立海体育祭(前編)
秋の学校行事と言えば、体育祭。
楽しみにしたり、憂鬱に感じたり、生徒達の反応も様々であったが、ここ立海男子テニス部部室内でも、丁度その話題が持ち上がっているところだった。
「お前はどっちだった? 切原」
「へっへー、赤組ッスよ」
「そうか、俺も赤組だ」
三年のジャッカルと二年の切原が楽しげに話しながら確認しているのは、数週間後に控えている立海体育祭の組分けだった。
この学校でも、オーソドックスに赤組と白組に分かれ、様々な競技で点を競い合うのが恒例となっている。
参加人数も多く、競技数も豊富な立海の体育祭は、周囲の地域の人々にとっても楽しみなイベントなのであった。
どうやら今日が体育祭の組分けの日であったらしく、その後ぞろぞろと部室に入って来たレギュラー達も、自然と二人の話の輪に入って行った。
「仁王君はどちらですか?」
「おう、赤組じゃよ?」
「そうですか、私も赤組でしたが…」
「俺もだよい」
「俺も赤組なんだ、皆と一緒っていうのは嬉しいね」
「俺もだ」
蓋を開けてみれば、レギュラー全員が赤組へと組分けされており、そこでは早速皆の、部活動とはまた別の連帯感が生まれていた。
「これはなかなかの確率だな…だが、俺達が揃っているという事は、自惚れる訳ではないが今年の赤組優勝にとっては大きな助力となるだろう」
柳が早速全員の身体能力や嗜好を考慮し、どの競技に参加するのが好ましいのか戦略を練っているところで、勝負ごとはおろそかに出来ない気質の真田が早速全員に檄を飛ばした。
「今年は全員が赤組という事は、遠慮なく全員一丸となって白組を叩き潰す事が出来る訳だな。仲間内で敵味方に分かれては多少心苦しい場合もあるが、その心配がないというのは喜ばしいことだ。当日はお前達の活躍で、白組を蹴落とす事を…」
彼がそんな事を言いかけていたところに、かちゃっと部室のドアが開いて、マネージャーである竜崎桜乃が入室してきた。
立海メンバーを慕っている妹分の様な存在で、彼らを慕うあまりに青学から立海へと転校まで果たした、意外と行動力もある少女である。
彼女はいつもの様に朗らかな笑みを浮かべながら、部屋の中に踏み込みつつ明るい口調でメンバー全員に呼びかけていた。
「体育祭楽しみですねー、私、白組でした〜」
『……………』
途端、真田だけでなく、全員が押し黙ってしまう。
(…えっ? なに? なに、この沈黙…!?)
私、何かいけない事を言ってしまったの?ときょときょとと周囲を見回す少女の前では、物凄く落ち込んだ様子の副部長がずーんっと沈んだ背中を向けていた。
「俺は…自分の後輩に対して何という非道な考えを…」
どうやら、先程の己の発言に凄まじい自己嫌悪を感じてしまったらしい。
「い、いや、それはまぁ、仕方ないからよい」
「別に殺しあう訳でもないし、そう気に病まなくても」
「ここは切磋琢磨するという意味で、敵味方という考えは無しにしましょう」
丸井や切原、柳生が必死に相手を浮上させようとしている脇では、おどおどしている桜乃を幸村が苦笑しながら落ち着かせていた。
「大丈夫、彼もすぐに戻ってくると思うから……それにしても、竜崎さんは白組だったのか、残念だな」
「え? 幸村先輩は赤組ですか?」
「うん…と言うよりも、俺達全員が赤組なんだよ」
「ええっ!?」
テニス部レギュラー全員が赤組に配置されるなんて…と流石に桜乃も大いに驚き、それからむぅ〜と深く考え込んだ。
「…ものすっごく大胆な謀略を感じてしまいます」
この人達が全員一つの組に配属されるなんて…その時点で別の組の勝ち目なんて無いに等しいんじゃないのかな…?
