「…どうしたんだよい、柳」
「台所に行って来たのだが…シンクも洗い物も全てが綺麗に片付けられていた……」
「それがどうかしたんかの?」
「…俺が見ていた間にも、丸井や赤也が汚した取り皿だけでも裕に十枚を越えていた筈。加えて彼女が台所に戻った時間は全て合わせても十分にも満たなかった…どうしたらあそこまで完璧に家事をこなせるのか、今、俺の脳内でシミュレーションを繰り返しているのだが…まさか彼女、クローンが陰にいたりしないだろうな」

『…………』

 ホラーだろう、最早それは……
「ま、まっさかぁ」
「幾ら何でもそりゃないだろ〜」
 強張った笑顔でそういなした切原と丸井だったが、その直後、
『ちょっと桜乃一号? 少しは私とも交代してよ!』
と、桜乃そっくりの声が何処かから割り込む形で聞こえてきて、二人は飛び上がらんばかりに驚いてしまった。

『いいいいい!!??』

 まさかっ!
 まさか本当に彼女にクローンがっ!?
 そんな嘘の様な空想を本気で考えていた二人が驚いている間に、周囲には微妙な無言の時が流れ、隣の詐欺師がぺろん、とこっそりくすねたお屠蘇を舐めながらうそぶいた。
「今度の新年会はこれ(腹話術)でいくかのう…」

『………』

 つまり、さっきの声は桜乃の分身でもクローンでも幽霊でもなく…こいつか。
「仁王先輩…いつか刺されるッスよ」
「新年早々騙くらかしやがって…」
 覚えてろ〜と、元旦から怪しい空気を生みまくる男達を、桜乃が少し遠くから不安げに見守る。
「どうしたんでしょう…?」
「目を合わせたらダメだよ」
「春が近づくとああいう輩が増えるからな…今から遣り過ごす練習をしておけ」
「はぁ…」
 桜乃の心配をさっくりと切り捨てながら、幸村と真田は黙々と箸を動かし続けていた。



 食事後…
「さて、お前らが新年にここに来ながら、何の抱負もないというのは如何なものかと思う。ここは一つ、書初めという形でお前達の気概を見せてもらおう」

(やっぱり来たか…)

 それこそが、メンバーの一部がここに来る事を敬遠していた大きな理由だった。
(毎年毎年、よく飽きないよな〜)
(俺、そろそろネタ切れなんだけどよい)
 真っ先に、今年の真田家来訪を控えようとしていた約二名が心の中で愚痴っている一方では、桜乃がわくわくした様子で真田を見上げている。
「書初めですかぁ」
「うむ、一年の計は元旦にあり。今年の抱負を新たな気持ちで紙と筆でしたため、それを己の目標として掲げるのは非常に有意義な事だからな」
 嬉しそうな顔でメンバー達を見ている桜乃の心を読んで、幸村が笑いながら誘う。
「…竜崎さんもやってみるかい?」
「いいんですか?」
「勿論…ねぇ、弦一郎、筆は余分にあるよね?」
「勿論だ。折角の機会なのだから、お前もやっていくといい」
「有難うございます……でも、私、正直そんなに上手じゃないんですよ」
 ちょっと恥ずかしいな…と恥らう桜乃に、そんなことは気にするなと柳が言う。
「俺も弦一郎に言われた事だが、そう堅苦しく考えすぎる必要は無い。あくまでも書は方法の一つに過ぎず、その時の気持ちを忘れないことが何より重要だ」
「うーん……分かりました」
 そう諭された少女が、さて何を書こうかと考えている間に、準備された紙の前で早くも書く内容を決めた部員達は思い思いに筆を滑らせている。
「ほう、貴顕紳士(身分高く、教養や品位がある男子)…か、お前らしいな柳生」
「身分はともかくとしましても、やはり紳士たるものは常にこうあるべきだと思っております」
「うむ、確かに」
 感心感心…と真田が満足そうに頷いて隣の柳を見ると、彼ももう殆ど書き終わっている。
「蓮二は教学相長(教えたり学んだりして知恵を助長発展させる)か…」
「どうにも、こういう性格でな…新しい知識を得る事は大きな喜びだ」
「成る程」
 人としても尊敬出来る親友の言葉に頷いている真田に、桜乃がちょっと首を傾げて尋ねた。
「…四字熟語じゃないといけないんですか?」
「いや、そういう訳ではない。お前が求める姿であれば形式は何でも構わんぞ」
「長々と書くより、四字熟語の方がすっきりと言いたい事もまとまっているから、ついこういう形式になっているだけだよ」
 そう付け加える形で言いながら、幸村が記したのは…
 『外柔内剛』
「…………」
 微妙な言葉に真田が沈黙して、ようやく遠慮がちに口を開く。
「…これはもう達成していることでは?」
「そお?…じゃあこっちで」
 そう言って書き直した二枚目には『屍山血河(死体が山の様に積み重なり、血が河の様に流れる激しい戦闘の例え)』

