それを認めた桜乃は、腕を机の上に置き、いかにもドラマの刑事の様な格好を取った。
「お母さんは泣いてるよ? 早く話して楽になったら?」
「すみません!! つい出来心で〜〜〜〜〜っ!!!」
 わぁっと突っ伏した朋香を、他のメンバー達はげんなりとした様子で見つめていた。
「…貞治の仕業だな…しかし写真の内容が何ともはや…」
 きっとあの秘蔵ショットの数々を餌にして、あの娘をここに送り込んだのだな…実にえげつないが、その執念は流石だ。
 柳は幼馴染の所業であると確信しながらも、非常に渋い表情を隠しもしない。
「すっげぇな…流石親友…つかよく付き合えるもんだわ、おさげちゃん」
「俺が越前ならショックで女性不信に陥りそうだ…」
 丸井とジャッカルがそんな事を言っている脇では、仁王と柳生が桜乃を見つめながら何度も頷いている。
「俺達が知り合ったのが竜崎で、本当に良かったのう…」
「相方が残った青学の皆さんには、心からお悔やみを申し上げたい気分です」
 あー良かった良かった、と思っている先輩達の隣では、珍しく切原がにやにやとご機嫌な笑みを浮かべている。
(へっ、ざまーみやがれ越前リョーマ! あんなストーカー紛いの女に追い掛け回されてるなんて、ちょっといい気味…)
 そんなメンバー達の様子を眺めていた副部長と部長が、最終的な決定を下すべく頭を寄せる。
「どうする精市…俺はもう何だかどうでも良くなってきた」
 あの越前リョーマのプライベート丸出しのショットを複数見せられた真田は、ずきずきと痛み出したこめかみを押さえながら、苦虫を噛み潰した様な表情で言った。
 あの小僧も苦労しているんだな…と流石の堅物も同情している様子。
「そうだねぇ…まぁ確かに初犯だし、悪意がある行為とも思えない。仁王の話だと竜崎さんに義理立てして、騙して練習内容を聞き出すこともしなかったらしいし…今回だけは見逃してもいいよ」
「ふむ…」
「…皆は彼女を知っているんだね? じゃあ、初対面なのは俺だけか。挨拶ぐらいはしておこうかな」
 試合会場で顔を合わせる機会どころか、これまで視線を向けることも存在に気付くこともなかった幸村は、朋香に向かってゆっくりと歩いていき、座っている彼女の傍に立った。
「あ、幸村部長…」
「途中でごめんね、竜崎さん。ちょっと特殊な事態だけど、君の親友なら俺も挨拶しておこうかと思って」
(幸村部長…噂の立海テニス部トップ?)
 相手の台詞を聞いた朋香は、結局授業中に唯一確認出来なかった相手を見上げた。
 緩いウェーブを有する髪を揺らし、見下ろしてくる若者は、非常に美麗で大人しく、物静かな印象だ。
「小坂田朋香さん…だね。俺は幸村精市。この立海男子テニス部の部長なんだ、宜しく」
 非常に物腰が柔らかな挨拶に、朋香は意表を突かれた感じだった。
 あれだけ気迫のある試合をする立海の部長なら、もっと厳しい人かと思っていたけど…見た目もそうだけど、ちょっと甘いんじゃない?
 乾先輩も随分と警戒していたみたいだけど、何てことないかも…
(なーんだ、全然あの副部長の人と違うじゃん。これなら青学の手塚先輩の方がよっぽど…)
 怖い…と思いかけていた彼女だったのだが、次の幸村の笑顔でその印象は一気に覆った。
「親友の竜崎さんには、いつもお世話になってるんだ」
 相変わらず柔らかな笑顔…だったにも関わらず、朋香はその男の背後から今にも飛び掛って来そうな獅子の幻影を確かに見た。
「っ!!??」
 柔和な表情の男の後ろから立ち昇る凄まじい覇気に、朋香は椅子に座っていながらもその身をじりじりと引いてしまった。
「そ、そう…なんですか…?」
 尋ねる声も、どうしても上擦ったものになってしまう。
 そうしている間にも、男の背後の見えない獅子は、牙を剥き出して荒々しく唸っていた。
 違う! この人、もしかしたらあの副部長の人とは恐怖の次元が違うのかもっ!!
「うん。とても良い子だよね…大事にしてあげて」
 優しい言葉の裏に、『もしまた彼女に迷惑掛ける様なコトしたら、黙っちゃいないよ』という脅迫が聞こえてくるのは気の所為か…
 幸村と朋香の挨拶を遠巻きに見ていたメンバー達は、あーあと全てを察した様子で哀れみの視線を送っていた。
(一瞬で決まったな…この勝負)
(既にこれで再犯は防がれたか…)
(女相手でも竜崎が絡むと容赦ないのう…)
 真田や柳、仁王がそんな事を考えていたのだが、一番傍にいた桜乃は、幸村の目に見えない威圧には全く気付いていない様子だった。
「竜崎さん。君の親友だってことで実害もなかったし、今回の件はなかった事にしてあげるよ」
「良かった! 有難うございます幸村部長!!」
「うん…ああそれと、俺の用事は済んだけど、蓮二が彼女に話があるみたい」
「柳先輩が…?」
 何だろうと不思議に思う桜乃と朋香の前で、幸村に呼ばれた参謀がすたすたと歩いて来ると、前振りなく朋香に対して一つの依頼を口にした。
「お前は竜崎とよく青学でもテニス部の見学を行っていたそうだな、特にあのルーキー…お前の今まで入手した情報、全てを俺に教えて貰いたい」
「サイッテ―――――――――ッ!!!」
 途端に飛んでくる、朋香の非難。
 その音量は凄いもので、柳のみでなく、隣にまだいた幸村の髪さえもなびかせた程だった。
「純情可憐な乙女にそんなリョーマ様を裏切るような犯罪紛いのコトをさせるなんてやっぱり立海ってサイテー!!」

