先に入っていた真田と柳が、幸村の状態を細かに調べている。
「幸村さん、どうなんです!?」
「救急車呼んだ方がいいっスか!?」
桜乃と切原が続けざまに問いかけたが、意外にも真田と柳のどちらも鈍い反応だった。
「…………」
真田に至っては非常に渋い顔で、腕を組み、ため息をついている。
「? あの…何か…」
「…救急車は必要ない。精市は気を失っているだけだ、すぐに目を覚ますだろう」
「え…っ、本当に…?」
柳は、桜乃の問いに対し、くい、とロッカーの一つを顎で示した。
そのロッカーが周りと違い、一つだけ開かれている…状況からしてこれが幸村のものだろう。
続けて、柳の視線は幸村の周囲に散らばる箱に向けられる。
「状況から推測するに…精市はいつものように着替えをしようとロッカーを開けたのだろう。その途端、ロッカーに入れられていたこれらの箱が一斉に落ちてきて、精市を直撃した…当たり所が悪かったのだな」
「あっ…箱! これ、一体何なんです?」
最初の時は幸村さんの様子に驚いて、意識が殆ど回らなかったが…
それに答える柳は、真田と同じように渋い顔をしていた。
「…バレンタインのチョコだ…全部」
「え…っ」
「チョコォ!?」
丸井が素っ頓狂な声を上げる。
流石に今回ばかりは、喜びの声ではない…・と信じたい。
「チョコって…誰が入れたんです」
「女生徒だろう、それは」
ジャッカルが柳生に当然だと返したが、桜乃は自分のいる青学のテニス部部室の規律を思い出して首を傾げた。
「でも普通、使ってない時は鍵が掛かってるんじゃないですか? 一体いつ…」
入り口のドアの所でしゃがみこみ、ノブやら何やらを弄っていた仁王がぼそりと呟いた。
「こじ開けられた様なアトがあるのう…針金かなんかじゃろ、プロの仕業じゃあないぜよ」
(この人一体……)
どうやって見分けるのか…いや、そもそもそんな事を見分けられるアナタは何者なのか…
問いたいところをぐっと堪える桜乃の隣で、切原はひえーっと派手にリアクションを返した。
「さ、流石に犯罪じゃねぇのか? コレって」
「嘆かわしい…」
真田は最早それしか言うべき言葉が見つからないらしい。
「…と、とにかく幸村さん、移動させましょう? 床に直だと、身体、冷えちゃいます」
「そうだな、竜崎の言うとおりだ」
その方がいい、と柳が頷き、他の誰も異論はなかった。
十分後には、幸村は医務室のベッドに寝かされ、規則正しい呼吸を繰り返していた。
こんな騒動になっているとは思いもしていないのだろう、当事者であるにも関わらず。
「礼を言うぞ竜崎。お前が教えてくれなかったら、発見がどれだけ遅くなっていたか…」
「ぐ、偶然ですよ、私もまさかこんな事が起こるなんて、思ってませんでしたし…でも」
真田へ返事を返しながら、桜乃は幸村のベッド脇に置かれた、例の大量の小箱が詰め込まれたダンボール箱へ視線を移す。
「何でこれも一緒に運んでるんです?」
「〜〜〜…あんな物で頭をぶつけて部長が失神したなど、他の部員にはとても知らせられん!」
幸村に責もなければ罪もないことを知ってはいるが、どうしても真田は身体がやり場のない怒りで震えるのを止められなかった。
つまり、凶器はここに運んで、何とか当たり障りのない理由をつけようという事か…
「はぁ…まぁ…」
「幸い、部員への説明には柳と仁王が当たってくれている。奴らなら上手くまとめてくれる筈だ…下手な推測を避けるためにも、これらもいずれ片付けなければならんが…どうしたものか」
(柳さんはともかくとして、仁王さんは…別の意味で上手くまとめる気がするなぁ)
「竜崎」
「はっ、はい、真田さん」
呼びかけられ、我に返った少女に、真田は申し訳なさそうに目を伏せた。
「わざわざここまで来てくれたお前に願うのは筋違いなのは分かっているが…精市についていてやってくれんか? 俺達はまたコートに戻らねばならん、練習が終わったらまた来る」
「あ、いいですよ、私でよければ。幸村さんのことも気になるし、放ってはおけません」
「すまんな、感謝する。では」
「はい」
真田が医務室を去り、桜乃は幸村の眠るベッドの枕元に座った。
聞こえるのは、医務室にある時計の秒針の音だけ…
急に静かになった空間に取り残された感覚に、桜乃は何となく落ち着かず辺りを見回した。
青学の医務室も似たような感じ…まぁ、こういう場所はどこでも同じなのかもしれないが。
(…放課後だもん…でも人がいなくなったらこんなに静かなんだ…)
周りには、どんな施設があるんだろう…?
