甲冑奇譚(後編)


 それから桜乃は台所に案内され、そこにある適当な器を借りて、手持ちの料理を移し始めた。
 幸い、台所から彼らのいる座敷までは近く、仕掛けも無いということで、今は真田は彼らの世話に戻っている。
「うーん…これはこっちの器の方が綺麗に映えるかなぁ…よし、じゃあこっちに…」
 いそいそと箸を使っておかずなどを楽しげに器に盛り付けている時だった。
 がちゃっ…がちゃっ…
「…?」
 何の音かしら…何か、金属が沢山擦れるような音だけど…
 がちゃっ…がちゃっ…
(…足音?)
 最初は小さかった音が、徐々に、徐々に、こちらへと向かって来ている。
「ん…わっ!!」
 何だろうと振り返ってみると、廊下から台所へ続く開かれた入り口の処に、鎧を身につけた男が立っていた。
 あの仏間にあった、本物の鎧だ。
 男だと思ったのは、その見た目の体格が良かったことと、今この家には、桜乃の他にはあの立海メンバー達しかいないと聞かされていたからだ。
 因みに真田の他の親族は、休みを利用して友人が来る息子に留守を任せ、何処かに出掛けているらしい。
 兎に角。
 振り返ってびっくりしたものの、桜乃はすぐに気を取り直して声を掛ける。
「ああ、びっくりした…やっぱり着てみたんですか? それ」
「……」
 きっとさっきも丸井先輩が試してみたいって言ってたから、誰かが挑戦したのね…と考えながら、桜乃は暫し相手を見た。
 顔は兜を深く被っていたから見る事は出来ない。
 丁度盛り付けがいい具合に進んでいた桜乃は、再び顔をそのおかず達に戻しながら相手に言った。
「すみません、今もう少しで盛り付け終わりますから…でも、よくお似合いですよ。寸法もぴったりですね」
 本当は近寄ってよく眺めてみたかったが、今は手が少し汚れているし、後でゆっくりと見せてもらおうと、桜乃は安易に考えていた。
「……飯」
 不意に聞こえた声…
「はい?」
「飯はあるか…」
 低い声が響いたが、聞き取れない事はなかった。
 飯…当然、食事のことだろう。
「ごはんならもうすぐですよ。やっぱり中は丸井先輩なんですか? そこにちまきと柏餅がありますけど、皆で食べた方が美味しいと…」
 がちゃがちゃ…っ
「…?」
 また、あの金属音…
 今度は何だろうともう一度振り返ると、その鎧武者は既にこちらに背を向けており、台所から出て行くところだった。
(あら…? 戻られるの…?)
 がちゃっ…がちゃっ…がちゃっ…
 再び、来た時と同じ音をたてながら、その武者姿の男は視界から消え、足音もやがて遠くなっていった。
「…? どうしたのかしら…あら」
 暫くして、ようやく手が空いた桜乃が振り返り、置いていた器の中を確認すると、柏餅とちまきが一個ずつそこからなくなっていた。
「あー! つまみ食いっ! んも〜〜、立派な鎧をそんな事に使うなんて…」
 そうは思ったものの、よく考えたら、あの鎧の中に誰が入っていたのかは分からない…となると、犯人を糾弾することも出来ない訳で…
 下手に自分が騒いだら、鎧をカムフラージュに使われた真田先輩が凄く怒るだろうし…そうなったらお祝いどころじゃないよね…
(んもう…まぁ、沢山作ってきたからいいけど…)
 仕方がない…ここは武士の情で見逃してあげましょうと、桜乃はそれについては追求はするまいと決め、器をメンバーの待つ部屋へと運んでいった。


