸村精市、副部長の真田弦一郎、参謀の柳蓮二…
メンバーからはこれまでも数え切れない程の様々な提案が出されているが、最終的にその賛否を決めるのに大きな発言権を持つのは、やはり上に立つこの三人だった。
上に立っているのは伊達ではない。
大体においてこの三人が可と下した案は概ね良い結果をもたらし、否と判断した案は、他の部で似たようなものが実行された際に、芳しくない結果をもたらすことが殆どだった。
先見の明、と言うものか、彼らの舵取りで助けられたことは一度や二度ではない。
だからこそ、レギュラー達は全幅の信頼を以って、彼ら三人に決議を望むのだ、それは丸井も例外ではない。
しかし、今回のこの計画だけはあの三人も許可してくれるだろうと信じている丸井に、二年生で唯一レギュラーの座にある切原赤也も賛同した。
「別に悪いことじゃないし…何か否決される理由でもあるんスか?」
「そういう訳ではないのですが…今年は少し気を遣わないといけませんからね」
「気ぃ?」
柳生が不思議な条件を言ったところで、ようやくその場にいなかった三強が揃って入室してきた。
「ただいま」
「練習の準備は整っているか?」
幸村が帰室の挨拶をしたのに続き、柳が桜乃に質問する。
「あ、お帰りなさい。準備、出来てますよ」
「有難う」
打てば響く良い返事に、満足そうに柳が頷いている向こうでは、早速丸井が幸村と真田に向かって野望の成就に向け、先制攻撃をかけていた。
「なぁなぁ幸村―、花見行こう、花見―っ!」
「いきなりだね、どうしたの一体…」
部の活動内容の報告から戻って来た幸村達は、相手の提案に意識を向け、同時に身体も向けた。
「だってそろそろ桜咲くぜサクラー、桜と言えばお花見だろぃ!?」
「お前はそれより食い気だろうが」
脇から口を挟んだ真田だったが、その言葉は何より真実に近いことをこの場の全員が知っている。
「えーだって、折角の春のイベントじゃんか。週末には綺麗に咲くって話だしさ、例の公園に皆で集まって騒ぎて〜〜!」
「…ああ、あそこの公園か…確かにあそこの桜並木は綺麗だからね…」
幸村が微笑みながら頷き、答えかけたところで不意に桜乃と視線が合った。
「……」
「…?」
『何ですか?』と言いたげに小首を傾げた桜乃を見つめ、幸村はその顔から笑みを消して静かに考え込んでしまった。
「うーん……」
「あ、あのあの…っ」
相手の反応に、桜乃が一気に不安を煽られ、ぱたぱたと両手を振った。
「私がいたら、いけないんでしょうか!? お、お邪魔でしたら…」
「あ、ごめんごめん! そうじゃないよ、竜崎さん」
慌てて取り成しつつ謝る部長に代わって、参謀の柳が苦笑いを浮かべて説明した。
「逆だ。精市はお前の事を気遣っているのだ、竜崎」
「え?」
「竜崎さんを外して、なんてやる訳ないだろう? 大歓迎だよ。でも、近くの公園の桜は確かに綺麗なんだけど、とにかく人の集まりも尋常じゃなくてね…のんびり楽しむにはちょっと難しいかなぁ…それに」
「それに?」
「桜だけじゃなく、年甲斐もなく酒に酔ってカワイコちゃんに絡むエロ親父みたいな奴らもそりゃあもうてんこ盛りで」
割り込んだ仁王の発言で、桜乃の顔がざぁっと一気に蒼白になり、察した切原がうひゃ〜と顔をしかめる。
「そ、そんなにいるんスか、そういう不届きな奴らが…覚えないッスけど」
「うむ…確かに。これまでは、俺達は男だけの集団だったからそれ程感じる事もなかったが、周囲には少なからずそういう輩に纏わりつかれて困っていた女性も多くいたな…」
真田が言っている隣で、はいっと丸井が挙手して発言。
「あ〜〜〜〜〜っ!! 思い出したっ!! いつかみんなで花見に行った時、幸村が酔ったオッサンにナンパされてたんだったーっ!!」
(でけぇ声で言うんじゃねぇよ!!!)
しかも幸村本人の目の前で!