(…それにしても…モテ過ぎだよね、幸村さん)
心からそう思い、桜乃はため息をついた。
幸村がそもそもあれだけのチョコを貰わなければ、雪崩攻撃を受けることもなかったのだ。
ロッカーに贈り物を忍ばせた女性達は、こうなる事を考えてもいなかったに違いない。
しかしまぁ、随分とはた迷惑な愛である。
(奥ゆかしさも、ちょっと問題かも…)
気の毒な部長は、まだ夢の中にいるのだろうか…
「………」
桜乃は、じっと幸村の顔を見つめているうちに、胸が高鳴るのを感じた。
(確かに…凄く綺麗な顔してる、幸村さん。優しいし、テニスしている姿は格好良いし、モテるのも当然かなぁ…)
どきどきする鼓動を抑えきれず、桜乃は枕元から立ち上がると、気持ちを落ち着かせる為にうろうろと歩き回り始めた。
(やだ…何で私までどきどきしているんだろ……)
何とか他のことを考えて気を紛らわそうとしている少女の視界に、あの多量の凶器が入れられたダンボール箱が入った。
そうか…これも何とか秘密裏に処分しないといけないんだ。
(レギュラーの人達で分けるのかな…幸村さんなら、これだけの目に遭わされても受け取ってくれそうだけど、持ち帰るのも大変そうだし…)
その時、桜乃は医務室の窓から外を見て何かに気づくと、たたっと窓際に走り寄った。
もしかして……
「…あそこ、まだ使えるかな…」
「……ん」
幸村は、眩しい光を感じながら、ゆっくりと目を開けた。
ここは何処だろう…眩しいと思ったのは、蛍光灯の灯りか…・何だか甘い匂いがするけど…
自分は、何処に、どうしているのか……?
暖かく柔らかなもので包まれている感触…あれ? 布団?
「え…?」
「あ、幸村さん!?」
不意に呼びかけられ、ひょこっと視界の中に桜乃の笑顔が飛び込んできた。
「…えっ?」
一体、何がどうしているのか…?
「え…竜崎…さん?」
「気が付いたんですね、良かった! 何処か、痛いところないですか?」
「…うん…大丈夫だけど…ここは?」
状況が分かっていない被害者に、桜乃は少しだけ苦笑いをした。
「…医務室です、真田さんが運んでくれたんですよ」
「弦一郎が? どうして…」
「幸村さん、ロッカーのところで気を失っちゃったんです…えーと、チョコが降ってきて」
「?……ああ!」
一瞬、何の事だろうと首を傾げた幸村だったが、ここに来てようやくあの瞬間を思い出したらしい。
確かに自分は、着替える為に更衣室に入ってロッカーを開けた…その途端に一気に何かが滑り落ちてきて、よける間もなく…
「チョコだったんだ…あれ。何かと思う暇もなかったけど…」
「ですよね…普通は…」
「…無様な姿を晒しちゃったな…」
はぁ…とため息をついて呟くと、幸村は、はっと何かに気づいて桜乃へと顔を向けた。
「…もしかして、ずっと俺に付いていてくれたの?」
「あ…はい…」
「………」
少し呆然とした表情のまま、幸村は身体を起こして押し黙る。
「…あの、何か…?」
「…いや…寝顔を見られたのは、少し…恥ずかしかったかな、と」
「す、すみませんっ!」
「いや、君が悪い訳じゃないよ…寧ろお礼を言わなきゃ。有難う、付いててくれて…」
「は、はい…あ、幸村さん」
「何?」
「私、実はちょっとだけ席を外してたんです。出来上がったばかりなんですけど、飲みませんか?」
「え…?」
桜乃は、少し離れたテーブルの上に置かれていた紙コップを取って、幸村へと差し出した。
そこから、甘い香りが立ち上り、湯気が立っているのが分かった。
「この匂い…チョコかい?」
「はい、ホットチョコレートを作ってみました。近くに家庭科室があったから…勝手でしたけど、幸村さんのもらったチョコを幾つか、使わせてもらいました。すみません、知らせるのが後になっちゃって…」
