お兄ちゃん'Sは心配性(氷帝編) 後編


 幸村の仲裁は、効果覿面だった。
『いい加減にしないと…怒るよ』
 にこやかに彼がそう言うと、途端にびたっと立海の全員が硬直したのだ。
 いや、立海だけではなく、氷帝の面々すら一瞬にして凍らせてしまった。
 後日の日吉曰く、彼の背後に阿修羅が見えたそうだ。
 とにかく、彼らの仲裁の後、桜乃にはみだりに手を触れないという約定を取り付け、二校は再び落ち着いて花見に興じ始めた。
「…いつもあんな感じなのか、お前らんトコの部長…」
「まあな…」
 宍戸がぼそっと囁く隣で、ジャッカルが憔悴した顔で応じる。
 桜乃が関わると、その恐怖が何倍にも増幅されるというのは伏せておこう…
 幸村の見せた影の気迫の恐怖が去った後では、再び和気藹々とした空気の中で、またも彼らのテニス談義に花が咲き、その様子を桜乃はぼんやりと見つめていた。
 そこに、ひょこりと幸村が顔を出し、隣に座る。
「どうしたの、竜崎さん?」
「あ、幸村さん…いえ、やっぱり皆さん、学校は違いますけど、同じ様にテニスが好きなんだなーって思って…」
 にこにこと嬉しそうに話す妹分に、幸村もああ、と納得した様に頷く。
「そうだね…好きだから、あれだけ打ち込めるし上達も出来るんだ」
「…私も頑張らないといけませんねぇ」
「ふふ、どうしたの急に…何か不安?」
「不安じゃないですけど…最近はテニスするよりも皆さんのお世話をするのが楽しくなってきちゃってて…練習よりもついそちらに時間を割いてしまうんです。やっぱり…部にとってはその方がいいんでしょうか?」
「難しい質問だな…部長としては歓迎したいけど、個人としては君のテニスの練習時間を奪っているかもと思うと、手放しでも喜べない」
 真剣に悩む部長に、話しすぎたかと思った桜乃が慌てて断った。
「いいいええっ! わ、わ、私の練習なんかよりやっぱり皆さんの方が大事ですからっ! すみません、忘れて…」

 こつん…

「…っ?」
 軽く拳で額を小突かれ、桜乃がきょとんと幸村を見ると、彼は困った様に笑っていた。
「そんな事言わない…なんかって…君は俺達のとても大事な自慢の妹分なんだから、自分を卑下しちゃダメだよ。もっと胸を張らないとね」
「幸村さん…」
「確かにマネージャーの仕事は大変だよ、他の事を差し置いてでも集中しないといけない時がある事も知っている…けど、君が楽しみながらその仕事をしてくれる為に、俺達は出来る限り協力する。練習にしたって同じ事さ、マネージャーという仕事の為に、自分の向上心まで犠牲にすることはないんだ。最初に言ったよね…俺達に関しては何も遠慮なんかいらないんだよ。疑問や要求があったら、いつでも言ってくれて構わない…不安を一人で抱え込まないでほしいんだ」
「……」
「…いいね?」
「はい…」
 嬉しそうに笑って頷いたところで、どうやら邸からの飲料の調達が来たらしく、桜乃はぱっと立ち上がって早速お手伝いに向かった。
 コーラや他のソフトドリンクの缶や瓶に混じって、緑色のガラス瓶が数本混じっている。
「じゃあ先ずはコイツを配るか」
 そんな跡部の言葉に逆らう理由もなく、言われるままに彼女は従った。
「おお、来た来た〜〜」
「こっちにも宜しく〜〜!」
「はいはい」
 みんなに行き渡った後、彼女自身も紙コップを取って、緑色の瓶から注がれた中身の黄金色の飲み物を覗きこんだ。
 炭酸が入っているそれは見た目も非常に美しい。
(へぇ…ジンジャーエールかな?)
「まぁ、とにかく飲んでみろ、美味いぜ?」
 跡部の自信たっぷりの音頭にも興味をそそられながら、桜乃を始めとする全員がそれぞれ中身を呷り始める。
「うわ、シャンパンか?」
「こいつはなかなか…」
「参ったな〜、俺達中学生なのにー」
「シャンパーニュの或る契約農家から直で取り寄せたシャンパンだ。折角のこういう機会だからな」
 何だかんだ言っても嬉しそうな氷帝の面々が喜んでいる脇で、しかし立海の方では、一気に大恐慌が発生していた。
「竜崎さん! 飲むのスト…・ッ」
 プ、という最後の一文字を幸村が紡ぎ出す前に、既に桜乃はくーっと中身を完全に飲み干してしまっていた。
 ジンジャーエールと思い込んでいた彼女に、その行為には何ら躊躇いがない…それがいけなかった。
「ふにゃ…」

