秘密のデート
『竜崎さん、今度のクリスマスイブの夜って、空いてる?』
「え?」
この国では、クリスマス当日よりイブの方が盛り上がるのかもしれない。
特に恋人達の姿を見ていると、クリスマスという日は、彼らの中では既に半ば祭りが終わっているかのようにも感じられる。
そう、今のような恋人達に囲まれている自分には、殊更そう思えるのだ。
(凄いなぁ…目のやり場に困っちゃう…)
とある百貨店の前で、竜崎桜乃は白のダッフルコートを纏った姿で、小さなバッグを両手に持ち、柱に背を軽くもたれさせていた。
特に何をすることもないので、道行く人々に視線を動かしていたのだが、その七割、八割が恋人達の姿である。
そうなると、ずっと同じ二人組を注視する訳にもいかず、桜乃の目は自然とあちらこちらへ人々の間を渡り歩いた。
今日はクリスマスイブだが、自分には特に個人的な予定は全くなく、夜は少しだけ青学の男子テニス部のパーティーに顔を見せる予定だった…昨日の夜までは。
(びっくりしたなぁ…まさか幸村さんから電話があるなんて)
昨日、立海の男子テニス部部長の幸村精市から連絡を受けたのは、夜の八時を回った頃だった。
『イブの日、特に予定が無かったら、俺に付き合ってくれないかな』
こちらの予定を尋ねた後に、あの朗らかで優しい声がそう言った。
付き合う、という言葉に激しく動揺した少女の雰囲気を感じ取り、すぐに向こうから補足が届けられた。
『妹へのクリスマスプレゼントを買いたいんだけど…店はもう決めてるんだけど、品物のどれがいいか、女性の立場からの意見が欲しいんだ』
なるほど、そういう事か…
青学のパーティーも少しの顔見せだけで、別に行けない理由もないので、桜乃はその場で協力を引き受けたのだった。
『有難う、じゃあ、部活が終わったら俺もすぐに向かうから、入り口のところで待っててくれる?』
その待ち合わせ場所がここなのだった。
ちら…と腕時計を見ると、約束の時間まであと十分ある。
(ちょっと早く来すぎたかなぁ…)
これだけカップルが通り過ぎる場所に一人でぽつんと立っていると、何となく気後れしてしまう。
それに見方によっては、同じ場所に立っているばかりだと、まるで恋人に約束をすっぽかされた可哀想な女性にも見えてしまいそうだ。
(もうちょっと遅く来たら良かったかなぁ)
元々人を待たせるのが嫌な性格が、自分を早めにこの場所へと誘ったのだが、今はそれを少しだけ後悔する。
一人でここに長くいても…でも、今更離れる訳にはいかないし…
(うん…あと十分だし…十分…)
「竜崎さん!」
「…え?」
何処かから、誰かが自分を呼んだ…
ふいと顔を上げて辺りを見回す…が、見回す必要はなかった。
彼女の正面で彼が手を振っていた。
振りながら、小走りで近づいて来ている。
「幸村さん…?」
あと十分あるのに、と思う桜乃の前に、幸村は軽い足音を響かせて立っていた。
紺の、限りなく黒に近いロングコートを纏い、白のマフラーを首にかけ、内から覗く上下も黒で統一されている。
制服のブレザーとテニスウェアしか普段見ていない桜乃には、視覚的にも大きな驚きだった。
「あれ…制服じゃないんですか?」
「ふふ、部活の後でこっそり着替えたんだ。今日みたいな日は少しはお洒落したいしね。みんなには内緒だよ?」
しぃっと人差し指を立てて笑う幸村に、桜乃もつられて笑った。
笑いながら…見蕩れた。
(うわ…幸村さん…すっごく格好良い…)
暗色系の服が異常な程に似合っている。
元が色白である分その肌の白さも際立ち、コートがすらりとした彼の長身を際立たせ、何より、その調った顔立ちが目を惹きつけて離さない。
桜乃の贔屓目ではない。
正直、その道を通り過ぎる人々の目が彼を捉えると、その視線は決してすぐには外されず、特に女性達は頭を振り返らせてでも、彼の姿を留めようとしていた。
中学生とは言え、もう数ヶ月もしたら高校生になる若者、しかも長身で大人びた雰囲気を纏っている幸村は、若い女性達にとっては十分眺める価値があるのだろう。
