立海体育祭(後編)
昼食時間は、体育祭の中では別の意味でのメインイベントである。
多くの生徒は家族の取っている席へと移動し、彼らの持って来てくれた手製のお弁当を囲んで楽しい一時を過ごすのだが、その中でも家族でなく友人、仲間内で食事を摂る者もいる。
そんな中で丸井に以前、お弁当をねだられていた桜乃はと言うと…
「いただきま〜〜す!」
「はいどうぞ」
彼らの部室がある海林館…その開放された屋上で、丸井に約束していたお弁当を振舞っていた。
「ご家族の方々とは一緒に食べなくていいんですか?」
「ん、弟も二人向こうにいるし、こっちは部活のみんなと一緒に適当に食べるからって言ってきたんだよい。っひゃ〜、にしても豪華な弁当だなー、俺もう一生おさげちゃんから離れないようにしようっと」
リクエストしていた唐揚げやタコさんウィンナーは言うに及ばず、他にもささみチーズはさみ揚げやら、新鮮な野菜をふんだんに使用したマリネとか、メニューも豊富で栄養面や彩の面でも文句のつけようがない。
「もう…何ですか、それ」
くすっと笑って相手の発言に軽く突っ込んだ桜乃に、その若者はじーっと段重ねの手作り弁当を見つめながらしみじみと言った。
「でも、幾ら俺が相手でもこれはちょっと作りすぎじゃねーのい? おさげちゃんも小食だし、しまったなー、タッパ持って来たら良かった…」
「あら、必要ありませんよ、多分」
「へ?」
桜乃が答えている傍から、どやどやどや…と屋上の出入り口付近が騒がしくなってきたかと思うと、ばんっとその扉が勢い良く開かれた。
「うおーす、竜崎、来てたか〜」
「あっ、もうお弁当あんじゃん、食おうぜ食おうぜ!」
「切原、行儀良くしないとダメだよ」
「相変わらず、見事な腕前ですね、竜崎さん」
現れたのはやはり…他のレギュラーメンバー達だった。
「げっ! おめーらまで何でココに!? 家の人達って…」
『こっちは部活のみんなと(以下同文)』
「……」
「ほら、やっぱり皆さんいらっしゃいましたね」
てっきり独り占め出来るかと思っていた桜乃のお弁当を巡って、手強い伏兵出現。
「…ふっ、いつかはこの時が来ると思っていたぜい」
「出来れば戦いたくはなかったっすけどね、先輩」
しゃきーんっ!と箸とフォークを構えて異常に盛り上がりを見せる丸井と切原を余所目に、他の男達は比較的のんびりと桜乃の弁当の周りを囲む形で座っていく。
「…あそこにバカがおる」
「ほっとけ」
例の二人を仁王は冷ややかな目で見守りつつそう評したが、一方の相棒且つもう一方の目付け役であるジャッカルは、視線すらも寄越さなかった。
心と空腹を癒す昼食時ぐらいは、関わりたくないという心境なのかもしれない。
「皆さんの分も考えて作ってきましたから、遠慮なくどうぞ?」
そんな彼らに桜乃は準備していた紙コップや紙皿を配り、食事を摂るように促し、楽しい昼食時間が始まった。
「うん…凄く美味しいよ、竜崎さん」
「よかった!」
「これはどうやって作るんですか?」
「あ、これはゴマを…」
暖かな陽気の中で、手作りの食事を思うままに楽しめるというのは、それだけでも空腹と並ぶ魅惑の調味料である。
やれエビフライだ甘露煮だとおかずが次々と重箱の中から姿を消してゆき、時折向こうではフォークと箸が合戦を繰り広げ、賑やかながらも充実した時間が過ぎてゆく。
そうして、タッパの準備どころか、『墓荒らし』でもここまでは…と言う程に重箱が全て空っぽになり、みんながまったりと食後のお茶を楽しんでいた時だった。
再び屋上の扉が開き、向こうから見慣れない女生徒が顔を覗かせると、桜乃を見つけて声を掛けてきた。
「竜崎さん、チアの衣装とポンポン…」
「きゃ――――――――っ!!」
途端、大きな悲鳴を上げてそちらへとダッシュをかけた桜乃は、それ以上の向こうの呼びかけを何とか阻止した。
阻止はしたのだが…もう遅かった。
(…チア?)
(ポンポン?)
