朋香レポート(後編)


 そして後半戦…午後の授業である。
 朋香は最早完全に立海の空気に慣れた様子で、廊下を闊歩し、残りのメンバーを探していた。
 残りと言うと、言うまでもなく立海の三強。
 部長の幸村、副部長の真田、参謀の柳…いずれもかなりの強敵である。
 実は三人については、朋香は予め乾から忠告を受けていた。
『いいか、小坂田。偵察に関しては素人のお前が、あの三人に下手に近づくのは危険だ。好奇心が猫を殺すという諺もある。探りたい気持ちは分かるが、あの三人に関してだけは決して近づくな。遠目から或る程度の情報を確認出来たらそれでいい』
 そう言って、彼はオーソドックスな双眼鏡を貸してくれたのだが…
「猫を殺すって…まさか本当に殺される訳が…」
 手にした双眼鏡を眺めながら呑気にそう考えていたのだが、その少女の脳裏に、シャレにならない立海の試合振りが思い起こされる。
 考えてみたら、あの三強、愛しの越前リョーマと接戦を繰り広げた切原を赤子の手を捻る様に打ち負かし、コートに這い蹲らせたという逸話の持ち主達なのだ。
 言うまでもないが、三人一緒にではなく、一人ひとりが、である。
 実は朋香は、部長である幸村については知らない。
 知らないので、想像も出来ない。
 最近手術を受けて、無事に復帰したという話だけは聞こえてくるが、これまでの副部長の真田のインパクトが強すぎるので、想像の邪魔をするのだ。
(うーん…確かにあの真田さんの上をいく人なら、どんなごつい人でも納得って感じだけどね…さて、先ずは参謀の柳さん…かな)
 実は昼食を食べ終えた後、朋香は彼の教室を遠くからでも見える場所を予めチェックしていた。
 何しろ高倍率の双眼鏡が手許にあるのだ、肉眼よりも遥かに情報を仕入れる事が出来る。
 授業中の誰もいない閑散とした廊下の影から、彼女はこそっと早速双眼鏡を覗いた。
「おお…いたいた」
 確かに、あの細目と艶やかなストレートは間違えようもない、立海テニス部のブレーンだ。
 流石にそのあだ名に相応しく、知的な雰囲気を漂わせており、授業にも熱心に耳を傾けている。
(うう〜〜、でもこうして遠くからだと、やっぱりよく分からないなぁ…部活動さえしっかり偵察出来たらいいのは分かってるんだけど…)
 ちょっとつまらないな…と思っていたその時、不意に相手の頭が動いて、彼の顔がこちらへと向けられた。
(え…?)
 ここから向こうまではかなりの距離がある。
 双眼鏡を覗いている自分ならともかく、肉眼の相手にこちらの姿が見えている訳がない。
(き、気のせいだよね…何か、目が合っている気がするけど…)
 しかし、柳はじっと頭を固定し、まだこちらの方角を見つめている。
 流石に朋香も信じられないながらも不安を覚え、双眼鏡を外すとその場を急いで立ち去ったのである。
 勿論、書き込みも忘れてはいなかった。
「柳蓮二…立海の参謀であるデータマンで、その無表情さも乾先輩と良い勝負。いつも細目でいるから寝ているのか起きているのか…寝ていたら、生きているのか死んでいるのか分からないから、止めた方がいいと思うんだけど」
 しかし、書き込みの内容を知っていたのか否か…朋香がその場を離れてから間もなく、柳は視線をそこに固定させたまま、ゆっくりと瞳を開いていた。
「……」
 智謀に長けた男は、少女がいなくなった問題の場をじっと見つめ、やがて、口元にうっすらと笑みを浮かべていた。


「あー、何かすっきりしないな〜。まさかばれてはいないと思うんだけど…さて、次はいよいよ、副部長の真田さんのクラス…と」
 今度は、位置的には外に出て木陰から覗いた方が真田の様子についてはよく分かる。
 そういう訳で朋香は久し振りに外に出て、木陰に寄ると、こそっと双眼鏡を構えて中を覗き込んだ。
 見える…相手は窓際の席らしく、障害物もなくダイレクトに視界に飛び込んできた。
(いたいた…普段あれだけ厳しそうな顔をしているから、いっそ居眠りでもしてくれていたら面白いんだけど〜…)
 そんな不謹慎な事を考えていたその時だった。

 くわっ!!

(ひいぃぃぃぃっ!!)
 前触れもなくこちらを睨み付けた真田の表情に圧されて、朋香は思わず悲鳴を上げそうになり、慌てて双眼鏡を手放してしまった。
 物凄い恐怖…凄まじい威圧感!
 コートの観覧席で見た時とは、迫力が桁違いだった。
(なっ、なっ、なっ…ま、まさか本当に見えてるの!?)
 気を抜けばがくがくと震えそうになる身体を必死に抑え込みながら、朋香は落としてしまった双眼鏡を再び手に取った。
 遠目で肉眼で確認する限りでは、相手はもう黒板へと視線を戻している様だ。
(ぐ…偶然だよね…きっと)
 そう思いつつ、再度朋香は双眼鏡を構えて中を覗き込んだ…のだが…

 くわっ!!!!

