「何だとこの野郎っ!!」
「ウチの何処がそっちより劣ってるんだよ!?」
 ぎゃんぎゃんと煩くなってきた周囲に、手塚が眉をひそめて隣の大石と不二に問い掛けた。
「劣るとか劣らないとか…何が起こっているのか、事態がどうにも掴めないのだが」
「うん…俺は分かりたくないっていうのが本音だな」
 答える大石の目が遠くを見ている。
「若いっていいよねぇ」
 不二は自分の年齢を度外視した発言を行ったが、彼本人は真面目に答えている様だ。
 元々、竜崎が青学の人間である以上…そしてこれまでの交流がある以上、彼女にとっての元祖のお兄ちゃん達は、自分達青学メンバーであると、彼らは心の何処かで自負していたに違いない。
 しかし今日になって初めて、立海と彼女との深い関わりを見た事で、軽くパニックを起こし、そしてちょっぴり嫉妬してしまっているのだろう。
 あんな普段とは違う少女の姿を見たのだから尚更に。
 でも…
「面白いからほっとこうよ」
「面白いのか?」
 不二があっさりと突き放すような発言をした向こうでは、青学と立海の一歩も譲らぬ舌戦が繰り広げられていた。
「だいったい竜崎は誰のモノでもないだろー!」
「つまりそっちのものでもないってコトじゃんか!」
「どうして青学より立海の方が責任持てるなんてコト言えるんだよ」
 わいわいと騒いでいる渦中に、いつの間にか、桜乃に縋られていた筈の仁王が復帰していた。
「おや、仁王君…竜崎さんは?」
「そっちの即席座布団ベッドで寝てもらっちょるよ…はぁ、彼女がこの騒ぎを知らんで本当に良かったのう…」
「見られたら、間違いなく大泣きですからね…そうなると正直私達でも手に負えません」
「同感じゃ…しかしさっきから聞いとると、何とも下らない論議じゃのう…」
 ここは一つ、絶対に青学では立海に敵わないという事実を示す必要があるか…
「けどやっぱ竜崎はウチの学校の生徒だし、俺達だって負けてる訳じゃないッスよ?」
 桃城の発言に、割り込んだ仁王が珍しく真剣な表情で、びしっと指を指しながら言い返した。
「なーに言うちょるか。青学より、俺達立海の方が一兆倍大事に竜崎を扱えるぜよ。大体そっちに預けとる事自体が、俺達にとっては不安なんじゃ!」
「あー! 異議ありーっ、じゃあじゃあ、何を根拠にそんなコト言えるのさ〜!」
「…すまんが、俺達は少なくともお前さん達よりずーっと大事に竜崎を世話する自信と根拠があるんじゃ…と言うか、正直、お前さん達の部には、恐くて竜崎は任せられん」
 仁王の冷めた声での断言に、えっと青学が彼へ視線を向け、立海メンバーも注目する。
「自信は勝手に持ってろって感じスけど…何スか、その根拠って」
 むっとした越前が言い返したが、仁王は全く動じず、怯まず、淡々と返す。
「んー…言いたくないが、お前さん達には決して超えられん壁があるんじゃよなぁ」
「…壁?」
 こくんと頷き、仁王は遂に一撃必殺の決定打を相手に向かって放つことを決める。
「そうじゃよ、よく聞きんしゃい……立海にはのう…」
 ぴしっと人差し指を立てて、止めの一言。
「乾汁がない」

『完敗だ―――――――――――――っ!!!!!!!』

 その時点で、青学は敗北を認めざるをえなかった。
 確かにそれは…永遠に超えられない壁かもしれない!
「そうなんだよね…あんなの飲ませる部活に、下手に平等に扱われる事を前提で、可愛い竜崎さんを任せるなんてとてもとても…俺も一応、人の心は持ってるから」
 ふるっと首を横に振る青い顔をした幸村に続いて、柳も同感だと頷いた。
「噂では、貞治の作品にガイガーカウンター(放射能検知器)まで反応したという話まであるからな…無論、噂だろうが、そういう噂が流れるようなシロモノを竜崎に飲ませるなど、狂気の沙汰だ」
「まぁ、或る意味人間離れしたお前らだから耐えられるのかもしれんが、竜崎は普通の人間だからな…死ぬぞ、間違いなく」
「それって、そんな奴らと同等に戦える俺達も、最早人間じゃないってことッスかね」
 真田の一言に切原が余計なツッコミを入れている間に、越前がぴーんっとナイスアイデアを思いつく。
「じゃあ、乾汁をなくしたら、別に俺達でも構うのはいいってことッスよね…」
「おお名案!」
 それなら自分達にとってのメリットが二つ増えることになるし…これぞまさしく一石二鳥!!
