夏空の花


 日本の夏は、様々なイベントが多い。
 だから、イベントなど、楽しいコト好きの丸井にとっては、この時期は特に忙しいものになる。
 彼は、テニスの強豪校である立海のレギュラーでもあり、普段のトレーニングも並のものではない。
 それでも、そのトレーニングの合間を縫って、夏を満喫しようという意欲は大したものだ。
「んーと、んーと…やっぱ次の花火大会はここが規模も近さも一番だな。よっし、これで決まり!」
 彼はこの日、何処からか集めてきた数々のチラシを部室の机上へ広げるように並べ、それぞれを食い入る様に見つめながら、その内の一枚に大きく持っていた赤ペンで丸を付けた。
「ブン太。さっきから何をそんなに一杯並べている?」
「あまり散らかすな、見ていて見苦しいぞ」
 同じく部屋の中にいた参謀の柳と副部長の真田が、見かねた様子で声を掛けると、相手はそんな二人の様子にも構う事無く嬉しそうに印を付けたばかりのチラシをぶんぶんと振り回した。
「なーなー幸村っ! 次はここの花火大会行こうぜいっ!! 近いしデカいし屋台も一杯!」
「またかい? この間も行ったばかりじゃないか、ブン太」
 答えたのは、傍で彼らのやり取りを微笑ましく見つめていた、立海テニス部部長の幸村精市。
 最近までずっと難病の為に入院生活を送っており、ようやく現場に復帰を果たしたばかりの若者だ。
 テニスの技量は神業並みで全国にその名を轟かせている彼だが、普段の彼を見ると、その噂が信じられない程に柔和な顔立ちをしている。
 頂点を目指す厳しさと友人達を思い遣る優しい心を併せ持つ彼は、仲間達にも非常に慕われており、彼が入院中、部長の座を空けている間も、誰も代わりにそこに座ろうとはしなかった。
「いーじゃないッスか、部長も折角復帰したんだし。日曜午後なら部活動にも支障はないっしょ? 人生たまには息抜きしなきゃ」
「息抜きの合間に人生やっとる奴が何か言うちょるぞ」
 二年生の切原赤也が口を挟んできたところで、すかさず詐欺師の異名をもつ銀髪の若者が茶々を入れる。
「何スかそれー」
 からかうような目をした先輩を諌めたのは、その若者の相棒でもある礼儀正しい眼鏡の男だった。
「まぁまぁ…丸井君も切原君も部長が無事に手術を終えて復帰出来た事が嬉しいんですよ…無論、私達も同じですけどね」
「有難う」
 柳生の言葉に、幸村がにこ、と心からの笑顔を浮かべると、そこでブラジル人とのハーフであるジャッカルが遠慮がちに提案した。
「花火大会ぐらいなら、別にいいんじゃないか? 外に出るのはいい気分転換になるし。幸村も、長い病室暮らしが終わったと思ったら、今もまだリハビリの連続だしな。賑やかなところに遊びにいってリフレッシュするのも大事だぞ……あ、まぁ勿論、無理強いはするつもりはないが」
「ふむ…」
「……確かに、根を詰めすぎるのも身体には良くないな」
 部員達の言葉には、幸村の親友でもある真田と柳も理解を示した様子で、本人の反応をうかがった。
「…うーん」
 少し悩んだ様子の部長だったが、そう長い時間を置くこともなく、彼は仕方ないねと笑った。
「そこまでみんなに言われちゃったらね…いいよ、行こうか」
「やった〜〜〜〜っ!!!」
 飛び上がって喜んでいた丸井は、それから何かにはっと気付いた様な表情になると、至極真面目な顔で幸村に尋ねた。
「なぁなぁ幸村っ! あの子呼んでもいい!? おさげちゃん!!」
「おさげちゃんって…竜崎さん?」
「うん!!」
 幸村が確認した竜崎と言うのは、彼らの在籍する立海の生徒ではない。
 テニス界で、王者立海と並ぶと言われている強豪校、青学…そこの、長いおさげがトレードマークの一年生女子である。
 名を桜乃と言い、彼女自身は中学入学後にテニスを始めた超初心者に過ぎないのだが、彼女の祖母が青学の顧問であったり、レギュラーの一年生がクラスメートであったり、何かと縁がないワケでもない…が、そこまで強い絆でもない、まだ。
 しかし、そんなすぐに切れそうな縁を、何故か立海のメンバー達は大事に繋いでいた。
 別に相手が敵方の情報を知っているとか、そういう理由がある訳ではないし、そんな事実があったとしても、聞きだそうとするつもりもない。
 ただ、自分達の周囲にこれまでいなかった、彼女のあまりに素直で純粋な性格が彼らの心に深く響き、同時に庇護欲を掻きたててしまった様なのだ。
「どうだろう、彼女もそんなに暇じゃないだろうからね…それにそもそも、どうやって連絡を取るつもりだい? 私的な事で竜崎先生にアポを取る訳にもいかないだろう」
「ん〜〜…」
 確かに、見知ったばかりの彼女の携帯なんかの番号までは知らないしなーと丸井が困り顔で天井を眺めていた時だった。
「丸井」
 ふと、詐欺師の仁王が彼をちょいちょいと手招きで呼びつけた。
「…? なに?」
「ん」
 赤毛の男に差し出されたのは、画面を開かれた状態の仁王の携帯。
「………」
 暫くそれを見ていた丸井は、今度は自分の携帯も取り出して、仁王の携帯の画面を見ながらぴぽぱぽぺ…とナンバーを打ち込んでいく。

