「…ぜってー許せねい」
 静かなゆっくりとした口調だったが、丸井の唇と声が怒りに震えている。
 他の人間達も同様の感情だっただろう中で、幸村が唇を開いた。
「仁王、改めてここ、徹底的に調べて。でも女の子の部屋だから、ちゃんと竜崎さんも同伴してね」
「任せんしゃい、準備はしてきちょる」
 過去にもこの場所で盗聴器を発見したコトがある仁王は、また同じスキルを求められるだろう事を見越して、持参してきた機器を手に頷いた。
「竜崎、協力出来るか?」
「はい…」
 彼女を連れて仁王が先ずは相手の寝室に向かった後、幸村はまた新たに提案を出した。
「じゃあ、その間に取り敢えず毎日交代で、誰かが竜崎さんの傍にいられるようにローテーションを組もう」
「警察には行かないのか?」
 ジャッカルの当然の質問に、幸村は行くよ、とすぐに答えた。
「でも、今日この時間に手ぶらで行ったところですぐに何かをしてくれるとも思えない。行くのは明日でもいいだろうし、兎に角今は竜崎さんの身の安全を最優先で考えて対処した方がいい。任せて安心して油断したところで接触なんかされてごらんよ」
「そうか…そうだな」
 納得してジャッカルが相手の提案に乗ろうとしたところで、いきなり柳が割り込んできた。
「すまない、さっきの写真…もう一度よく見せてもらえるだろうか」
「これ?」
 丸井が差し出した例の盗撮写真を受け取り、その冷静沈着な参謀がじっと一心にその写真達を凝視する。
「…何か分かったんスか?」
 相手の明晰な頭脳に何か訴えるものがあったのだろうかと切原が尋ねる。
 答えは…イエスだった。
「ショットによって拡大、縮小はされているが…これらの写真、殆ど、同じ立ち位置から撮られている」
「確かに、よく見ると背景が大体一緒ですね」
 柳生が指摘に頷いている間に、柳は既にその立ち位置が何処に当たるのか、脳内でテニスコートとその周辺の空間を創り出し、俯瞰図の様に見下ろしながら算出していた。
「…っ、あの車」
「え?」
「あの白い車だ! あそこから撮影をした場合、見事にこの角度に当て嵌まる!」
 言いながら、柳は自分のノートに手際よく上空から見た場合の地図を記し、車が停められていた一点と、桜乃が写真を撮られた時に立っていたと思われる場所を複数示し、それらを線で繋いだ。
 確かにこう見ると、写真に写っている背景の位置が全て見事に重なる。
 と言う事は、犯人は…つまりストーカーは…
「車の中にいた男かっ…!」
 ぎりっと歯軋りをした真田の脇では、切原や丸井が若干脱力した状態だった。
「そんな近くにいたんすか…いや、まぁ納得は出来るっすけどね…」
「俺らてっきりどっかの学校のスパイかと…自惚れててゴメン、おさげちゃん…」
「まぁ普通はストーカーだなんて思いませんからね、ウチも強豪校ということで人気がありましたから仕方ありませんよ…しかし、これは非常に有力な情報です」
「そうだね、車からその持ち主を割り出すのは可能だと思う。盗難車じゃない事を願うよ」
「……」
 何故か、柳が浮かない表情をしている間に、仁王が一旦桜乃を連れて輪の中に戻って来た。
「反応はなしじゃったよ。流石に住居侵入は無理じゃったか…一応セキュリティーも掛けられとるしのう」
「そう、良かった…こっちもささやかだけど情報があったよ。ストーカー、例の白い車に乗っていた男の可能性が高いんだ」
「車…?」
 白い車の駐車事件を知らなかった桜乃はきょとんとした表情を浮かべていたが、仁王は流石に反応が早く、ほう、と唇を歪めた。
「最近よく停まっちょった奴か…確かなんか?」
「確定じゃないけど可能性は高いよ。明日もまた来たら、最終的な確認を取ろう…ところで、暫くは竜崎さんを一人には出来ないから、みんなでガードをすることにしたんだけど」
「了解じゃ」
 RRRRR…
 その時、間違いなく全員に緊張が走った。
 電話のベル音だ。
 その表のディスプレイを見ると、公衆電話、とある。
 このタイミングで…?
「……」
 青くなった桜乃を他の部員に任せて、幸村が全員に『静かに』とジェスチャーしながら受話器を取ったその一方では、仁王が電話の本体に設置されていたボタンの幾つかを手際よく押していく。
「……もしもし?」
 部屋の主ではない若者がそう言った後、聞こえてきたのは若い男の声だった…しかし間違いなく自分よりは年上だ。
『恋人の俺に許しもなく桜乃ちゃんに近づいてるバカはお前らか』
「…嫌がる女の子につきまとって恋人気取りになってる変態って君かい?」