『…………』

「今年の試合はこういう感じで行こうと思うんだ」
「お前ら、死ぬ気でかかれよ」
 ふふっと嬉しそうに語る部長の後ろで副部長が真剣な面持ちでメンバーに念を押し、向こうの面子は顔色が青くなりながらも頷いていた。
 下手な試合をしたら、自分達がその屍になりかねないっ!!
「…ジャッカルは?」
「まぁ色々と考えたんだが…」
 彼が書いたのは『脚下照顧(身近なことに十分気をつけること)』。
「…………」
「何も言わないでくれ、俺にはこれが精一杯なんだ」
 一年の抱負どころか、今日明日の我が身の安全が最優先なんだ、と言う相手に、真田は無言で頷いた。
「まぁ、頑張れ」
 かなり望みは薄いが…とは、やはり仲間のよしみで言うべきではないだろう…と思いつつ、彼はいよいよ問題児達の書初めへと目を移していった。
 これまでの面子はまぁ、安全圏と言えば安全圏だったが…
「…丸井は?」
 覗き込んだ先にあった書初めには…
 『焼肉定食』

 どこっ!!

「ただのウケ狙いじゃんか〜〜〜〜っ!!」
「ウケ狙いで資源を無駄にするな馬鹿者〜〜〜〜〜っ!!」
 早速真田の鉄槌を受けてしまった若者がぎゃんぎゃんと喚いたが、相手も負けてはいない、と言うより、負ける訳にはいかないだろう。
「それを通すと言うのなら、お前が定食になりたいものと看做してなます斬りにしてやるぞ」
「ううう、分かったよい…」
「自分が食べられる…と言えば」
 殆ど脅迫まがいの叱責を受けながら書き直している丸井の傍で、筆を握っていた仁王が再び腹話術を披露した。
『僕の顔をお食べ』
「ああ、あったなそういうの」
「冷静に考えたら凄く怖いですよね」
「お食べって言われてもねぇ……」
 ジャッカルや柳生が至極真面目に話している中に切原が割り込んで頷き…
「…………」
 まだ、何を書こうか悩んでいる桜乃の方を見て、ぐっと拳を握った。
「や、食べろって言ってくれた相手によるッスよ、やっぱ」
「顔は何処いった」
「それ以上口にしたら張り倒しますよ」
 何を言っているんだか、と先輩達が後輩に牽制を掛けている間に、幸村がこそっと仁王の書初めを覗き込む。
 『一六勝負(博打)』
(これを弦一郎に見せること自体が博打だと思う…)
 元々、そんな殊勝な言葉は期待していなかったけど…と思っている幸村の向こうでは、今度は『酒池肉林』と書いた丸井が再び真田から手痛い一撃を受けていた。
『肉から離れろと言うのだたわけ――――――――っ!!!』
『わ―――――――んっ!!』
(向こうは向こうで大変みたいだなぁ…で、切原は…)
 後輩の書いているところを覗き込むと…
 『世界制服』
「……」
 突っ込む気力もない…もう色々と。
「ああー…壮大な野望だねぇ、物凄く規則正しい世界になりそう…」
 同じく覗き込んだ柳が、沈黙の後でぼそりと呟いた。
「こいつの国語力については最早匙を投げたくなる…」
「…………」
 そこで、じーっと同じく切原の書初めを見ていた桜乃が…
「…っ!!」
 遂に耐え切れなくなったのか、彼女は幸村の身体に隠れ、その身を震わせながら笑いを堪え、てしてしと幸村の背中を手で叩いた。
「……おい、後輩に笑われてるぞ」
「ええ〜〜〜〜〜〜っ!?」
 ジャッカルの突っ込みに、がーんっとショックも露に切原が叫んだが、時既に遅し…
「くそ〜〜〜、気が付いてんなら早く教えて下さいよ!!」
 先輩方の指摘を受けて、かきかき…と『制服』を『征服』と書き直してる切原に、幸村がやれやれといった様子で言い返した。
「だからってまた同じ事を書くかな…流石にそれは非現実的な野望なんじゃない?」
「うー…分かったッス、じゃあこれでいいでしょ」
「…だからって何でその隣に俺の名前を書くんだい」
「いや、部長なら本当にやれるんじゃないかと」
「そんな事しないよ面倒臭い」
 それからも、もう異次元の会話としか思えないそれらがあちこちで乱れ飛んでいたが、それらがようやく収束するかというところで、桜乃も一筆書き終えた。
「じゃあ、私はこれで!」
 『整理整頓』
 意外な熟語に、あれ?と幸村が首を傾げた。
「…君にしてはまぁ無難すぎると言うか…ありきたりの言葉だね」
「はぁ……で、もし宜しければ」
「ん?」
「…皆さんにもここで実践して頂けたら…と」
「…賛成」
 そう遠慮がちに語る彼らの周囲には、紙やら筆やらが散乱しており、これまでの戦いの凄まじさを物語っていた…まぁ、有り体に言うと、問題児複数対真田の戦いだったのだが。
「じゃ、みんなはぼちぼち片付けようか」
『へーい』
 ぐったりとしながらも片づけを始めるメンバーの脇では、唯一まだ書初めが終わっていない切原が真田に睨まれながら筆を取っていた。
「とっとと考えて書かんか!」
「だから元旦にここに来るのは嫌だったのにーっ!!」
 やはり、世界征服の野望は認められなかったらしい…、まぁ、仁王や丸井は何とか無難な言葉を適当に書いて乗り切ったらしいが、切原は語彙の少なさが仇になってしまった様だ。
「…切原さん、大変そうです…」
「まぁ、これで少しでも気合が入ってくれたらいいんだけど…」
 そんな会話を交わしながら、桜乃は相変わらずぱたぱたと手際よく周囲の散らかったものをまとめていく。
 その働きぶりに、柳生が感心して頷いた。
「正直、貴女の振袖姿も見たかったのですが…今日はその格好で正解だったかもしれませんね、流石にあれではそこまでの動きは難しかったでしょうから」
「ああ、振袖姿ですか…うーん、確かに朝は着ていたんですけど…」
 ふう、と何故か浮かない顔で桜乃が今日の衣装の理由を暴露する。
「ウチに挨拶に来たリョーマ君から、『馬子にも衣装だね』って、ありきたりの台詞を言われちゃいまして…酷いと思いません?」