(『純情可憐な乙女』に腹斬って詫びろ―――――っ!!)

 柳の依頼が犯罪紛いだったら、今日ここに来てお前がやっていた行動は何なんだ!!
 メンバー達の心の中での突っ込みは、無論桜乃もすぐに察すると、必死に相手を宥めにかかった。
 長年の付き合いなのだ、これでいちいち驚いていたらきりがない…
「朋ちゃん…責める前に先ず、我が身を振り返ろうよ…」
「やーよ! 絶対に引き受けないんだから!! それに桜乃も桜乃よっ! あっさり青学を捨ててどんなに凄い人達の処に行ったかと思ったら、朝っぱらから眠るわ食べるわたかられるわ、ロクでもない奴らばっかりじゃない! 何でこんな人達にこき使われるような毎日に満足してんのよ」

(あの不快感の正体は貴様だったのか…)

 むかむかっと更に不快感を募らせるメンバーだったが、身に覚えのある者達は気まずいのか声に出しては言わない。
「朋ちゃん、言い過ぎよ!」
「桜乃! やっぱり青学に帰ろう! あっちの方がいいじゃない、無理にマネージャーする必要もないし、先輩もリョーマ様も優しいし、皆口では言わないけど、桜乃が戻って来てくれるの待ってるんだよ!? 私からも竜崎先生に取り成してあげるから、帰っておいでってば!」
「それは無理よ、朋ちゃん。私の居場所はここにあるんだもの」
「居場所なら青学にだってあるじゃない! あなたは元々、あそこの生徒だったのよ!?」

『!!』

 程度の差はどうあれ、その朋香の発言に反応しない立海メンバーはいなかった。
 帰す…? この子を…?
 立海からいなくなる!?
「ダメ――――――ッ!! おさげちゃんはウチのっ!!」
「絶対反対っ!! 竜崎は青学より立海を選んだんじゃねーか! 今更そんな口出しするなよ」
 させるものかと早速丸井と切原が反対意見をぶち上げたが、ハッスルしている朋香には何らブレーキにならず、却って火に油を注ぎまくった。
「うっるさいわね、女の友情に口出さないでよっ! ここにいたら桜乃、きっと過労と心労で倒れちゃうわ! とにかく私はそんな頼みは聞けないし、親友の桜乃を放ってもおけないもん! 虐待だわ! 横暴だわ!! 訴えてやる!! 次に会う時は法廷よ〜〜〜〜っ!!!!」
 最早、日本語…というより、人語が通じないのではないか…?
「…勘弁してくれ」
 ぼそっと珍しく真田が弱音を吐いた隣では、幸村が困ったな、といった様子で静観している。
 そして、提案をした当の柳もまた暫し黙していたが、やがて仕方がないと呟いた。
「これだけはしたくなかったが…」
 その言葉に相手の只ならぬ決意を感じ取り、びく、と桜乃が怯えた様に身を震わせた。
 やっぱり…ここまで失礼を重ねてしまったから、見逃してもらえなくなっちゃった…?
 危惧するマネージャーの前で、優秀な参謀が彼女の親友に向けて更に提言を一つ。
「こっちが持っている越前の写真を全てあげてもいい」
「告訴を取り下げます」
「朋ちゃん…」

(示談が成立した――――――――っ!!)

