甲冑奇譚(前編)


「春と言えばこどもの日」
「お前、前にも同じ様なコト言ってなかったか?」
 春もたけなわ、陽気な日が続いた或る日、立海のテニス部に入ったばかりの高校一年生丸井ブン太は外ののどかな景色を眺めつつ、親友のジャッカルからツッコミを受けていた。
 ここは立海大附属高校の一教室。
 休み時間にぼーっとしていた丸井に、何をしているのか近づいたところで、彼のそんな呟きが聞こえてきたのだった。
 中学を無事に卒業し、幸いなコトに学力は十分にあったことから彼らはエスカレーター式で今の高校への進学が決まった。
 そして入学式も済み、新しいクラスにも慣れ…新たに高校のテニス部にも入部した。
 勿論、今は非レギュラーだが、そのままで終わることなど考えてない。
 一日も早く、自分の実力を示して先輩達からレギュラーの座を奪ってやる。
 「貰う」ではなく「奪う」と考えている辺りに、彼の好戦的な一面が垣間見える。
 しかし、普段は中学の時と同様に甘い物が大好きで人懐こく、至って人畜無害な若者だった。
 但し、親友のジャッカルだけに関しては、その評価には異議があるところかもしれないが。
「だってさ、もうすぐこどもの日だろい? 折角日本人なんだから、ちゃんとこういう行事はこなしていかないと〜」
「…本音は?」
「美味しいモノが食べたいな〜」
「やっぱり」
 そんなこっちゃねーかと思った、と渋い顔をしているジャッカルを他所に、丸井はほへーっと空を見上げて回顧と妄想の真っ最中。
「こどもの日って言えば、ケーキとか柏餅が定番だよな。子供が主役ってことだし、その日だけはどんだけ食べても良くってさ〜〜」
「お前の家族にとっちゃあ魔の一日だな…どうでもいいが、俺達もう高校生だぞ? 流石にこどもの日にはしゃぐって事はないだろう」
「それはまた別の話。身体は成長しても、心はいつまでも子供のままなんだよい。そんな事言ってると老けるぞいジャッカル」
「誰の所為だと思ってるんだ」
 そもそもお前がもう少ししっかりしてくれていたらな…とお小言を述べたくなったが、ジャッカルは結局その口を閉ざす。
 最初からそういう話を素直に聞いてくれるような人物だったなら、中学から苦労などしていない筈…
 悟りの境地に達している親友の傍ら、丸井は飽きもせずに煩悩に浸り捲っていた。
「ああ〜、こどもの日って言えばこないだのひなまつりも楽しかったな〜〜〜。ご馳走にありつけたし、おさげちゃんは可愛かったし……ん? そう言えば」
 ふと、過去を思い出した丸井は、がばっと勢い良くジャッカルへと振り返った。
「あん時、真田が面白そうなコト言ってたよな」
「ん?……ああ、確か幸村が…」

