妹分は渡しません


「あ、杏ちゃん〜〜!」
「待ってたわよ、おっそーい」
「きゃー、ごめんごめん! おっひさしぶり〜!!」
 或る日の休日…
 秋の晴れやかな一日、その昼下がり。
 賑やかな街の中にあって、ほんの少しだけその喧騒から逃れている場所がある。
 とあるビルの一画にあるカフェテラスだ。
 そこは大きな通りに面してはいるが、人通りもさほど多くなく、市民の憩いの場所ということもあり、比較的落ち着いた雰囲気の中にある。
 そんな外のカフェテラスに、若い女性が三人集まっていた。
 全員私服の出で立ちで、思い思いにお洒落を楽しんでいる感じである。
 一人はツインテールで元気一杯という感じで、もう一人は長いおさげをした、ちょっと大人しそうな雰囲気の女子。
 そして、最後にここに来たばかりの子は、ややショート気味のヘアスタイルで、三人の中では一番大人びた印象を受ける。
 まぁ、あくまでも三人の中ででの話であり、三人全員、まだまだ子供らしさは残っているのだが。
「ごめんね、出かける前にお兄ちゃんに捕まっちゃって」
「あはは、杏のお兄ちゃんって結構厳しそうだよね、友達づきあいとか」
 ツインテールの少女…小坂田朋香が笑いながらそう評したのに対し、橘杏は苦笑しながらも頷いて相手の指摘を認めた。
「まぁねー。二人に会うって言ったらすぐに解放してくれたけど…でも、二人とも元気そうだね」
「うん、元気よ、もっちろん。ね、桜乃?」
 朋香はそう言っておさげの少女、竜崎桜乃に同意を求め、相手もそれにこくんと頷いた。
「うん、杏ちゃんも元気そうで良かったー」
 実は、小坂田朋香と竜崎桜乃は同じ青学の一年生であり、しかも二人は幼馴染である。
 橘杏は他校の女子であるのだが、この三人、実はテニスが縁で知り合うこととなり、今は三人ともが非常に仲良しなのだった。
 不動峰という学校に通う橘杏の兄は、過去に九州のテニス界でその人ありとも言われた強豪で、その影響もあってか杏もそれなりにテニスの腕も立つ。
 朋香は基本的にテニスの応援のみ、桜乃も中学生に上がってからようやくテニスを始めたばかりの初心者なので、この三人の中では文句なく杏が一番だ。
 しかし女の友情にテニスの腕は関係ないとばかりに、彼女達は良い友人関係を築き、時々はこうして集まることもあるのだった。
「にしても本当に久し振り、結構色々と忙しかったからね。特に桜乃はそうだったんじゃない? お祖母ちゃんが顧問だもんね」
「あ、うん…でも、私も応援ぐらいしか出来ないし」
 話を振られた桜乃は、おっとりとした表情で微笑み、小首を傾げる。
 青学の男子テニス部顧問である竜崎スミレは、非常に豪快な性格の女傑なのだが、その孫である竜崎桜乃はとても内気な少女で、しかも従順且つ素直。
 気弱ではあるが気立てはいい娘なので、朋香も杏も彼女については自分達の可愛い妹の様に接していた。
「何言ってんのよ。乙女の応援は何より代え難い貴重なものでしょ、私だってリョーマ様にはいつも愛の声援を送ってんだから」
「朋ちゃんは相変わらずリョーマ君ファンだからねー」
 のほーんと桜乃がそう評している間に、そこにウェイターが水とメニューを運んでくる。
 それから三人はメニューを一通り眺め、それぞれの飲み物を注文した後で、改めてそれぞれに向き合った。
「そっかぁ、相変わらず朋香は越前君一筋なんだ」
「とーぜんでしょ? リョーマ様の格好良さは私が一番分かってるんだから」
 えへん、と胸を張る朋香を見て、杏は桜乃に尋ねてみた。
「で、少しは進展はあったの?」
「えーとぉ……」
 進展どころかまだまだ二人の恋は始まる様子すらないのだが、桜乃はそこまできっぱり言う事も出来ず、苦笑いで誤魔化す。
 朋香が今ゾッコンになっている越前リョーマという若者は、一年生にして青学のレギュラーの座を勝ち得、その生意気な口ぶりもあって何かと注目を集めている。
 しかし生意気ではあるがその分試合でも常に活躍しているので、口先だけの男でもない。
 有言実行の少年は、朋香に限らず他の異性の注目の的なのだ。
