ストーカーVSお兄ちゃん'S・中編
「竜崎!?」
ばたんっと勢い良く真田が彼女の寮の扉を開けた。
木刀を携えたまま彼女の寮まで疾走すること十分余り…その間に警察の人に呼び止められたりしなかったのは幸いだった。
大急ぎで赴いたが、気が逸っていた所為で、ついノックを忘れて踏み込んでしまったが、扉は難なく開き、その来訪者を迎え入れる。
気難しい訪問者がそこで目にしたのは…
「…っ!!」
「ふ、副部長…っ?」
おどおどとした様子で、桜乃を両腕で抱き締めている切原の姿だった。
不審者の気配を感じて慌てて赴いたところで、この後輩のあるまじき痴態…!
「…貴様、どさくさに紛れて…」
怒りに声が震え、オクターブ下がっている。
『ちゃきっ』と乾いた音をたてて木刀を構えられた切原は、ひーっ!と涙目になって必死に弁解した。
「ふ、ふ、不可抗力っす!! 何にもしてませんってば俺―っ!!」
「ならばさっさと離れんか、たわけーっ!!」
「いいいい、いや、離れるったって…これ…!」
どうしよう…
「ん…」
どうやら、煩悩どころではなく、本気で困惑しているらしい相手の様子を感じ取り、ようやく真田は構えていた木刀をしまうと、二人へと歩を進めた。
「…竜崎?」
呼びかけてはみたものの、向こうからの返事もなく、俯いたままで表情も伺えない。
「…っ!」
その時、真田は彼女の身体が明らかに震えている事に気付き、それからゆっくりと切原へ視線を移した。
『何があった』
言葉ではなく、目線でそう問い掛けられ、彼は問われたままにありのままを伝える。
確かに、彼が真田に叫んだ不可抗力という訴えは嘘偽りではなかった。
ここを自分が訪れたのは、真田が来るほんの数分前のこと。
急いで自転車を止め、通路を駆け上がり、玄関前についた時にはしっかりと忠告していた通りに鍵が掛けられていた。
インターホンで名を名乗ってドアを叩き、向こうが覗き窓から姿を確認してから、ようやく施錠は解かれドアは開かれたのだが…直後に桜乃に抱きつかれてしまった。
『切原先輩っ!』
『竜崎!?』
そして抱きつかれた切原は無碍に相手を引き剥がすことも出来ず、暫しそのままの状態で固定されてしまったのだ。
こういう場合…もし片方にその気があり、別の一方にもそれを受け入れる気持ちがあるのなら、事態は艶っぽい展開になっていくこともある…全例がそうではないが。
もし桜乃に切原を誘うような何らかの気持ちがあれば、彼はそれを拒否することは出来なかったかもしれない。
しかし今回、切原はそんな事など思いつきもしなかった、出来なかった。
それは桜乃から感じられたのが、『恐怖』それのみだったからだ。
色気を感じるなどとんでもない、何も知らない自分ですら心の嫌なざわつきを抑えられない程の、異様なまでの緊迫感がそこにはあった。
何とか宥めて離れようとしても、今まで一人でこの部屋にいた分だけ恐怖が増殖してしまっていたのか、桜乃はまるで彫像の様に握った自分のシャツを離してくれない。
そうこうしている内に、かろうじてリビングに少しずつ移動していたところで、真田が同じく飛び込んで来たのだった。
彼が来た時に鍵が掛けられていなかったのはそういう理由からだったのだ。
「むぅ…」
「無理やり剥がすのも何だか気の毒で…ほら、まだ震えてるし。俺、マジで何もしてないんスから」
それはどうやら信用に足る証言の様だ、と看做したところで、真田はふぅと息を吐きながら天井を仰ぎ…改めて桜乃へと視線を据えた。
「竜崎、何か恐ろしい思いをしたことは分かる…が、今お前の傍にいるのは俺達だ。お前に危害を加える存在は、ここにはいない…分かるな」
「!…」
真田の言葉に、桜乃はその事実に気付いたように肩を揺らした。
そして、彼の相手を諭す言葉は更に続く。
「お前を脅かしたのが何者であるかは俺達もまだ知らん…そいつについては俺達も知りたいし、お前から遠ざけたいと思っている事も事実だ。その為には、お前から必要な事を聞かねばならんのだ……言うのは、辛いか?」
