(幸村さん、優しいなぁ…人気があるわけだよね…)
あんなに細やかな心遣いが出来るからこそ、あの立海の男子テニス部を牽引出来るのだろう。
何回か、彼が部で指導をしているところを見たことがあるけど、その時は、優しいというより厳しいというイメージだった。
優しさと厳しさ、その相反するものを兼ね備えていないと、人の上には立てない…
彼はそういう意味では理想の指導者だろう、青学の手塚という男と同じように。
(けど、私は優しい幸村さんとしか話してないし…まぁ、ファンの人とかもそうだと思うけど)
今ひとつぴんとこないなぁ…と思って何気なしに視線を上げた桜乃の身体が、瞬間、固まった。
(え…っ!?)
目の前をこちらに向かって歩いてくる人々の中、見知った顔があった。
(桃城先輩と…菊丸先輩っ!?)
てっきり、もうパーティーに参加していると思っていたあの二人が、何で今ここに、しかもこの百貨店目指して歩いてきているのだろう。
まだ向こうはこちらには気付いていないが、決して距離はもう然程遠くないところで、いつ見つかってもおかしくない。
普段だったら何の問題もない、しかし今は…
「お待たせ…どうしたの?」
そこに何も知らない幸村が現れ、桜乃は思わず彼の腕に縋り、その身体の後ろに隠れてしまった。
「え…? ど、どうしたの?」
何か様子がおかしい桜乃に幸村が呼びかけたが、少女は身体を小さくして顔を上げようともしない。
「す、すみません、あの…桃城先輩と菊丸先輩が…こっちに…」
「え?」
言われて視線を先へと向け、辺りを確認すると、程なくして幸村もこちらへと歩いてくる彼らを見つけた。
もう距離にして二十メートルもないが、向こうは二人で何か面白そうに談笑しており、こちらにはまだ気付いていない。
「…うん。こっちに来ているみたいだけど…あれ? 俺と一緒にいるのは、知られたら嫌かい?」
「ち、違います…その…今日は、青学のテニス部でパーティーがあるんですけど…私…」
「? うん…」
「その…急用があるって…一応断ってきちゃったから…ここにいるのが分かったら、ちょっと…」
「…ああ、成る程」
概要を知らされ、幸村は頷くと、にこ…と笑った。
「…じゃあ、青学より、俺との約束を優先してくれたんだ?」
「あ…その…」
本来は照れるところなのだが、今はあの二人の先輩の動向が気になってそれどころではなく、桜乃は幸村と先輩二人を交互に見つめ、おろおろと戸惑うばかりだ。
「…大丈夫、俺に任せて。絶対に声を出さないで、じっとしているんだよ?」
「え…? きゃ…っ」
桜乃にそう言うと、幸村は小さな相手の身体を柱の方へと軽く押し、自分と柱の間に少女を挟みこんだ。
丁度、幸村の背中によって、あの二人の視線から彼女を隠すような形だ。
そして続けて、幸村は自分の纏ったロングコートの前を開くと、それで桜乃の小さな身体をすっぽりと包み込み、そのままぎゅうっと抱き締めたのだ。
『ゆっ…幸村さんっ!!??』
当然、驚愕する桜乃に、幸村の声はあくまで静かで優しかった。
『しぃっ…声を出したらダメだよ…じっとして…俺に出来るだけくっついているんだ』
『でっ…でも…』
『いいから…俺に任せて…』
小声で、二人がコートの中で会話を交わす。
その狭く隔てられた空間の中で、幸村の声は桜乃の耳元で、暖かな吐息と共に囁かれた。
(うそ…っ…こんなコトになるなんて…・!)
幸村の意図が読めないまま、しかし今から出る訳にもいかず、桜乃はそこに留まるしかなかった。
そうしている内に、桃城と菊丸は、幸村の脇を通り過ぎ、やはり相手に気付いて立ち止まった。
「あれ? 立海の…」
「ありゃりゃ、幸村ぁ?」
声を掛けてきた二人に、幸村はふ…と顔を上げて微かに笑い返す。
コートの中に少女を閉じ込め、その姿を隠したままで…
「やぁ…青学の桃城君と菊丸君だね?」
「やっぱり幸村さんッスか…って、何しているんです? こんな所で突っ立って」
「…デートだよ、俺の一番大切な、可愛い恋人と」
「へ…」
唖然とする二人だけではなく、コートの中でかくれんぼしていた桜乃も、心臓を口から吐くほどに驚いた。
(ちょっ…幸村さん!! なに言ってるんですか〜〜〜〜〜〜っ!!)
もぞもぞと蠢く少女を優しく抱いたまま、幸村は二人に余裕の笑みを浮かべている。
「あんまり見ないであげてくれる? 彼女はとっても恥ずかしがりやなんだ」
「は、はぁ…恥ずかしがり…スか」
「で…で、さ…その子をそんなトコロに入れて…何してんの?」
指差す菊丸に、立海のテニス部部長はクス…と笑うと、コートの中の娘を覗き込みながら苦笑混じりに答えた。
「…野暮なコトを言わないで欲しいな…こんな日に恋人とすることなんて、決まってるだろう? 折角いいところなんだ、あまり邪魔しないでほしいんだけど」
(きゃあああああ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!)
驚きと共に腰が砕けそうになり、桜乃は知らず幸村にしがみ付いてしまった。
その動きは桃城と菊丸にも認められ、彼らは完全に場の空気に引いてしまう。
大人だっ!!
