ラブレターは誰の手に?


 竜崎桜乃が立海に転校を果たしてから幾月かの時が経過し…彼女も立海の校風に徐々にではあるが馴染んできた。
 元々、人懐こくて穏やかな性格のため敵を作るということもなく、日々を平和に過ごす内に、迷子になる頻度も減ってきた様だ。
 クラスの中で気軽に話せる友人も出来、勉強も滞りなく行えて、彼女の学校生活は非常に充実している時期を迎えたと言っていいだろう。
 そんな彼女にとって、日々の安寧をもたらしてくれた存在と言えばやはり…

「あ、真田先輩、こんにちは」
「む、竜崎か…ああ、こんにちは」
 或る日の午前中の立海校舎内にて、桜乃と三年生の真田が廊下で擦れ違っていた。
 桜乃が相手に気付いて挨拶をすると、向こうも足を止めてこちらへと向き直り、挨拶を返す。
 それは、何処にでもある様な、先輩と後輩のあるべき姿だ。
「…移動での授業だったのか?」
「はい、化学の実験がありましたから」
 そう尋ねるのは、今がまだ午前中最後の授業時間中であり、終了のチャイムが鳴る前だったからだが、彼女が悪戯に授業をサボるようなことはしないと、真田は予め分かっている様子だった。
「…真田先輩は、体育だったんですね」
「ああ」
 桜乃がそう尋ねたのは、彼の手に学校指定のスポーツバッグが提げられていたからであり、相手は予想に違わず頷く。
 こうしていると一見、何でもない会話の一風景だが、周囲の生徒達は二人の姿を見ると、
『あ、真田先輩だ!』
『げっ、先輩と話してる奴って一年か!?』
と、興味も露に…しかし遠巻きに彼らの様子を眺めていた。
 真田が、泣く子も黙る厳しい風紀委員長であり、しかもスパルタで知られる男子テニス部の副部長という肩書も兼任している事を知る生徒は多く、その知名度に比例して、彼は多くの生徒達から畏怖の対象ともなっているらしい。
 そんな彼が穏やかな表情で女子と語らっているともなれば、驚かれるのも無理はない話だった。
 周囲の視線には気を配る必要もないのか意に介してもいないのか、真田はそれからも暫し彼女との歓談を続けていた。
「立海には慣れたか?」
「はい、青学との授業の進み具合の違いとかは心配していたんですけど、思っていたよりは戸惑うこともなくて…ついていけてます」
「そうか…まぁお前ならば他の奴とも上手くやっていけるだろう。もし困った事があれば俺達も力になる、遠慮は無用だぞ?」
「有難うございます」
 ここで真田の言った『俺達』というのは、彼の属する立海男子テニス部のレギュラー一同の事を指している。
 メンバーは、桜乃がここに転校する以前から彼女とは見知った仲である…と言うよりも、彼らとの繋がりが桜乃を立海への転校へと動かした切っ掛けだったのだ。
 転校を果たした後は力強いメンバーの後ろ盾もあり、彼女は同部のマネージャーとして日々頑張っている。
 そんな、自分達を慕ってくれる桜乃については、メンバー達も妹の様に気に掛け可愛がっており、彼女がこの立海に転校した後には、早く生活に馴染めるように何かと心を砕いてやっていた。
 勿論、鉄面皮とも言われている真田も例外ではなく、桜乃の嬉しそうな笑顔を確認して自分も安心した様に笑う。
「慣れたのならひとまずは安心だな…」