 桃城が早速その意見に同調を示したが…
「レシピは逐一新しい物を後輩に全て伝授している。失くすコトも百パーセントの確率であり得ない…ウチが竜崎の世話を引き受けるとなると、やはり公正を期すべきだろう…命の保証はないが」
「決まりだね、じゃあ、彼女の指導権は男子テニス部側に関しては今後も立海(ウチ)が握るってコトで」
(あああああっ! 何かよく分からないけど色々と負けちまった気がする〜〜っ!!)
(あー憎いっ! 乾汁とそれを作ったコノ人がメチャクチャ憎い〜〜〜〜っ!!)
 乾の無情な一言で、青学側が底なしの泥沼に突き落とされてしまった瞬間を、立海メンバーは半ば哀れみの視線で見つめていた。
 強敵である事は認めるが、ああいう慣習は見習いたくないと正直思う。
「…俺、あんなの作らなかっただけでも柳先輩を心から尊敬するッス」
「今日ほどそれを痛感したことはないな…」
「…あまり素直に喜べないのは何故だ」
 切原やジャッカルの微妙な賞賛に、柳が微妙な表情を浮かべている間に、丸井と柳生はすっかり寝入ってしまっている桜乃の様子をちょっぴり疲れた表情で見守っていた。
「ま、勝負はついたも同然だけどさ…やっぱり、今回の件も緘口令敷かれるんだろぃ?」
「解禁される日なんて、一生来ないんじゃないですか?…まぁ、彼女さえ幸せであればそれでいい、なんて都合のいいコトを考えている自分が言えるコトではありませんが」
「あ、それは俺も同感だわ…取り敢えず〜…今のウチにほっぺぷにぷにしとこ」
 うんうんと天使の寝顔を見て無駄に和んでいる男達の向こうでは、手塚達と幸村が頭をつき合わせて密談を交わしていた。
「…席の設け方が悪かったのだろうか…正直、こういう騒ぎになった理由というのが分からない」
「いや、多分分かってもどうしようもないのが分かるだけだから、それは別にいいと思うよ…ウチのメンバーもちょっと騒ぎすぎたし、後で注意しておくね」
「ふむ…」
 一つ小さなため息をついて、手塚が桜乃の方へと視線を向ける。
「こんな騒動の中で何だが、竜崎がそこまで世話になっているとは知らなかった。青学の人間なのに親身になってくれているようで礼を言う…が、もし面倒になったら海堂や桃城、他の部員でも構わないから言ってくれ。全く、後輩の世話は先輩がやるのが当然なのに、ここまで一々騒ぐとは」
(だから、それが原因で揉めてんだってば向こうは…ここまでテニスにしか興味持てない人間だから、青学の部長が務まったんだろうけど)
 他のところでここまで鈍感で、よく日常生活が営めるな…と思ったが、不二は口に出しては言わなかった。
 多分、その他のフォローは元副部長が地道にやっていたんだろう…それに、彼自身、そういう恋愛に近い感情には疎いところがあるから…
(…竜崎さんの取り合いっていう意識じゃなくて、可愛い後輩を任せ切りでゴメン、いやいや遠慮なく…っていうパターンの、ちょっと激しい表現としか思っていないと見た)
 きっと同じ事を考えていただろう立海の部長は、そんな考えを微塵も表さずに笑顔のみで答えた。
「気遣ってくれて有難う、手塚…けど幸い、俺を含めてウチのメンバー全員、竜崎さんの事が凄く気に入ってるからその心配はないよ。これからも、是非力になってやりたいと思っているから、心配しないで」
 それから…と続けて、
「今年は、切原を筆頭に、君の後輩達から日本一の座を返してもらいにいくから、そちらこそ、宜しく…覚悟しておいてね」
「それは流石に了解は出来んな…お互いに頑張ろうと言うしかない」
「ふふ、確かにね…これからの君達の躍進を楽しみにしてる」
 互いに元部長達がエールを送りあい、新たな戦いの幕が開かれる…
 しかし、桜乃の争奪戦については、やはり今回も立海が一歩も譲らずにもぎ取った事は明らかだった…


 後日…
「ええとぉ…私、あの日の宴会の記憶が殆どないんですけど…何かあったんですか?」
「ないよ」
