君という花
「ホワイトデーだねぇ」
「そうですねぇ」
ある日曜の昼下がり…
竜崎桜乃は、複数の友人達と連れ立って、街中を歩いていた。
もうすぐホワイトデーという行事がある所為か、至る所にプレゼントの紹介や、その日のイメージモニュメントが飾り立てられていた。
意中の男子にチョコレートなどの贈り物をして告白をした女性にとっては、彼の愛情を受け止める非常に嬉しい日…であるのだが。
「三倍返しは当然よね」
「あら、お金をかけても下らない贈り物だと逆に引かない?」
「そうそう、センス悪いぬいぐるみとかそういうモノをくれた人は激しくマイナス」
昨今の女性は非常にしたたかであるらしく、男性の気配りについても全く容赦がない。
友人達の言葉に、桜乃が苦笑いをしながら一言。
「あげる人がいるだけでも幸せだと思うよ〜」
さりげない言葉に、他の全員が沈黙した。
(あれ…?)
空気が変わったことに気付いた少女は、そこでようやく真実に気付いて、念の為に尋ねてみる。
「あの…みんな、バレンタインは?」
「ま、いる人はいいわよね、いる人は」
「どうせバレンタイン前に別れたわよ。無駄遣いしなくて良かったわ」
「やっぱり質よね、質!」
それって、どちらかと言えば負け惜しみに近いのでは…とは、優しい娘は言わなかった。
「そっか……まぁ、まだ一年生だもんね」
「そう言う桜乃はどうなのよ〜〜」
「青学の男子テニス部ってレベル高いじゃん? 桜乃、もしかしてコナかけた人っているの!?」
殆ど部外者の立場で話していた桜乃が今度は話の渦中へと引き込まれつつあり、彼女は慌てて手を振って断りを入れた。
「あ、あのっ、青学の皆さんとは本当に、プレーヤーと応援者って立場だけだから…最近は、どっちかって言うと、別の学校に見学に行く事が多いし」
「え? 見学って、何処の?」
「えと…立海」
「ああ、知ってる!! 何か、青学と張り合ってるっていう、凄い強豪でしょ!?」
テニス部についてはそこにいるイケメンぐらいにしか興味がない筈の友人達ですら、立海の名を聞いて頷く。
どれだけあの学校が世間で認知されているかが、こういうところからでもよく分かる。
「そう言えば、あそこって長いこと部長さんが不在だったって…」
「よく知ってるわね」
「勿論! その部長さんって、物凄いイケメンだって評判だもん!!」
(やっぱり、そっちで詳しいんだなぁ…)
逆に自分は、テニスという関係がなければ、おそらく立海という学校そのものに縁が無かっただろう。
「じゃあ、桜乃はその部長さんって、知ってるの?」
「あ、うん…一応よくお世話になっているし…」
バレンタインのチョコも渡したし…とは言えず、心の中で呟くのみにする。
無論、向こうは義理程度にしか思ってはいないだろうけど……
桜乃の秘密に気付くこともなく、彼女達はまだ見ぬ立海の部長について想像を膨らませた。
「いーわよね〜、やっぱり逞しい人なのかしら」
「でもスポーツマンって結構汗臭い感じがあるし…」
「スポーツにしか興味がないって人かも…まぁ、そのストイックさも惹かれたりしちゃうけど」
(それはどちらかと言うと真田さんかなぁ…)
冷静に考えている間にも彼女達の歩は進み、やがて一際賑やかな店の前を通り過ぎる。
有名デパートだが、丁度今、一階でホワイトデープレゼントの特設会場を開いているらしく、多くの人がそこに集まり、揉まれていた。
「あーあー、ここでも…」
「ね、あの人、何か凄くない? 頼まれ物かしら」
友人の一人が指差した先に、両脇におそらく店にある一番大きな袋を抱え、ようやく店の外に出て来たという感じの若者の後姿があった。
ちらちらと見える袋の上部には、同じ様に包装された幾つもの白い化粧箱…
しかし、桜乃はそんな袋の大きさとか中身ではなく、若者の後姿をじっと凝視し、自分の知っている或る男性に酷似している事に驚いていた。
「? どうしたの、桜乃」
「うん、ちょっと…」
もしかして…と思いつつ、桜乃は友人達より少しだけ先に行くと、その若者の背後まで近づいた。
「あのう…幸村、さん?」
「え…?」
本当に微かな声で尋ねてみたのだが、相手はその名前に敏感に反応し、こちらへと振り向いた。
やっぱり!
