天使の歌声


「フラれた…」

『!!!』

 昼休み
 久し振りにレギュラー全員で昼御飯を食べようとサロンに集まった時のこと。
 いつもならこの時間、一番元気な筈の丸井ブン太がテーブルに突っ伏して呟いたその一言で、全員の時が止まった。
 彼の相棒のジャッカルに至ってはそれだけでは済まず、思わず含んでいた緑茶をぶっ!と派手に吹き出してしまった程だ。
 因みにその時彼の前に座っていたのは、よりにもよって副部長の真田。
 いつもなら難なくかわしていた筈の災難だったが、数秒前の丸井の暴露で意識が逸らされてしまっていたのか、まともにそれを受けてしまった。
「〜〜〜〜〜〜!!!」
「ひいぃぃっ!! ひらに! ひらに〜〜〜っ!!」
 相変わらず不運の大道を突っ走っているジャッカルが、顔面を緑茶で濡らした、怒りに震える真田に対し必死に謝っている隣では、部長の幸村が丸井に気遣う様子で声を掛けていた。
「振られた…って、ブン太、誰かに告白したの? 好きな人いたんだ」
 そんな事全然知らなかった、というのは幸村だけではないらしく、他の全員も同様に驚いた様子だった。
 恋の痛手の癒し方など知らないが、友人としては慰めるのが筋だろう。
「そんなに気を落とさないで。でも、一体誰なんだい、君を振ったって…ウチの学校の子?」
「おさげちゃん…」

『……』

 途端、皆の労わりのオーラは悉く消え失せて、丸井の両脇から仁王と柳生ががしっと彼の肩を掴んだ。
「はーい、どういうコトかのう〜、そりゃあ…」
「ちょっと付き合って頂きましょうか…尋問に」
「わ―――――――っ!! 誤解だ〜〜〜〜っ!!」
 詐欺師と紳士のペアが容疑者を何処かに連れて行こうとしても、誰も止めようとしない。
 その理由を語るには、先ず彼が言った「おさげちゃん」なる女性について語らなければならないだろう。
 彼女は彼らの在籍する立海ではなく、青学に通う中学一年生の女子であり、丸井が呼ぶ通り、長いおさげがトレードマーク。
 名前を竜崎桜乃と言い、青学のテニス部顧問、竜崎スミレの孫でもあった。
 夏に偶然が重なって彼らと知り合ったのだが、、桜乃は別にテニスが神がかって上手い女子でも何でもない、ごく普通の少女である。
 しかし、そのごく普通の少女に、立海メンバーは全員が例外なく惜しみない愛情を注いでいた。
 それは最早、ただの先輩、後輩という関係に留まらず、まるで血の繋がっていない兄妹の如き睦まじさ。
 桜乃が立海にテニスの見学に訪れた際には、彼女の周囲には必ず彼らの内の誰かが付き添っている程で、正に、末の妹を守る八人の兄という表現がしっくりくるのだが、あまりに大切にし過ぎている所為か、過剰なまでの男避けになってしまっているのも事実だった。
 それだけ可愛がっている桜乃に丸井が告白したという事は、つまり、他のメンバーを出し抜いた、抜け駆けをしたと取られても致し方のないコトなのだった。
「そう言えば、昨日、確かに竜崎が来とったのう」
「その隙に、そういう不届きなコトに至ったと…見上げた行動力です」
「うわあああん!! 違う違う! 今度のカラオケの話だってば〜〜〜〜!!」
「…カラオケ?」
 必死に弁解する丸井が叫んだ台詞の中の単語に、参謀である柳がぴくっと反応し、仁王達も一時、拉致の足を止める。
「いつつ…カラオケって、来週の日曜に行くヤツか?」
「そ、そうそう…」
 結局、真田から拳骨を受けてしまったジャッカルが殴られた頭を擦りながら確認すると、相手はこくこくと何度も頷いた。
「皆で行こうって話だったけどさ、おさげちゃんも一緒に行った方が楽しいかと思って、昨日彼女が来た時に、ちょっと誘ってみたんだい…そしたら…」


