『きゃ〜、赤也君素敵〜〜っ!』
『さっすが〜〜っ!』
きゃーっ、きゃーっと黄色い声援が上がる中…一位を取った筈の後輩に、他レギュラー達は全員揃って渋い顔。
速い…確かに速かった…んだが……
きっと、この時彼らの脳内に浮かんだ他の女子達への感情は同じだっただろう。
(どうして現実を見ないんだろう…)
あんなに軽々と一連の動作を出来るという事は、日常的にそれが染み付いてしまっているのだろうという事実に、何ゆえ目を瞑るのか…
「……切原君の朝の日常風景が目に浮かぶ様ですね」
「あれだけの能力を、どうして己の生き方の是正に費やさんのか…」
ふっと柳生が遠い目をしている隣では、真田が腕を組んでしかめっ面をしている。
「…でも、確かにレギュラーの中では一番切原先輩がしっくりくる競技でしたよね。適材適所?」
桜乃の言葉に、ジャッカルがああ、と頷いた。
「俺らがどの競技と一番相性が良くて、効率的に点を稼げるかは柳に一任しているからなぁ。ま、俺らが点数稼いだら、その分赤組の勝利にも近づくし」
そうして彼らの視線を受けたところで、柳は冷静にそれに応える。
「全校生徒の詳細なデータの管理は流石に難しいが、或る程度計算して九割がたこちらの勝利になる為の必要点数は打ち出している。俺達の能力なら達成出来る確率は九十パーセント以上」
「殆ど出来レースですね…」
彼のデータの内容を白組の生徒が知ったら、全員棄権しちゃうんじゃないかしら…と桜乃が危惧していると、そこに別のアナウンスが入る。
『次の、『五十メートル徒競争』に参加する生徒は、指定の場所に…』
「あ…俺だね。ちょっと行って来る」
「次は幸村先輩ですか、期待してます!」
「有難う、頑張ってくるよ」
意外にも、部長の幸村は最もオーソドックスな競技に参加するらしい。
「…シンプルでらしいと言えばらしいんですけど…何だか勿体無いって気もします」
あれ程の実力者が走るだけの競技とは…と残念がる桜乃に、真田が仕方がないと答えた。
「病が完治したとは言え、大事な身体だ。今年は怪我をしそうな競技への参加は極力控えてもらうことにした」
「そうだったんですか、ちょっと残念ですけどそれなら仕方ないですね…」
そう言った少女に、丸井が何故か真剣な表情で断った。
「おさげちゃん…ウチの部長を甘く見ない方がいいぜい」
そして、相棒のジャッカルもまた真剣そのものの顔で追加する。
「幸村の奴は、身体を動かす事は嫌いじゃないからな…」
「…え?」
きょとんとする桜乃の手に、ぽん、と柳が当日の競技種目のパンフレットを載せた。
どうやら、テニス部の人間が参加するものについて詳細が書き込まれているものらしい。
どれどれ?と開いてみた桜乃の目に、幸村、と記載された項目が少なくとも五つ以上飛び込んできた。
徒競争…のほぼ全ての種目に、彼の名前が記されている。
五十メートル、百メートル、百五十メートル、二百メートル……
「…えーと」
「……面白い種目に出られないなら、その分動きたいと散々ごねられた。委員会を納得させるのが大変だったぞ、全く…」
最初に無理を通したのはこちらだけに、拒否することも出来なかったのだろう。
副部長にとっては究極の選択に近いものだった様だ。
「で、でもその分、徒競争については危なげなく一位を取れるんじゃないですか?」
「まぁな」
そんな会話の途中で、スタートのピストル音が鳴り響き、そちらへと振り返った時には、幸村のしなやかで躍動感に溢れた身体が、凄まじい速さでトラックへと飛び出していた。
普段は穏やかで、時に女性的とすら思わせる表情を見せる男だが、勝負の時になるとその姿は一変する。
安易な歓声なら送る事さえ憚られる程の迫力を内に秘めた男は、風さえも追い抜く程の俊足で、他の生徒など一切寄せ付ける事もなくあっさりと一位の座を勝ち得ていた。
「は…速い」
唖然とする桜乃とは異なり、他のレギュラー達は流石、とばかりに彼の姿に満足そうな笑みを浮かべる。
「うむ…流石は精市」
「走るだけの単調運動だからこそ、普段のトレーニングの効果が如実に現れるものだ…やはり彼こそ、俺達のトップに相応しい」
親友だからという贔屓目ではなく、純粋なスポーツマンとしての賛辞なのだろう事は、他の男達からも一切の反論がない事からも伺える。
そしてそれは桜乃も十分に納得できるものだった。
(すごーい、格好いい〜〜!)