メッセージカードとかはちゃんととっていますよ、という付け加えに、幸村はくすっと笑って頷いた。
「有り難くもらうよ…ちょっと複雑な気分だけど」
「真田さん達も困っていましたよ。このチョコの山をどうやって証拠隠滅しようかって」
「あはは」
その時の彼らの様子が目に浮かび、笑いながら幸村はホットチョコレートを少し口に含むと、今度は感嘆の表情を浮かべて頷いた。
「…凄いな、とても美味しい…・竜崎さんはこういうの、得意なの?」
「あ、よくおばあちゃんから教えてもらってます。でも、美味しいのはきっと、いい品質のチョコだからですよ。奮発したんですね、ファンの皆さん」
「いや…こんなに美味しいのは初めてだ。チョコはぶつけられたけど、逆に得した気分だな」
「そんな…大袈裟ですよ」
照れる桜乃に笑い、幸村はゆっくりと残りを味わいつつ、その視線を傍のダンボール箱に移した。
そこには、まだ大量のチョコレートの箱が積み上がっており、見えない圧迫感を醸し出している。
「…作ったのは、俺の分だけ?」
「はい、勝手にそう何個も使う訳にはいきませんから」
「そんな事はないよ……でも、そうだな…君がいる今がチャンスかな」
「え?」
「ねぇ、このチョコ全部使って、もっと作れないかな…ホットチョコレート」
「…ええっ!?」
コートにて…
「ふぃーーー、終わった終わった!」
切原が声を上げて汗だくの身体を捻る。
部活動が終わり、各々がクールダウンを始めているところだった。
「はぁ…練習中は暑いくらいだが、終えた途端に寒くなるのう」
「流石に二月ですからね…汗を拭かないと、すぐに風邪をひいてしまいそうです」
「運動終わった後のお菓子は美味いんだけどよー、冷たいから何となくテンション下がる〜」
「そうっすねー、やっぱあったかいものが欲しくなるっスよ」
各々が喋っているところに、何処からか、声が聞こえてきた。
『おーい、みんなー』
「ん?」
「弦一郎、あそこだ、精市が」
柳が真田に指差したその向こうに、幸村と桜乃が、それぞれ鍋を抱えて歩いてきていた。
「精市!?」
「何だ何だ?」
皆が驚いている間に、二人は彼らのところまで鍋を運ぶと、よいしょっとそれを下に降ろした。
「精市、気が付いたか?」
「うん、みんな心配かけてごめん、俺はもう大丈夫だよ。それより心配かけたお詫びに、彼女に手伝ってもらってホットチョコレート作ってきたんだ。飲まない?」
「飲む――――――っ!!!」
やはり、第一声は丸井だったが、他の部員達もこれは大歓迎という様子だ。
「これは有り難いですね、いい香りです」
「気が利くのう、美味そうじゃ」
「うわ、助かる〜! 俺、たっぷり大盛りで!」
「凄いな、部員全員分ぐらいあるんじゃないか?」
ぞろぞろと辺りに人だかりが出来始める。
「はい、皆さん、お疲れ様でした」
わいわいと集ってくる部員一同に、桜乃は一緒に持参した紙コップにチョコを注いで渡し、各々が感謝の言葉を述べて、それらを受け取っていく。
「…竜崎」
「あ、真田さん、はいどうぞ」
「む…すまん……ところで、この材料はもしや…」
こそっと小さな声で尋ねる相手に、対する桜乃もこっそりと答えた。
「はい、全部使いましたよ…証拠隠滅、ですね」
それを見ていた柳が、ふっと笑みを浮かべる。
「これはやられたな…しかし、今日はお前が来てくれて本当に良かった」
「お役にたてて、嬉しいです」
ちょんちょん…・
「?」
袖を誰かに引っ張られて振り返ると、そこには幸村が立っていた。
もう、彼の鍋の中は空っぽのようだ。
