キスの誘いと初詣


『ハッピーニューイヤー、幸村っ!』
「明けましておめでとう、今年も元気だね、ブン太」
 めでたい元旦の朝
 幸村はぴしりと若草色の和服を着て、家で家族と共にくつろいでいたところに、早速仲間の一人から電話攻勢を受けていた。
 丁度電話を受けた時、彼は自分に来ていた年賀状をチェックしていたところで、子機を耳に当てながら若者は向こうの相手が出してくれた年賀状を見ながら優しく微笑んでいる。
「相変わらず創作意欲に溢れてるね、これ、新しいお菓子かい?」
『そうそう、イイ感じの甘さでさー、今度レシピも教えてやるよいっ…ってそんな事よりさ、初詣に行かない!?』
「ふふ、そろそろお誘いが来ると思っていたよ」
 唐突な丸井の誘いだったが、幸村は既に察していたとばかりにあっさりとそれに対し答えを返した。
 彼ら、立海大附属中学の男子テニス部レギュラーは、部活以外の場所でも非常に仲が良く、こういう行事ごとがある時には集って騒ぐのが通例となっている。
 互いに才能を認め合った他に、ウマが合ったということもあるのだろう。
 去年も一昨年も、家族内の行事があって参加出来なかったメンバーを除いて彼らは一緒に行動していた為、特に約束はしていないが誰かの誘いが来るだろうことは幸村も予想していたのだった。
「メンバーはレギュラー全員かい?」
『ん、今年は欠員なし。賑やかでいいじゃん』
「まぁ、常識的な範囲で宜しくね…じゃあ、何処で待ち合わせようか?」
 初詣に行く事はやぶさかではない若者が、壁に掛けられた時計を振り仰ぎながらそう尋ねると、向こうははしゃいだ口調で早速答えを返してきた。
『それなんだけど、今年は〇〇神社に行かない?』
「〇〇神社?」
 あまりに予想外の答えが返ってきて、幸村は思わず問い返してしまった。
 〇〇神社と言えば、神奈川県内ではなく都内の神社だ。
 レギュラー全員はみんなが神奈川県在住なのに、何でそこまで遠出をする必要が…?
「ちょっと遠すぎないかな…去年はここの最寄の神社に参拝したじゃないか、そこじゃダメなのかい?」
『あそこサービスあんまりよくないんだもん』
「神社に何を求めているんだい、君は」
 そもそも、サービスを求めに行くものではないのでは?と根本的なところで疑問を感じた幸村は相手にしっかりと突っ込んだが、向こうはやけに強硬にそこへの初詣を主張する。
『えー? でも行くならやっぱあそこがいいよい! 幸村の許可がないと、皆も誘えないじゃんか』
「うーん……」
 確かに、部長という肩書を背負っている手前、こういう団体行動の時には自分の意見に重きが置かれるという事は自覚している。
 逆に言うと、自分が一言指示を出せば、余程の反論がない限りは実現するのに苦労はしないのだが…向こうもどうやらそれを狙っている様だ。
「距離さえ問題なければすぐにでも許可を出したいところではあるけど…そこに足を伸ばしてまで期待出来るご利益でもあるのかな?」
『そりゃあ……あ』
 何かを言いかけた丸井が、ふと、間抜けな声を上げた。
「?」
 何だろう、と思っている間に、向こうはしまった、という口調で追加情報を提示する。
『ごめん、うっかりして言い忘れてたい』
「何を?」
『そこの神社、おさげちゃんが毎年行く予定のトコなんだー。今年はまだ青学の誰からもお呼びが掛かってないって。行けるなら俺らが彼女のボディーガードをするって竜崎先生に承諾貰ってる。おさげちゃん、振袖ふりふりして待っててくれてるかも…』
「何でそれを早く言わないんだ!!」
 珍しく大声を上げて電話口の向こうを非難した息子に、驚いたように両親達が彼を見つめる中、当の息子はそんな視線に構うことなく子機を持ったままばたばたと慌しく外出の準備を整え始めた。
「とにかく、許可を出すから全員に急いで召集かけて! 神社の前で待ち合わせをしよう、竜崎さんには絶対に他の人間とは行かない様に俺が再度連絡を入れておくから!」
『イエッサー!』
 そして、子機の電源を切ってからは幸村は本格的に準備に集中し…
「友人達と初詣に行って来る」
と、断ると同時に、家を飛び出していた。


