同日夜…
 今日のトレーニングも、結局誰一人脱落者を出すこともなく無事に終了し、皆は昨日と同じく桜乃の美味しい手料理に舌鼓を打ち、充実感を味わった後に、再び補習という名の合同勉強会を行っていた。
「うん…よし、上出来。昨日の勉強がちゃんと今日に活かされてるね、切原君」
「いや、まぁ…」
 あれから桜乃からだけでなく、真田からもきつい指導を受けていたのだから、多少は進歩が無ければ自分としても悲しくなる…
 切原は褒められつつも、複雑な心境で、結構点数が上がった添削済みのプリントを受け取っていた。
「しかし、こういう場を教師と一緒に持つのは非常に有意義だな」
 真田の小さな呟きに、全員が頷いた。
「全くじゃ、モチベーションも上がるしのう…お陰で夏休みの宿題は全部ここで終わらせられそうじゃよ」
「ええええ、仁王っ!? お前もしかして頭良かったの!?」
 素っ頓狂な声を上げた丸井を、じろっと銀髪の男が軽く睨む。
「何じゃその引っ掛かる言い方は…予習復習効果を甘くみたらいかんぜよ」
「私も馬鹿の真似はあまりしたくないですから」
 柳生の言葉もなかなか辛辣である。
「くっそ〜〜〜裏切り者〜〜〜! 俺、まだ半分しか出来てねーのに嬉しがってたなんて屈辱だ〜〜〜!!」
「半分は家でやればいいだろう。夏休みは始まったばかりだし、俺達は三年だから、そう量も多くなかったし」
 相棒の忠告に、しかし向こうはぶんぶんと首を振った。
「俺にそんな芸当は無理!」
「言い切られても…」
 どうフォローしたらいいんだ…とジャッカルが溜息をついていると、隣で静かに黙々と問題集を解いていた幸村が手を止め、うーんと大きく伸びをした。
「ふぅ…集中していたら少し疲れちゃったな…まだ眠る程じゃないけど」
「そうね…ちょっと一休みしましょうか。柳君、冷蔵庫のジュース、貰ってもいいかしら」
「ええ、勿論。食材は自由に使ってもらっていいですよ」
 桜乃はこの家の今の管理人でもある柳に許可を貰うと、よいしょと立ち上がった。
「じゃあ、私、ジュース準備してくるから、皆はくつろいでて?」
 フットワークも軽く、桜乃はキッチンに向かうと、人数分のグラスに冷えた氷を入れ、更にそこに冷やしていたジュースを注いで、盆に乗せて生徒達に持って行った。
「…あら?」
 彼らのいる筈のテーブル傍に戻ると、誰もいない。
「先生、先生、こっち」
「あら、切原君」
 彼は窓ガラスの向こう…バルコニーから部屋へと半分身を乗り出して桜乃を呼んでいた。
「こっち来ませんか? 星が綺麗ッスよ」
「あ、本当?」
 行く行く〜と、教師は嬉しそうに生徒の誘いに乗って、自分もバルコニーへと足を向けた。
 そこには、先に来ていた生徒達が集まっており、皆、思い思いに星空を見上げていた。
「うお〜〜〜、ぜんっぜんウチからの眺めと違うぜい!」
「都内だと、どうしても街の灯りが邪魔をするからな…肉眼でこれだけの景観を望むのは難しいだろう。叔父も、ここの星空はとても気に入っているらしい」
「壮観だな…見ていると、自然に対して如何に人間が矮小な存在かを思い知らされる」
 柳や真田が言う言葉に納得しながら、桜乃は全員に一つ一つグラスを配って回った。
「はい、どうぞ皆」
「有難うございます、竜崎先生」
「すまんの」
 彼らに全て配り終えると、桜乃も自分の分のグラスを手にして、暫く見事な星空を見上げて楽しんだ。
「竜崎先生」
「はい?」
 呼ばれて振り返ると、星空から自分へと視線を移した部長が、薄い笑みを浮かべつつこちらを見つめていた。
「今回は、俺達の合宿に同行して頂いて、本当に有難うございました」
「そんな…」
 謙遜しながら、桜乃はああ、と思い出した。
 そうか、もう明日には帰っちゃうんだよね…二泊三日だったものね…
(でも、凄く楽しかったなぁ…皆、凄くいい子達ばかりだったし)
 不思議…ほんの短い期間の合宿だったのに、こんなに名残惜しいと思ってしまうなんて。
 それはきっと、この環境よりも、彼らがメンバーだったからなんだろう。
 今まで担当の教室の子じゃなかったからあまり話す機会は無かったけど、こうして知り合える機会を持てたのは凄く良かった…
「私こそ、補習の名目で無理やり付いてきてしまったみたいで御免なさい。少しでも皆の役に立てていたなら嬉しいな」
「当然ですよ。先生がいて下さったお陰で、俺達もいつもよりずっと楽しかった。食事の準備も全て引き受けてもらったから、去年よりずっと実りのある内容になりました」
「うふふ、そう言って貰えると嬉しい……こんなに綺麗な処で皆と楽しく過ごせて…こんな素敵な星空まで見せてもらったんだもの、そのぐらい、お安い御用」
 そこに、丸井が楽しそうに話に割り込んできた。
「けどさ、ほんっとうに今年は食事の質が上がって良かったよい! あんだけ美味しかったらたっぷり食べるし、そうしたら力もついて練習もバッチコイだったしさ!」
「有り難かったですね」
 うん、と柳生も文句無く同意する。
「……本当に、何で先生、恋人いないんだろ」
「赤也!!」
 失敬なコトを言うな!!と真田が厳しく注意したが、当の桜乃本人は相変わらずほわほわと呑気に笑っていた。
「う〜ん、どうしてだろうねぇ…こうして皆と話しているのは凄く楽しいから、別に男性が嫌いとか苦手って訳でもないと思うんだけど…ああ、そうだ、じゃあ…」
 不意に、桜乃が笑ってぽんとグラスの底で掌を叩きながら提案した。
「このまま私に恋人が出来なかったら、いっそ、皆の内の誰かがもらってくれない?」