口にするのにも、或る程度の覚悟が必要になる時もある…彼女にそれがまだないのなら、聞いたところで無意味な責めに終わってしまうかもしれない。
桜乃に尋ねた真田は、彼女を急かすことはなく、じっと相手の返事を待った。
一分という長さではなかっただろうが、沈黙の時間は結構長かった様に切原は感じた。
「……私…」
ぽつり…とようやく桜乃が久し振りに語った。
「ん…?」
「…私も、知らないんです……分からない、何がどうなってるのか」
「どういう事だ?」
問うた真田に返されたのは、桜乃の指し示す指先。
彼女が腕を持ち上げ、人差し指で示したのは、少し離れた場所に落ちていた、封筒と散らばった便箋…そして写真と思しき物体。
勿論それが何であるのか知りもしない真田は、切原にもう暫く桜乃を預けながら封筒の方へと歩み寄り、まとめてそれらを手に取った。
「手紙…?」
誰から…?と思いつつ、先ず一枚目を見た真田の表情が訝し気なものに変わる。
短い一文に便箋一枚を使用した、いびつな手紙…しかもその内容も記す意図が今ひとつ分からない…
そのまま真田は二枚目を捲る…と、今度はひそめた眉が元に戻る代わりに、すぅっと彼の顔色が一気に青ざめていくのが分かった。
「?」
何が書かれているんだろうと切原が不審に思っている間に、真田は更に乱暴な手つきで便箋を捲ってゆく。
三枚目、四枚目、五枚目…捲るスピードはどんどん早くなってゆき、それに従い青ざめていた真田の顔色は今度は逆に赤みを増し、ぶるぶると全身が桜乃と同様に震えだした。
それが彼女の様に恐怖によるものではなく、抑えきれない怒りの所為だという事は、もう長い付き合いの切原は嫌という程に察してしまっていた。
(どえええぇぇぇ〜〜〜〜!! 真田副部長がマジで激怒してる〜〜〜〜〜っ!!)
一体何が書いてあったんだ…!?と、とばっちりが来ない事を必死に祈っている間に、その怒りの権化と化した副部長は、最後、あの桜乃が盗撮されていた写真を目にしたところで遂に爆発した。
「変態か、こやつは〜〜〜〜〜〜っ!!」
「ええっ!? 副部長、何っ!?」
「口に出すのも汚らわしいわ!」
戸惑う後輩に、真田は怒り狂ったまま、手にしていた便箋などの諸々一式を相手に向かって突き出す。
「…?」
相手が受け取り、同じくそれを読んでひくっと顔を引きつらせている間に、今度は真田が携帯を取り出して何処かに電話を掛け出した。
そして、誰かと繋がったところで彼は一言先制した。
「録音するのは構わんが、お前の知りたい情報などないぞ」
同時刻、仁王宅の一室…
「ははは、言う様になったのう、真田よ」
自分の携帯に掛かってきた真田からの電話を受けて、仁王が楽しそうに笑う。
確かに今、自分達の通話は録音されるようにセットしている。
『敵を知り、己を知らば百戦危うからず』という諺に基づき、『詐欺師』の異名を持つ彼は、より己の詐欺を完璧なものにする為に情報の収集を欠かさない。
それを指摘されたところで、あっさりと認め笑えるところは、彼の掴みどころのない一面を垣間見させるのだが、今は真田にそれを指摘する余裕などなかった。
『話がある…念の為に聞くが、これが盗聴されてる可能性はあるのか?』
「お前さん、自分の携帯でかけとるんじゃろ? なら心配要らんよ、携帯の通話はそうそう簡単に盗聴出来るもんじゃないきに」
『そうか、安心した』
相手がいつになく通話をすることに警戒心を露にしている様子に、仁王が興味を覚える。
いつもなら、別にこういう事を確認するでもなく、端的に用件のみを伝えるばかりの男が…
(なーんか面白そうな匂いがするのう…)
にやっと笑みを浮かべ、仁王はコーヒーを一口含むと手近にあったスナック菓子の袋の中からポテトチップスを取り出して相手の出方を待った。
『…竜崎が変態に狙われた』
ぶっ!!