 丸井の回想では、こうだ。
 昨日の放課後の部活動の最中に、あの少女が久し振りに見学に訪れた。
 それは勿論、立海のレギュラー全員の知るところとなり、いつもと変わらぬ歓迎を受けた彼女は、いつもと変わらぬ慎ましさで、邪魔にならない様に真面目に見学を行っていた。
 そんな中、丸井は一つの案を思いつき、早速彼女へとそれを実行するべく近づいていった。
「なぁなぁ、おさげちゃん」
「あら、こんにちは、丸井さん。どうしたんですか?」
 にこにこしている若者に、桜乃は首を傾げて不思議そうに問い掛けた。
「あのさぁ、来週の日曜に俺達でカラオケに行く予定があるんだけど、良かったらおさげちゃんも一緒に行かない?」
「カラオケ…」
 復唱した後、桜乃は微かに浮かべていた笑みを消すと、相手に向かってはっきりと言った。
「申し訳ないんですけど、カラオケは辞退させてもらいます」
「えー?」
 ぶーっと不満の声を上げた丸井は、諦めきれないのか、再度彼女を誘ってみるべく言葉を重ねた。
「折角だから行こーぜ〜? 皆揃うし、絶対楽しいと思うんだけどな」
 いつもなら、丸井が駄々をこねると大概の事は桜乃が折れて了承してくれる事が殆どなのだが…この時だけは事情が違った。
 ねだられた桜乃は、変わらずにこにことした笑みを浮かべていたのだ…が、
「絶対に! 何が何でも行きません!」
 背後からずごごごご…!と謎のオーラが立ち昇る程の気迫で、彼女は断ってきたのだった。
 初めての、物凄い気合の入った桜乃の断り振りに、流石のおねだり小僧も引いてしまう。
(ええええええ〜〜〜〜〜〜っ!?)
 なにっ!?
 殺気まで感じるこの拒絶反応!
 俺、俺、何かした!?
『おーい、竜崎やーい』
 呆然と佇む丸井の耳に、向こうから彼女を呼ぶ切原の声が聞こえてきた。
「あ…はい」
 そして、呼ばれた桜乃がその場を立って歩いて行った後も、ショックで暫く動けなくなってしまった丸井が残されたのである。


「今まではお菓子でも何でもねだったら言うコト聞いてくれたいい子だったのに〜〜〜〜〜っ!! おさげちゃんがグレた〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
 わっと大声で嘆く丸井に周囲の生徒から奇異の視線が注がれ、参謀の柳もまた冷ややかな反応を返した。
「人の評価をする前に、お前の生き方を改めろ」
 全くもってその通り…だが、当の本人はそんな様子など微塵もない。
「…別にこだわる事もないと思うけどな、カラオケぐらいなら」
「人にも都合というものがありますからね」
 幸村の言葉に柳生も同意を示す。
 カラオケが嫌いな人間もいるのだし、とほぼ全員が桜乃に対して不参加に理解を示したのだが、ぐに、と首を曲げて顔を上げた丸井の一言が風向きを変えた。
「…お前らの中で、おさげちゃんの歌、聞いた奴いんの?」

『……』

 全員が沈黙したところで、更に丸井は畳み掛けた。
「音痴なら仕方ないけどさ、もしそうじゃないならおさげちゃんの歌声、聞いてみたいと思わねーの?」

『…………』

 更に拡がる沈黙…だったが、皆が丸井の台詞に多大な魅力を感じたことは間違いなさそうだった。
「……そう言えば」
 ん、と切原が、ある事実を思い出した。
「…別にアイツ、カラオケ嫌いじゃなかった様な気が…いつか、青学の友人達とカラオケ行ったって話してたッスけどねぇ…そんな嫌そうな感じはなかったッスよ?」
 そう、いつかここに来た時に、クラスメートの女子達と連れ立って遊びに行った、という話を聞いた事があった。
 コートで話す女子は桜乃しかいないので、誰かと勘違いしているという事もあり得ない。
 なら何故?
 何故、今回に限って、そんなに激しい拒否反応を示したんだ?
「親しい友人なら、自分が音痴でも知られて構わない…とか?」
「しかし、それにも無理があるのでは? もし自分なら、人にそんな声を聞かせるのは忍びないので、やはり辞退すると思いますが……しかもあの慎ましい竜崎さんですよ?」
 ジャッカルと柳生が真面目な顔で予想を色々とたててはいたが…
「…嫌われてんのかな、俺ら」
 何気ない切原の台詞に、ざっくーとメンバー達の胸に見えない刃が突き刺さる。
「きっ…嫌いならそもそもここに来る筈がなかろう!!」
 真田が必死にその可能性を否定するべく声を荒げたが、相手もでも、と食い下がる。
「でも、テニスの見学は見学って、割り切ってるって可能性もあるッスよ」
「…あの子に限って、そんな器用な真似が出来るとも思えんがのう…けど確かに気になるぜよ」
「…人の誘いを無碍に断る子じゃないのは確かだから、きっとそこにはそれなりの理由があるんだろう…先に誰かと遊ぶ約束とかね」
 ふーんと面白そうに呟く詐欺師の脇では、幸村が冷静に相手の事をそう分析し、最後ににこ、と笑った。
「…けど、確かに彼女の歌声…聞いてみたいなあ」