 キーンコーンカーンコーン…

 そこでようやく授業終了のチャイムが鳴り響いて授業の終わりを告げた…ところで、校舎の向こうから男性教師の叫び声が聞こえてきた。
『こらーっ!! 丸井―っ!! 二階から飛び降りるな〜〜〜っ!!』
 続けて聞こえてきたのは、注意のそれとは相反する嬉しそうな声…
『わーいっ!! おっひる〜〜〜〜〜っ!!』
「……」
「……」
 最早それが誰であるのか…何年生の『丸井』であるのかは、語る必要もないだろう。
 しかし、教師の言葉がかなり衝撃的な内容であったにも関わらず、桜乃は意外にもあっさりとそれを受け止め、笑顔で振り返っていた。
「相変わらず、絶好調ですねぇ丸井先輩」
「…本当に慣れてきたようだな、竜崎…」
 果たしてこれは喜んでいいものなのかどうか…と真田は困惑顔。
(下手をしたら、今度は竜崎の『常識』が危ないことになるからな…取り敢えず、丸井の奴は放課後の部活の時にでも叱っておくか)
 これから昼休みということで、あまり相手の時間を潰しても悪いかと、真田はそこでひとまず話を終えることにした。
「ではな、竜崎。また放課後に」
 部活で会おうという意味の言葉を投げかけたところで、桜乃は一度は同じく上げかけた手を…思い出した様に彼の方へと勢い良く伸ばした。
「はい…あっ、あの…真田先輩?」
「ん? 何だ?」
「ちょっと聞いておきたい事があって…いいですか?」
 随分改まった訊き方に真田も何事だろうと思いつつも、答えられるものならと頷いた。
「俺で分かることなら構わんが…どうした?」
「ええとぉ……その、ウチの部って…」
「?」
「れ、恋愛は禁止されていませんよね?」
「っ!!!」
 或る意味、真田にとっては最も畑違いの質問であり、また、普段の桜乃の尋ねる質問とも思えないものであった為、彼は思わず絶句してしまった。
「え…?」
 思わず聞き返してしまったものの、質問した少女は二度も言うのは恥ずかしいのか、やや俯き加減で答えない。
「あ、あー…それは…」
 悩みつつ、しかし何を言わないままという訳にもいかず、真田は言葉を濁しながら視線を泳がせつつ、取り敢えず事実のみを述べた。
「ま、まぁ、恋愛は個人の感情であり、自由意思に拠るものだからな…別に禁止されている訳ではない。但し、それをしていようとしていまいと、立海男子テニス部員であるという自覚は持ってもらわなければ困るが…」
「そう、ですか…」
 何故か…その時真田の目には、桜乃がほっと安堵に微笑んだ様に見えた。
(何ぃ!?)
 どういうコトだ、と混乱する相手の心中には気付かず、桜乃は今度こそ彼に一時の別れを告げた。
「お引止めしてすみませんでした、真田先輩。失礼します」
「あ、ああ…」
 本音としては、そこで彼女を引き止めて詳細について尋ねたかったのだが、真田は生憎そんな軽々しい行動を取る様な人間ではなかった。
 それに万一引き止めたとしても、恋愛事には疎い彼には、気の利いた質問は難しかっただろう。
「……」
 先程までの穏やかな表情から一転、いつにも増して他人が声を掛けづらくなる様な険しい表情を浮かべたまま、厳格な副部長は暫しそこから動く事が出来なかった……