流石の詐欺師でも予期出来なかった爆弾発言に、彼はしたたかに含んだばかりのコーヒーを吹き出し、その一部は彼の着ていた服にしっかりと褐色の染みを残してしまった。
「コーヒーの染みは落ちにくいんじゃ!!」
『知るか!! 誰が染物の話をしている!?』
(敢えて突っ込ませてもらえば、染物談義なぞコッチは一言も振っちょらんワケで…)
向こうも相当テンパっている様だ、これはクリーニング代の請求も難しいか…とうっすらと思いながら、仁王は一番興味の対象になった話題へと話を戻した。
「で? 竜崎が?」
『ああ、よく分からん相手から便箋十枚以上に渡って、卑猥かつ下劣な言葉を送りつけられた。おまけに盗撮した写真までつけてな! 固定電話も携帯電話も番号が割れてしまっている様であまりに性質が悪過ぎる!!』
それから仁王は、電話越しに今の真田達の状況を詳細に聞いた。
向こうの電話、盗撮、手紙などの手段を見る限りでは、典型的なストーカーの行動だ。
しかし、事は最悪人の危害にまで及ぶ問題なので楽観は出来ない。
「…そりゃあ確かに深刻な感じじゃのう……で、何で俺に電話して来たんじゃ」
『変態の域に至ってなくとも、俺の知り得る限りで一番の『変人』のお前なら向こうの思考パターンなり分からんものかと』
「……」
思い切り良く通話ボタンを押して、会話を切ってやりたい衝動を何とかかろうじて抑えられたのは、問題に巻き込まれていたのが真田ではなく桜乃だったからだろう。
しかし、通話は継続しながらも仁王はきっちりとメモを書き記す。
(明日の予定、真田の姿で金を借りまくる…目標金額はクリーニング代と併せて…)
ふっふっふ…と良からぬ企みをしているところで、何も知らない真田が呼びかけてくる。
『仁王?』
「あー、うん……分かった…お前さん達、まだそこにおるんじゃろ?」
『そうだな…竜崎も少しは落ち着いた様子だが、一人にするには不安が残る』
「了解、俺もそこに向かうけ、ちょっと待っときんしゃい」
それには特に反論もなく通話は切られ、仁王はよいしょと椅子から立ち上がりながら今度はまた別の何処かへと電話をかけていた。
「……もしもし?」
場所は桜乃の住まう寮へと戻る。
真田が仁王に伝えた通り、彼らが部屋に来た時よりは桜乃も随分と落ち着いた様子で、今はソファーに座っていた。
真田と切原はまだ不審者から桜乃への接触の可能性もあるので、念の為に部屋に滞在していたが、やはり部屋の空気はいつもより重苦しい気がする。
一度外した電話線は、切原が念の為と再び繋いだが、今のところ誰からも連絡は来ない。
繋げたままにするか、それとも携帯だけを連絡手段とするかは、もう少し後で考えよう。
「…すみません」
「何を謝ってんだよ、気にすんなって。アンタは何も悪くねーんだからさ」
「赤也の言う通りだ…寧ろ、お前は被害者なのだ。それに俺達も同じ男として断じてこの様な輩を見逃す訳にはいかん!」
相変わらずストイックな若武者はストーカーの卑劣な行為に激怒している様だったが、そんな相手に、でも、と切原が声を掛けた。
「俺もこれについてはぜってー許せないんスけど、どーしたらイイんすかね…一応警察には連絡するとしても、どこまで介入出来るか…」
「むぅ…」
大事になったらなったで、今度は桜乃本人が傷つくことになりかねないからな…と真田が後輩の言葉に同意しかけたところで、再びぴんぽーんと呼び鈴が鳴った。
「…っ」
ぴくんと桜乃が怯えた様に肩を揺らしたが、真田がドアに向かいつつ説明する。
「おそらく仁王だろう。念の為に俺が出る」
さて、あいつはどういう対処法を考えてくれるか…と思いながら真田がドアに向かい、覗き窓から確かに相手を確認して鍵を開ける…と、一気に一人では済まない人数がなだれ込んできた。
「おさげちゃーんっ!! 大丈夫っ!?」
「竜崎さんは!? 弦一郎!」
「何とも酷い輩に絡まれたものですね」
「言いたくないが、そいつが今後も付き纏う確率百パーセント」
「んなことさせる訳ねーだろ!」
最早疑う余地も無い…他のレギュラー達もそこにいたのだ。
誰が発信源か…という事も火を見るより明らか!
