密かに背伸び


「わ、桜乃にしては珍しくない? そのスタイル」
「や、やっぱりヘンかなぁ…?」
「そんなワケじゃないけど、何となくいつもより大人びてる感じよね…どうしたの? 何か心境の変化?」
「ん…別にそんな訳じゃないけど…」
「ん〜、でもねぇ…」
「なぁに?」
「…前のボタン、全部閉めるより胸元開けた方がセクシー系でもっと可愛くなるんじゃない?」
「う……」
「やるとこは思い切りよくやらないと、単なる背伸びって思われちゃうわよ?」


「まぁ…分かってたけど、私がいつも着るタイプとは全然違うってことぐらい」
 数日前の友人との会話を思い出しながら、それでも桜乃はその服を身につけて外出していた。
 都内の繁華街を、一人、新しい服に慣れる様に歩いていく。
 ベロアの黒の長袖シャツの上にファーがついたベージュのコート、下はダークブルーデニムの膝上スカートに包まれた彼女は、確かにいつもより動きがぎこちない。
 無論、服に合わせて履いているブーツによる動きづらさというのもあるのだろうが、それ以上に問題なのは、本人の服に対する意識だった。
(う…やっぱり背伸びしてるのかなぁ…)
 普段着に敢えてこれを選んで買った以上は、着ないことには話にならない。
 慣れるまで、慣れるまで…と念じながら、桜乃は繁華街の人ごみの中に紛れて歩き続けた。
 別に目的も無い散策なので、時間に追われる必要がない分気は楽なのだが…
 誰も自分なんか見ていない筈、と思いながらも、ついつい人の目を気にしてしまう。
 これでは、服を気にせずに颯爽と歩くことが出来るのは当分先の話になりそうである。
(な、何か…疲れた〜〜〜…)
 それほど歩いていないし、テニスで体力つけた筈なのに、早くも身体が重く感じてきている。
 おそらくは精神的な疲労が殆どなのだろう。
 しかしこのまま歩き続けるのも少し辛い……
「…あ、あそこで少し休憩しよう」
 先に見えるオープンカフェは自分のよく行く行きつけの場所である。
 もう肌寒さを覚える季節だが、屋外だけでなく屋内の席も無論あるので、入るのに何ら抵抗はない。
(情けないな〜自分…)
 はふ、と息を吐きながらドアを開けた桜乃に、店員の歓迎の声が掛けられた。
「いらっしゃいませ」
「席、空いてますか?」
「お一人様ですか?」
「はい」
「申し訳ありませんが、只今満席でして…御相席なら、何とか…」
「あ…そうですか…」
 申し訳なさそうに案内してくれる店員に、桜乃はどうしようかな、と考えた。
 中は確かに客で賑わっており、彼らの熱気もあって店の中はとても暖かい。
 備え付けの雑誌を取るなどする為に、ちらほらと席を立って移動している客を視界の端に捉えつつ、少女はん〜と小さく唸りながら更に考え続ける。
 いつもなら、この暖かな室温につられて相席でも受け入れたかもしれない。
 しかし今日は何となく慣れない衣装のお陰で疲れているし、そんな状態で、見ず知らずの人の前で気を遣うのも、新たな疲労を背負ってしまいそうだった。
 結局、ここでの休憩は諦めようと桜乃は決定した。
「えと…じゃあ今回はいいで…」
「相席で」
「え…」
 突然隣から聞こえた声に決定を覆され、桜乃が身体を向けると、黒いシャツとその上に羽織られた白いコートシャツが視界に飛び込んできた。
 そのまま視線を上に向けていく…と、優しい視線にぶつかる。
「ゆ…幸村さんっ!?」
「こんにちは、竜崎さん。今日は一人なんだね」
 微笑む美麗な若者…立海のテニス部を背負って立つ、部長の幸村だった。
「はっ…はい…っ…」
 普段ならいつもと同じ様に何気なく挨拶出来る筈なのに、今日はそれさえも困難な程に慌てまくっている桜乃は、手足がわたわたと踊りだすのを止められない。
「…どうしたの?」
「い、いえっ! 何でもないです、ちょっとびっくりして!」