パーティーの食材ゲットしに来た俺達なんか、目じゃないぐらいに大人だっ!!!!
(つ…付いてけね――――)
(こりゃ、早めに退散しないと次の試合で会った時に万倍になって返ってくるにゃあ…)
菊丸と桃城は、互いに視線を合わせて、退散することを即座に決定。
「あ、じゃ、じゃあ俺達この辺で…」
「ごゆっくり、お楽しみ下さいって感じ」
やるねぇ〜〜という視線を最後に向けて、二人はさっさとその場を歩き去って行ってしまった。
「……行ったね」
もう彼らの視界に自分達が入らないだろうと確認した後に、ようやく幸村はコートの中から少女を解放した。
「もういいよ…あれ?」
「〜〜〜〜〜〜」
解放した桜乃は全く一言も喋る様子がなく、幸村が不安になって覗き込むと、その小さな顔が林檎の様に真っ赤に染まっていた。
「だ、大丈夫?」
「…ダメ、です」
うまく言葉も繋げられず、桜乃はふにゃふにゃと力の入らない身体を起立させるので精一杯で、慌てて幸村が再び少女を抱きとめる。
「竜崎さん!?」
「〜〜〜〜…すみません…ちょっと、のぼせました」
くったりとした身体から、ぽつんと一言。
「え…?」
「…幸村さん、ノリノリなんですもん…こっちが恥ずかしくなっちゃいました」
まだ顔の赤みが引かないピュアな少女に、若者はくすくすと小さな笑みを零した。
「で、のぼせちゃった?…君って、本当に可愛いんだね」
「も、もう、またそんな事言って…」
「ふふ…まだ、立てないかい?」
「あ…もう平気です…すみません、御迷惑を…」
「…惜しいな、抱っこ出来るかと思ったんだけど」
「はい?」
「いや、こっちの話だよ」
ちょっとした企みが呟かれたものの、それが当人の耳に入ることもなく、二人は改めて互いに向き合った。
「あーびっくりした…でも、幸村さん、有難うございました」
「こちらこそ…まさか君に、青学の予定があるなんて知らなかったよ」
「あ…いいんですよ。後で顔だけ出すつもりだったし…気にしないで下さい」
「…竜崎さん」
「はい?」
呼ばれ、素直に頭を上げて相手を見ると、彼の顔からは今しがたまでの柔和な表情は消え、とても真剣な眼差しが自分を射抜いていた。
「…幸村…さん?」
「君は…指輪も、ネックレスもしないんだよね…テニスに、邪魔だから」
ふわ…と彼の指が優しく自分の前髪に触れて、桜乃がどきどきして黙っていると、不意に彼の指が自分がつけていたヘアピンを再び外した。
花のアクセントが付いた、愛用のヘアピンだ。
「え…」
「でも、これはいつも付けてるよ、ね…」
「…幸村さん? あの…」
「………」
桜乃の前で、今度は寡黙になった幸村はコートのポケットから一つの箱を取り出した。
黒の化粧箱で、掌に乗る程の大きさだ。
彼がそっとその上蓋を外すと、きらっと中で幾つもの光が星の様に輝いた。
「え…」
これは…さっき、あの店で見ていた、星のヘアピン!
妹さんへのプレゼントには諦めていた筈なのに、幸村さん、これも買っていたの…!?
「…これ、買ったんですか?」
「うん…君への、クリスマスプレゼントに」
「え…!?」
「これなら、肌身離さず付けていてくれるかなって…受け取ってくれる?」
「あ…」
もしかして、あの時にやたらとこのヘアピンと自分を見つめていたのは…最初から自分に合うのかを確かめる為?
と、言うより…今日私をここに呼んだのって…もしかして…
そう言えば、大体、妹さんへのプレゼントを選ぶだけで、幾らイブだからと言っても服まで着替えてくる必要なんて…
じっとこちらを見つめてくる幸村の瞳に見つめられ、桜乃の身体に再び小さな熱が燈った。
男は今も、凛とした姿で真っ直ぐに自分と向き合っている。
美しい人だと思う。
その美しい人が自分だけを見つめてくれているこの現実が、まるで夢の様だった。
「あの…あ、有難う…ございます…嬉しい、です」
夢なら醒めないでほしい…そう願いながら、桜乃は頬を染めて俯きつつ、小さな返事を返した。
「…ああ、良かった。受け取ってくれて」
そして、笑う若者は間違いなく現実だった。
幸村は、箱をそのまま相手に渡そうとはせず、自分の指でヘアピンを取り上げた。
「今度は、俺に付けさせて?」
「…はい」
厳かに、何かの神聖な儀式のように、幸村は少しだけ腰を屈めて、小さな少女の前髪を優しくかきあげ、そっとヘアピンを一つ差し込んだ。
そして、反対側にも同じように…
(…優しい手…)
あんなに凄いテニスをする人とは思えない程に、優しく心の込められた仕草に、心で驚く。
「…やっぱり、凄く良く似合うよ…可愛い」
「〜〜〜〜〜〜〜」
結局何も言えなくなってしまった桜乃に、再びくすくすと笑いながら、幸村が彼女の耳元に唇を寄せて囁いた。
『…美味しいお茶がある所知ってるんだ、一緒に行こう…・青学のパーティーは、諦めてくれるよね?』
暗に、離すつもりはないから、という宣言に、桜乃はただ、言葉を失ったまま何度も頷くしかなかった…
了
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