 翌日…
「ういーす、竜崎」
「あ、切原先輩。朝練お疲れ様でした」
「おう、アンタもお疲れさん」
 特に大きな事件もないいつもの様に穏やかな朝…朝練を終えたテニス部員は皆それぞれの下駄箱に向かい、その中には当然二年生の切原赤也と一年の桜乃も混じっていた。
「今日は遅刻しませんでしたね、切原先輩」
「あー、まぁ流石に三日連続だと真田副部長や幸村部長が黙ってねーからな」
「一日だって黙っていませんよ?」
「まぁそれはそれとして…けどさ、今日、何か副部長の様子、おかしくなかったか?」
「はい?」
 相手の問い掛けに、桜乃はきょとんと意外そうな顔を向けたが、切原は至って大真面目だった。
「何かこう…やけに疲れている様な…寝不足っぽい顔だった様な気がしたんだけど」
「そう、ですか? うーん…帽子を被っていらっしゃるから、よく分かりませんでした。でも、それでも珍しいですね、あんなに自己管理はしっかりなさっている方なのに…」
「だろ?」
 おかしいよなーと、まだ言っている切原と共に歩いていた桜乃が自身の靴箱へと到着し、何気なくかたんとその蓋を開ける…と…
 ぱさっ…
「ん?」
 何か、場にそぐわない乾いた音がして切原が見遣った視線の先。
 桜乃の足元には、明らかに彼女の靴箱の中から落ちたと思しき一通の封書があった。
 裏面にある蓋の中央には、白に映えた赤いハートのシール。
「…へっ?」
 ナニ、あれ…と思考が思わず停止してしまった若者の前で、桜乃が慌ててそれを取り上げ、ささっと鞄の中へと仕舞い込んだので、差出人の名前までは分からなかったが…
 その仕草は間違いなく人目から封書を隠す為のそれであり、隠した後、桜乃は何事もなかったのだという様に、さり気なく切原から視線を逸らしていた。
「り、竜崎…? 今のってさ…」
「なっ、何でもありませんっ」
 嘘付け〜〜〜っ!!とは流石に大声で言えなかったが、それこそが切原の本音だった。
 何でもないハズないだろう!!
 それはまさしく、世間で言うところのラブレター!
 懸想している異性に愛を伝える為の、不滅のアイテムだ!!
 それが桜乃の靴箱に入っていたという事は、間違いなく立海の中で彼女に想いを寄せている誰かがいるというコトに他ならない。
(ま、まさか、先輩達の内の誰かが…?)
 真っ先に切原が疑ったのが、自分の所属するテニス部の他レギュラー達だった。
 立海に転校して少しは経過してはいるが、やはり彼女と一番長く付き合いがあるのは自分を含めた彼らだ。
 それに、レギュラー全員が桜乃の事を非常に気に入って可愛がっているのは、もう十二分に知っている事でもあるし…
 今までは全員が兄貴分として彼女と接してきていたが、誰かがその均衡を打ち破ろうとしているのでは!?
(い、いやいや、まさかそんな……まだそれが決まった訳でもないし…でも、さっきのは俺の見間違いでもないだろ?)
 否定したいのは山々だが、自分の視力にも自信がある。
 さっきのは間違いなくハートのシールだった…普通の手紙には先ず貼らないだろう?
「竜崎、さっきのって…ラブレターじゃねぇの?」
「う…っ」
 意を決して尋ねてみると、向こうはぐっと言葉に詰まった。
 元々嘘が苦手な彼女なので、もし『違う』と言ってもその態度でバレバレだっただろう。
「だ、誰から…? 同じクラスの奴から、とか…?」
 そこまで聞いていいものか迷いはしたものの、切原は尋ねた。
 相手について少しでもヒントが貰えないかと期待したのだが、少女は少しだけ困った顔で…頬を染めてふいっと顔を背けた。
「あの…プッ、プライベートですから…何も答えられません…そのう、先輩」
「あ…?」
「今の…誰にも言わないで下さいね?」
 口止めをされて、いつもならすぐに頷いたところだったが、切原は今回だけは数秒の時間を要した。
 別に噂として広めようという事は微塵も考えていなかったが…彼の脳裏には一つの考えが浮かんでいたのだ。
 しかし、どうしようと思いつつも『嫌』とも言えず、最終的に彼は頷き、了承の意志を示したのだった。
「わ、分かった」
「有難うございます…じゃあ、失礼します」
 そして、靴箱のところで二人は別れ、それぞれの教室へと向かっていき、その日のスケジュールをこなし始めた。
 少なくとも彼らの他は、何も変わり映えのない学校生活の一風景だった。
 一時限目…二時限目……ひたすらに切原は耐えていた。
 結構、頑張って耐えていたと思うのだが、それも午前最後の授業時には限界の域に達してしまう。
(ダメだっ!! どーしても気になる〜〜〜〜っ!!)
 授業を受けている間も、ずっとあの封書が目の前をちらついてしまい、集中など出来ない。
 誰からのものだろう、あの子は知っている様子だったけど…いや、それより何より…
(……まさか、受けるつもりなのかな…)
 そう、それが大問題だった。
 ラブレターを貰っても受ける気がないのなら、いずれは元のままに全てが戻る…しかし、もし彼女にその求愛を受けるつもりがあるのなら…
(〜〜〜〜! くそー、何の権利もないけど、無性に止めてやりて〜〜〜〜〜!!)
 器が小さいと言われようとも、あっさりとそれを受け止めるなんて、自分には無理だ!
 それはきっと、他のレギュラー達も同じ意見だと思うけど…
(……やっぱ、これは…知らせるしかないかなぁ)
 彼女に口止めされていた時にもちょっと考えていた事だったけど…先輩達に進言した方がいいかもしれない。
 彼らなら、他言はしないだろうし、彼らより他の人間にこの事が知られる心配もないし…それより何より…
(もし俺だけが知ってて何も言わなかったなんて知られたら…絶対に殺されるだろうし)
 自分が言えた事じゃないけど、彼らもあの少女は本当に可愛がっているからなぁ…と思い、切原は結局、あの現場で浮かんだ考えを実行すべく、昼休みに部長である幸村の許へと向かっていた。