『…………?』

 他のメンバー達が見守る中、丸井は一通り打ち終わったらしい自分の携帯を耳元に当てていたが…
「……あ、もしもしおさげちゃん? 立海の丸井なんだけどさー」
と、徐に、問題の少女本人と話し出した。
「待て貴様」
「いつ何処で彼女の携帯番号を入手したのかを説明して」
「話はそれからだ」
 三強が強張った顔で詐欺師に突っ込んだが、向こうはふーんとそ知らぬふりを決め込んだ。
「情報は立派な財産じゃ」
 だから教えないとばかりに両耳を塞ぎ、黙秘権を行使している銀髪の若者を、ジャッカルが疲れた表情で眺めていた。
「……俺も相当苦労はしているけどよ…お前もなかなかだよな、柳生」
「そうでもないですよ。貴方は目付けをしなければいけませんが、私は基本、真似したらいいだけの話ですから」
(コイツが紳士だなんて嘘だ……っ!!)
 二人揃って酷すぎるっ!と苦労人が嘆いている間に、丸井は桜乃との会話を進め、その傍で切原がふんふんと聞き耳を立てていた。
「そゆことで、今度の日曜にそこの花火大会に行く予定なんだけどさ…おさげちゃんも俺らと一緒に行かない?」
『ええ…?』

 竜崎宅…
 いきなり掛かってきた携帯への着信を取ってみたら、立海のレギュラーが話し出してきて、竜崎桜乃は大いに驚いた。
「花火大会…ですか?」
『うんそう、こっちの方であるヤツなんだけどさ…』
 見知った人間同士であればまだしも、あまり親しくない人間同士で話し合う場合、その会話がスムーズに進むか否かは、双方、或いは片方の人物の人間関係の構築能力に委ねられる場合が多い。
 彼らにとってついていたのは、その片方が丸井だったという事だった。
 桜乃も決して能力は低くはないが、それでも内気である為、積極的な会話は苦手である。
 対し丸井は桜乃より年上ではあるが、子供っぽい性格と人懐こさも相まって、あまり他人との垣根を感じさせず、親しみを感じさせる何かがあった。
 親しみを感じる人間には無理も言いにくく、頼みも断りづらくなるものだ。
 まだ数える程度しか会った事のない二人だったが、丸井のその性は間違いなく効力を発揮していた。
「うーん、ちょっと待って下さいね?」
 私なんかが一緒でいいのかな…と思いつつ、桜乃は手許の手帳をぱらりと開いた。
 当日のスケジュールを確認すると…その日は白紙になっている。
(今のところは空いているし…折角のお誘いだものね。立海の皆さん、凄く優しいし…でも、大丈夫かな?)
 相手方は全く問題ないだろうが…こちらに一つの大きな難問が。
「ええと…私はその日は空いているんですけど…」
『やったー!』
「でも…私、すぐに迷子になっちゃうから、皆さんにもしかしたらご迷惑を掛けてしまうかも…」
 一番の懸念を漏らすと、向こうから張り切った口調の丸井が即答した。
『大丈夫大丈夫! 青学の奴らと違って、俺らはアフターケアもバッチリだからよい、おさげちゃんなら最後までしっかり面倒見てやるって!』
「そ、そうですか?」
『うん! ほんじゃさ、早速だけど待ち合わせ決めよう!…』
 それから二人は電話口で当日の待ち合わせについて非常に入念な話し合いを行い、そして内容を確認したところで電話を切った。
「……花火大会かぁ」
 切った後、桜乃は今度の日曜について早くも楽しみを膨らませていた。
 夏にしか見られない綺麗な花火もそうだが、やはりその場の雰囲気を思うと心が浮き立つ。
 きっと大勢の客で賑わうのだろうけど…あの雰囲気は嫌いじゃない。
「…あ、そうだ」
 ふと、思い出したことがあり、桜乃は自室を出てぱたぱたと廊下を歩きながら祖母に呼びかけていた。
「おばあちゃーん、私の浴衣、何処にあったかなぁ」