ラッキーワードを耳にしたとばかりに、レギュラー達の見えないダンボ耳がにょきっと生える。
『じゃあ、立ち位置はここでね。ハチマキは外して…』
『う、うんうん…』
それから女子の会話は一分ぐらい続いたが、向こうの相手は用事が済んだらまた何処かに行ってしまい、そこには桜乃一人が残された。
「……」
既に背後から、物凄い視線の気配…ついでに人の気配もする…
(ううう、バレた〜〜)
こわごわと後ろを振り返ってみると、やはりレギュラーがすぐ後ろでぞろっとこちらを興味も露に覗き込んできていた。
「…で? チアってどういうコト?」
「ポンポンでナニする気…?」
さっきまでは敵対関係にあった丸井と切原が今は息もピッタリに桜乃に詰め寄ってくる。
その後ろで、ぱら…とパンフレットを捲っていた柳が静かに引導を渡した。
「後半戦の最初は応援合戦だったな……女子はチアガール、男子は詰襟学生服…で? その時のお前の仕事は何だ? 竜崎」
「はうう〜〜〜…」
多人数で迫られた上、相手が天下の立海メンバーであれば敵う訳もなく、桜乃は隠していた応援合戦の参加予定内容を洗いざらい白状させられてしまった。
「あ、お父さんにビデオ借りてこよう」
「場所がそこなら最適な撮り位置は…」
「俺、場所取りしてくるっす」
「だから言いたくなかったのに〜〜〜〜〜っ!!」
大盛り上がりのメンバーに涙目で訴えるマネージャーだが、この時ばかりは彼女の賛同者はゼロ。
「何じゃ? 折角のウチの紅一点なんじゃから、観賞したいんは当然じゃろ?」
仁王がそう言って、にやりと意味深に笑う。
「年頃の男の子じゃし」
「そーゆー言い方やめて下さいっ!」
「嫌?」
「嫌です」
「んー…嫌がられると燃えるじゃろうがー」
「仁王先輩の鬼〜〜〜〜っ!!」
二人のやり取りを眺めていた丸井がぼそりと言った。
「あそこにバカがいる」
「…ほっとけ」
どっかで聞いた様な台詞だな…と思いながら、ジャッカルはあくまでも放置を決め込んでいた。
そして、昼食時間も終了した後は、柳の指摘通り、応援合戦が始まった。
これは赤白関係なくお互いの善戦を祈念するイベントなので、ハチマキの類は着けない。
桜乃は当初の予定通りチアガールの服を着て、ポンポンを両手に無事に踊りきったのだが、小柄な身体と長いおさげは他の観覧者たちにも意外に好評だった。
『きゃー、かわいいーっ』
『あの子、可愛いわー』
ぴょこぴょこと跳ね回る少女の姿は小さな子犬の様でもあり、女性達からもたまに黄色い声が飛んでいる。
「…ペット?」
「…まぁ、女性はほぼ例外なく小さいものが好きですからね」
後輩の言葉に、眼鏡を押し上げながら柳生が答えるが、おそらく他の者も心境はやや複雑だろう。
人気があるのは嬉しいが、何となく独り占め…と言うか、自分たちだけ知っていたらいい、という気がしないでもないのだ。
「……嫁入前の娘を持つ父の心境って感じだね」
「そういう話を俺に振るな、精市」
答えられないのか、答えたくないのか…バッチリと桜乃の晴れ姿をビデオに収めている部長の呼びかけに真田が答える事は最後まで無かった。
そんなマネージャーの応援合戦が終了した後、いよいよ後半戦が開始される。
次の競技でレギュラーが出る予定があるのは、先ずは『二人三脚』。
「当然、お前達の出番という訳だな」
「おう」
「行って参ります」
立ち上がったのは仁王と柳生。
立海のダブルスペアであり、時には互いの姿を入れ替えることすらもある二人は、間違いなく相手の呼吸を知り尽くしている。
「あの二人のシンクロ率に敵う奴なんて、立海の何処探してもいないんじゃないッスか?」
「毎日二人三脚の特訓やっているようなものだしね、あの二人は」
くすくすと笑いながら後輩に答えていた幸村は、そこでようやく元の服に着替えて戻って来た少女の姿を見つけた。
「あ、お帰り、竜崎さん」
「ただいまです…あー恥ずかしかった」
「そうか? 結構堂々とやってたみたいだけどな」
「本人は必死だったんですよ〜……白鳥の気分でした」
「わっかりやすー」
でも、こっちは楽しかったけどな、と思いつつ、丸井が彼女に席に着くように促す。
「…午後の仕事は大丈夫か?」
あくまでも真面目な真田の問いには、彼女は素直に頷いた。
「大丈夫ですよ、寧ろ、午後の手はかなり空いているみたいなので、私はクラスや部活の方で何かがあったら参加してくれって…でも、クラスの催しはもう終わってますからね」
「ふむ…それなら構わない」
そんな会話を交わしている間に、あの詐欺師と紳士が片足ずつを紐で結び、肩を組んだ状態でスタートラインに並ぶ。
「…よく見ると身長が全く同じ訳でもないし、姿も違うんですけど…やっぱり何となく『似ている』って思っちゃいますねぇ」
「性格もまるで違うけどな…ま、勝利への欲ってヤツは俺達同様に貪欲だし、そういう所では通じ合っているのかもな」
そして、彼らの会話は一時途切れる。
当然、ピストル音があのダブルスペアのスタートを告げたからだ。