 女の友情の脆さを桜乃が痛感している向こうで、悪魔の取引を行った参謀をその親友達が疲れた表情で迎える。
「…同じ土俵に上がりたくはなかったのだが…」
「言うな、お前は悪くない」
「相手次第では、無法も法になるんだよ…」
 そして、他のメンバーも朋香を遠く見つめ、桜乃と彼女とを見比べていた。
「…俺はもう、竜崎以外の女は絶対に信用せん」
「同感です」
 仁王の断言に、柳生に限らず全ての男子がうん!と強く頷いていた…・・


 それから、朋香は今日のみの見学を特別に許され、立海のコートを傍のベンチに座ってじっと見つめていた。
 その視線の先はライバルである立海のメンバーではなく、コート脇を走り回って仕事をこなしている親友の桜乃だ。
「……」
「楽しそうだろう?」
「っ!!」
 背後からの声に振り返ると、そこには部長の幸村が立っていた。
 彼もまた、見つめる先は親友の少女だ。
「…彼女は帰らないよ。本当は君も分かってるんだろう?」
「……ふんだ」
 ぷいっと前を向く少女に笑った幸村が彼女の隣に立つと、娘はちらっと彼を見上げて黙し…肩を少しだけ落として白状した。
「私のダダで少しでも帰りたがる素振りを見せたら、絶対に連れて帰るつもりだったのに…あ〜あ、がっかり」
「やっぱりわざとだったんだ、アレ」
「やっぱりバレてたんだ、アレ」
「ふふ…」
 一見して非常識とも取れる相手の派手な行動だったが、呆れるメンバーの中で幸村は冷静な視線を持ち続けていた。
「結構自信あったんだけどね……でも何か気が抜けたわ。あの子のあんな顔見せられたら」
 そうして眺める二人の視線の先には、非レギュラーもレギュラーも含めた部員達と、何かを熱心に話し合っている桜乃がいた。
 真面目な…しかし、無駄な堅苦しさは微塵もない、心地良い空気がここまで伝わってくるようだ。
 そんな場面が見学を始めてこれまでも数回あったのだが…常に中心近くには彼女がいた。
 過去の桜乃とは違う。
 今の桜乃は、文句なくメンバー達と馴染み、コミュニケーションを取れている優秀なマネージャーだった。
「粘ってはみたけど、私の居場所はここにあるってはっきり言われた時に、あーもうダメなんだなって思ってたわ。あそこまできっぱり断る桜乃なんて初めて見たもの…確かに青学にいたら、あんな彼女は見られなかったかもしれない…悔しいけど」
 桜乃が桜乃らしくある為には、青学ではなく立海に彼女を残すことが最良の道だと分かってしまったが、それでも隠し切れない寂しさは言葉に滲む。
「…ほんっとうに悔しいんだけどね」
 それを感じ取った幸村は、少しだけ目を閉じてひそりと囁いた。
「…君から親友を遠ざけてしまったことには、素直に詫びるよ」
「リョーマ様達に対しては?」
「ざまあみろって伝えておいて」
「……やっぱり立海って怖いわ」
 素直な感想に声をたてて笑い、幸村は桜乃の親友に頷きながら力強く言った。
「君の大事な親友は、俺達が責任をもって預かるよ。今日みたいな強引な手法は認められないけど、彼女に会いに来るのはいつでも歓迎する。竜崎さんもたまには親しい友人の顔を見たいだろうからね」
「…随分甘いんじゃない?」
「君が彼女を大事に思うのと同じだよ」
「……アナタ」
「え?」
「女に凄くモテるでしょ」
「知らない」
(だーめだこりゃ…)
 きっと凄くモテている筈なのに、それにすら気付かない程に桜乃に夢中なのか…
 多分、向こうで桜乃を囲んでいる他のメンバーも似たようなものなんだろう…
 よくまぁテニス好き、桜乃好きがここまで集まったものだ…と呆れながらも、朋香はそこでようやく心から安心出来た様な気がした。
 うん…彼らなら大丈夫、きっと桜乃を守ってくれると思うから。
 でももしそれがおぼつかなくなったら…自分がまた彼女を連れ戻しに来ないとね!
「…桜乃のこと、頼んだからね」
「うん」
 そして朋香は、桜乃との久し振りの再会を楽しみ、青学へと戻っていったのであった。

 それからも、桜乃は立海で平和に楽しく過ごし、朋香との友情も変わらず続いている……






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