「いや、中学生の体育祭に謀略はないとは思うけど…」
でも、皆が一緒って思うと凄く心強いけどね、と笑う部長の後ろでは、仁王がつまらなそうにぼそっと珍しく愚痴を零していた。
「あまり極端な実力差じゃと、倍率が低くなるんじゃよなぁ…」
「仁王君、何を企んでいるんですか…」
まさか健全なる学校行事を賭け事に利用する気じゃないでしょうね…と柳生が追求するものの、向こうはふーんとそ知らぬふりを決め込んでいる。
「けど、残念だな〜。俺、おさげちゃんと一緒の組になりたかった…そしたら応援してもらえるのに」
「だよなぁ」
「あら、丸井先輩も桑原先輩も応援は沢山してもらえますよ? だってテニス部の皆さん、すっごい人気者じゃないですか。普段もモテモテなんですし」
(応援してくれる相手が問題なんだけどなぁ…)
確かに誰かが応援をしてくれる事は純粋に嬉しいと思うし有り難いことでもあるんだけど…可愛い妹分からの応援は更にその上をいく。
相変わらず呑気で或る意味鈍感な本人は、まるでそういう男心を理解していない様子だが…
「竜崎が白組である以上は、彼女もそちらを応援するのが筋だからな…相対する勢力である以上は止むを得まい」
「ちぇー」
唇を尖らせながらも、柳の真っ当な意見を理解してもいる切原の様子に、桜乃が仕方がないですねと笑う。
「白組の応援はしますけど、赤組の応援をしちゃいけないって訳でもありませんから。皆さんが出る時には、赤白関係なく張り切って応援しますよー」
「マジ!?」
「勿論です。それに皆さんと同じ組になれなかったのは残念ですけど、分かれたお陰でどっちが勝っても喜べますからね、体育祭がもっと楽しみになってきました」
成る程、そういう考え方もある訳だ…目から鱗。
常に『常勝』が自分達に課せられていたからこそ、そんな発想はなかった…と、メンバー達がへ〜えと新鮮な感動を覚えている脇で、その中心人物になった桜乃本人は、あーあと少し残念そうに後ろで手を組んで呟いていた。
「でも、私も皆さんみたいに運動神経抜群だったら良かったなぁ…正直、ドンくさい自信だけはあるんですよね」
そんな彼女に、ようやく浮上したらしい真田がじっと相手を見つめて素直な気持ちを吐露した。
「俺は…お前の方が羨ましいぞ」
スポーツであれ何であれ、競うものである以上、上を求める気持ちは捨ててはいけない。
その姿勢が間違っているとも思わない…が、この娘はまた別の正しい道を知っているのかもしれない。
「はい?」
「…いや、何でもない」
不思議な言葉の真意を語ることもなく、真田は苦笑いを浮かべるに留めた。
「?」
ん?と小首を傾げた桜乃だったが、相手に問う前に丸井から強襲を受けてしまい、その話題がそれ以上彼らの口の端に登る事はなかった。
「なぁなぁおさげちゃん。おべんと持って来て、おべんと。俺の分も」
「うふふ、体育祭の裏のメインイベントですね」
「タコさんウィンナーと唐揚げは外せないなー…あと…」
それからも色々と当日について盛り上がるメンバー達を眺めながら、幸村が心から楽しそうに笑った。
「…今年は特に、楽しい体育祭になりそうだね」
「そうだな」
彼の言葉に、いつもは固い表情の真田も何処となく柔らかな表情で頷いていた。
そして体育祭当日…その日は生徒達や家族の熱意に応える様に、実に心地良い秋晴れの日となった。
朝も早くから自分達の子供の勇姿をビデオに収めようとするお父さん達の姿も恒例行事として見られ、開会式の時には観客席も満員御礼。
今日の主役である生徒達は意気揚々と自分たちの出番を待ったり、友人達と喋ったり、競技開始前に際して思い思いの時を過ごしていた。
そんな中、立海男子テニス部レギュラーの面々は、一度全員が部室に集まり、今日の健闘を力一杯誓っていた。
「じゃあみんな、立海男子テニス部に恥じない活躍を期待してるよ…やるなら勝て!!」
『イエッサ――――――――――ッ!!』
部長の幸村の檄に、円陣を組んだメンバーが大声で応える。
部室の中に響いた彼らの意気込みに、見ていた桜乃もにこにこと笑いながら手を叩いた。
「皆さん、頑張って下さいね」
「おうっ!」
「勉強はダメでも運動は得意だからなー、へへっ、今日は大活躍してやるぜ〜」
「その主張、あまり自慢は出来ないと思うのですが…」
柳生が切原にそんな指摘をしていると、向こうから幸村が「切原、切原」と彼を手招きで呼びつけた。
「? 何スか? 部長」
「うん、一応言っておこうと思って…切原、今日は絶対に暴走はダメだからね。君が暴れたら間違いなく体育祭そのものが潰れるし…後輩が犯罪者になるのを見るのは忍びないから」
「……」
直後、切原の背中に哀愁が漂ったのは気のせい…ではないのだろう。
(も、もう既に中学生の体育祭の注意じゃない気が…)
「ん? お前さん、ちょっと服装が違うのう? 忘れたんか?」
少しばかり不安を感じてしまった桜乃だったが、そこで隣に来た仁王に声を掛けられ、そちらへと顔を向ける。
仁王が指摘した通り、体育祭に参加する女子生徒は全員上着とスパッツなのだが、彼女は上着は同じでも、下はジャージを履いていた。