 ぴくんっ……

「私が出かけると知ったら青学のテニス部の皆さんからも『衣装が汚れるし動きにくいだろうから、洋服にしたら?』って言われて。まぁ、それはその通りだったので、着替えてきたんですよ」
 レギュラー全員…切原や真田も含めて固まっているのにも気付かず、桜乃は裏話を話した後で、再び片付けに集中…
 つまり…彼女の振袖姿を見逃してしまったのは、アイツらの所為か!!
『よっけーなコトしやがっていっ!』
『振袖姿見られるんだったら、俺らが働いたって良かったのに…っ!』
『…仁王君、何してるんです』
『あの子のお祖母様に、振袖姿の写真を横流ししてくれるように根回しじゃ』
『お前…どこまで謎の人脈広げているんだ』
 メンバーがぼそぼそと話し合っている間に、桜乃の言葉を聞いていた切原が、いきなりぐっと筆を固く握ったかと思うと、先程までの気の抜けた様相から一転、えらく気合が入った様子で、びっ!と一気に何かを書き上げてしまった。
 『打倒青学』
「これでいくッス!!」
 何故か、誰が書いたのかと疑う程の達筆ぶりにまで進化している…
「おお、見事だ」
「いいねぇ…額に入れて飾ろうか」
 うんうんと部長と副部長も満足の態で頷いており、おそらくあれが部室に飾られるのは間違いないだろう。
 これで立海の面々に新たに闘争心が注がれたのは確実であり、その切っ掛けになった桜乃本人は、あわわ…と内心うろたえていた。
(あああ…何か、とんでもない事をしてしまった様な…)
 そう思う向こうで、闘争心に満ち満ちた丸井の声が響いた。
「あーもーっ! ムカついたから、今日は一日俺らだけでおさげちゃん独占してやるーっ!! 初詣に行ってから、羽根突きでも独楽でもカルタでも遊び倒してやろーぜいっ!!」
「いいですね」
「賛成じゃ」
「まぁ、当然の権利だよな」
 次々上がる賛同の声に桜乃は驚いたものの、ぽんと肩を叩いてきた幸村の笑顔に、相手もその気たっぷりという事がすぐに分かった。
「…帰りはちゃんと責任をもって送るから、いいよね、竜崎さん」
「……ふふ」
 仕方ない、かな…彼らと一緒にいたら凄く楽しいのは認めるしかないし…
「…皆さんのお誘いなら、断れませんねぇ」
 にこ、と微笑んで、少女は若者達の誘いを受けた。
 どうやらこの新たな年も彼らと共に歩んでいくことは間違いなさそうだ、と思いながら、桜乃は期待と喜びに胸が躍るのを止められなかった……






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