最初に踏み出す足を決めていたのは当然だったとしても、歩幅も完璧、リズムもまるで合わせ鏡に映った一人を見ている様だった。
二人の容姿が異なっている以上、それはやはり幻影に過ぎない。
「速い速いっ!!」
違う人間同士の足がどうしてあそこまで息ピッタリに合わせられるんだろう。
しかも、二人ともがかなりのスポーツマンであることで、スピードも他の組とは段違いだ。
おおおーっと他の観覧席からも驚きの声が上がる中で、彼ら二人は全く危なげなくゴールテープを切った。
ぱちぱちと賞賛の拍手が沸き起こる中、仁王は微かに口元を歪め、柳生は相変わらずクールな面持ちを保っていた。
ジャッカルの重みのある言葉を聞いていた桜乃は、それを思い返しつつあの二人に拍手を贈り…再び、彼の方へと視線を戻す。
「そう言えば、桑原先輩も丸井先輩もダブルスですし、一緒に出場しても良かったんじゃないですか? 二つのダブルスの二人三脚勝負、見たかったです」
先ず一位、二位は彼ら四人が取れるだろうし、皆が赤組なら可能だったんじゃ…という彼女の問いに、ジャッカルはむうと唇をへの字に歪めた。
「うーん……まぁ、それも面白かっただろうな。俺は別にどうでも良かったんだが、丸井のヤツがなぁ…」
「え?」
そこで話は聞いていたらしい赤毛の相棒が、にゅっと首を伸ばして場に加わってきた。
「だって俺の参加可能の枠は一つだったしさ…そんなんに出たらパン食えなくなっちゃうじゃん」
「ああ…」
午前のパン食い競争の事を言っているのだろう。
相棒との合同競技よりも、パンを取るというのが彼らしいと言えばらしいのだが…
「……通じ合っていると思います?」
お二人の心は、という意味での問い掛けに、ジャッカルは限界まで首を傾げた。
「どーだろうなぁ…」
「そこは嘘でも『はい』っつーのが友情だろい?」
「そういう友情は要らん」
一見凸凹に見えるが、それなりに息が合っている二人の応酬に、他の男達と顔を見合わせてこっそりと笑っていると、新たなアナウンスが流れてきた。
『千五百メートル徒競争に出場の生徒は…』
「おう、俺か」
応じたのは、そのジャッカルだった。
長距離走なら、確かに彼が役どころとしてはぴったりだ。
「頑張って下さいね、桑原先輩」
「ああ、まぁあの程度の距離なら楽勝だな」
桜乃の暖かな声援を受けながら向かおうとしていた彼の背中に、間髪入れず切原の言葉も投げかけられる。
「万一の事があっても、四つの肺はちゃんと標本にしてあげるッスから!」
「…埋めてくれ、お願いだから…」
がっくりと肩を落としつつ行ったジャッカルと入れ替わる形で、仁王と柳生が席へと戻ってきた。
「まぁまぁというところじゃの」
「どうしたんです? さっき、桑原君が死にそうな顔で歩いて行きましたが…」
「はぁ…まぁ色々と」
「? 色々と何ですか?」
「いえ、だから色々と…」
「……」
桜乃の口を濁しまくりの答え方に何かがあったらしいとは思いつつ、紳士はそれ以上は追及することはなかった。
しかし、おそらく彼女が原因ではないだろうという事は流石に分かっている様だ。
「千五百メートル…俺達なら誰であっても遅れはとらんだろう」
普段の部のトレーニング内容に自信があるらしい副部長が、腕組みしながら余裕の台詞を述べる。
この程度で根を上げたりロクな記録を残せない様では、レギュラーなど望むべくもない、と断言した副部長に、部長の若者はそれはそうだねと同意した。
「確かに俺達でも余裕で一位は取れると思うよ、例え陸上部の誰かが一緒に走ったとしてもね。でも、彼の為にもここは任せよう……地味ではあるけど、テンションは確実に上がっているみたいだよ、ジャッカル」
「ん…」
丸井がスタートラインに集まっている生徒達の中、見た目でもすぐに分かる相棒を探し出してみると、彼はきょろきょろそわそわと辺りの参加者を眺め回していた。
「…ち、ちょっと落ち着き無いですね…緊張しているんでしょうか?」
「あー、違う違う」
桜乃の心配そうな声に、丸井はぶんぶんと手を激しく前で振ってみせた。
「顔見てみろよい、めっちゃくちゃ嬉しそうじゃん」
「…あ、ホントだ」
桜乃達が見つめるその向こうで、ジャッカルはパートナーの指摘通り、緊張どころかお祭り騒ぎを楽しむ子供の様に活き活きとしていた。
「ん、アイツは陸上部でも有名な奴…しかも向こうはバスケの部長か…水泳部、バレー部…おお〜、今年も多いなぁ」
スタート前、楽しげなジャッカルの瞳が一瞬だけ獣の様にギラリと光った。
「……蹴落とす奴らが」
小さな呟きは誰にも聞かれないまま、ピストルに打ち消され、そのまま男子達は一斉に走り出す。
長距離となれば、普通は体力の温存、ラストスパートのタイミングが重要になってくるのだが、ジャッカルにはそういう常識は通用しなかった…少なくとも、千五百メートルの範囲内に於いては。
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