 一方の立海部室も、普段より一層の賑わいを見せていた。
「よっしゃー! アポゲット〜!!」
「お、来てくれるのか」
「やったー!」
 丸井の雄叫びに、ジャッカルと切原がいち早く反応し、他の男達もわいわいと彼女の参加を歓迎していた。
「スケジュールが合って良かったですね」
「ああ、青学の生徒じゃからの、あいつらの先約があったら無理も言えん」
「でも、コッチとの約束が確定した時点で、その心配もないでしょ」
「おれ、おさげちゃんならたこ焼き二個譲ってやってもいいや」
 そんな仲間達の様子に、三強も苦笑しながらも特に疑問を呈する事はなかった。
 初対面の時から、彼女の素直な人となりは十分に分かっていたからだ。
「みんな、大喜びだね…まぁ、あの子なら気持ちも分かるけど」
「ああ、流石に竜崎先生の孫だけある。なかなか礼儀正しい女子だった」
「少々、内気なところはあったが…意思疎通の面では問題ない程度だったな。寧ろ、奥ゆかしさがあって好ましい」
 全員が彼女を絶賛しているところで、部長は不意にくすりと笑った。
「? どうした? 精市」
「いや…ここまで皆が一人の女子を気に入るなんて初めてのことだったから、つい、ね。テニスじゃないから、別に青学の彼らと取り合う必要もないのに…どうしても勝負事にしたくなるのは俺達の悪い癖かな」
 これじゃあ、あの少女にも申し訳ないからせめて当日はそれを忘れて楽しもうね、と言った彼に、他の男達も苦笑しつつも頷いていた……