 実は、内気な桜乃が中学生に上がってテニスラケットを握る切っ掛けになったのも、あの少年が大きな一因だった。
 小さくても、その肉体的なハンデを物ともせずに打ち勝ってゆく彼の姿は、桜乃にも少なからぬ感動を与え、彼女を大きく前進させる切っ掛けになったのだ。
 但し、桜乃は越前をあくまでもテニスの心の師の様に捉えているので、男女の気持ちとはまた別の話らしい。
 男性として見ている、と言うよりは、優秀なテニスプレーヤーとして見て、尊敬しているという方が合っている。
「今のリョーマ君は、きっとテニスが恋人って感じじゃないかな…朋ちゃんだって、そういうリョーマ君が好きなんでしょ?」
「そりゃあそうだけど…ちょっとは振り向いてほしいとも思うのよね〜…はぁ、乙女ってツライわ」
 上手い言い回しで親友をフォローした桜乃は、元気出して、と朋香を励ましてから、杏に目を向けた。
「そう言えば、杏ちゃんはどうなの?」
「え? どうって?」
「杏ちゃんは、テニスとか私より全然上手だし、一緒にする機会が多いんじゃない? 神尾さんとか…」
「ア、 アキラ君? う、ん…まぁ、仲は良いと言えば良いんだろうけど…」
「何だか歯切れ悪いなぁ」
 どもる杏に朋香が渋い顔で突っ込んだが、相手は腕を組んでう〜んと真剣に唸っている。
「自分でも、相手が恋愛対象なのかどうか、よく分からないのよね…良い人には違いないんだけど…どうにもあのリズムは掴めないわ」
「あ〜〜……」
 確かに…と朋香もそこは納得。
「杏ちゃんは人気者だもんねー。桃先輩にも助けてもらったりしたんでしょ?」
 桜乃の指摘に、杏は頷きつつも溜息を漏らす。
「まぁね…でも、あの人もいい加減私の事を名前で呼んでくれないかな〜…橘妹って、確かに間違ってはいないけど…」
「悪気はないと思うよ? あの桃先輩に限って…」
「うん、それは分かる…能天気っぽいし」
「それはちょっと…」
 言いすぎだよ…と笑う桜乃に、今度は朋香が話を振った。
「…で?」
「…はい?」
「私達はともかくとして、桜乃はどうなの?」
「私…?」
 朋香の追求に、すぐに杏も乗ってきた。
「そうそう、今日私がここにお呼ばれしたのだって、それを聞く為だったんだからね。桜乃はどうなの? イイ人とか見つけた?」
「い、イイ人って…そんな人いないよう、私、魅力ないし…」
「アンタね…」
 がっくりと朋香が脱力する。
 本人はそんな事を言っているが、決してそんな事はない。
 桜乃本人は自覚は全く無い様子だが、親友の朋香と杏は、最近の桜乃の周囲を取り巻く環境で、或る大きな変化が生じているのをしっかりと感じ取っていた。
 実は今日待ち合わせをしたのも、それについての確認の意味もあったのだ。
「特定の人間はいないかもしれないけど…気になる人達はいる筈よ、桜乃」
「え…?」
「青学のにっくきライバル校立海!! 最近そこのレギュラー達が、アンタにえらいモーションかけてるって専らの噂なんだけど!?」
「えええっ!? そうなの!?」
「貴女の事だってば桜乃…」
 大いに驚いている桜乃に、ぽんぽんと肩を叩いて杏が突っ込んだ。
 これは…本人には本当に自覚がないらしい。
「で、どうなの? 大人しく正直にお姉さん達に教えなさい、怒らないから」
「朋ちゃん、目が怖いよ…」
 じりじりと迫る親友に冷汗を零しながらも、桜乃はふるふると首を横に振った。
「モ、モーションとかそんなのないよ…あの人達は、単に私を妹みたいに見てくれてるだけで、そんな大した事はされてないもん」
「ほんとお〜?」
 じとーっと見つめてくる姉貴分達の視線に、桜乃はうんと頷いた。
「うん…たまに会う時に飴もらったり、頭撫でられたり、抱きつかれるだけだよ。そんな変な事はされてないから」
「変だよ」
「十分に」
 朋香と杏は突っ込みながら互いにげんなりとした顔を見合わせた。
 駄目だ…やっぱりこの子は危機感というものが根っから欠落してしまっている。
 前二つは譲歩するとしても、最後の抱きつくってナニ!?