「仁王〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
「ま、取り敢えず援軍を集めてきた」
怒声を上げる真田にも、その当人の詐欺師はけろっとした口調で返した。
「人を集めたらいいという訳でもなかろう! 何でレギュラー全員に知らせる必要が!?」
「人類皆兄弟、立海皆変人」
更にとんでもない標語をぶち上げながら、仁王はまぁまぁと相手を諌めた…怒らせたのも自分なのだが。
「お前さん達が黙っとったところでどうせバレるのは時間の問題じゃよ…竜崎がウチのマネージャーである以上、毎日会うコトになるじゃろ。こんなショックなコトがあって普段通りに振舞える程、あいつがしたたかだとは思えん」
「む…」
「それに真田も赤也もどっちも直情タイプの人間じゃ、顔にも態度にも感情が出易い…それと竜崎の異変が合わされば、『気付け』と言っとるも同じじゃろ? 何より…」
そして、こそっと小さな声で付け加えた。
「もしお前さん達だけの秘密にしとったコトがバレたら…優しい幸村部長は許してくれるんかのう〜?」
「ぐっ…!!」
詐欺師の忠告に副部長が言葉を封じられている隙に、レギュラー達はどかどかどかっと中に入って桜乃の無事を確認する。
大まかな事情はもう知らされているらしく、変質者に狙われてしまった少女の恐怖を思った男達は彼女を囲んで労いの言葉を掛けていたのだが、不意に部長の幸村が切原へと視線を向けた。
「…最初に連絡を受けたのは切原って聞いたけど」
「へ? あ、はぁ…そうですけど」
「ふぅん…」
ぞわっ…
(な、何だ、この悪寒…っ!!)
戸惑う後輩に、幸村がにこ…と何か黒い感情を含ませた笑顔で尋ねた。
「何で?」
「え…何でって?」
「何で他の部員じゃなくて『君』なの?」
そこでようやく切原は相手の言わんとしている事に気付いた…つまり分かり易くと言うと、『何でおどれが一番最初に頼られとるんじゃコラ』…という意味。
「そんなん知りませんってば〜〜〜〜っ!!!!」
確かに頼られたら嬉しいけど、今の尋問状態は全然嬉しくないっ!!
それに、別に隠すつもりはなくて本当に知らない訳だしっ!!
そうパニクっている切原に代わって、聞いていた当人の桜乃が、あ、と声を上げた。
「あの、すみません…私もその時には混乱していて…多分携帯で皆さんのグループの番号が一番若くて、切原さんが一番上だったから…」
「あ…」
そうか、夢中で呼び出してかけた先が、名字でアイウエオ順で行けば一人目の切原だったという訳だ…彼女の意図に関係なく。
「なんだ、そういう事…ならいいや」
(喜んでいいんだか悲しんでいいんだかっ!!)
殺気がなくなり、神の子のターゲットから外された事は喜ばしいが、選ばれた理由が詰まるところ行き当たりばったりだった、という事実も知る事になり、切原は複雑な感情になってしまった。
そんな騒ぎもようやく収まったところで、改めて彼らは全員、桜乃に送られてきた問題の封筒の中身を確認した。
文書の内容の不気味さもさることながら、知らない間に自分の姿を盗撮されていたという証拠写真もかなりの衝撃だっただろう。
部活中の何気ない日常の姿だが、もしこれが入浴中のあられもないそれだったら、おそらく桜乃はその屈辱には耐えられなかった筈だ。
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