プールに行こう!
「あー暑いなー、プールにでも行きてー」
カンカンと容赦なく日光が照りつける夏の或る日、コートでテニスの練習に打ち込んでいた立海の男子テニス部メンバーの口から、そんな台詞が飛び出した。
三年の中でも一番精神年齢が幼く、イベント好きでもある丸井だ。
「プールなら、学校の授業でもあるだろうが」
傍にいた副部長のつれない一言に、赤毛の若者はじたばたと両手足をばたつかせて異議を唱えた。
「あんな先生の言う通りにしか泳げない授業なんて、面白くも何ともねぇっての! ただコースに従ってバタ足だのクロールだのさ〜、やっぱたまには好きな様に騒いでみてーじゃん! ボール遊びにスライダー、スイカ割りにカキ氷!」
「一部は全く関係ないな…」
冷静に相手の言葉に突っ込みを返している真田だったが、周囲のメンバーは今回は丸井の方へと賛成票を投じた。
「いや、しかし確かにこの暑さじゃと、プールに行きたい気持ちも分かるぜよ。ノルマがない分、授業よりはのんびり出来るじゃろうし」
「授業だと制限はあるし、遊びじゃないからなぁ」
仁王とジャッカルの援護の隣では、切原もうんうんと頷いて同意を示している。
「全く…たるんどるぞ」
つい口癖になっている言葉が出たところで、真田の隣にいた幸村がにこりと笑って丸井に言った。
「ふーん…じゃあ、行ってみる? プール」
「へ?」
部長の提案に全員がきょとんとする中で、常に冷静な参謀が早速相手に確認した。
「現在、ウチの学校のプールは水泳部が優先的に利用しているから、俺達が我侭を言うのは難しい…平日でなく、休日にプールに行くとなると、市営プール辺りが妥当だが…」
柳の台詞に対し、しかし幸村はふるっと首を横に振った。
「いや、市営プールじゃなくてね…実は昨日、親からこれを貰って妹と分配したんだ」
そう言って、ベンチ脇に置いていたバッグから彼が取り出したのは、数枚の青いチケットだった。
「何ですか?」
「仕事上の関係者から貰ったんだって、有名ホテル内にあるプールの特別優待券。全部で三枚あって、一枚で三人有効だから、俺達全員で行けるよ」
「うわラッキーッ!! そこのホテルって超有名なトコじゃんか! 市営プールより全然豪華だし!」
小躍りして喜ぶ丸井や、他の仲間達を横目で見つつ、真田が幸村に確認する。
「いいのか精市、よく分からんが、貴重なものなのでは…?」
「いいよ、どうせなら大人数で行く方が面白いだろうし、最初から皆を誘うつもりで持って来たんだ。乗り気なら丁度良かった」
「ふむ…なら、俺にも異存はないが」
「行くとしたら今度の日曜が妥当だな、部の練習日とも外れている」
参謀が助言をしていると、ふと気付いたジャッカルが口を挟んだ。
「ん…待てよ、一枚で三人優待って事は、本来なら九人まで行けるって事だよな…一人分、余裕がないか?」
尤もな言葉に、幸村は頷いた。
「そうなんだけど、俺達レギュラーは八人だし…非レギュラーの誰かを誘うにしても、角が立ちそうだからね。部に関係ない同級生を誘っても、向こうにとっては他人と行くのと同じだし…日曜って言っても向こうの都合もあるだろうから、ちょっと誘いにくいな」
「そう言えばそうだな…うーん」
少し勿体ないな、と思いつつもジャッカルが納得した様に頷いたその横から、第三者の声が割り入って来た。
「何だか深刻そうなお話ですね?」
「いや、単に残った枠を埋めるかどうかってだけだから…」
『……』
無意識の内に答えたジャッカルが、相手の声色の不自然さに沈黙すると同時に、他のメンバー達もその正体を確認して口を噤んだ。
いつの間にか、彼らの会話の輪の中に入り込んでいたのは、青学の一年女子であり、彼らと非常に懇意にしている竜崎桜乃だった。
どうやら、今日もまた遠方からはるばる見学に来てくれたらしい。
『いつからここにっ!?』
「声掛けるタイミングが分からなかったんですよう…」
全員の大声に申し訳なさそうに弁解すると、彼女はきょろっと全員を見回した。
「あ、もし内密のお話でしたら、席を外しましょうか?」
「……」
まさかこんなにグッドタイミングで彼女が来てくれるとは思わなかった…けど、これってもしかして、絶好のチャンス?
