「久し振りだな、竜崎。マネージャーとして頑張っている話はここにも伝わってきている、よくやってくれている様だな」
「有難うございます、柳先輩」
今はもう、一年生という最年少の学年になった事で部の肩書も持たず、非レギュラーでもある彼らだが、桜乃にとって偉大な先輩達であるという事実は変わらない。
少女はノートを抱え、部の活動の狭間で律儀に高校生になった先輩達にも挨拶をしていた。
「ちょっと足を伸ばせばすぐに会える距離ではあるけど、やっぱり以前の様にはいかないからね。でももし困った事があったら、何でも相談していいよ」
「有難うございます、幸村先輩。大丈夫です、部の方は今の処は落ち着いていますから…強いて言えば…」
「言えば?」
何かあるのかい?と尋ねた先輩に、桜乃はえへ、と照れ臭そうに笑った。
「あー…やっぱり皆さんがいなくなって寂しいなーって…す、すみません、甘えんぼで」
『…………』
これじゃいけませんよね!と自分を戒める桜乃の知らない処で、先輩達が悉く萌え死にかけていた事実を彼女は知るまい…
そんな先輩達の方に丁度歩いて来ていた切原が、何となく不満げに桜乃に目を向ける。
「なーんだよ竜崎―、まるで俺が役立たずみたいじゃんか」
「そ、そんな事ないですよう、切原先輩…切原先輩だって、皆さんが卒業された後で物足りないとかつまらないって仰ってたじゃないですか」
「そ、それとこれとは話がなぁ…!」
慌てて桜乃の言葉に言い返していた切原の傍に、彼の師匠とも保護者とも言える真田が寄って来た。
「赤也、そんな気の抜けた事を言ってどうする。今やあのテニス部は、お前の裁量に全てが委ねられていると言っても過言ではないのだぞ。しっかりと後輩達に己の身を以って模範を示してやらねば」
「わ、分かってますって、真田先輩!」
うわ、ヤブヘビだ、と切原が慄いていたところに、真田が傍に来たことで桜乃が嬉しそうに微笑みながら真田へと顔を向けた。
「あ、真田先輩…」
「竜崎、赤也が世話をかけるな…もしふざけた事をしていたら、いつでも俺に言ってくれて構わんぞ」
「信用ないッスね俺…」
一応俺の方が先輩なんスけど…とぼやく新部長にくすっと笑いながら、桜乃は首を横に振った。
「切原先輩、凄く立派な部長ですよ…皆さんの教育の賜物ですね」
「そ、そうか…?」
「はい………ああ、そう言えば真田先輩」
「む?」
呼びかけられ、改めて桜乃へと振り返った真田に、娘はにこりと笑って言った。
「端午の節句、先輩の家にお招き頂けるそうで、有難うございます」
ふらっ…
「真田先輩っ!?」
思わず失神しかけて揺らいだ相手を桜乃が気遣う。
「だっ、大丈夫ですか!? 御気分が…!?」
「い、いや、何でもないっ! そ、その、竜崎…今の話は…?」
「え? はい、子供の日に、真田先輩の家の鎧を見ながら祝おうって、丸井先輩が…他の方々もご一緒なんですよね?」
(やはりあやつか〜〜〜〜〜っ!!)
搦め手で来おったな!!と心で怒りを叫んでいる間に、相手の少女はにこーと嬉しそうに笑っていた。
「私、ひとりっこで五月人形とか鎧って見たことないから凄く楽しみです!当日は柏餅とか、ちまきとか、一杯作って持って行きますね!」
「…………」
ここで、『そういう話は一切了解していない』と言うのは、自分に許された当然の権利…である筈なのだが…
「へぇ? 何だよ竜崎、今の話は」
「あ、今度の子供の日にですねー…」
桜乃の笑顔に言葉を封じられている隙に、彼女の口から更に切原にまで敵の謀略が広がっていく。
「面白そうじゃんか」
「ですよね? 私、張り切ってお料理してきます!」
「…………」
出来る事なら、その場で丸井を追いかけてしばき倒してやりたかったのだが、ここまで嬉しそうな桜乃の笑顔を見てしまうと、その喜びに水を差すことも出来ない。
繰り返すが、立海の過去のレギュラーメンバーは例外なく桜乃がお気に入りなのだ。
「た…っ……楽しみにしている…っ」
「はい!」
相手が心の中で血の涙を流しているとは露知らず、無邪気な少女はその言葉をそのままに受け取って微笑んでいた。
そんな彼らの様子を遠巻きに眺めていた仕掛け人達は、
「よーしよーし、見事に落馬したようじゃな」
「やりぃ、これで俺はおさげちゃんの手料理も食べられるし、一石二鳥〜」
と、謀略の成就を喜んでいたのだが……
「君達、いつか地獄に堕ちるからね」
と、元部長はにこやかな笑みのままでにそんな彼らに忠告していた。
そして端午の節句…五月五日。
「真田先輩、こんにちは!」
『おっじゃま〜〜』
元気に挨拶をする桜乃と、一緒に来た男達を、真田は普段着の着物姿で出迎えていた。