「随分早かったね、もう来ているとは思わなかったよ」
「あ…でも、幸村さんも早いですよ。まだ約束まで十分ありますから」
「お願いした俺が遅れる訳にはいかないからね。でも良かった、十分得したな。じゃあ行こうか」
「はい」
揃って店の中へ歩き出すと、今度は幸村だけでなく桜乃もすれ違う人々の視線に晒された。
特に、同年代の女性達の視線は自己主張も強かった。
あからさまな興味…そして羨望…嫉妬…
恋人ではないが、あちらは明らかに自分達をそう看做している。
何故、あなたみたいな人がその人の隣にいるのか…被害妄想ではないかと己を戒めても、向こうの瞳がそう責めてきている、そんな考えが止まらない…
「竜崎さん? どうしたの?」
上から掛けられてきた声にはっと振り仰ぐと、見目麗しき男が、優しい瞳でそっとこちらを覗き込んでいた。
「気分悪いの?」
「い、いいえ、大丈夫です」
ぷるっと首を振ると、相手は安心したように頷いた。
「そう、良かった…あ、あそこの店なんだけど」
若者が指差した先には、いかにも女性たちが好んで立ち寄りそうな、小洒落たアクセサリー専門店が店の一角を占めていた。
大人びた店で、何となく見ただけで高そうな雰囲気を感じる…
「…高そうですねぇ」
実に素直な少女の感想に、幸村がふふふと笑った。
「そう思うだろう? 実はそうでもないんだ。イミテーションの物もあって、そっちなら俺ぐらいでも何とかなる値段だよ。最近は結構、年齢層の幅を広げて手広くやっている店も多いんだって」
「ふぅん…」
「君は? 何かアクセサリーとかには興味ないの?」
質問され、桜乃はうーんと首を捻った。
「興味はありますけど、やっぱりお小遣いは限られているし、あまり高い物は買えないです。それに…」
「それに…?」
「テニスの時に邪魔になっちゃいますから」
「! ああ、そうだね」
予想もしていなかった返答に、幸村は一瞬驚きの表情を浮かべて、そしてそのまま朗らかな笑顔を見せた…とても嬉しそうな笑顔を。
隣では、桜乃がそのまま続けて、一生懸命力説している。
「指輪とかはラケット握れないし、ネックレスとかも動いている時に邪魔になりそうじゃないですか」
「外したりは?」
「…そのまま忘れてしまいそうで、恐いです」
「成る程ね…」
そんな事を話している間に、二人は目的の店舗に到着した。
彼らの他にも、多くのカップルや女性達がショーケースの周りを囲んで、中で輝く宝物をじっと見つめて品定めをしている。
「ここ辺りが、考えている予算内のアクセサリーだけど…どう? 君から見て」
「どれも素敵ですよ、イミテーションなんて思えないくらい…」
えーと…と桜乃は品物をざっと見渡して、幸村に振り返った。
「幸村さんの妹さんって、例えば動物とか、お好きなものってないんですか? そういうのをプレゼントしたり…あ、もう同じものを持っていたら別の物の方がいいかもしれませんけど」
「そうだね…やっぱり女の子らしい可愛いものは好きみたいだけど…付けてるのは色々な種類があるから、一概には言えないなぁ…最初は欲しがっていたCDをあげようと思っていたんだけど、先に買われてしまってね、参ったよ」
「あ、ありますね、そういう事って…ところでお母さんへは何か買わないんですか?」
「ああ、お母さんにはもう妹と一緒に準備してあるからね、それは大丈夫」
「いいお兄さんですねぇ」
「ふふ、そうかな」
色々と話しながら、桜乃と幸村は、一つ一つのアクセサリーを検討してゆく。
「やっぱりまだイヤリングは早いよね…」
「指輪も、はっきりとサイズが分からなければやめておいた方が無難ですよ」
「うーん…」
「…あっ、あれはどうですか? 幸村さん!」
「え…?」
桜乃が指し示したのは、星のマークを象ったラインストーンクリスタルが付いたヘアピン。