 それから数日後の放課後
「とある確かな情報筋によると…」
 その日の放課後、部室で練習に向けて準備していたメンバーの中で、例の銀髪の詐欺師が自前の手帳を開きながらそう切り出した。
「何だよい、改まって…」
「竜崎の例の件なんじゃが…やっぱり歌が苦手ではなさそうじゃよ?」
「え…」
 若者の情報に、ぴくんっと全員が聞き耳を立てつつ周囲に集まってくる。
 桜乃に関するアンテナ感度は、全員、かなり高性能の様だ。
「と言うよりも、かなり上手い方なんじゃとよー。レパートリーはそんなに多くはないが、声の伸びはいいらしいし、音程の取り方も上手いとか…量より質って感じかの」
 つらつらつら…とそんな説明をする同級生に、しかし、丸井とジャッカルは顔色を青くしている。
「いや…情報はすっげー有り難いんだけどよい…」
「お前…その情報どっから…」
 しかし仁王は背中を向けて、ふっふっふ…と意味深な笑みを零すだけ。
「お友達が多いと、こういう時には助かるのう〜」
『…コイツに限っては、モグラやカラスが友達だっつっても、俺、絶対驚かねえ』
『モグラで済みゃあ、そりゃ御の字だろうよ』
 俺はもっとヤバイお友達を想像した、とジャッカルが相棒に耳打ちしていると、今度は柳がぱら、とノートを捲りつつ補足を行う。
「竜崎は、音楽の成績も優秀の様だな。その事からも、彼女が音痴であるという仮説はほぼ成立しない。後は、その日に予定があって断ったという可能性が残されたが…これも学校の行事に関しては該当するものは無い様だ」
「不思議だねぇ」
 幸村が素直に親友のそんな台詞を受け止めているのに対し、今度は切原が視線を逸らした。
「俺には部長の反応の方がよっぽど不思議なんすけどね…」
 成績って…自分達の学校の生徒であっても個人情報漏洩モノの大問題だろうに、他校の生徒の成績把握しているって何事!?
 でもって、それを聞いても眉一つ動かさない部長って…!!
「……ここ、テニス部ですよね」
「当然だ」
 副部長の断言に、更に切原は眩暈を覚えた。
 当然だと思えないからこっちは質問しているのに…
 そう思っていたところに、トントントンと部室のドアがノックされ、向こうからぴょこ、と見知った少女が顔を覗かせた。
 丁度、今、話題に上っていた竜崎桜乃本人だった。
 まさか、噂をしていたから本人が呼ばれてきた訳ではないのだろうが、何というタイミングの良さ!
「こんにちはぁ、見学に来ました」
「! やぁ、こんにちは」
 その瞬間、レギュラー達は、幸村の笑顔の裏に何かが隠されているのを敏感に感じ取っていた。
 何であるかは聞かずとも分かる…桜乃が日曜の誘いを断った理由を暴くことだろう。
 彼女にそれを教えるべきか、教えざるべきか…判断は難しいところであり、彼らの自由意志に委ねられたのだが…結局、口を挟む者は皆無だった。
「珍しいね、この間も来てくれたばかりだったから、こんなにすぐまた会えるなんて思っていなかったよ。向こうの女子テニス部の方は大丈夫なの?」
「はい」
 さりげなく会話を切り出した幸村が、自分から知りたい情報を聞き出そうと虎視眈々と狙っている事も知らずに、少女は相変わらず危機感ゼロの状態で受け答えをしている。
 そして暫くは雑談に興じていた二人だったが、頃合も良しと判断したのか、幸村が何気なく本題を切り出す。
「そう言えば竜崎さん、日曜は忙しいの? ブン太がカラオケに誘ったけど、断られたって…」
「あ…今度の日曜ですよね? はい、ちょっと都合がつかなくて…」
 都合…と言う事は、やはり先約があったから断られただけか…なら、仕方ないのかな。



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