 昼休みが始まってから、幸村はいつもの様に日当たりのいい席でランチボックスを机の上に置いて、食事の準備を始めていた。
 そこに、後輩である切原が、やけに沈んだ面持ちで歩いて来る。
「…部長」
「ん? 切原じゃないか…どうしたの? お弁当、忘れてきたの? それとも学食で出遅れた?」
 相手の様子を見て最初に彼が思いついた懸念の内容が、普段の後輩の能天気振りを伺わせたが、向こうは珍しくそれについて責めるでもなく、話を続ける。
「……誰にも言わないでって言われはしたんスけど、ちょっと内密で相談したい事が…」
「もうその時点ですっごく聞きたくないんだけどな、ソレ…」
 自分まで共犯にされるのはゴメンだとばかりに、幸村は苦渋の表情を浮かべる。
 それに、人の秘密を悪戯に耳にする事もあまり好きではない…誰にでも聞かれたくない秘密はあるものだ。
「俺以外の誰かに相談出来ないの?…と言うより、俺に関わりがある事かい?」
「はぁ…えーと…」
 尋ねる一方で箸を揃えようとしていた部長に、後輩がひそ、と小さな声で他の生徒に聞かれない様、告白した。
「…竜崎が、ラブレター受け取ったみたいなんスよ」

 かしゃーん…

「……」
「……」
 箸を取り落とし…しかしそちらへは一瞥も向けることなく、幸村が明らかに冷えた瞳を切原に向けた。
「…下らない冗談だったら」
「ほ、本当ッス!! 俺、確かに見ましたからっ! ハートのシール付いた封筒っ」
 それは間違いない!と、冗談である事を必死に否定した後輩の様子に、それが真実であるのだと察した幸村はすぐに立ち上がって相手に指示を出した。
 もう、昼食に手を伸ばす思考は完全に失われてしまっている。
「…レギュラー全員、今すぐに集めて」
「は…はい」
 怖い怖い怖い〜〜〜っ!!と、二年生エースが心の中で叫ぶ。
(しっ…試合じゃないけど、『神の子』モードになってる…!)
 物言いそのものは静かだけど、その奥にある威圧感は相変わらず人を竦ませるには十分だ。
 そんな相手に下手に逆らうことも出来ず、切原は言われるままに他のレギュラーの教室も回って、取り敢えずは全員を幸村の前に集めてきた。
 勿論向こうはこの時点では詳細を知らされていないので、何事かと不思議そうな表情を浮かべている者達ばかりだ。
「どうしたんじゃよ、幸村」
「朝の部活で伝えていない連絡事項はなかった筈だぞ、精市」
 レギュラー達の何人かが、当然の質問を投げかけたが、幸村はそれに答える形で早速本題へと入った。
「…竜崎さんが誰かからラブレターを受け取ったらしいんだけど…君達の中で知っている人はいない?」

 びしっ…!!

 やはり予想通り、彼らもまた最初にそれを聞いた幸村同様、辺りの空気を見事に凍らせる程のオーラを纏った。
 それとほぼ同時にがたんっと何かが激しく動揺する音が響き、見回したところ、真田が揺らいだ拍子に机にぶつかってしまったらしく、俯いてわなわなと震えていた。
 何となく…不自然な反応だということはよく分かる。
「…弦一郎?」
「…」
 部長の呼びかけに黙したままの副部長は、昨日の、あの時の少女の台詞を思いだしていた。
『ウチの部って、恋愛は禁止されていませんよね?』
(結局、あれから聞きそびれてしまっていたが…やはり、そういう意味合いだったのか!?)
 気になる余りに、昨日から寝不足になってしまっていた若者に、いよいよ『神の子』の追求の手が迫る。
「……何か隠してるね、弦一郎…まさか、ラブレターの差出人って…」
「ちちちち、違うっ!!」
 よく考えたら、この男がそんなお約束なハートシールを使ってのラブレターなど作る筈もないのだが…
 このまま黙秘を続けても、あらぬ誤解を受け続けかねないと、仕方なく真田はこの時初めて昨日の件を皆に話した。
「……じ、実はその、昨日…」



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