流石、幸村先輩!と彼女は心で惜しみない拍手を贈りながら、これからまた繰り返し、彼の走り姿を見られる事を喜んでいたのだが、彼が戻って来た丁度同じタイミングで、更に新たな指示がスピーカーから聞こえてきた。
『『パン食い競争』の出場者は…』
(パン…という事は…)
もしかしなくても、多分…と振り返った先には、既にスタンバった状態の丸井が、ぎゅっときつく赤のハチマキを締め直しているところだった。
「よーっし、丁度小腹も空いてきてたトコだし働くかーっ! 働かざる者食うべからずって言うもんな!」
(ああ、やっぱり丸井先輩だったんだ)
最早何も語るまい、と思っていたところに、柳が自分のノートを見ながらちょっと困った顔で何かを悩んでいた。
「どうしたの、蓮二?」
戻ってきて元の席に着いたばかりの幸村の問い掛けに、彼は首を数回横に振りながら困惑の声で言った。
「参ったな、少々計算が狂ったか…今のままだと予定の獲得点数に届かないのだ」
「えっ? だって、一応今までは一位奪取してるのに」
切原の台詞に偽りはなかったが、それでも柳は自分の計算に間違いはないと断言した。
「他の生徒達の見込んでいた点数が思ったより伸びなかったな…一応リードはしているが、ここ辺りでもう少し引き離しておきたいところだ…」
「……ふーん…引き離す、ね…じゃあ俺が…」
参謀の意見に何を思ったのか、丸井がぶつぶつと小さい声で復唱しながら席を離れ、集合場所へと向かっていく様を皆が不思議そうに眺める。
「一位はどれだけ引き離しても一位の点数以上は貰えないんですよね?」
「その筈だが…」
真田にも確認したがやはり予想通りの返事で、桜乃は赤毛の若者の様子に首を傾げてしまったが、その答えは問題の競技が始まった後すぐに明らかとなった。
『よーい…』
パーンッ!!
各自、一斉にスタートしたが、やはりここからでもあの赤い髪は非常に目立つ。
彼と一緒の組になって走っている男子生徒の中にも運動部の人間は間違いなくいるのだろうが、丸井は他の追随を許さずに問題のパンがぶら下がった場所に辿り着く。
そして数回飛び上がって目的の袋入りパンをゲットすると、そのままゴールへと一直線。
一位に認定されたら、そのままほくほく顔で急いで席へと戻って来た。
「丸井先輩、お疲れ様でしたー。一位なのは当然って感じもしますけど…」
「んー」
まだパンを袋ごと咥えていた丸井が、よいしょっと席に着いたところで、彼と同じ組の走者の誰かが何かトラブったらしく、ちょっとした騒ぎが聞こえてきた。
『おーっと! ここで何かアクシデントでしょうか!? 白組の走者の分のパンが、どうやら紛失している模様です!』
白組の…パン…?
『…………』
全員が嫌な予感を感じてゆっくりと丸井に視線を戻すと、彼は、あぐ、と『二重に重ねて』咥えていたパンを離し、その内の一つをあっさりと桜乃に差し出した。
「おさげちゃんも食う?」
(やっぱりお前か〜〜〜〜〜〜〜っ!!!)