 ぱたん……

 予感的中……
 呷った姿勢のまま、桜乃はそのまま後ろに倒れて気を失ってしまったのだ。
「うわ――――――――――――っ!! おさげちゃ――――――――んっ!!」
「しまった! 間に合わんかったか!!」
 丸井が大声で呼びかけ、仁王が慌てて抱き起こしたが、既に彼女は完全に酩酊状態だった。
 ヤバイという心の声が立海全員の胸の中に大音量で響く。
 この竜崎桜乃という少女は、或る特殊な性癖がある…アルコールを摂取した時限定の。
 それは、酩酊した後の彼女は、辺りの人物に対して見境なく甘えまくるというものだった。
 しかも、普段より色気が何倍にも増した状態で…無自覚に、だ。
 過去にそれをやられた立海の面々は、何とか理性を総動員して危機を乗り切ったが、あの時、二度と彼女にアルコールは摂取させるまいと心に誓い、彼女にもそれとなく飲むのを禁じていた。
 元々が未成年であり、その希望はこれまで何ら問題なく受け入れられていたのだが、今回は、完全に不意打ちを食らってしまった。
「竜崎!?」
「いかん…レッドゾーン突入じゃ」
 真田が声を掛ける間に、仁王は少女の頬の紅潮具合などを確認して判断を下す。
「隔離が必要となりますね…」
 柳生の一言とほぼ同時に、柳が大慌てで跡部に申し出た。
「すまない跡部、邸の一室で彼女を休ませてもらえないだろうか? 極端にアルコールに弱い子で…その、年頃の女子だから、女性に介護をお願いしたい」
「何だ、もう酔っ払っちまったのか? 仕方ねぇな、分かった、メイド達に世話をさせよう。それでいいな?」
「有難う」
 なってしまったものは仕方がない…今一番重要なのは、一刻も早くこの場から彼女を引き離すことだ…この同年代の男達がたむろする場所から!
『女性相手なら、甘えても単なる妄言に過ぎないからな…』
『こんな場所であの必殺技やられたら、血の雨降るぜぃ…鼻血の』
 本当は同伴したいところだが、アレをまともに見た時の自分に自信が持てない、という事で、幸村達は迎えに来たメイド達に桜乃だけを預けた…こればかりは仕方ない。
 心配そうな顔で立海や氷帝のメンバーが見送る中、桜乃は跡部邸へと運ばれて行った……


「あらあら、すっかり眠ってしまわれて…」
「メイド長、この子、服と髪も少し汚れてしまってるんです。桜の下は腐葉土でしたから、多分それだと…」
 邸に運び込まれた桜乃は、複数のメイド達に抱えられて、邸に数多くある部屋の一室に運び込まれていた。
 流石に跡部家のメイドを務めるとあって、彼女達の仕事ぶりもなかなか堂に入っている。
「あら、汚れはそんなに酷くないみたいだけど、少し着替えてもらって、こちらでクリーニングしましょうか。髪は…一度解いて、蒸しタオルで拭いて差し上げて」
「はい、メイド長」
 幸村の判断は完全に正しかった。
 男性では決して許されない範囲までのフォローも、同性の彼女達であれば難なく行える。
 彼女達はメイド長に指示を受けた通りに、桜乃を一室に運んだ後で制服を一度脱がせ、代わりに臨時で彼女達と同じメイド服を着せた後、そのおさげを解いていった。
「きゃ…」
「可愛い〜〜〜〜!!」
 そして現れたのは、地味な中学生から脱皮した、凄まじく可愛い少女…
 メイド達の嫉妬心すら吹き飛ばす程の桜乃の隠された美貌に、彼女達はまるで新しい着せ替え人形を手に入れた子供のように、きゃあきゃあと騒ぎながらその髪をタオルで拭いてゆく。
「見てみて、凄い綺麗な黒髪〜!」
「メイド服もすっごい似合ってるし…ちょっとカチューシャも付けちゃお」
 メイドとは言え、年頃の女性達というのは同じこと。
 後で外せばいい、という安易な考えにより、桜乃は服に加えてカチューシャも付けられ、完全なメイドとなってベッドでくうくうと安らかな寝息を立てていた。
「凄いね…写真撮る?」
「流石にそれはまずいわ、お客様だし…」
「そうかぁ…残念」
『あなた達、終わりましたか?』
 部屋の向こうからメイド長の声が聞こえ、傍に付いていたメイド達は慌てて全員、彼女に呼ばれるままに退室していった。
 残ったのは、何も知らずに安らかに眠る姫君が一人……
 何もなければ、桜乃はやがて目を醒まし、何事もなかったように…しかし後で事の顛末を聞いて、驚く程度の事で済んだのだ。
 そう、何もなければ……しかし…
「倒れた竜崎ってのはここか…? ち、こんな時に限って皆席を外しているのか…」
 よりにもよって、その場に跡部が現れたのだった…何も知らずに……・


 事は数分前に遡る…
「おさげちゃん、大丈夫かなぁ…」
「流石に女性だから、身の回りの事はメイドさん達がしてくれている筈だよ…そこは安心していいと思う」
 丸井が、邸へと運ばれていった桜乃を気遣って力ない言葉を呟くと、幸村がしっかりと的確な一言を述べる。
 とんでもない事になってしまったが、今回は場所に助けられた…と他のメンバー達も少しは落ち着きを取り戻していた。
「公園だったら、背負って速攻で帰宅してたよな…それでもどうなってたことか」
「全くです…女性の介護を受けられるというのは不幸中の幸いでした。眠っている間にアルコールも抜けてくれたら良いのですが…」
 ジャッカルや柳生が頷きあいながらそう話している脇で、真田が跡部に礼を言おうと氷帝メンバー達の方へと向き直った。
「すまなかったな、あと……べ?」
 彼の姿が…見えない?
 誰かの陰にでもなっているのかと、きょろっと辺りを見回してみても、やはり彼の姿だけが見当たらなかった。



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