「おお〜〜〜〜!!」
「こりゃ美味そうだなぁ」
「へぇ、鯉のぼりのクッキーか。可愛いし美味しそうだね」
 こういうイベントで、桜乃が同席する時の男達の大きな楽しみの一つが、この彼女の手作り料理である。
 元々病弱で家に篭りがちであったという事と、料理好きな祖母に愛され躾けられていたこともあってか、桜乃は今時珍しい、家事が趣味で得意な女子であった。
 その恩恵を受け続けてきた立海のメンバー達の中で今や桜乃の料理の腕を疑う者は一人もおらず、彼女の手料理の分が運ばれてきた時、彼らは嬉しそうに歓声を上げて早速それらに手をつけ始めた。
(…あれ? 全員揃ってる…)
 ふと見回して人数を確認してみると、八人全員がしっかりと着席している。
 勿論、あの鎧を纏っている人物などいない…私服だ。
(あれからそんなに時間は経っていないのに…かなり急いで着替えたのかな。それとも、時間が経ってないと思っていて、意外とそうでもなかったとか…)
 あの時は特に時間とか気にしていなかったし…と色々と考えている桜乃の胸中は知りもせずに、彼らは思い思いに料理を自分達の取り皿の上に乗せていく。
「これは大変彩がいいですね…春らしい料理です」
「相変わらず、腕を磨いとるんじゃのー」
「えへ…春になるとやっぱり心が浮き立って、色々と試したくなるんですよ」
「ふーん、じゃあ俺いつでも味見役になってやるからさ、持ってきたらいいよい」
わいのわいのと騒ぎながら、食べ盛りの若者達の食欲は留まるところを知らず、卓上の食事は見る見る少なくなっていった。
「客だからと遠慮はしたものの、やはりお前のお陰で助かったぞ竜崎。この差し入れが無かったら、こいつらの胃袋を満たす事は難しかっただろうからな」
「うふふふ…」
 やれやれ、と腕を組みながら、今日何度目になるのか分からない溜息をついた真田に、そう言えば、とジャッカルが尋ねた。
「ああいう人形と言うのは、そんなに重ねて買わないといけないものなのか? お前の家の男性達全員に一体ずつというのは分かるが、まとめて一体でもいいんじゃ…」
 ハーフの彼には、詳しい由来を聞く機会がなかったのだろう、心底不思議がっている男に、早速柳が詳しい説明を始めた。
「そもそも端午の節句の飾りは、祝いを受けた男児自身を守るものだ。だから、他の人間の飾りを使って済ますというのは本来の目的に合わなくなる。先程の仏間にあった、ああいった家伝来の鎧兜は家を守るもの、そして男児を守るものは『彼の』鎧兜や五月人形なのだ。場所を取る、などの苦慮する点もあるのは事実だが、その子の存在を尊重する意味でも一つにまとめるのではなく、祝いの飾りはそれぞれに準備してやった方がいいのだ」
「へぇーっ! そうなのか…でも言われてみたら確かに上の子だけっていうのは不公平だな、単純に」
 成る程―っとジャッカルが頷いて感心していると、幸村が苦笑いをしながら話に加わってきた。
「家族の鎧四体だけでも十分な迫力だったのに、あの本物を見たらそれさえも存在が霞んで見えたよ…何と言うのか、背筋が冷えたな…」
「俺はあの部屋の空気が気になったぜよ…まるで俺達以外にも誰かがいたような…」
「ままま、またそんな事を言って仁王先輩〜〜…」
「ははは…すまん。まぁお前さんの前ではやめとくか…真田、少し手洗いを借りるぜよ」
「うむ」
 その場で一度仁王が中座し、残った面子はまたそれからひとしきり談笑に興じていたのだが、ふと思い出した桜乃が皆に呼びかけた。
「でもそう言えば、皆さんの内の誰か、あの鎧を試着したんですよね? 誰だったんですか?」
 つまみ食いについて言及しなければいいだろうと思って、気軽に呼びかけてみたのだが、その少女の問いには、全員が『?』という表情で答えるだけだった。
「…鎧?」
 間抜けな声で尋ねた丸井に、桜乃はこっくりと頷いた。
「はい、私が台所で器をお借りしていた時に……皆さんの内の誰かですよね?」
 再度、そう尋ねたものの、やはり返ってきた反応はどれも鈍いものだった…と言うよりも、明らかに全員がこちらの言葉を疑っている。
「鎧なんて、誰も身につけてはいないが?」
「え?」
 柳の言葉に便乗して、柳生がこくんと頷いた。
「あれからは誰もここを離れてはおりませんし…そもそもあれだけの鎧を一人だけで身につけるというのは非常に困難でしょう」
「だな。どっちにしろ付けてる間に誰かが気が付きそうだし、そもそも真田先輩の許可を受けないでそんな無茶出来ないだろ?」
「……え」
 じゃあ…あの時の鎧の中の人は……誰?
「………」
 見る見るうちに真っ青になっていく桜乃の様子に、流石に皆が只事ではないと感じて声を掛けた。
「ど、どうした竜崎、気分でも…?」
「さっ…真田先輩…あのっ、私…私確かに…っ!!」
 足が笑い、腰が抜けてしまった桜乃は、それでも必死に何とか、自分の台所での体験を彼らに話して聞かせた。
 もうこうなったら、その鎧武者が柏餅とちまきを持っていった事を秘密にすることもなく、彼女はそれも含めて全てを話したのだ。
「…鎧が歩いて、食い物を持ってった?」
「ま、まっさかぁ…」
 柳が眉をひそめ、丸井は引きつった笑みを浮かべていたが、それでも桜乃は必死に食い下がった。
「本当なんですっ!!」
「……まぁいかにもな怪談ではあるけど…聞いたことある? 弦一郎」
「そういう具体的な話は別に…ただ、あの鎧には先祖の魂が宿っているということは子供の時から聞かされてはいたぞ」
「それも聞き方によっては十分に具体的ですね」
 それから暫し無言だった男達だが、相変わらず震えるほどに怯えてしまっている少女の姿に、仕方がないと真田が提案した。



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