「っ!!!!!!」

 まさか向こうからそんな大胆な発言がっ!
 鈍感なのは間違いないが、鈍感故にこういう爆弾発言も平気でかましてしまうのか…!?
「なーんて……あれ?」
 てっきり「そんなの無理」というツッコミが入るかと思っていた桜乃は、一様に無言になってしまった男達を不思議そうに見つめた。
(…もしかして、外しちゃったかな…? 軽いジョークのつもりだったんだけど)
 それとも、まさか、私って、返事も出来ないぐらいに魅力が無いってコト…!?
「あ、あの…皆?…」
「先生」
 ぽん、と彼女の肩に手を置いた幸村が、にっこりと晴れやかな笑顔で言った。
「言ったことには、大人として責任をもってくれますよね?」
「はい…?」
 予想外のラッキーワードを本人からこんなに早く聞けたのが嬉しかったらしい。
 他のメンバーも桜乃の申し出を受け、皆、一様に背を向けたりごほごほと咳で誤魔化したり、陰でにや…と意味深な笑みを浮かべたりしていた…が、断る者は皆無。
「…取り合えず、学校に帰ってからも宜しくお願いします……先生」
「?…はぁ」
 こちらこそ、宜しく…と桜乃はよく分からないままに素直に相手の申し出を受け止めていた……


 最終日…
 借りた別荘をしっかりと掃除して、ガスや水道、電気を確認し、点呼を済ませ、全員は元来たように公共機関を利用しながら共に家路を辿っていた。
「…すぅ…すぅ…」
 実に充実した二泊三日の合宿に参加した桜乃は、帰りの貸し切り状態のバスの中で寝入ってしまっており、他のメンバー達の注目の的だった。
 普段なら早速爆睡を決め込む筈の切原でさえも、今はそれも惜しいとばかりに彼女に注目している。
「か〜〜〜っわいい〜〜〜」
 丸井が嬉しそうに呟いている隣では、また仁王がデジカメで相手の寝顔を激写中。
「仁王君、一体何枚メモリーカード持って来ているんですか」
「秘密」
「焼き増しして荒稼ぎ、なんて考えてないだろうな」
 こそこそと起こさないように小声で会話する仲間達を見つめながら真田が溜息をついた。
「全くあいつらは…」
「ふふふ…まぁ楽しい合宿だったからね、まだ浮かれていたいんだよ」
 今はそのままにさせておこう、と断りながら、幸村は暫しの沈黙の後で小声で付け加えた。
「…戻ったら、テニス部では仲間でも、男としてはライバルになるかもしれないんだし」
「……」
 何を言わんとしているのかすぐに察した副部長が、ぐ、と無言になった。
 戻ったら…夏休みが訪れると同時に、自分達のもう一つの戦いが始まるのかもしれない。
 一人の女性を巡って……
「俺達の全員が参加する可能性、百パーセント…まぁ、予想の範疇だったがな」
 傍の参謀もあっさりとその可能性の高さを肯定していると、向こうで切原があっと何かを思い出した様に声を上げていた。
「うわしまった。やり忘れてた」
「何じゃ、宿題か?」
「それは目標分は済ませましたって。そうじゃなくて、こういうキャンプとか合宿とか、そういう処では常識的なイベントっすよ!」
「何だ? キャンプファイヤーか?」
 わいわいと騒いでいる向こうを見遣り、真田はやれやれと苦笑した。
「全く…子供でもあるまいし」
 そんな彼の言葉が終わった直後、聞こえてきた切原の答え。

「夜這い!」

「子供のクセに何を抜かしとるんだーっ!!」
「弦一郎、錯乱している所悪いが、それ以前に犯罪だ」
「切原とは一度、常識についてよく話し合っておいた方がいいみたいだね…」
 三強がそれぞれの反応を返しているところで、向こうの先輩達は、早速不届きな後輩に愛の鞭を食らわせていた。
「わ―――――――っ!! 冗談、冗談ですってば! 何で皆いきなりそんなムキになってるんスか!?」
「ムキにもなります! 貴方はもう一生監禁でもされて、生涯を補習に捧げたら宜しい!!」
「ギャグでもTPOを弁えんか!! 寝ているとは言え本人の目の前じゃぞ!?」
「落としたれ! こっから落ちて頭でも打ったら正気に戻るだろい!!」
「…こんなヤツの為に人生無駄にしたくないなぁ、俺…」
 そんな騒動が起こっているとは知る由もなく、桜乃はそれでも安らかに小さな寝息をたてている。
 楽しい夏休みの始まりに相応しいイベントが終わりを迎え…そして新たなイベントが始まりの時を迎えた事にも気付かず、桜乃は夢の中で暫しの安息を楽しんでいた…






$F<前へ
$F=立海リクエスト編トップへ
$F>サイトトップへ