「…ゆ、幸村先輩?」
「まぁ昔のことだから」
こわごわ尋ねる桜乃の前で、幸村は優しく微笑みながら多くを語ろうとしない。
その背後では桜乃以上に蒼白になってしまった他のメンバー達がこそこそこそ、と小声で話し合っていた。
『…そう言えばあの時の部長はどういう対応をしていたんでしたっけ?』
『いや…「お世辞がお上手ですねぇ」って、ニッコリ笑って、ナンパに答える形でその親父と一緒に何分間かどっか行ったんだけどよぃ』
『…エロ親父だけ、いつまでたっても帰ってこなかったらしい』
ジャッカルの締めの一言で、切原は心底震え上がってしまった。
どっかの桜の木の下に、埋められてなきゃいいけど…
「俺達だけならともかく、竜崎さんにそんな不埒な輩を近づけさせたくないからね…とは言え、あの公園じゃなくても、桜がある場所には今は誰でも集まる季節か…」
「もっとゆっくりと…風流に桜を楽しめる場所があればいいのだがな」
柳の希望には誰も異を唱えずに頷いたが、なかなかそんな都合のいい穴場は思いつかない。
すると、暫く考えていた仁王がぱちんと指を鳴らした。
「一つだけ…心当たりがあるんじゃが」
「え?」
反応した部長に仁王がぼそぼそと何事かを囁き、対した相手はああと頷いた。
「成る程ね…確かにあそこなら部外者が入り込む余地はない…場所だけ貸してもらえたらこちらの目的は十分に果たせるな。但し、頼む相手がかなりの曲者だけどね」
「無差別に言い寄ってくる親父どもよりは余程マシじゃと思うが…最低限のマナーは弁えとるじゃろ」
「確かに」
どうやら詐欺師が提案した作戦はとんとん拍子に進みそうである。
「…いいよ、じゃあやろうか、お花見」
「やった――――――――い!!」
部長の幸村が宣言し、丸井が飛び上がって喝采を叫ぶ。
「ふむ…で、場所はどうするつもりだ? 精市」
「うん、それはまぁ後でのお楽しみって事でね…ええと、じゃあその日のお弁当は」
「私作ります〜〜!」
今こそ磨き上げた料理の腕を揮う時!と桜乃が満を持して立候補し、それはメンバー全員に歓迎された。
何しろ彼女の作った料理は、下手な売り物よりも余程美味であり、これまで数多くの差し入れを受け取っている男達には、拒む理由は一つもなかったのだ。
「ふふ、有難う竜崎さん。じゃあ、宜しく頼むね。当日、楽しみにしているよ」
そんな幸村の一言で、取り敢えず、その日の花見計画は終了したのであった……
そして花見当日…
桜乃を含めた立海のレギュラーメンバーは、とある豪邸の門の前に立っていた。
門だけでもかなりの大きさで、敷地全体を覆う塀は大人二人分の高さはあるだろう。
「あー、確かにここだったら邪魔されずに楽しめるよなぁ」
「ふむ…管理も行き届いているだろうな」
「よく考え付いたよな、仁王〜」
「ま、使えるモンは何でも使うってのが俺のモットーじゃし。あのぶっ飛びナルシス野郎にもたまには役に立って貰おうかの」
『人の家の前で随分とふざけたコト抜かしてくれるじゃねーか、ああん?』
彼等が話している中に、機械を通した何者かの声が割り込んできた。
実はこの時、既に幸村が門に付けられていたインターホンを押して取次ぎを願っており、家主がそれに応じて返事を返してきたらしい。
「やぁ、こんにちは跡部。ちょっと頼みがあるんだけど」
そう、ここは日本でも屈指の大財閥、跡部家の邸宅前なのだった。
桜乃は勿論ここを訪れることも見ることも初めてで、先程からきょろきょろと辺りをせわしなく見回しては感嘆のため息を漏らしていた。
(ここが跡部さんのお家なんだ〜〜〜、すごーい、広そ〜〜〜う)
『何だ? 幸村…立海の面子が揃うとは珍しいな…まぁいい、入れ』
流石にインターホンも監視カメラ装備のものらしく、向こうはその場に居ずにして、こちらの状況を把握していた。
向こうで門の開閉ボタンでも押されたのだろう、閉じられていた頑強そうな鉄柵が開かれてゆく。
『さっさと来いよ、あんまりぐずぐずしていると番犬どもが間違って襲ってくるかもしれないからな』
「ああ、お構いなく」
相変わらず全てにおいて人並み外れた発言をする相手だったが、幸村は別に慌てるでもなくあっさりと笑顔で返した。
「念の為に弦一郎に真剣持参してもらってるから…処分だけ頼むね」
『あいっかわらず食えねぇ野郎だなお前は』
「嫌だな、褒められても何も出ないよ」
『褒めてねぇ!!』
言うだけ言って、ぶつっと回線が切られ、幸村はにこにこと笑いながら全員に振り返った。
「じゃあ行こうか。怒りながらも律儀に返事を返すんだから、本当に微笑ましいよね、跡部は」
のんびりと入ってゆく部長の背中を眺めながら、ジャッカルと丸井ががくがくと心を恐怖で震わせる。
(悲しい程に小物の俺達には笑えませんっ!!)
(ってか、何で真剣持参なんか頼むんだよぃっ!!)
「…それは真剣だったのか」
真田の抱える、藍染の布で包まれた棒状の物を見つめながら柳が問うと、相手は渋い顔をしながら頷いた。
「一応届出をしている愛用品だから、銃刀法には抵触しないが…精市にも困ったものだ」
(…幾らぐらいするんじゃろうなぁ)
「ダメですよ仁王君。それは明らかに犯罪です」
「何言ってるんスか? 柳生先輩」
みんながそれぞれの会話をしながら、門をくぐって中へと入る。
門から玄関までもかなりの距離であり、少し速度を速めながら彼らはずんずんと先へと進んでいった。
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