 いよいよ花火大会当日…
 桜乃は前もっての予習が功を奏したのか、無事に一度も迷う事無く待ち合わせ場所である、会場最寄の駅前に到着していた。
 夏のイベントの正装とも言える、朝顔の模様が淡く染め上げられた浴衣と、アップされた髪が仄かな色気を漂わせており、清楚な雰囲気を醸しだしていた。
「ちょっと早く到着しちゃった…こ、ここでいいんだよね、待ち合わせ」
 そう呟きつつ、桜乃はふうと息を吐き出した。
「…リョーマ君達には悪かったかなぁ…でも、立海の皆さんの方が先約だったし、破る訳にもいかないものね。私一人いなくても、そんなに支障はないだろうし…」
 実は、あの立海のメンバー達との約束をした後日、全くの入れ違いで青学のメンバー達と同じ大会に行こうというお誘いが掛かってきたのだった。
 スケジュールが空いていたら勿論参加することにはやぶさかではなかったのだが、その時既に立海との先約があった桜乃は、今回は青学の誘いを断った。
 断る理由について根掘り葉掘り詳しく聞かれなかったのは幸いだったかもしれない。
(この会場の何処かにいるんだよね、リョーマ君達も…でもこれだけ広いから、会う事はないだろうなぁ…)
 小さな和風の手提げを持ちながら、そんな事を考えていると、ふと隣から声が掛けられた。
「ねぇねぇ、君一人?」
「俺らと遊びに行かない?」
 見たことも会ったこともない、誰とも知れない二人の若者が、自分をそう誘ってきたのだ。
 あまりにもありきたりの誘い文句だったので、流石に桜乃もそれがナンパという行為だとすぐに分かった。
「いえ、お断りします」
 すっぱりと、取り付く島もない程にそう断言した桜乃は、それから付け加えた。
「人を待っているんです。一緒に行く予定ですから」
 そんな簡単な説明で諦めるようなら最初からナンパなどしていない。
 そんな規律があるのかどうかは知らないが、二人の男はそういう桜乃を諦めることなく尚も声を掛け続けていた。
「だってさっきから君一人じゃん。待ち合わせなんて嘘だろ?」
「いい場所知ってるんだ、一緒に花火見ない? 後でジュースも奢ってやるし」
「いえ、結構ですから…」
 どうしよう、何だかしつこい人達みたい、でも、簡単に見ず知らずの人に奢るなんていう人は絶対に信用するなってお祖母ちゃんからも言われているし、怪しいし…
 桜乃は、あからさまに困った表情をしながら触れてこようとする彼らの手を軽く払いのける。
 困ったな、でも動くわけにもいかないし…と、途方に暮れかけた時だった。
「ああ、ここだったか、待たせたな」
「あ…」
 また別の声が掛けられたが、聞き覚えのあるそれに対して、桜乃がぱっと笑顔をそちらへと向けた。
 ずーん!と効果音がついてきそうな程に迫力がある、上からの鋭い眼光。
 目鼻立ちは整ってはいるものの、到底中学生とは信じられない大人びた顔は、その者が纏っている暗色の浴衣の効果と相まって畏怖さえ呼び起こす程だった。
 誰あろう、真田弦一郎である。
 彼の姿を見た瞬間、桜乃にナンパを掛けようとしていた例の若者二人が早速固まっている。
 しかし少女にとっては、今の彼の風貌は恐怖を覚えるより寧ろ、ようやく来てくれた待ち人としての認識しかなく、怯えることもなくにこにこっと人懐こい笑みを浮かべるばかりだった。
「良かった、また待ち合わせ場所を間違ったかと思いました」
 これまで女子から怯えられる事は数限りなくあり、それ以降も初対面の時の印象が強い所為か殆ど懐かれることなどなかった真田は、桜乃の屈託のない笑みに図らずも心を打ち抜かれてしまった。
「う、うむ…すまなかったな」
 そして、その彼の隣にはもう一人の仲間がいた。
「よお、竜崎……ん? 何だ知り合いか?」
「あ、桑原さん…」
 今日は揃って浴衣なのか、ジャッカルも浅黒い肌にびしっとそれを着込んでいたが、見事に剃り上げられた頭部は初対面のナンパ男達に都合のいい誤解を生む羽目になった。
 この只者ではない威圧感、そして、傍に控えたいかにもな風貌のこの男…!!
「ああ…いえ、この人達は…」
 桜乃から紹介を受ける前に、そのナンパ男達はあわくって逃げ出していた。
「すっ、すんませんでしたーっ!!」
「あ、姐さんには手ぇ出しませんから〜っ!!」
 よく分からない叫びを残し物凄い速さで逃げていった二人を、彼らは三人で呆然と見送っていた。
「……フォームが今ひとつだな」
「何だったんだ? あいつら」
「…さぁ」
 本当に何だったんだろうと思いつつ、桜乃は首を傾げたが、すぐに気を取り直して二人へと向き直った。
「今日はお誘い頂いて有難うございます…お二人とも、凄く浴衣が似合ってて、素敵ですね」
 勿論、お世辞ではない。
 良い男は大概の服を着こなすことが出来る…そして真田とジャッカルも、一般の男性と比べたらかなりそのレベルは高い。
 テニスで鍛えた精悍な肉体と、びしりと伸びた背筋が非常に和服に合っていた。
「む…そ、うか?」
「そ、そう真面目に言われると照れるな〜〜」
 しかし勿論嬉しくない筈もなく、会って早々、二人は上機嫌。
「……あ、ところで、他の皆さんは? 何処かで落ち合うんですか?」
 当然、今日はこの二人だけではなく、残りの六人とも会える筈、と思っていた桜乃が尋ねると、真田が軽く首を横に振った。
「いや、あいつらももう向こうで待っている。よく分からんが、精市が俺達が迎えに行った方がいいと言うのでな…どうしてかは分からんが」
(まさか…幸村さん)
 ナンパしてきた人達が怖がって逃げるように、敢えてこの方達を…?
(ま、まさかだよね…偶然かもしれないし…)
 ただの偶然なのかもだし、と思いなおして、桜乃は二人と一緒に他のメンバーが待っていた場所に向かった。



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