贅沢に使用されたクリスタルが展示用のライトを受けてキラキラと輝き、とても見た目にも華やかに見える。
しかし星そのものは大きくないので、ちょっとしたアクセント程度で、そればかりが目立つというアンバランスが生じる心配はなさそうだ。
「綺麗ですし、実用的じゃないですか? 私はこういうの好きですけど、妹さんはヘアピンとかは使います?」
「そうだね…たまに使ってるかな…でも、それだけ見ても分からないな…あの、すみません」
幸村が店員を呼んで、そのヘアピンをガラスケース越しに指差した。
「ちょっと、これ、試したいんですけど」
「はい」
店員はすぐに向こうからの取り出し口を開き、目的のヘアピンを出すと、二人の前に置いてくれた。
「こちらは大変人気の品で、在庫も残り少なくなっております」
「…付けてみてもいいですか?」
「はい、どうぞ」
幸村の質問はあっさりと受諾された。
「…え?」
戸惑う桜乃の前で、幸村はヘアピンを取り上げると、彼女の方へと向き直った。
「ごめん、竜崎さん。ちょっと付けさせて?」
「え…い、いいですけど…妹さんじゃないですよ?」
「いいんだ、雰囲気を見てみたいから…今付けてるヘアピン、取ってもいいかな?」
「あ、そうですね、いいですよ? じゃあ私、付けますね」
幸村が、そっと彼女が付けていた花を象ったヘアピンを外し、少女は器用に星のヘアピンを付け直した。
「…どうですか?」
「うん…凄く良く似合ってる。可愛いよ、竜崎さん」
「あ、い、いえ…そ、そうじゃなくて…妹さんにどうですかって、意味で…」
嬉しそうに笑う相手に、桜乃がどぎまぎしながら訂正する。
褒められるのは嬉しいのだが、幸村が、何となく自分がこうしてヘアピンを付けている本来の趣旨を忘れているような……
「ああ、そうだったね」
指摘を受けても幸村は何となくそれを受け流すだけで、ずっとヘアピンと桜乃を交互に見つめており、何を考えているのか分からない。
「…で、どうですか?」
「うーん…まぁまぁ、かな…うん、まぁまぁ…」
「はぁ…まあまぁ、ですか…」
再度の問い掛けには微妙な答えを返し、幸村は再び桜乃の付けたヘアピンに手を伸ばして、するりとそれを外した。
「…妹には、別のがいいかな…となると、やっぱりチョーカーとかそういう物で」
「そうですか? じゃあ、見てみましょう」
それからアクセサリーを改めて色々比べてみて、結局幸村の妹へのプレゼントは、中央に小さなクリスタルをアクセントに添えた、銀の花の付いたチョーカーで決定した。
女の子らしいデザインと、ガーデニングが好きな兄の幸村からの贈り物という意味を込めたのだ。
「ちょっと小さくないかな」
「でも、こういうのはあまり大きいとそればっかりに視線が行って、目にもうるさくなるんですよ。ちっちゃいほうが、何にでも合わせ易いと思いますよ?」
「そうか…そうだね。じゃあ買ってくるよ。竜崎さん、先に門のところで待っててくれる? 近くでお茶ぐらい飲もう、奢るよ」
「え、でもお気遣いなく…」
「いいから、待っててね。何処にも行ったらダメだよ」
そう言うと、幸村は店員へと呼びかけ清算の話を始めてしまい、桜乃は結局、彼の言うままに門の方へと向かうことになった。
(幸村さん、本当に律儀だなぁ…)
そんなに気にしないでもいいのに…と思いつつ、のんびり歩いて門へと向かう。
来た時の反省を踏まえ、少しずつ歩いたらそんなに長く待たずに済むかも…と思いつつ、周囲の店をちょこちょこと覗きながら門へと向かう。
(そう言えば、青学のパーティーもそろそろ始まってるかな…急用が出来たからって断ったけど、やっぱり少しだけ顔を覗かせて…)
賑やかなパーティーを想像しながら、桜乃は門に到着して、やはりその場にあった柱の一つに軽く背中を付けた。
店の中の暖かな空気と外の冷気が微妙に入り混じる場所で、少女はほう…と息を吐いた。
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