 まだ踊ろうとしている四肢をかろうじて押さえつけ、ようやく桜乃は直立姿勢へと戻った。
「そうかい? まぁ、急に声をかけたのはすまなかった…でもそうしないと、君がすぐに店を出て行きそうだったからね、つい…」
 幸村は特にそれ以上何を問うこともなく、店員へと顔を向けた。
「すみません、彼女、俺の知り合いなんで、相席でお願い出来ますか」
「畏まりました、どうぞお席へ。御注文がお決まりでしたらお呼び下さい」
「え…」
「一人席にこだわるタイプかい?」
 もしかして、余計なことをしたかな、という様に首を傾げた相手に、桜乃は慌てて誤解を解くために説明する。
「い、いえ…今日はちょっと疲れたから、人様にあまりそんな顔見せたら悪いかなーって…」
「疲れた…って、どうしたの? 無理してる?」
 席の心配をしていた時より、更に一層幸村の表情が厳しくなり、桜乃もまた更に慌てた。
「いいいえええ! たっ、大したことないです! ちょっと歩きすぎたかなーって…」
「何だ…じゃあ尚更、ゆっくりしないと。さぁおいで、席はこっち」
「は、はぁ…」
 結局、断ることも出来ずに桜乃は幸村の手に引かれて、彼のいた席へと案内されていった。
 幸村の席は丁度窓際の二人席だった。
 ここからだと、ガラス越しで道を歩く人々の様子がよく分かった。
 そして、自分が歩いていた姿もここからだと丸見えだったという事も。
「……」
「竜崎さんの姿が見えた時には店を出ようかと思ったんだけど、逆に入って来てくれたからね。ラッキーだった」
「は、はぁ…そうでしたか…」
 どぎまぎしている桜乃の前で、席に着く前の若者はじっと上から彼女を見下ろし、ふと唇を開いた。
「その服…」
「え…っ!!」
 どきっ!!
 心臓が止まったように桜乃の身体も硬直し、顔が強張る。
 果たして彼は何を言おうとしているのか……
「…あ、いや、別に何でもないんだ、ごめんね」
 構えたところで思わぬ肩透かし。
 彼は結局、何も語ることなく席についてしまった。
(うああん、すっごく気になる〜〜〜〜〜〜っ!!)
 当然である。
 ああいう話の切り方をされると却って気になるものであるが、元が引っ込み思案な桜乃の性格が災いし、追及することは出来なかった。
 物凄く、気にはなるのだけど…
「はい、メニューだよ」
「は、はい…有難うございます…どれにしようかなぁ」
 ページをめくる少女の表情を、幸村は優しい微笑を浮かべて、幸せそうに眺めている。
「…ホットココアにしようかな」
「決まった? なら注文しようか」
「はい」
 桜乃の決定を見た若者が手を上げて店員を呼んでいる間に、少女はガラス窓を鏡に見立てて自身の姿を改めて見る。
(…やっぱりちょっとしっくりこないのかな…そう言えば)
 桜乃の脳裏に、先日話した友人のアドバイスが甦った。
『もっと胸元開けたほうが可愛いんじゃない?』
 その時は、自分にはあまりにも過ぎた冒険で、とても受け入れられなかったけど…
 でももしかしたら、そっちの方がまだ普通に見られるのかな…
「……」

 ぷち、ぷち…

「ホットココアを一つ…と、マフィン二つ」
「はい」
 幸村が桜乃の代わりに注文している間に、桜乃の指がシャツのボタンを二つ外して胸元を軽く開いた。
 無論、大胆と呼べるような開き方ではなかったが、白い肌が黒のシャツにとてもよく映えて、胸元へ視線を惹き付ける。
(大丈夫かな…大丈夫だよね…)
「ここのマフィンは美味しいんだよ、さて……っ!」
 注文を終えて改めて桜乃へ視線を戻した幸村が、急に言葉を閉ざして僅かに表情を強張らせた。
 その視線の先は…今開いたばかりの胸元だった。



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