 〇〇神社前…
「お前さんにしては珍しいのう、この手のコトで後手に回るとは」
「普通、元旦って家族と過ごすものだろう?…向こうの家族の都合もあるだろうし幾ら俺でも正月早々に誘うのは躊躇うよ」
「じゃあ、止めとくか?」
「誘えた以上は話は別」
 周囲の視線を一斉に集めながら、とある男子の集団が神社の前の鳥居の片脚のところでたむろっていた。
 言わずもがな、立海のテニス部レギュラーの面々である。
 彼らが人目を引いているのは、別に今だけに限ったコトではない。
 元々が目鼻立ちの整った美形揃いの上、長身でもある男達は、見ず知らずの人間…特に女性達にとっては目の保養である。
 しかも、全員が和服揃い。
 見目麗しく凛とした日本男児は彼らが意に介さなくとも、十分に周囲の人々の目を楽しませていた。
「しっかし、流石に元旦とあって賑やかだな」
 ほうほう、と手をかざして辺りの喧騒を眺めるジャッカルに、うんうんと同意を示す形で二年生の切原が頷いた。
「ここ辺りではこの神社が一番大きい様ですからね」
 柳生も、滅多に来ない場所に来たこともあり、興味深い様子で周囲を観察している。
 神奈川からわざわざここまではせ参じた若者達は、遠出であったにも関わらず、それについて苦情を述べる者はいない。
 その理由は、誘われたとは言え彼らが敢えて望んでここに来たからに他ならず、その目的は…
『あー、みなさーん』
 にこやかな、聞き覚えのある女性の声が聞こえて、彼らの視線が自然にそちらへと向く。

(おおっ!!)