この時の丸井の脳内思考
残った枠に同校の男子生徒→後々角が立つし気を遣う→面倒くさいし楽しめない→イヤ
同枠におさげちゃん→互いに見知っているし気兼ねなし→彼女の貴重な水着姿も見られる→雨天決行!!(意味不明)
「やっぱり貴重なチケットは最大限利用すべきだと思うのですよ」
「わーかったわかった」
挙手して訴える相棒が何を言わんとしているのか既に察したジャッカルが、あーあと溜息をつきながら頷く。
「…チケット?」
何の事だろうと訝しんだ少女に、幸村が苦笑して手にしていたチケットを見せた。
「丁度良かった、竜崎さん。今度の日曜に一緒にプール行かない? チケット、一人分余裕があるんだ」
「え…っ」
それまで朗らかだった桜乃の笑顔が彼の言葉を聞いた瞬間に凍りついたかと思うと、少女は真っ赤になってぶんぶんぶんと首を振った。
「だだだだ、駄目ですっ! 絶対ダメ!」
「え…あれ? 竜崎さん、水苦手だった?」
無茶な誘いだったのかな、と不安に思った相手に、桜乃はまだ顔が赤いままに告白する。
「は、恥ずかしくて、水着姿なんて見せられませんっ!」
(ああ、そっちか…)
まぁ確かに普段から引っ込み思案で恥ずかしがり屋のところがある少女だから、その理由には納得出来るところもあるけど、別に気にするようなスタイルではない…寧ろ、整っている方だと思う。
それに何より…
(ええー? 行かねーのー?)
桜乃の背後に立つ、三強を除いた他のレギュラー陣から、無言の訴え…
(向こうは逃すつもりはなさそうだし…)
さてどうなるかなーと思っている間に、代表として選出されたらしい仁王がすたすたすたと桜乃の方へと歩いてきた。
「なぁ竜崎」
「は、はい…?」
「ちょっとこっちに…」
大体…十中八九、あの詐欺師が個人を呼んで内緒話を持ちかける場合、それは彼の謀略である。
『…じゃから……な? それで…』
『ええ? でも……』
『そこは……という事で…』
微かに聞こえる会話内容を拾い上げつつ、一度は賛成した切原が不安げな表情を浮かべる。
「ノッた俺が言うのも何なんスけど…大丈夫ッスかね…?」
「問題ないでしょう、仁王君は、目的の為には手段は選びませんから」
「いやいやいやいや! 大問題だろ、それって!」
彼の相棒の援護にジャッカルが異議を唱えている間に、どうやら話がついたのか、仁王が桜乃を連れて再び幸村の許へと歩いてくる。
「竜崎も行けるそうじゃよ」
「…あ、あのう…ええと…その、私で良ければ……」
にこにこと笑う詐欺師の隣で、依然真っ赤になっている少女だたったが、確かに彼女自身の意志で行く事を了解したらしい。
別に桜乃に無茶を要求するつもりもない幸村は、相手が行こうと思ってくれただけでも良しとしようと笑った。
「そう、良かった。じゃあ、後で待ち合わせ場所とかについても話そうね」
「はい」
少女の心変わりに、わーいっと諸手を上げて喜んでいるメンバー達に紛れ、切原が仁王にこっそりと尋ねた。
「お見事、仁王先輩。けど、どうやって説得したんスか? あまり無理強いしたら竜崎も可哀相ッスよ?」
「無理強いと思われるんは、まだまだ修行不足ってコトじゃろうが…安心してええよ、ちょーっとばかりお願いしただけじゃ」
「お願い…?」
「そう、ほれ、ウチの場合は奥手の真田がおるじゃろ? あのまま女子に慣れんままに人生送ったら、下手すりゃ一生、縁無いままに孤独にあの世行きじゃからのう…ここは一つ、妹分でもある竜崎に協力してもらって、水着姿で慣らしてほしいと…」
「あっ、なーる。確かに嘘じゃないッスね、ソレ」
「仁王、赤也、お前達に後でじっくり話がある…」
耳聡く二人の会話を聞きつけた鬼の副部長のこめかみには、一筋や二筋では済まない青筋がくっきりと浮かび上がっていた。
(『そんな事はない』って言えないところが弦一郎の辛いトコだね…)
遠目に見ていた幸村は、呑気にそんな事を考えていたが、最後までそちらについて口を挟む事はなかった……
そんなこんなで日曜日
「こんにちは〜」
結局、ホテルの前で集合ということで落ち着いた日曜日、桜乃は水着などの道具一式を入れたビニルバッグを肩から下げて、時間前には目的地へと着いていた。