本当は叫びたかったが、ここで下手に暴露してしまうと、彼が失格になってしまう。
『お前っ、なんっつーバクチまがいのコトをーっ!!』
『バレたら間違いなく失格ですよっ!?』
周囲の視線をかわしつつ、丸井を糾弾したジャッカルと柳生だが、本人はけろっとした様子で反論してきた。
『えー? いーじゃん、パン二個食えるし点数も引き離せるし、一石二鳥じゃん。パン食いの技術に関しちゃ、バレるなんてヘマしねーしよい』
『…いつ仁王先輩に弟子入りしたんスか?』
『何か言いたそうじゃのう、赤也…』
詐欺師からむきゅ〜っと両頬を引っ張られてじたばたと悶える二年生の後輩を余所目に、三強はやれやれと疲れた様子で、結局この件については黙秘する事に決定した。
どうやら自分達が騒いでいる間に、向こうの白組の人間は棄権という形で収まってしまった様子だし、今更名乗り出たところで新たな騒ぎを起こしてしまうだけだ。
「そうと決まったら、証拠隠滅しないとね…竜崎さんも手伝って」
「はぁ…」
唯一の証拠は一刻も早く胃袋で処分するに限る…と、彼らは幸村の指示の許で二個目のパンを桜乃を含めた全員で小分けにして、そのまま口へと放り込んだ。
これで全員が共犯ということだ。
「…健全な行事とはちょっと違いますよね、これって…」
「それは言わない約束」
もくもくもく…とパンを食べながら言う桜乃に、ジャッカルが淡々と答える。
こういう無茶をやる相棒との長年の付き合いもあってか、彼は早くも今の状況に順応しつつあるらしい…確かにそのぐらいでなければ、すぐに心労で倒れてしまうだろう。
「まぁ…予定外ですが、栄養補給も出来ましたし…」
そう言っている少女の前で、すっくと立ち上がった影があった。
真田だ。
「? 真田先輩?」
「そろそろ俺の出る競技だ…行って来る」
「怪我させないよう加減してね。大事な時こそリラックスだよ」
「む…そうだな、心に留めておこう」
不思議な言葉を掛けて親友を見送った幸村に、桜乃はこそっと尋ねてみた。
「真田先輩は何の競技に参加されるんですか?」
「ん……騎馬戦」
「うわぁ…」
イメージピッタリ…
それに、とても強そう…と素直に思っていると、幸村がぼそりと呟いた。
「去年もね…弦一郎が参加していたんだけど、やたらとやる気に満ち溢れていたものだから、敵陣の生徒が全員クモの子を散らすように逃げちゃって…勝負にならなかったんだよね」
「ああ〜……」
やる気に満ち溢れていた真田副部長…なら、さぞや顔にも『やる気』が満ち満ちていただろう…
見慣れていない生徒なら、逃げ出したくなるほどの『見た目のやる気』が。
「……本人には本当の事は言えなかったよ」
遠い目をして過去を振り返っている幸村に、桜乃はぺこりと頭を下げてその心中を労った。
「お察しします…」
さて、そんな親友の心遣いの一言を受けたのが効いたのか、今年の騎馬戦に関しては、『それ程の』混乱は起きなかった。
気を取り直して競技を観戦していると、中学生にしては大柄な男の姿はよく目立っていた。
同じクラスの男子達に担いでもらっていた若者は、その場の状況を的確に把握すると同時に、下に指示を出して勇猛果敢に向かっていく。
立海テニス部の副部長ともなれば学内でも有名人であり、その能力が高いこともよく知られているのだろう、向こうの白組の一団が幾つかの騎馬を一気に彼の一騎の方へと向かわせたのだが、それは明らかな失策だった。
「人海戦術で来たようじゃのう」
「向こうも考えたのでしょうが…甘いですね」
囲まれつつある相手を見てはらはらしている桜乃とは打って変わって、仁王と柳生はそれ程に危機感も見せずにのんびりとした口調で評し、柳が冷静に分析する。
「弦一郎が飛び込んでいったのは囮の役目もあるが、奴自身が大きな撒き餌だ。『風林火山』を掲げるアイツが、並の生徒に遅れを取る訳もない……この程度の策に引っ掛かるとは、この勝負、見えたな」
「うん」
そんな会話が交わされている間に、真田は既に反撃に移っていた。
彼のハチマキを狙って来る相手方の手をひらりと軽くかわしたかと思うと、ひょいと向こうのハチマキをあっさりと奪ってしまう。
それはもう見ているだけで面白くなってしまう程に鮮やかな手並みだった。
囲んでいた四つの騎馬の大将のハチマキを全て奪い取ってしまうと、真田は再び下に指示を出してまた別の乱戦場所に応戦に向かっていく。
その姿は、普段テニスをしている時の様に実に活き活きとしていた。
「…世が世なら、真田先輩って、物凄く腕の立つ武将だったんでしょうねぇ」
「そうだね…ハチマキで済む様な平和な時代で良かったよ」
刀を振り回して敵方の首を取っている親友の姿なんか、想像したくないからね、と幸村が笑う。
そして競技が終了して全ての騎馬が元の立ち位置に戻った時、桜乃もそう思わずにはいられない程に、真田の片手には数え切れない程の戦利品が握られていたのだった。
かなり午前中だけでもイベントが目白押しだったが、取り敢えずここで前半戦は終了。
生徒達は一時解散し、楽しいお弁当の時間へと突入していったのである……
$F<前へ
$F=立海リクエスト編トップへ
$F>後編へ
$FEサイトトップヘ