 全員の心の中で驚嘆と歓喜の声が上がる中、その人は明らかな意志を持ってこちらへと向かって来ていた。
「すみません、出掛けるのに手間取ってしまって…お待たせしました」
 竜崎桜乃…青学の一年生であり、立海メンバーとも知己の仲の女子である。
 長いおさげがトレードマークの、普段はとても内気な女子であるが、若者達にとっては可愛い妹分の様な存在だ。
 知り合った切っ掛けは些細なものだったのだが、桜乃の生来の素直さと優しさが、男達との縁をより強く引き寄せる引力になった。
 引力に従ってきた彼らの心は、更に桜乃の人となりを知る内に、大気圏突入時に産まれる摩擦熱の様に熱を持ち…
 現在は、妹以上の存在ではないかと伺わせる程に、彼らの桜乃に対する心遣いは熱く深く優しいものになっていた。
 そんな彼らに少女も懐かない訳がない。
 今やこの素朴な少女が、青学の誰よりも、彼らとより親しくなっていると言っても過言ではなかった。
「明けましておめでとうございます、皆さん。今年も宜しくお願い致します」
「こちらこそ、明けましておめでとう」
 部長の幸村を先頭に、彼らは順番に桜乃と新年の挨拶を交わし…それからが大騒ぎ。
「かっわいい〜〜〜! 振袖だ〜〜!!」
「似合う似合う〜〜!!」
「そっ、そうですか?」
 ぶんぶんと両腕を激しく振り回し、これでもかと言わんばかりに強調してくる丸井と切原に、桜乃がうっすらと頬を染めて、袖で口元を隠す。
 元旦だけの特別スタイル。
 桜乃はいつもの洋服姿ではなく、赤を基調とした大輪の花が咲き誇る艶やかな振袖に身を包み、髪も上げて花や玉の髪飾りをつけていた。
 彼女が動く度に、しゃらしゃらと髪飾りが揺れて光を控えめに反射する。
 更に首元には真っ白なショールも付けて、足元は草履と完全装備。
「お祖母ちゃんに朝から着付けてもらいました。結構きついんですよ〜」
「きつい本人には申し訳ないが、見ている俺達には嬉しいものだぞ、なぁ?」
「うっ……う、む…」
 ジャッカルの呼びかけに、一瞬どもった真田が、忙しなく視線を辺りに泳がせながらも同意する。
 肌を露出していない…寧ろ普段よりは露出度は低めであるにも関わらず、目に訴えてくるこの不思議な色香は何だろう…?
 こっそり照れている真田の代わりに、幸村が優しく笑いながら頷いた。
「綺麗だよ、年の初めからいいものを見せてもらったな」
「そんな…恥ずかしいです。皆さんこそ、いつも見ない和服姿でどきっとしちゃいました」
「惚れ直した?」
 にっと笑って尋ねる切原の言葉に、相変わらず素直な少女はぽぽっと頬を更に赤くして照れまくってしまう。
 そんな相手に、若者達は可愛い可愛いと更ににじりにじりとにじり寄っていく。
 それがどんなに奇異な光景であるかは…やはり自覚はないのだろう。
 不意に、その中で銀髪の若者・仁王が、おっと軽く瞳を見開き、桜乃の顔に自分のそれをかなり近くまで寄せて笑った。
「お前さん、化粧しとるのう」
「え…」
「よーく見んと分からんぐらいのナチュラルメイクじゃな…なかなか上手いもんじゃ」
 詐欺師の目利きに、更に周囲の仲間達はヒートアップ。
「えっ、どの辺が!?」
「見せて見せて!!」
「うーむ、紅を引いていることぐらいは分かるが…どれどれ?…」
 更にじりじりと囲まれて、若者達の包囲網に、桜乃は羞恥に顔を隠して思い切り恥ずかしがった。
「きゃ〜〜〜っ…!」
「やめんかお前ら!!」
「警察が巡回している事を忘れるなよ」
 そこはすかさず副部長と参謀が彼らを制止し、桜乃から引き離した。
 正直、一度連行されてもいいのでは、という考えすら頭を過ぎったものの、そうなると立海テニス部の名に傷が付くことになるし、桜乃にも迷惑が掛かる。
 既に辺りの一般人から『何事だ』という視線も集まりつつあり、引率者としての責任を果たさない訳にもいかなかった。
「はう…びっくりしましたぁ」
「ごめんごめん、君の振袖姿に浮かれてしまったんだ。許してやってね」
「はぁ…」
 部長の幸村の取り成しもあり、彼らは改めてこれからの予定を立てた。
「先ずは初詣に来た以上は、何はなくとも参拝だろう」
「無論だな」
 真田の言葉に柳が頷き、他の面子からも異論なしという意味での沈黙が返ってきた。
「となると、このまま鳥居をくぐって境内に行けばいい話だけど…」
 ちらっと見たその方向には、既に人が大行列を為している。
 並んでいる間にもかなりの圧迫攻撃を受けるコトが予想されるが、男性陣にはさして脅威ではない、しかし問題なのは…
「大丈夫かい? 竜崎さん」
「いつもの服だったら何てことないんですけどね…でも頑張ります」
 着崩れが不安だったが、ここまで来て参拝しないという話もない。
 ふんっと気合を入れる少女に、幸村はせめて不安が軽くなるようにとメンバー達に指示を出した。
「じゃあ、俺達で彼女を囲む形で歩いて行こう。多少、壁を作ればましになるんじゃないかな」
「そうじゃな」
「賛成です」
 詐欺師や紳士達も賛成の意を示し、それから桜乃は全員から鉄壁の防御を受ける形で、ゆっくりと参道を歩いて行った。