「…竜崎の後ろの奴らはすぐにでも叩き出したい気分だがまぁ上がれ」
「?」
勿論、桜乃には彼の言葉の奥にある真意は分からないまま、彼らは真田の勧めで彼の家に上がる事になった。
奥に続く廊下を通って行く中で、桜乃はきょろきょろと興味深そうに家の中を見回しながら歩いている。
「ウチも典型的な和式建築なんですが、真田先輩の家って凄く歴史を感じさせますね…それにとっても広くて…」
「まぁ昔建てたものを大事に使っているだけだ。洋式の家も悪くはないのだろうが、どうも小洒落た場所は落ち着かんでな…ああ、あまり無闇に壁には触れないでくれ、怪我をするといけない」
「怪我? はは、もしかしてあまり古くて壁が崩れてくるとか…」
真田の言葉を聞いた切原が、けたけたと笑いながら早速傍の壁に手を触れて軽く押した…途端…
「をわぁっ!!」
大きな叫び声を上げて、彼の姿が消えてしまった。
その間、僅か一秒足らず…
「ん? うわぁっ!! 切原がいなくなった!?」
「ウッソ! さっきまでそこにいただろい!?」
驚いたジャッカルや丸井の言葉を聞きつけた先頭の真田が、早速陰鬱な表情でふぅ、と溜息をつきながらそこに来ると、先程切原が触れていた壁をとん、と叩き…
ぐりんっ!!
『!!!』
全員が目を剥く中、どんでん返しの造りになっていた壁の向こうで、まだ倒れていた切原を引きずり出してきた。
「危険だから触るなと言った筈だな、赤也…」
「い、色々と腑に落ちないトコロはありますけど、取り敢えずゴメンナサイ…」
襟首を掴まれたまま、脱力した切原は謝るしかなく、他のメンバーは一様に引いてそんな彼らの様子を眺めていた。
壁が崩れるどころか、一般家庭の家の壁がどんでん返しって…!?
「ええと…真田先輩、この家、いつ頃に…?」
「断っておくが、近代以降だ」
桜乃の強張った笑顔での質問にむすっと答えた真田に代わり、幸村がぴ、と人差し指を立てて補足をしてくれた。
「弦一郎のお祖父さんの趣味なんだよね」
「ほう」
実に面白いびっくり箱を見つけたとばかりに、瞳を輝かせて家を眺めている仁王が相手の台詞に楽しそうに答える。
どうやら、今日の彼の目的は決まった様だ。
その向こうでは、相変わらずむすっとしたままの真田が不機嫌そうに言った。
「とにかく時代劇が好きでな…家の至る所にこういう仕掛けをしては喜んでいるのだ。家人は慣れているから害はないが、来客には常に注意をしている」
「俺も小さい頃にはここによく来て、仕掛けで遊んだりしてたけどね…またあれから増えたんじゃない?」
「まぁな…たまにある落とし穴に嵌ったら…」
真田が説明している丁度そのタイミングで、ジャッカルがポケットの中から硬貨を落としてしまい、彼は何気なくそれを追いかけた。
「おっとと…」
その硬貨を追って、丁度そこにあった脇へ続く廊下に踏み入っている間に真田の言葉が続く。
「真下の座敷牢へと落とされたり…」
瞬間、
がこっ!!
『わ〜〜〜〜〜〜〜っ!!』
悲鳴を残して、廊下に空いた見事な落とし穴に、ジャッカルの身体が吸い込まれていった。
『…………』
落ちたよね? 落ちましたよね?とメンバー達が青い顔で見詰め合う中、真田は何ら動じる気配も見せず、ふぅ、と再び溜息をつき…
「…取りに行ってくる」
何を、とは言わなかったが、すたすたとその場から離れ、落とし穴の向こうへと消えていった。
彼本人の堂々とした立ち居振る舞いを見ていたら、とてもこの家に仕掛けがあるなどとは想像も出来ないのだが、最早道先案内人がいなくなった今、来客達はそこから動けなくなってしまった。
「す、凄いですね…」
「更にグレードアップしてるなぁ」
桜乃と幸村が評している隣では、柳が合点がいったという様子で何度も頷く。
「…弦一郎の家は、風の噂では盗人達の間で『戻らずの家』と呼ばれていると聞いていたが、こういう事だったか」
「警察関係者の家に忍び込む時点で愚かと言わざるをえませんが…そのまま拘置所まで直通でしょう」
「泥棒ホイホイみたいですねー……あれ? でも皆さんも真田先輩の家は初めてじゃないんじゃ…」
「そういや、俺ら、こっちの廊下を通るのは初めてだなー」
桜乃の疑問に皆が同じく首を傾げていると、そこにようやくジャッカルを連れた真田が戻って来た。
「だ、大丈夫だったかい? ジャッカル」
相棒が心配そうに声を掛けたが、相手は真っ青になって視線すら合わせない。
余程強い精神的ショックを受けたのか…
「……あんな場所に落とされたら、やっていない罪まで認めてしまいそうだ…」
(どんな座敷牢なんだよ…)