「きゃああああ〜〜〜〜っ!!」
 またっ、また睨まれた〜〜〜!!
 偵察者の脳裏に、乾先輩の忠告が浮かんできた。
 確かに…相手に殺される程の身の危険を感じるっ!!
 双眼鏡を再び取り落とし、朋香はその場に座り込んで、急いで書き込みを済ませると、一時退却とばかりにその場を離れていった。
「真田弦一郎…無理、絶対に無理! この人だけは近づきたくないっ!! 目が怖い顔が怖い全部怖いっ!! 十歳サバ読んでいたとしても絶対に不思議じゃないし驚かないっ!!」
 そんな朋香の方へと二度視線を向けていた真田だったのだが…
(……気配が消えた…気のせいか?)
 実は視覚的に朋香を捉えていたのではなく、気配や視線を感じての威嚇だったのだが、相手のそれが消えたところで、彼は再び黒板へと目を遣った。
(いかんな…どうも邪な視線を感じたのだが、俺が過敏になっていたのか…? 猫や狸の類の気配ではなかった様な気がするのだが…今巷で噂の猿? まぁいい)
 そして、真田はそれからもいつも通り、授業を受けていた……


 真田の眼力の威力は予想以上に凄まじかったらしく、結局朋香はあれから放課後まで、とても偵察など出来るような精神状態ではなかった。
 図らずも、彼の行為は部長でもある幸村を、偵察の魔の手から守ったことになる。
 しかし、当の本人達はそんな事実など知る由もなく、いつもの様に部室に入って活動の準備に入っていた。
「…あれ? 蓮二は?」
「そう言えば、着替えてからすぐに何処かに行った様だな…竜崎への指導かもしれん。俺は別にこれといった連絡は受けてはいないが…」
「そう…まぁ彼のことだから、すぐに戻るとは思うけど、珍しいね」
「確かにな」
 二人がそんな事を話している間に、桜乃はしっかりマネージャーとしての責任を果たすべく、コートの端から端を何度も往復して駆け回っていた。
「あれー? なぁおさげちゃん」
「はい? 何ですか? 丸井先輩」
 声を掛けられ振り返ると、きょろきょろと辺りを見回している赤髪の若者がいた。
「どっかで仁王見なかった? 今日は俺と一緒のラリーからなんだけどよい」
「あれれ? ついさっきまでいらっしゃったんですけどねぇ…柳先輩と一緒だった気がするんですけど…」
 そう答えながら、桜乃もきょろっと辺りを見回してみたが、丸井の訴えの通り、影も形も見当たらない。
 詐欺師と名高い彼はたまに予想の遥か上をいく行動をとることがあるので、こういう事態になると少なからず不安になってくる。
「おかしいなぁ…あ、柳生だ! おーい柳生〜〜」
 首の運動に忙しい丸井は、今度は相手の相棒の姿を見つけて早速向こうにも声を掛けた。
「何ですか? お二人とも」
「仁王先輩を見かけませんでしたか? さっきまでいたのに姿が見えなくなって…」
 桜乃からの問い掛けを聞くと、柳生は僅かに眉を顰め、同時に首を傾げたが、さして慌てる様子はなかった。
「…またですか、彼は気紛れで動くことがよくありますからね…しかし部活には迷惑を掛けることはない筈です。すぐに戻ると思いますが…」
「うーん…そうですか」
 解決はしなかったが、相手の言い分は正しい。
「…仕方ないですね、丸井先輩。ちょっと待ってみませんか?」
「んー、ま、しょうがねっか。後でお菓子奢らせよーっと」
「もう…」
 妥協はしてもちゃっかりと見返りを期待している先輩に、桜乃が苦笑する。
「…でも、本当に何処に行ったのかな、仁王先輩…あ」
 そうしている間に、仁王ではなく、先程まで彼と一緒にいたという柳がコート脇に久し振りに姿を現し、桜乃はすぐに彼の許へと走って行った。
「柳先輩、仁王先輩が何処にいらっしゃるかご存知ですか? 丸井先輩がラリーをしたいって」
「ん? ああ、そうだったな…」
 思い出した様にそう答えると、柳は暫し考え込み、丸井の方へと歩を進めた。
「丸井」
「お? 何だよい柳」
「仁王は今、俺が頼んだ仕事をしている。すまないが、ラリーは俺が代わりに引き受けよう」
「へ? そうなの?」
「ああ」
 柳の言葉に丸井はそれなら、とあっさりと頷いたが、桜乃はん?と首を傾げる。
「お仕事…? 言って下さったら、私がやりましたよ? 仁王先輩、部活の練習の方が大切なんじゃ…」
「いや、これはお前には頼めない…少々酷なことになるからな」
「???」
 桜乃がよく分からない説明を参謀から受けている一方では、彼らの活動をいよいよ偵察しようかという朋香が、コート脇の茂みの奥からこっそりと覗いていた。
 ようやく精神的ショックから立ち直った彼女は、気を取り直して向こうの様子をしっかりと確認しながら手にはデジカメを持っている。
「何を話してるのかな…桜乃はマネージャーだからもしかして練習内容を教えてもらってるのかも…うーん…」
 そこで朋香はぶつぶつと呟きながら大いに悩んでいた。
「知りたいなぁ…後で聞けば教えてもらえるのかな…でも、桜乃は親友だから、騙す様な事はしたくないし…」
「ほうほう」
「……」
 自分の呟きに、何故か、何処からか合いの手が入り、朋香が一瞬沈黙する。
(え…?)
 今の…誰?
 確か右から聞こえてきた様な…とそちらへとゆっくりと振り向くと、いつの間にここまで接近してきたのか、すぐ隣に自分と同じ様にしゃがみこみ、こちらを見ている銀髪の男と目が合った。
「……」
「……」
 唖然としている朋香に、目が合った仁王が、にや…と笑う。
 瞬間、ぞーっと悪寒が朋香の全身に走り、彼女は慌ててその場から逃走を図ったのだが、ただの女子に屈強且つ敏捷な若者が遅れを取る訳もなかった。
「往生際が悪いのう」
 ぱしっと相手の腕を掴んだ仁王は彼女の逃走を阻止すると、あっさりとそれを軽く捻りあげてしまった。
「きゃ―――――――っ!! いたいいたいいた――――――いっ!!」
「参謀―、見つけたぜよ。コイツじゃろ? 青学のくのいちってヤツは」
 朋香の派手な訴えは完全に無視した仁王が柳に声を掛け、相手は振り向くと同時に頷いた。
「…捕えたか、よくやった仁王」
「なーに、ちょっとしたお遊びじゃよ…しかし、素人相手ではちとつまらんの」
 そんな男達の会話の脇で、銀髪の男が捕えた女性を見た桜乃は、大いに驚き声を上げていた。
「と…朋ちゃん!?」
 図らずも、これが二人の親友の再会の形となってしまったのだった……