流石に普段はおっとりの彼女でも服を忘れたという訳ではなく、桜乃はぱたぱたと手を振ってそれを否定する。
「あ、違います。私は今年は体育祭の実行委員会に入ったので、区別の為にジャージを履く事になっているんですよ」
「ほう…ならお前さんは競技には参加出来んのか、残念じゃな」
こういうイベントなら、当然、楽しむ側だけではなく運営が円滑にいく為の機関も必要である。
体育祭の時にはその期間前後で実行委員会が設立され、生徒会と合同で活動を行うのだ。
その役目は各機器、機材の設置や、スケジュール管理、競技に参加する生徒達の引率や点数の計上など、多岐に渡る。
限られた人数でそれらの仕事をこなさなければならないので、実質この委員会に属する生徒は、殆ど競技に参加する事は望めないのだった。
「うーん…でも、クラスのみんなから勧められて、これも良い経験かと思いまして。幸い私の役は手伝い程度の会場の案内、整備なので、初めは忙しいですけど、後は問題が起きなければ一緒に観戦も出来ますよ」
「それはええのう」
「そうですか…きっと信頼されているのですね。竜崎さんなら任せられると期待されたんじゃないでしょうか」
微笑んでそう言ってくれた柳生に、桜乃が照れ笑いを浮かべる。
「そ、そうですか…?」
そんな良い雰囲気の中で、ぼそっと切原が呟いた。
「ドンくさいから厄介払いされたんじゃ…」
小さな声ほど、こういう時にはよく聞こえるもので…
それを聞いた桜乃は、考えてはいたものの心の奥底に隠していた懸念を言い当てられ、ず〜んと落ち込んでしまった。
「…やっぱりそーですよねー…」
「赤也―――――――っ!!」
「君、今日は何かヘマしたら、ペナルティ二倍加算するからね……ロクな事しないんだから本当に…」
真田が怒声を上げ、幸村が早速朝から処罰を言い渡している向こうでは、競技の事も一時忘れ、必死に桜乃を慰めているメンバー達がいた…
そんなこんなで競技開始…
基本的に最初こそ生徒達はクラス毎に並び、指定の席についているものだが、それも時間が経過したらすぐに思い思いの自由席へと変わってゆく。
テニス部レギュラー達も例に漏れず、競技が始まってから一時間もしない内に彼らはひとつ所に集まって観戦していた。
『次の競技『登校五分前』に出場する生徒は、門に集合して下さい』
「あ、俺ッスね」
アナウンスが入り、立ち上がったのは切原だった。
テニス部レギュラーでのトップバッターはどうやら二年生エースの様だ。
「頑張れよ、赤也」
「うっす」
ジャッカルの声援を受けて、門へと向かって行った彼の背中を見送ったところで、ふと、幸村は周囲の仲間に問い掛けた。
「ところで…『登校五分前』ってどういう競技なの? 去年はなかった気が…」
「ああ、それはな…」
流石、立海随一のデータマンはこういう場でも情報収集能力を如何なく発揮している様で、すぐに的確な答えを与えてくれた。
「所謂、障害物競走の一種だな…先ずはスタート時にジャージの上下を着て、或る程度いったところでそれを脱ぐ。そして更に走ったところに準備している学生服を着て、更に先の鞄に指定の文具を入れて、肩にかけ、最後に通学路に見立てた平均台などの障害物を乗り越えてゴールだ」
「へぇ…最初のジャージはパジャマ代わりってことだね」
よく考えたら、確かに朝の忙しない生徒の様子を模した競技だ。
只の障害物競走よりはストーリー性もあって面白いかもしれない。
「赤也の奴、『いつもと同じコトするだけだから楽勝じゃん』っつってたぜい?」
「…俺、毎朝登校一時間前には起床してるんだけど」
「あ、あはは…」
どういうコト?と穏やかな表情の裏で、それとは大きく隔たりのある感情を抱きつつ突っ込んだ部長に、傍でちょこんと座って観戦していた桜乃が苦笑する。
競技も始まって多少時間は経過しているので、今は委員会の人間もそれ程多忙ではないらしく、彼女は先輩達の中に混じって体育祭を楽しんでいた。
「あっ、切原先輩の番ですよ! せんぱーいっ、頑張って〜〜〜!」
スタート地点が遠いので、流石に桜乃の声だけを聞くのは不可能だ。
しかも彼は他の女子からも人気があるので、彼女達の声援もかなりの大音量だった。
そしていよいよスタート。
位置につき、ぱーんっとピストルの合図で一列に並んでいた男子達が一斉に走り出す。
切原はその身体能力を最大限に発揮して、スタートダッシュから先頭を切って走っていた。
彼の前には一連のノルマ事項が待ち構えていたのだが、まぁ速いこと速いこと。
ジャージを脱いで学生服を纏うまでの動作には一分の隙もなく、着替えの間にも数歩は確実に稼いでいる。
鞄の前で指定の紙に記載されていた文具は、神業とも言える様な選別眼にかかっては一秒にも満たない時間で中へと投げ入れられ、閉じられた時にはもう彼の肩に掛けられていた。
それからの障害物も切原の健脚に掛かっては子供騙しにもならず、彼は余裕の動きでひょいひょいとそれらを乗り越えて、あっという間にゴールのテープを切っていた。
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