「………」

 鮮やかな切り返しだったが、他のメンバー達は一様に口を閉ざす。
 向こうのストーカーにビビっている訳ではなく、幸村の笑顔の向こうに見える憤怒の炎に、向こうがかなり勝率の低い戦いを挑んだ事を察したのだ。
 と言う事は、自分達がここに来た事を、敵方か何処かから見ていたという事になる。
 やはり陰湿なストーカーは、完全に少女にロックオンしているのだ。
 普通の中学生なら多少なりとも動揺する事態であった筈なのだが、立海のメンバーに関しては全くの例外だった。
 それどころか…
『暴言吐いた相手が幸村部長だって分かったら、俺、土下座して詫び入れるッス…』
『俺なら更に反省文十枚付ける…!』
 ぼしょぼしょぼしょ…とジャッカルと切原が話し込んでいる間に、幸村とストーカーの謎と恐怖の会話は続いていた。
「付き纏うな? 鏡をご覧よ。君こそ『恥』という言葉を知るべきだ。大体彼女にはもう俺達がいるんだから、君みたいな部外者はお呼びじゃないんだよね…邪魔だよ」

(どさくさに紛れて言いたいコト言ってるし…)

 独占欲剥き出しの台詞も、相手がストーカーだと思うとやけに説得力あるように聞こえるなーと感動している間、幸村は向こうの反論ターンになったらしく暫く沈黙し…そして次の発言では、声は更に小さく抑揚のないものに変わっていた。
「…そう…どうしても止めるつもりはないんだね…じゃあ好きにしたら?」
 最後の言葉は、静かな中にも明らかに怒りが込められていた。
「叩き潰してあげる」
 ぞわっと桜乃以外のメンバー達が背筋を震わせている中で、幸村はがしゃんと受話器を叩き付ける様に置いた。
 どうやら、話し合いは物別れに終わったらしい…と言うより、話し合う余地もなかったというのが正しいだろう。
「もう電話切っちまった方がいいんじゃないすか」
「いや、全ての連絡手段を断ってしまうと、逆にあちらの行動をエスカレートさせてしまう危険性がある。睡眠を妨害されない程度に夜に据え置きの方は外すとしても、携帯は命綱として確保しておくべきだろう。俺達にも連絡出来なくなるのは致命傷だからな」
「なーる」
 切原が納得したところで、仁王が桜乃に助言を入れる。
「一応、さっき本体の設定で通話が始まると同時に録音される様にセットしておいたぜよ。携帯でも同じ様にしといたほうがええの。兎に角こういう時は証拠が物を言うんじゃ」
「は、はい…あのでも、どうやって設定したら…」
「ん、貸しんしゃい」
 仁王が桜乃の携帯を受け取り、同様に設定を追加しているところで、丸井がべたっと桜乃にひっつきながら心底不安げな面持ちで呟いた。
「おさげちゃん一人にさせて大丈夫かな…かと言って男の俺らが泊まる訳にもいかねぇし」
「こればかりはな…」
 確かに、と真田が頷いたが、そこに柳が首を振って答えた。
「少なくとも、ここは部外者には厳しいセキュリティーが敷かれている。竜崎がしっかりと戸締りと訪問者の確認を忘れないでくれれば、何かあった時、警察や俺達が来るまでの時間稼ぎは出来る筈だ。それも出来ない程に竜崎は愚鈍ではない……大丈夫だな?」
 最後の問い掛けはその桜乃本人に対してのもので、振られた相手はこくんと頷いた。
 最初のストーカーからの手紙や電話を受けた時にはかなり取り乱した様子の少女だったが、時間が経過し、状況を把握し、何より心強い先輩達の心遣いに触れたことで、今は落ち着いている。
「はい、大丈夫だと思います…すみません、取り乱したりして」
「いや、今回のは取り乱して当然だろう。向こうが普通じゃないんだからさ」
「…テレビで見るばかりでしたけど、本当にああいう人っているんですねぇ」
 ジャッカルのフォローを受けつつ、桜乃ははぁ、と息をつきながら手を頬に当ててしんみりと言った。
「私の周りには、皆さんみたいな素敵な男性ばかりでしたから却ってギャップが激しくて…大袈裟に驚いてしまったみたいです」

(ああんもう、この子ったらあ!!!!)

 男心のツボを無自覚に突きまくってくれる可愛い妹分に例外なく男達は萌えまくってしまった訳だが、そこはそれ体裁もあるのであくまでクールを装う。
 しかしもし誰か一人しかいなかった場合には、桜乃を抱き締めてなでなで攻撃ぐらいはしていたかもしれない。
「こっ…今後の方針も大体は決まった事だし、女性の家にいつまでも長居する訳にもいかん…今日のところはここで暇乞いをせんか?」
 真田の呼びかけに男達は誰も反対をする事無く頷いた。
「そうだね…また明日から少し忙しくなるし彼女にも休息が必要だ。俺達はここで失礼しよう」
 部長の鶴の一声で、彼らはそこで桜乃の部屋を後にした。
 何かあればすぐにメールなり電話なりで報告を寄越す様に言ってあるし、彼女もそれはしっかりと守ってくれる筈だ。
「本当にハタメーワクな奴だよな…だからモテないんじゃねーのい」
「んな事やるぐらいなら、ラケット振ってた方がよっぽど爽快感あるッスけどねー」
 全員で帰る途中でも、切原と丸井はぶつぶつと文句を言っていたが、その中で柳はずっと静かに黙している。
「部屋の中でもそうだったけど、浮かない顔だね蓮二。どうしたの?」
「…うむ、少し考えていた…良ければ彼女を除いた処でもう少し話したいのだが」
「? それは別にいいけど」
 参謀の提案で、立海のメンバー達はそれから近くのファミレスに入り、一角を借りて更に謀議の時間を持つことになった。


