イカサマ真剣勝負(前編)
「お前の意見は感情論に過ぎない。何の根拠もない言葉になど耳を貸す義理はない」
「いいえ! 今回は、私だって退きませんから!」
その日の放課後、立海の男子テニス部部室は、大いに荒れていた。
大体ここで荒れると言えば、レギュラー間の意見の相違による論議によるものが殆どなのだが、今日に限ってはその様相は大きく異なっていた。
しかも、普段の論議であれば『またいつものこと』とさして気にする事もなく軽く流しているレギュラー達が、先程からずっと不安げな面持ちで、荒れる現場を凝視している。
原因の一人は、立海テニス部に於いても並ぶもののない理論派で知られる参謀、柳蓮二。
先ず彼とまともな議論を交わすこと自体がかなり難易度が高いものになり、普段からそれが出来るのは、彼と並び揃って三強と評されている部長の幸村と副部長の真田ぐらいだ。
ところが、今、その相手になっているのは…
「何度言っても、俺の判断は変わらない。退部は退部だ、これ以上無駄な時間を費やさせるな」
「もう一度考え直して下さいっ! そうしたら私も引っ込みます!!」
「断る」
青学から立海に転校し、現在はこの男子テニス部のマネージャーになっている竜崎桜乃だった。
彼女は、普段からこうして反抗的な態度を取る様な娘ではない。
寧ろ、逆である。
常に素直で従順で、性根は優しく人に対して負の感情を示すところなど見た事がない。
しかし、優柔不断という訳でもなく、ここぞという時には意外な根性を見せる事もあるのだが…どうやら今がその『ここぞという時』らしい。
「あああ、おさげちゃ〜〜ん…」
「ア、アリがライオンに歯向かうトコロ、初めて見たッス」
レギュラーの中でも一際賑やかな性格である丸井と切原も、今はこそこそと小さな声を漏らすのみであり、ずっと桜乃の様子を気に掛けている。
別に柳はどうでもいいと思っている訳ではなく、弁論に関しては彼の方が長けているのは間違いないので、そうではない桜乃を心配しているだけなのだ。
因みに、口論はあくまでも口論であり、それがどんなにヒートアップしても、暴力にまで発展する事はあの参謀に関してはあり得ないので、それの心配はしていない。
「胃…胃が痛ぇ…誰か止めてやれよ」
ジャッカルがいつもより一際辛そうな表情で腹部を押える脇では、仁王と柳生が困った表情であの二人を眺めていた。
「止めると言ってものう…」
「どちらにも言い分があり、そのどちらにも賛成出来る部分がありますから、私達は何とも…」
そんな二人を責める声もない…皆が同意見だったからだ。
切っ掛けは今日の朝、部室が何者かに荒らされていた事から始まった。
被害に遭ったのは、部室内に置かれていた幾つかの備品と予備のテニスグッズ。
すぐに警察を呼び調査が行われた中で、昨日の鍵当番だった非レギュラー部員が鍵を掛け忘れた事がそもそもの元凶であった事が判明したのだった。
確かに責任を放棄した事は決して褒められるべきものではないし、何らかの罰は負うべきだ。
それは桜乃も分かってはいたのだが、そんな彼女の前で部員の統率に大きな発言権を持つ参謀の柳は、あっさりと問題の部員の退部を決めてしまった。
これには当人だけでなく処分を直接聞いた桜乃も大いにショックを受け、慌てて柳にペナルティの軽減を願ったのだが、聞き入れられないまま徐々に話に熱が入っていってしまい、今の状態に至ったのだ。
「…精市?」
部長の権限で何とかならないものだろうか?と思ったのか、渋い表情の真田が隣に立つ美麗な若者に声を掛けたが、彼は部員の中で唯一、薄い笑みを浮かべる余裕を見せつつ柳と桜乃の様子を見つめていた。
「…俺としてはどちらの言い分も一理あると見る…ここで俺が決定するのは簡単だけど、そういう安易な方法だと必ずしこりは残るからね。ここは二人にとことん議論させるのもいいと思うよ」
そんなレギュラー達の視線の先では、尚も桜乃は一歩も譲らず柳に物申していた。
「たった一度の失敗で、退部だなんてあんまりです。本人も酷く反省しているんですから…!」
「反省して部の損害が戻ってくるのなら、俺は何も言わない」
「うっ…それは…戻ってはきませんけど…でも…」
痛いところを突かれた桜乃が言葉を詰まらせた隙に、柳が止めを刺した。
「そういうコトだ。甘い事を言っていても何の役にも立たない、冷静に考えたら俺の方に理がある事は分かる筈だ。そんな甘えや油断を見せるという事は、あの部員もその程度の気概しかなかったという事だろう」
「理って…」
その程度って……
確かに自分は甘いのかもしれないけど…でも、たった一度の失敗で、彼の努力全てを否定するなんて…!