『彼のおじいさんとお父さんとお兄さんと弦一郎の分の鎧兜が四体…ずらっと並んでいるのを見た時には流石に恐かったな…』

 思い出した。
 そう、以前、後輩である竜崎桜乃の家にひなまつりにかこつけて遊びに行った際、ちょっとした事から五月人形に話が及び、その時に部長だった幸村が真田の家にある人形について語っていたのだった。
「流石にゴールデンウィークでもあるし、その日に真田の家に遊びに行った事はなかったが…確かにあの家だったらスゴイのが出てきそうだよな」
 ううむ、と唸るジャッカルの脳裏に、真田の家の様子がまざまざと浮かぶ。
 あの根っから武士思考の真田を育ててきた家だけあって、その外観は完璧な日本式。
 敷地も非常に広いのだが、無駄な物は一切ない和の美しさと時代を感じさせる雰囲気は自然とこちらの居住まいすら改めさせられる程に荘厳だ。
 しかも隣には彼の祖父が師匠を勤める道場まであるのだから、彼の家の者の生活がどんなものかは想像に難くない。
 系譜を遡れば、やはり武士の血の流れを汲む者であるのだろうか…?
 そんな家の一室に、四体の鎧…
「…それだけで何かの映画が撮れそうだ」
「………」
 薄ら寒さを覚えている親友の脇で、急に丸井が黙り込む。
「…丸井?」
 何だろう、物凄く嫌な予感がする…いつもは賑やかなコイツがいやに静かな時は、大抵良からぬ事を企んでいるんだ、とジャッカルが考えた時、
「こどもの日に真田ん家に遊びに行ってみない!?」
(そらきたーっ!!)
 ある意味予想通りの展開に、その苦労症の若者は心の涙を流したが、当の発案者は既にかなりヒートアップしている。
「うっわ、ナイスアイデア! きっと真田ん家だったらちゃんとそういう行事はやってそうだし、何か食べさせてもらえるし、おまけに鎧も見られて涼も取れるじゃんか!!」
「最初の二つはともかくとして、最後のヤツは心から遠慮したい」
 何が悲しくて、春の陽気もそっちのけで涼に手を伸ばさないといけないのか…しかもかなり不健康な形で。
 ジャッカルは相変わらずな相棒の様子に、はぁ、と溜息をつきつつ諭した。
「あのなぁ丸井…お前はそういう事を考えて楽しいだろうが、真田の都合も考えなきゃいけないんだぞ。大体あのひなまつりの日にも、アイツはそんなに乗り気じゃなか…っ」
 ひょいっ…
「ん?」
 何かが身体に触れた…と思った時には、ジャッカルは既に胴体にロープを巻かれ、ずるずると丸井によって引きずられ、廊下にまで連れ出されていた。
『わーっ!! 何だこりゃ〜〜〜っ!!』
『なら真田に了解取りゃいいだけの話じゃん! おら行くぞい、ジャッカル!!』
『何で俺まで〜〜〜〜!! てか、どっから持って来たこのロープ〜〜〜〜ッ!!』
 同じ高校一年生達の奇異の視線をこれでもかと受けながら、その二人はまた別の教室へと向かったのである。


「断る!!」
(うおう!)
(き、今日はいつもよりやけに不機嫌モードッ!!)
 勿論、二人が向かった先は、当の五月人形がある家の次男、真田弦一郎のいる教室だった。
 そこにいた相手を見つけて、早速用件について切り出したのは良かったのだが、中身を半分も聞かない内から、敵は真っ向から拒否の意を示したのだ…しかもかなり強硬に。
「確かにウチでは毎年鎧兜を出しはするが、高校生にもなって集うなどたるんどる! やりたければお前たちで勝手に何処かで集まればよかろう!」
「…ど、どしたんだよい、真田」
「えらくピリピリしてるな……悪いコトでもあったのか?」
「………」
 答えずにぶすっと視線を逸らした相手の様子から、それが当たらずと言えども遠からぬ事は察しがついたが、肝心の理由が分からない。
 聞きたくはあるが、もし聞いたら聞いたで、更に向こうの怒りに火を注ぐコトになってしまいそうだし……
 さてどうしよう、と考えていた二人の耳に、何処からかくすくすと小さな笑い声が聞こえてきた。
 その馴染みある声にきょろっと辺りを見回すと…
「あ、幸村だ」
「やぁ二人とも…また楽しそうな事を考えたね」
 どうやら少し離れた場所から彼らのやりとりを見ていたらしい、真田のクラスメートであり元テニス部部長の幸村精市が、口元に手を当てながら笑っていた。
「そう言えば、そろそろそんな時期だったっけ、流石に俺達ぐらいの年になると子供の日って言うよりもゴールデンウィークがメインだからね………で、どうしたのソレ」
 笑みを消したところで幸村が指し示したのは、ジャッカルの腰にいまだ付けられたままのロープ。
「いや……ちょっと拉致にあってな…」
「大変だね、相変わらず」
「そう思うなら止めてやってくれ」
「だって俺もう部長じゃないし…」
 ごにょごにょと幸村とジャッカルが無駄話をしている脇では、諦めきれない丸井が尚真田に食い下がっていた。
「なーなー、いいじゃんか遊びに行っても。鎧見せてー食い物食わせてー。どうせ独り身なんだし、休み中にいちゃつく恋人もいないんだろい?」
「下らん事に現を抜かしているぐらいなら鎧といちゃついた方がましだ!! ほっとけ!!」
 それはそれで不健康な事を豪語して、結局真田はぷんすかと立腹しながら教室から出て行ってしまった。
 これ以上は関わりたくない、という事なのだろうか…
「う〜〜〜、どうしたんだよい、今回はやけに頑なだな〜」
「それはじゃな」
 不満を口にした丸井の隣に、いきなりにゅっと銀髪の若者が顔を出した。
 彼らと同じテニス部の仁王雅治だ。
「おわビックリ!!」
「いつからここにっ!」
 驚く丸井とジャッカルだったが、よく見ると他にも柳生と柳までいつの間にかその場にいる。
「いつからと仰られても…」
「あれだけ騒いでいたら廊下にまで筒抜けだぞ…」
 結局、中学生からのレギュラー仲間がほぼ揃ってしまった中で、一度言葉を切った仁王が再び話し始めた。
「真田のヤツなぁ、入学してからここ暫く連日、先生たちにまで『先生』呼ばわりされとるんじゃよ。じゃから、年齢関係の話には敏感になっとっての…そんなトコロにあてつけみたいに『子供の日』なんて言われたら、そりゃあ面白くもないじゃろうが」
「うわぁ、気の毒…」
「でも納得」
 分かってみたら、至極尤もな話だった。
 自分達はもう長い付き合いだからあの容貌にも慣れているが、初対面の生徒達には少々察するにはキツイものがある。
「エスカレーター式の学校だから、いずれ知っている生徒達からも情報は行くと思うけどね…ちょっと八つ当たり気味だったけど、彼も人間だから許してやって」
 ジャッカル達にそう言う幸村の脇では、仁王がふーむと顎に手をやっていた。
「ちょっと流した噂でも結構広まるもんじゃのう……」
「貴様が元凶か」
 柳がそんな詐欺師を追及している隣では、紳士が丸井達に改めて意志を確認していた。
「真田君の気持ちも分かるところではありますね…人様の家にお邪魔するという話なのですから、あまり我侭を言うのは宜しくないのでは…?」
「そりゃ、良くはないだろうけどよい」
 一度は譲歩したかに見えた丸井だったが…
「でも行く!」
「行くのかよっ!!」
 ジャッカルが突っ込んだものの、一度決めた事を覆すという考えはどうやら向こうにはないようだ。
「子供の日を無事に迎えていい子になる為にも、ここは一つ子供っぽく謀略といきませう」
「いい子は謀略なんかしませんよ、多分」
「ふむ…では、将を射んとすれば先ずその馬を射よ、ってトコロでどうじゃ?」
「馬…と言うと切原君ですか?」
「ひでえ言われよう…や、アイツつついたら、逆にパワーアップしてこっちにまで襲い掛かってきそうだし…」
 ぼそぼそぼそ、と何やら不穏な会話を始めた仲間達を見つめながら、ジャッカルは縋る思いで幸村に懇願していた。
「幸村…っ! 一日も早く部長になってくれ!!」
「何だか納得いかないなぁ…」
 何の為に部長になるんだか…と幸村も何となく腑に落ちない様子で首を傾げていた。