「関係者が身内にいる弦一郎の前で言うのは少々心苦しいが、正直、明日警察に行ったところで何の解決にもならないだろう。あちらのガードも期待しない方がいい」
 着席してすぐ参謀がそんな言葉を口にしたが、副部長は特に機嫌を損ねる様子もなかった。
「…事実であるのなら俺には別に言うことはない。今は彼女の安全が最優先だということに変わりはないのだから」
「根拠は?」
 はい、と挙手して丸井が柳に尋ねた。
「彼女が被害を受けたのが、まだ一度しかないからだ。ストーカーとはその定義から繰り返し執拗に対象者に狙いを定めて精神的な苦痛を与えるものだが、今のところ相手がそれに合致していると判断されるのは難しい…警察も暇ではない、最悪、門前払いを食らうだろう」
「マジっすか!?」
 多少なりとも警察機関が動けば向こうも黙るかと期待していた切原が身を乗り出したが、参謀は自身のその歓迎すべきではない予想に絶対の自信があるらしく、撤回する素振りはない。

『……………』

「俺を睨むな」
 じと〜〜〜っと何となく冷たい視線でこちらを見つめてくる丸井達に真田が断っていると、柳の言葉が続いた。
「だから、これは竜崎の前では言えなかった。明日になればいずれ分かるだろうが、不安を先に与えることもない。そして、その予想が出来ているのなら、こちらも手をこまねいて待っている必要も無い」
「先に何らかの策を講じるということですね」
「…参謀のことじゃ、もう何か考えてはおるんじゃろ?」
 紳士と詐欺師が軽く身を乗り出して、それらについての相手の説明を待つ。
 どんな策であれ、拒否するつもりはないらしい。
「向こうはまだ暴力などに訴えている訳ではないから、こちらもあまり強硬な手段は取れない…先ず何より俺達は義務教育過程の学生だし、立海テニス部の名も守らなければいけないからな。なので、先ずは必要な情報収集を行った後に、向こうが被害者の気持ちを理解してくれる様に諭す意味で、あくまで『平和的に』解決を図ろう」
「そんな生易しい方法が効く相手かな…何かストーカーってのはねちっこいイメージがあるんだが」
 ジャッカルの懸念は尤もだったが、柳は何か秘策があるのかそう悲観的な見方はしていなかった。
「相手が余程の精神力があるか、或いは『一つの条件』に合致していたら分からんが、まず大丈夫だろう……断っておくが」
 そこまで言ってから、柳の瞳が開かれ、彼は滅多に見せない気迫と同時に凄みのある笑みを浮かべた。
「『平和的』というのが、相手にとって『生易しい』と同義だと思ったら大間違いだ…」
(わーい、柳怒ってる〜〜)
(久々に開眼を見たな…)
 丸井とジャッカルがそんな事を考えていたが、おそらく他の面子も同じ内容を思っていただろう。
 それから彼らは参謀が中心となって頭を突き合わせぼそぼそぼそ…と、他のレストランの客達に知られないように詳細な計画を聞かされた。
「そっ!! それは如何なものかと…っ!!」
 全てを聞き、何故か真田が青い顔で一度は拒否に近い意を示したが、すぐに詐欺師が相手を嗜めた。
 但し、顔は物凄く楽しそうに笑っていたが。
「ええい、覚悟を決めんしゃい真田! これも竜崎を守る為じゃろうが! お前さんにやれっちゅうワケじゃなし」
「爽やかな笑顔で言うなーっ!!」
 その向こうではジャッカルも物凄く渋い顔をしていたが、他の面々はまぁそれもアリか、というそれだった。
「成る程ね…そういうやり方もあるか」
 ふむ、と幸村が頷いていると柳生も同じ様に同意を示す。
「何も知らない状況でこういう事があったら、確かに私も動揺するでしょう」
 切原と丸井は最早完全に悪戯小僧の顔になりながら、いそいそと頭を突き合わせて別個で作戦を練り始めた。
「こーゆー国語の授業があったら俺、喜んで参加すんのにな〜〜」
「如何に相手を追い詰めるかって考えたら燃えるッス!」
 まだ真田は納得しかねる表情だったが、更に柳が彼にひそりと何かを囁いたところで、何とか渋々承諾したらしく、こくりと頷いた。
「…では、明日から情報を集めると共に、全員の協力の下に作戦を開始する。当然、竜崎には内密に事を運ぶように!」

『おうっ!!』

 柳の号令の下で掛け声を掛けた後、ぼそっと切原がジャッカルに言った。
「なーんか、フツーの中学生っぽくないッスよね、俺ら」
「今までお前がフツーの中学生だと思っていたことにびっくりだぞ俺は…」






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