 実はその行為は、立海の中でも特に子供っぽい印象が強い、赤毛の若者が桜乃に好んで行う行為であった。
 向こうは桜乃の事を、他のレギュラー同様に非常に可愛がってくれており、その親愛の情からそういう行動に及んでしまうらしいのだが、男女のそれとはまた別のものらしい。
 まぁ、男女のそれが入っているともなれば、他のレギュラーが黙ってはいないだろうが…それでも、その事実を聞いた朋香と杏にとっては目が点レベルものだった。
「もう〜…桜乃は警戒心がないんだから、少しは注意しないと駄目だよ」
「そう…? でも、立海の皆さん、青学テニス部とはライバルだけど、普段はとってもいい方ばかりよ?」
「ええ〜? そう?…まぁ顔は良いのは認めるけど…」
 桜乃のフォローに朋香はまだ懐疑的である。
 過去に見た試合の印象が強いと、それもやむを得ないのかもしれない。
 一方で、杏は何となくきつい表情でじっと無言を守っていた。
「……」
「…杏ちゃん?」
 桜乃の呼びかけにようやく答えた杏の声は、間違いなく半オクターブは下がっていた。
「あのワカメ頭もムカつくけど、その後輩を抑えるどころかけしかけるような先輩方ってどうなのかしら…」
(ああっ! 地雷っ!)
 そうだった、思い出した〜〜!
 橘杏の実兄、橘桔平は、あの二年生エースの非情な攻撃で傷つけられた過去がある!
「まままま、まぁまぁまぁ…! 一応あの人も反省はしたみたいだし!!」
 慌てて朋香が杏にそう言ったものの、本当に反省したのかどうかは不明である。
「どーかしらねぇ〜…ワカメ頭はワカメ頭らしく海で生えてればいいのよ…」
 兄の事を心から慕っている杏にとっては、あの切原という若者は忌避すべき悪魔そのものらしく、物凄く怖いオーラを漂わせていた。
「ううっ…杏ちゃんも怖いよう〜…」
 桜乃が恐々と慄いているその向こうで、『ふぇっきし!』と誰かの豪快なくしゃみが聞こえてきたが、三人とも、それに気を向ける心のゆとりはなかった……


「ああもう、汚ねーなぁ。ちゃんと口を押えろよ、赤也」
「う〜〜…すんません、何か急にくしゃみが…」
 彼女達三人が賑々しく話に花を咲かせているその少し離れたところでは、偶然にも丁度話題に上っていた立海のレギュラーの面々が一同に会していた。
 どうやら、久し振りに皆でカラオケにでも行った帰りらしい。
 向こうの女子の噂を聞きつけたからくしゃみをしたのかは定かではないが、切原赤也がぐすっと鼻を鳴らしながら、妙に苛立たしげな顔をしている。
「どうした?」
 目付け役のジャッカルの質問に、相手はむっす〜っとしたまま答えた。
「いや…ついでに無性に悪魔化したい気分ッス…」
「やめとけ、人生棒に振るぞ」
「どうしてもやりたいなら俺らは他人の振りをするけ。短い付き合いじゃったな、赤也」
 仁王もその話の中に加わり、結局切原の悪魔化はこの時は抑えられた。
「全く…仕方のない奴だ。自制心を持つこともテニスにとっては重要な事だと言うのに…」
 副部長の真田が切原に苦言を呈すると、部長である幸村は穏やかな笑みで頷いた。
「ふふ…でも、珍しいね…別に喧嘩を売られたワケでもないのに悪魔化したいだなんて…何かの虫の知らせかな?」
「不吉な事を言うな、精市…」
 そう真田が言いかけた時…
「あ―――――――っ!!」
 いきなり、赤毛の若者・丸井ブン太が声を上げ、辺りの友人達の目を引きつけた。
「どうしました? 丸井君」
「おさげちゃんじゃん!? あれ!!」
 丸井が指差した先は、あの三人がたむろっている場所。
 こちらからだと横顔を見る形になってしまうが、あの長いおさげと大きな瞳は間違いない。



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