「あ、終わったんですか?」
後で片付けますね…と言いかけた桜乃の耳元に、幸村は徐に唇を寄せて囁いた。
『みんなには内緒で、俺にもう一杯くれないかな…』
「!!」
暖かな吐息と、優しい声が、桜乃の背筋に甘い衝撃を走らせる。
「あ…は、はい…・いいですよ。まだ余ってますから」
「そう、良かった」
かろうじて平静を装い、頼まれるままに、桜乃は新しい紙コップに幸村の二杯目を注いだ…少し多めに。
「どうぞ、幸村さん」
「有難う」
嬉しそうに受け取ると、幸村は内緒の二杯目を、一杯目の時よりもゆっくりと飲み始めた。
今回、チョコを大量に使った分も、みんなに例外なく好評だった。
「うっめ―――ぃ!! すげー美味いってコレ!」
「マジ美味いっス…何使ったらここまで美味くなるんだ?」
「これは…是非レシピを頂きたいくらいですよ」
「いや、レシピより、これはもう竜崎を立海に転校させた方が手っ取り早くてええのう」
「仁王…お前が言うと冗談にならんからやめてくれ」
「ふむ…洋菓子の類ではあるが、これは俺の好みにも合う…」
「うむ、疲れを癒すのに糖の摂取は非常に効果的だ。これなら身体を暖めることにも繋がり、一石二鳥だな」
全員が飲んだところで、桜乃もそこで初めて自分の分のチョコレートを味わうことが出来た。
「ふわ…・あまーい、おいしー」
寒いところで甘く暖かいものを飲むと、それだけで幸せになれる気がする。
にこにこと、笑顔で美味しそうに飲む桜乃を、幸村が優しい瞳で少し離れた場所から見守っていた…
立海最寄の駅前…
「じゃあ、お疲れ様でした。遅くなりましたけど、これは家に帰った時にでも食べて下さいね」
片付けも終わり、駅にも送ってもらい、そろそろお暇をというところで、桜乃は自分の手作りの分のチョコを一つ一つメンバーに手渡していた。
再びの嬉しいプレゼントにレギュラー一同…特に一部はほくほく顔である。
もうここまできたら、桜乃の我侭でもかなりの確率で聞いてくれるに違いない。
「来年のバレンタインも絶対来いよな、おさげちゃん!」
「うふふ、じゃあ、その時はもっと気合入れて作りますね」
「やった――――い!」
丸井などは早速、翌年の約束まで取り付けている。
「じゃあね、竜崎さん、今日は本当に有難う」
別れる時、部長である幸村が桜乃に改めて礼を述べた。
「こちらこそお邪魔しました。幸村さんに大事がなくて良かったです…あ、これ、どうぞ」
桜乃は、手作りのチョコを差し出すと照れながら付け加えた。
「あんな高級なチョコには敵いませんけど…」
「ううん、俺にはこのチョコが一番嬉しいよ」
「っ…!!」
「それに、高価なチョコであることより、君が作ってくれたホットチョコレートだったから、そっちの方が嬉しかった」
恥ずかしげもなく断言する少年に、桜乃の方が赤面する。
「…は、はぁ…喜んで頂けて…何より、です…」
「…ふふふ、やっぱり君はいい子だね、困ったな」
「え…?」
「…いや、何でもない…またね、竜崎さん」
「はい…おやすみなさい」
ぺこんと礼をして、駅に消えていく少女を目で追いかけながら、幸村は手にした手作りのチョコと、もう片方の手に下げられた紙袋の持ち紐を軽く握り締めた。
紙袋の方には、チョコに添えられていたメッセージカードなどが入っている。
義理堅い幸村は、毎年チョコをくれた相手に丁寧に返事を返すのだが、今はそんな事は考えたくなかった。
「…本当に、困ったな…」
ぽつりと彼は自嘲気味に呟いた。
「…好きになってしまったかも」
了
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