 その日の放課後…
「今日の合同練習、宜しくお願いしまっす!」
 テニスコートには、高校生のテニス部員の他、彼らよりやや幼い印象が強い若者達が揃っていた。
 彼らは立海大附属中学のテニス部員である。
 今日は高校と中学のテニス部員の合同練習日であり、中学側の代表である部長の切原赤也が、高校側に挨拶をしていた。
 そんな彼の傍に、一人のおさげの少女が立って同じく今の部長に挨拶をしている。
「宜しくお願いします。今日は、特にこちらに欠員はありません」
「了解、じゃあ予定のコートにみんなを分散させてくれるかな」
「分かりました」
 竜崎桜乃…現在中学二年生であり、男子テニス部のマネージャーでもある。
 元々中学に入学した時には青学の生徒だったのだが、色々と縁の為せる業か、立海の幸村達中学レギュラーメンバーに惹かれてここに転校を果たし、その後ここでマネージャーとしての役割を担っていた。
 主な教育係は参謀だった柳だが、他の男達も心を砕いて面倒を見てやり、桜乃もそれに必死に応えた甲斐もあって今ではすっかりマネージャー姿が板についている。
 それは、男達にとっても何より喜ばしく、誇らしい成長だった。
 実は。
 桜乃が若者達の事を兄貴代わりとして慕っている以上に、彼らは少女の事を気に入っていた。
 それはもう目に入れても痛くない、という表現がぴったりの溺愛振りであり、溺愛するあまりに自分達以外の男性が彼女に近づくことを許さないという、有り難いのか迷惑なのかよく分からない立場にまでなっている。
 中でも幸村たち最年長者は、今年高校に進学した為に桜乃と学び舎が別になり、かなり寂しい思いをしていたので、この合同練習は公然と彼女と会える何よりの楽しみな一時だった。



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