見たいけど見たくない…と皆が思う中、仁王だけが生気を得たように活き活きとしているのは気のせいか…
「…真田先輩、皆さんはこれまでもここに遊びに来ていたんですよね? 今まで仕掛けに嵌った人はいなかったんですか?」
「ん? ああ…今からお前たちを案内するのは鎧が安置されている仏間だからな、これまで案内した事はなかった。そこに至るまでの道には特に厳重に仕掛けを施してある」
成る程…家の中でもちゃんとレベル分けがされているという事か。
「因みに俺の部屋に行くまでの仕掛けは敢えて止めてある…これも修練だ」
「つまり、不審者は先輩直々に成敗すると」
「うむ」
絶対にここでは迷子になれない…と桜乃が思っている間に、ようやく一団は問題の仏間へと到着した。
何となくしんとした場所で、おどろどろしい雰囲気と言えばそうなのかもしれない。
そこは襖で隔たれており、丸井と切原がその前で興奮しながら騒ぎ出す。
「おおっ、ここが問題の…」
「呪いが掛けられていそうな鎧四体が鎮座まします場所ですか」
「どうしようかな、開けた途端に鎧武者が襲い掛かってきたりとか、人魂飛んでたりとか…」
「やっぱ入る前に御祓いを…」
「いいからとっとと入れっ!!!」
『わ――――――っ!!』
襖を開け放ちながら二人を背後から蹴飛ばした真田の身のこなしは流石と言おうか…かなり怒りが篭っている事は間違いないが。
苦笑しながら続いた桜乃達だったが、そこに安置されていた鎧達を見た瞬間、彼らは一斉に口を閉ざした。
並んでいたのは四体…と一体の、合わせて五体の鎧。
確かに内四体はよく見る市販の鎧武者だった…それらもそれなりに立派なものだろうことは分かる。
しかし、皆の視線を先ず一斉に引いたのは、残りの一体…
装飾品ではなく、明らかに本物の甲冑と兜の一式だった。
古びてはいるが、籠手などの部分の革もまだ十分な強度を保っており、ちゃんと着方を理解していたら、今でも着る事は出来るだろう。
兜の下のいかめしい顔つきの仮面は、無い筈の双眸でこちらを見据えている様だ。
まるで、ここに来た自分達を敵か味方か見定めているかの様に…
「…凄い…何て立派な鎧武者」
「本物だな…世に名を残した武者達のものには及ばないが、それでもなかなかの一品だ」
素早く見立てた柳に、真田は軽く頷いた。
「うむ…俺も詳しくはないのだが…先祖代々伝わるものでな、普段は蔵の中に収められているのだが、今年は俺が高校に進学した事を受けて出されたのだ。家で何か節目があった時にだけは、こうして出す決まりになっている。我が家を守ってくれるご先祖の魂が宿るものだ」
「だからか…俺も初めて見たよ……何か、恐いって言うか、畏れ多いって感じがする」
珍しく、幸村が少し緊張した様子でその甲冑を見つめている脇では、仁王がきょろっとその仏間を見回して眉をひそめている。
「……ここだけ空気が違うのう…ひやっとせんか?」
「日が射さないからじゃないんですか? 仁王君」
柳生の指摘にも、なかなか相手は納得しない。
「それだけなのかのう…何と言うか…首筋に刃を当てられている様な気がするんじゃ」
「こここ、恐いコト言わないで下さいよう〜〜、私そういうの苦手なんですからっ」
恐がる桜乃に相手はすまんすまんと笑って謝り、それから彼らは暫くそこに安置されていた鎧達を見学した。
「すっげー重そうだな〜…着れるのかい? コレって」
「台に固定されてはいるが、外したら可能だ…しかし、かなり重いぞ」
「ふーん…」
どうしよっかなーと考えているらしい丸井達と一緒に鎧を見つめていた桜乃の手に、大きな荷物が提げられている事に改めて気付いた真田は、ああ、と相手に声を掛けた。
「竜崎」
「はい?」
「すまんな、気が利かずに荷物を持たせたままで…しかし随分と大きいな?」
「あ、大丈夫ですよ、そんなに重いものじゃないんです。春野菜をたっぷり使ったオムレツでしょ、ちまきでしょ、それに鯉のぼりのクッキーとか、柏餅とか、色々と持って来ました!」
自慢げに語った桜乃の言葉に、若者達の興味も一気に食事へと移っていった。
「お、俺、大盛りでな、おさげちゃん!」
「はいはい…そうだ、真田先輩」
「ん?」
「ちょっと容れものが立派なものじゃないんですよ…もし宜しければ、こちらの家にある器に盛り付けさせて頂けますか? 折角ですから、綺麗な見栄えにしたいし」
「ああ、それは勿論構わない…では場所を移動しよう。座敷に食事の準備は出来ている。一度そこに行ってお前を台所に案内する…それでいいか?」
「はい」
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