「あれ? 竜崎さん」
「こんにちは、やっぱり幸村さんだったんですね? そうじゃないかと思いました」
テニスウェアでなく私服の幸村はいつにも増して美々しい姿で、道行く女性達の視線を一身に受けていたが、それを全く気にする素振りも無く、彼は目の前の少女の笑顔に微笑を返した。
「やあ、こんな所で会うなんて奇遇だね。買い物?」
「はい、お友達と」
後ろを振り返り、近づいてくる友人達を紹介する桜乃だったが、向こうは既に桜乃ではなく幸村へと視線を完全に奪われている。
彼女達が想像していたより遥かにイケメンで、遥かに華奢に見えて、そして遥かに優しそうな若者は、桜乃の隣まで来た彼女達にも優しい笑顔を向けた。
「こんにちは、へぇ、竜崎さんのお友達なんだ」
「は、はい…」
気の利かない返事しか返せなくなってしまった友人達に代わり、すっかり幸村に対して免疫が付いてしまっている桜乃が彼女達を紹介した後で、幸村についても紹介する。
「立海のテニス部部長の幸村精市さん。凄くテニスが上手くて、私もお世話になってるの」
「ふふ…宜しくね」
「は、はいっ!」
「こちらこそ宜しくっ」
やはり一辺倒の返事しか返せない程に脳がスパークしている彼女達の前で、桜乃は改めて彼の手持ちの袋を眺め見た。
「凄いですねぇ…もしかして、ホワイトデーですか?」
「うん、そう…クッキーなんだけど流石に重いよね、これだけあると」
「あ、結構有名どころの……け、結構な出費じゃなかったです?」
「うーん…愛はお金で計るものじゃないとは思うけど、やっぱりあんまり安物じゃあ申し訳ないからね…お年玉とか切り崩して、何とか捻出したんだ。毎年こうだし、もう慣れたよ…懐の寒さにも」
「あうう…お疲れ様です」
悪い事を聞いてしまった、と後悔する桜乃に逆に幸村は実に楽しそうに笑った。
その一方で、桜乃の友人達は、今しがたまで三倍返しなどの会話をしていた自分達を深く恥じていた。
こんなに思い遣りが深くて純粋な男性が、この世にいるなんて…!
「これで全部ですか?」
「いや、昨日も同じぐらい買ってるから、大体この二倍ぐらいかな…家に帰ってこれからメッセージを書くんだ」
「一つ一つにメッセージ!?」
「うん、向こうも大体付けてきてくれるからね…あ、ペンも買っておこうかな」
かなりの大仕事の筈だが、相手はそれを端折ろうとする素振りは見せない。
その真面目ぶりに、桜乃も『うわぁ』と感心していたが、ふと思い出して相手にこっそりと申し出た。
「あのあの…大変なら、お休みしてもいいですよ?」
「え?」
自分も彼に義理と思われているだろうが、チョコレートを上げた一人である。
「一枚でも少なくなったら、幸村さん、ちょっとでもその分は休めませんか? 本人の許可があれば、気も楽なんじゃ…」
きょとんとした相手は、それからすぐに相手の言わんとした事を察して苦笑いを浮かべた。
「…ふふ、有難う。ところで、君は誰かから貰う予定はないの?」
「ホワイトデーですか? うーん…多分、おしるしだけですよ。それに、私も幾つかあげないといけないし…」
「え…」
美麗な微笑が消え、幸村が酷く真面目な顔で桜乃に聞き返す。
「誰に…?」
「あ、家庭科でよく手を貸した子達とか、朋ちゃんとか…最近では女の子同士でもあげるんですよ、バレンタイデーチョコ」
「ああ…何だ、そうか」
桜乃から詳細を聞き、何故か安心した様に息を吐いた幸村に、今度はまた別の誰かから声が掛かる。
「きゃ、幸村先輩!?」
「本当、幸村先輩だわ!」
(あ…立海の生徒さん?)