駅からすぐ傍だったというのが、彼女の迷子癖を予防するのに一役買っていたのかもしれない。
『おお――――――』
先に来ていたメンバー達は、挨拶もそこそこに桜乃の姿を見て感嘆の声を上げる。
今日の彼女は私服姿もさることながら、いつもはおさげの髪が綺麗に後ろで結ってまとめられており、彼らの視線の先に気付いた少女は、照れながら笑い、くるんと背中側を向けた。
「今日はプールですから、お団子にしてみましたー」
「いつもと違う髪型だから、びっくりしたよ。でもよく似合ってるね」
「えへ、そ、そうですか?」
幸村の褒め言葉に戸惑っていた妹分だったが、背後の男達もそれについてはうんうんと頷いて同意していた…尤も、そう思っていなければ、感嘆の声などそもそも上がらないのだが。
『サンキュー、仁王っ!』
『くれぐれも恩に着るように』
『もう少し純粋に、損得なしで手助け出来ませんかね、仁王君…』
男達の陰での内緒話には気付く事もなく、桜乃は全員揃ったところで、彼らに連れられてホテルへと入っていった。
プールと言っても、ホテルによっては様々なスタイルのものがあるが、ここでは屋外のガーデンプール、屋内の温水プールと設備は非常に充実している。
「優待券はどっちでも有効みたいだね」
「晴れているなら屋外の方が開放感もありそうだな」
部長と参謀の会話には特に異議を唱える者もなく、彼らはガーデンプールを選択した。
早速、ホテルの従業員にチケットを手渡して入場したい旨を伝え、特にトラブルもなく皆は屋内に設置されていた更衣室へと移動。
「では後でな、竜崎」
「はい」
当然、男性用、女性用と二つの部屋に一時別れて、桜乃は一人だけ女性用の更衣室へと入っていった。
下手な処ではこういう場所からじめじめしているものだが、流石に有名ホテル、環境の整備はバッチリである。
空いているロッカーの数からすると、女性客に関してはそれ程に大人数はいなさそうで、今ここにいるのも自分一人という状況だった。
「あ、ラッキー…凄く綺麗な処だなぁ。誘ってもらった時はビックリしたけど、得しちゃった」
しかし、あの時は仁王の真田女性感作作戦にのってしまったが、いざ着替える状況になってしまうとやはり羞恥心はあるもので、彼女はそこで水着に着替えた後も、姿見の鏡で確認して赤くなっていた。
流石に自分でもスクール水着でここに来る程にズレてはいない、来ると決めた時点で、早速新しい水着を新調はしてみたが…
(店員さんにはこれが似合ってるって勧められたけど…やっぱり恥ずかしいなぁ)
その羞恥心の所為で、桜乃はつい持参した大判のバスタオルで肩から膝下までをくるんと包み隠すように纏うと、こそこそとプールサイドへと向かっていった。
その姿は、色っぽい水着姿とは程遠い、歩くみのむし。
寧ろ人の視線を引きそうなものなのだが、肝心の本人は全く気付いていない。
(えーと、皆さんが来る前に、何処かテーブルとか椅子を取っておいたほうがいいよね…)
そう思って彼女がこそこそこそっとそれらが設置されている場所へと向かっていくと、途中で擦れ違った数人の若者達に声を掛けられた。
「あれ? 彼女、一人?」
「はい? いいえ」
「タオルで身体隠しちゃってかわいーじゃん。一緒に泳がない?」
「いえ、今日は他に来ている人達がいますから…」
呑気且つ律儀に桜乃がそう答えている間に、向こうは不躾にも彼女が手で握って支えているタオルを掴んで引き剥がそうと試みてきた。
この時点で、あまり礼儀を弁えていない人種であることは明らかだった。
「ちょ…困ります」
「いーじゃん、折角可愛い水着着ててもそれじゃ台無しだって。ほら、脱がしてやるか…」
下心に何を企んでいるのか、悪寒さえ覚えさせる相手の一人の笑みに桜乃がぞっとした瞬間…
「問答無用っ!!」
怒声と共に、ひゅうんと何かが飛んできたかと思うと、その無礼な男がまるで重力から解放された様に宙を舞い、そのまま先のプールへばっちゃん!と落下していった。
落ちた先が水のクッションだったのは不幸中の幸いだ。
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