 本殿までの道程はかなり遠く、桜乃達はゆっくりゆっくりと人々の波に乗り、時には押される様に歩いていった。
「辛くはないか? 竜崎」
「無理すんなよい」
「はい、皆さんが守って下さっているから、かなり楽ですよ」
 嘘ではない。
 実際、彼らに囲まれていると、殆ど外からの強烈な圧迫は感じる事もなく、桜乃はゆっくりとさえ歩けば何ら問題はなかった。
 流石に鍛えている男性は違うなーと感動しながら、彼女はゆっくりと流れる時間を彼らとの会話で埋めていた。
「皆さんこそ大丈夫ですか?」
「問題ない。この程度で根を上げる様なら、それこそ次期の部活ではレギュラーなど務まらん」
「そうそう、竜崎は何も心配しないで…」
 真田の後を受けて、余裕余裕といった表情で切原が桜乃に話しかけていたその時…
 そ〜〜〜っ……
 人混みの中から、どさくさに紛れて桜乃のお尻に触れようとする不貞の輩の手が伸びていた。
 こういう混雑の中で、本来あってはならない事だが、残念ながらよくある痴漢の類だろう。
 その男の手が目的の桜乃に触れる直前…

 ばきっ!!

「俺らと一緒にいたらいーの」
 にひゃっと笑いながら切原はそう続け、一方で、見事に右のアッパーを痴漢に叩き込んでいた。
「はわ…っ!」
 勿論、何も知らない桜乃は驚き慌てたが、他のメンバー達も相手の不埒な動きにはとっくに気付いていたのか、後輩を責めることもなく淡々と対処する。
「ジャッカル、確保」
「オーライ」
「おっまわっりさーん! おケツ触ろうとしたチカンが〜〜〜〜っ!!」
 びしっと指を指しながら指示する参謀に従い、ジャッカルが痴漢をとっ捕まえている一方では、丸井が賑やかに巡回中の警官に相手を突き出すべく声を上げる。
 ひとしきりその場が異様な盛り上がりを見せたが、現行犯で痴漢が連行された後は、また元の賑やかさが戻って来た。
「いやいや、面白い見世物じゃったのう…お客さんも大喜び」
「待っている間は皆さんも暇ですからねぇ…しかし、年の初めから悪を駆逐出来たとは、なかなか幸先が宜しい」
「そうだね……あ」
 メンバーの言葉に同意していた幸村が、不意に、隣の誰かと激しくぶつかってしまったらしく、軽く身体を揺らす。
「どうもすみません…あれ?」
 すぐに体勢を立て直し、謝罪の言葉を述べながら視線をそちらに向けた若者が、きょとんとする。
「ん?」
 対して、視線を向けられた相手は、初めて幸村の存在に気付いた様にこちらを見たのだが、その者は立海メンバーにとっても桜乃にとっても非常に見覚えのある男だった。
「手塚!?」
「手塚先輩!?」
「幸村…竜崎も、か」
 相手もまたぴしっとした和服姿で、目的は自分達と同じらしい。
 挨拶をしようとした幸村だったが、ふと、自分と相手との距離の違和感に気付く。
 先程ぶつかったのが彼だとしたら…やけに距離が遠い様な…?
「……」
 暫し手塚を真っ直ぐに見つめていた幸村が、ゆっくりと視線を降ろしていくと、そこに相手と自分の間に挟まった形で存在する、もう一人の若者がいた。
 青学の一年ルーキー、越前リョーマだ。
「ああ何だ、君だったんだ」
「……………」
 朗らかに笑う幸村だったが、思い切り身長差について言外に指摘された気がした越前は、物凄く不満げだ。

(幸先わっる――――――――ッ!!)

 背後で、心で叫ぶ仲間達の事はまるっきり無視で、幸村はにこにこと笑いながら改めて手塚に挨拶した。



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