「竜崎の親友で、どうやら俺達の練習内容を偵察に来たらしいのだが…」
「へぇ…あの子が竜崎さんの親友?」
 朋香が部室の方へと連れて行かれて数分後、その中では机を挟んで座る女子二人と、彼女たちを少し離れた処から見守る副部長と部長の姿があった。
 青学の女子が立海の制服を纏って潜り込んでいたのも驚きだったが、その目的がテニス部の偵察目的だというのだからこれもまた驚きだ。
 部外者の敷地内への不法侵入という結構な罪状なのだが、流石に桜乃の知己という事で、すぐに事を大きくする事も出来ず、彼らは一旦朋香を部室へと隔離し、他人の目から隠したのだった。
 もしこれがやましい目的を有した男性だったなら、全員文句なく警察へと通報していたことだろう。
 副部長達以外のレギュラーも、意外な闖入者に興味津々なのか、同じく部室の片隅からこっそりと桜乃と朋香の様子を眺めている。
『へぇ〜〜、アイツ、見たことある…青学の観覧席ですっげぇ目立ってた』
『あの一年のファンだろい? 言われてみたら…けど、立海の制服着られてたらな〜〜』
 流石に見分けはつかねーよ、と切原と丸井が頷き合っている向こうで、桜乃は朋香をきつく戒めていた。
「んも〜〜、朋ちゃん、こんなコトしたらダメだよ。立海の皆さんが気を利かせて下さったから、大袈裟な騒ぎにはならずに済んだけど…で、どうしてこんな無茶をしたの?」
「うう、ごめんね桜乃〜〜〜、でもこれは絶対に譲れない愛の試練だったの!! 私のリョーマ様に対する無償の愛の証と言うか何と言うか…」
「……」
 無償の愛…ねぇ…その割には言い訳が過剰な感じがするんだけど…
 親友の必死の訴えに、何故か桜乃は冷静過ぎる程に冷静な瞳を向けていたのだが、徐に彼女の腕が伸び、朋香の持っていたバッグを取り上げた。
 取り出したのは一冊のアルバム…
 中を確認すると、越前リョーマばかりを撮った写真ばかり。
 しかも中には、合宿所でのショットやら、際どいものでは上半身が裸のシャワー上がりのものとか…
 どう見ても関係者が撮ったものとしか思えない!!



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