 久し振りに立海を訪れた桜乃が遠慮がちに尋ねた質問に、後輩の様子を他のメンバー達と見に来ていた幸村は一秒待たずに即答した。
 無論、他の面子に尋ねても、同様の返答が返ってきただろう。
 あれから桜乃の自宅に彼女を預け、その場で会の詳細については触れないようにという緘口令が全員に敷かれているのだ。
「どうして?」
「いえ…何となく、青学の皆さんの態度があれからちょっと違うというか…元々優しかったんですけど、もっと気を遣って下さる様になって…」
 それはあれだな…君の隠れた魅力に気付いてしまった男子なら、当然の行為とも言える…絶対にばらさないけど。
 周囲には他のレギュラー達がいたが、彼らも思い切り聞き耳を立てているのは明らかで、幸村本人もそれを諌める様子はない。
「あと…リョーマ君が、また夏休みに外国に行くらしいって話が出てて…」
「ああ、そう言えば手塚にはびっくりさせられたよ、あれからすぐに留学したんだよね…あの会は実質お別れ会みたいなものだったんだろう? 全く、何も言わないなんて彼らしいよ…でも越前君については初耳だな」
「何か、見聞を広める為に短期間ですけどアメリカに戻るって話が…私もそれを聞いた時は驚きましたけど…よく分からないんですよね」
「ん?」
「いえ…それを私に話してくれた時に、リョーマ君、『いない間に浮気して、立海に行かないでよ』って言って…別に私、立海に転校するとかそういう話はないのに…」
「………ふうん…どうしてだろうねぇ」
 ざわ…と幸村の周囲の気温が五度ぐらいは冷えたと思われるような冷たい言葉。
 浮気だなんて、まるで自分が彼女の本命の様に…随分な言葉を使ってくれるじゃないか、あのボーヤ。
 浮気と言っているのが、『青学』と『立海』という所属する学校間でのことなら、まぁ万歩譲って許すとしよう…確かに彼女は青学の人間だし、同校の人間として多少は面白くないという感情も理解出来る。
 しかしもしその言葉が、『彼』という人物がいながら、立海の誰かと懇意になるという意味での『浮気』なら……聞き捨てならない。
 そもそも、この二人はそういう関係ではなかっただろう…それに億歩譲ってそうであったとしても……
「…まだ彼を認めたなんて、俺達は一言も言ってないんだけど」
 この子の相手としては、彼はまだまだ力不足だと思う…けど、きっと向こうはこういう形で、その単語が自分達に伝わる事を見越してそんな発言をしたのだろう。
 つまり、アメリカに行く前の、軽い宣戦布告ってコトか……
「兄貴分としては、受けて立つしかないよね」
「はい?」
 呟く幸村の向こうでは、現部長である切原が、恐い顔でぶんぶんと思い切りラケットを振り回していた。
 まるでボールではなく、そこにいない誰かの身体をどつきまわしている様にも見える。
「…蓮二、レギュラーのトレーニングメニューを、少々きつめに組み直すように変更は可能か?」
「丁度今、俺も同じ事を考えついたところだ、検討しよう」
 真田と柳がそんな会話を徐に始めた向こうでは、仁王がいつもより恐い笑みでぶつぶつと呟いていた。
「…奴がおらん間に本当に立海に転校しとったら、それはそれで面白いのう…やるか」
「本人の意思は尊重して下さいね」
 誰の…とは言わないまでも、珍しく今回、柳生は相手の企みを止める発言はしなかった。
 一気に変わってしまった周りの空気に、桜乃がきょとんと首を傾げて、丸井とジャッカルへと目を向けた。
「…何だか、皆さんもいつもと違いますねぇ…お疲れなんですか?」
「いやいやいやいや、逆。今、滅茶苦茶燃えてるから、俺ら」
「本当にアイツ、人の神経逆撫でするの上手いよなぁ…やる気も出るからいいけどよぃ」
「…はい?」
 アメリカから戻ってどれだけ成長しているのかは知らないが…今度会った時には青学ごとぶっ潰してやる!!
 全員の、心に秘めた決意が一つになった瞬間だった……






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