一度は屈服させられかけた桜乃は、そこで再びぐっと顔を柳に向けた。
「ま、間違いを犯さない人間なんていませんっ…理を持つ人でも、時には誤る事も負ける事もあるでしょう? 絶対、なんて人はいないんです……例え、それが柳先輩でも!」
ぎゃ――――――――――っ!!!
(柳先輩に喧嘩売った〜〜〜〜〜〜っ!?)
(おさげちゃん、何てコトを〜〜っ!)
ひいいいっ!!と切原と丸井が揃って震え上がっている向こうでは、真田がああ、と片手で顔を覆い、幸村は更に楽しそうに笑みを深めていた。
これはまた、大胆な行動に出たものだ…あの子。
「…ほう」
そして、桜乃に大胆な発言をされた柳本人は、怒るよりも寧ろ興味をそそられた様子で少女を眺め下ろした。
「…そこまで言うのなら、お前は俺の過ちを、負けという形で証明出来るというのか?」
「え…」
「そういう事だろう? それとも今のは、感情に任せた悔し紛れの負け惜しみか?」
(あーあ、言っちゃった)
やれやれ、と苦笑いを浮かべながら、それでも仁王は相手に言うがままに任せた。
あれもまた、参謀の作戦だろう…ああして挑発することで、相手を引き下がれないところまで追い詰める。
冷酷な一面を持つ若者は、気に掛ける妹分であってもその攻撃を緩める事はない。
だからこそ…立海の参謀が務まるのだ。
(怖い怖い…)
笑みを浮かべて様子を伺う詐欺師の前で、桜乃はあっさりと彼の思惑通りに動いた。
「まっ…負け惜しみじゃありませんっ!」
「よかろう、では勝負だ」
「え…」
「俺とお前で勝負をして、もしお前が俺を負かすことが出来たら今回の決定はお前の言う通り破棄にしよう。但し、お前が負けた場合は奴の退部は決定、部の損害はお前が自費で埋めることにする」
「いっ!…そ、それはちょっと厳しすぎるんじゃないのか!?」
もし自費で賄うとなればかなりの被害額だ、とジャッカルが柳に進言したが、相手は鉄の盾で防御しているかの如く揺るがない。
「一度決定しようとしたものを覆そうと言うのだ、それ相応の覚悟はしている筈だ」
「…分かりました」
ここまで来たら、もう引く事は出来ない、と桜乃も覚悟を決めた。
自分の言葉には責任を持つべし…祖母にも聞かされてきた人生の教訓だ。
そして覚悟を決めたところで…は、と彼女が我に返った。
「でも…勝負って…何の勝負で?」
「ふむ…」
問われ、柳が口元に手をやったところで、初めて部長の幸村が口を挟んできた。
「俺から一つ言っておきたい。テニスによる勝負は認めないよ、蓮二」
皆の注目を受けながら彼は淡々と続けた。
「君と竜崎さんでは年齢もそうだし、そもそも性別が違う。どんなに彼女が努力しても肉体的相違はどうにもならないからね…それについては君も異論はないだろう」
「ああ、そうだな……では、肉体的相違に関係なく勝敗を決めるとなれば…頭脳戦か」
どちらにしろ、桜乃にとってはとんでもなく不利な戦いだということは間違いない。
相手は辣腕のテニスプレーヤーであると同時に、頭脳明晰で知られる秀才。
彼の立てた戦術があってこそ、立海のこれまでの快進撃が現実のものになったとさえ言われているのだ。
「……将棋」
ぽつりと柳が呟く。
「え…?」
「俺は趣味で将棋を指す。それで決めよう」
「れ、蓮二、本気か?」
そこに割って入ったのは副部長の真田だった。
「お前には俺でも滅多に勝てんのだぞ…イカサマでもしない限り竜崎が俺より上手く指せるとは思えんが…」
「俺に何処まで譲歩させる気だ、弦一郎…そもそも無理を言ってきたのは竜崎だぞ、彼女も立海のテニス部員である以上、そこまで甘やかす必要はない」
「ぐ…」
親友の言葉を封じた後に有能な参謀は暫く桜乃を見下ろしていたが、少し何かを考えた後にこくんと軽く頷いた。
「…正直、竜崎がどんなイカサマを使おうとしても、俺にはそれを見破る自信があるが…そうだな、お前一人で心細いなら助っ人を認めてもいい」
「助っ人…ですか」
聞き返す少女に、しかし、と柳は念を押した。
「あくまでも助っ人に頼るのは勝負前まで。本番の時にはお前の実力で俺に勝ってもらおう。当日は見届け人として付いてもらうぐらいは認めるが、一切の助言、手出しは認めない…どうだ?」
「……分かりました」
ペナルティを貰うのは、正直悔しくはある、が、ここで意地を張ったら千載一遇のチャンスを潰すことにも繋がる。
下手なプライドで勝負を捨てる必要は無い、ここは乗った形で最大限そのチャンスを利用するのが上策だ。
桜乃の受諾を得て、柳はそれでは、と相手に問うた。
「誰を助っ人にするのか、選んでもらおう」
「…うーん」
「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん…じゃな」
「えっ?」
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