幸村を先輩と呼ぶのなら、おそらくそうなのだろう。
道の脇から彼の方へと二人の見知らぬ女子が彼の近くへと走り寄って来ていた。
「やぁ、こんにちは」
「幸村先輩、それってもしかして、ホワイトデーのお返しですか!?」
「凄いですね、噂では、やっぱり今年も先輩が一番数を貰ったって…」
きゃいきゃいと賑やかに騒ぐ二人の女子の前で、幸村は朗らかな笑みを浮かべつつ数回頷いて、袋の中から二つの化粧箱を取り出した。
「丁度良かった、君達も俺にチョコくれてたよね。こんな場所で悪いけど、荷物を軽くする手伝いだと思って、貰ってくれるかい? 少し早いけどね」
「きゃあ! 覚えててくれたんですか!?」
「勿論貰います! こんなにゆっくりと受け取れるなんてラッキーですよ!」
立海の二人の女生徒は、喜びながら幸村からプレゼントを手渡され、尚も話し込んでいる。
(うわ…そろそろお邪魔かも…)
自分にも連れがいることだし、そろそろお暇しようと決めた桜乃は、こそっと相手に気付くように手を振った。
『じゃ、失礼しますね、幸村さん』
「あ…うん」
ちゃんと挨拶出来ない心苦しさがあったのか、少しだけ残念そうな表情を浮かべた若者も、同じ様に手を振った。
「じゃ、行こうか、みんな」
すっかり幸村のイケメンパワーの洗礼を受けてしまった友人達を引き連れて、桜乃はその場を後にした。
「……凄いイケメンだった」
「…それに凄くピュアな感じで、魂抜かれちゃったみたい…」
「私、立海に転校しようかなぁ…」
(これは暫くまともな会話は出来そうにないなぁ…)
大体予想は出来ていたけど…と桜乃が心の中で苦笑い。
その苦味の成分は、友人達の魂の抜かれた状況と…幸村の行動だった。
(やっぱり、私のは覚えられてもいないみたい……あそこでくれる素振りもなかったし)
もし、自分の分のチョコを覚えてくれていたのなら、あの場所で二人の立海の女子と同じ様に渡してくれていた筈…その分、軽くなる訳だし。
なのに、彼はそんな事を覚えているような様子は全く無かった。
(仕方ないよね、私、立海の生徒じゃないもん)
あの学校でもかなりの人数が彼に対してチョコをあげているのだから、他校の生徒である自分など、気に掛ける余裕はないのかもしれない。
(でもちょっとだけ……ショックだなぁ)
ホワイトデー当日
「桜乃〜、今日は立海には行かないの?」
昼休み、あの日に一緒にお出かけした友人にそう問われた桜乃は、ふぅ、と机の上に突っ伏したまま、首をふるふると横に振った。
「今日は女子テニス部があるから、そっちに行くの。私もそんなにしょっちゅう行く訳じゃないんだよ?」
「何だ〜、つまんなーい。もし行くなら便乗してまたあの人に会いに行こうと思ってたのに」
「そーゆー目的に友達を使わない」
あれだけ格好いい人だから、まぁ気持ちは分かるけど…と苦言を呈した桜乃に、友人はあははと笑いながら彼女に別の問いを投げかける。
「でも、折角のホワイトデーだし、行ったら他の人達からもプレゼント、貰えるんじゃない?」
「うーん…そうかな」
実際に義理ぐらいなら貰えるかもしれないけど…
「でも、今日って日にわざわざ行く事で、おねだりしているみたいに思われるのも、ちょっと、ね…」
嘘だ。
本当は、まだ自分は引きずっているんだ。
あの人が…覚えてくれていなかった、その事を…
「……」
席を離れて他の友人達のところへ行く相手の背に、視線を向けることもなく、桜乃はため息をついてぼんやり…
(立ち直らないとなぁ…また行くときは、笑顔でいなきゃいけないんだし)
そうは思うものの、やはり沈んだ心には身体も上手くついてはいけないのか、結局桜乃はその日の部活動でも、あまりいい動きは出来なかった。
不幸中の幸いと言うべきか、特に重要な選考試合はなかったが、それでも今後もこういう状態が続くとなるとまずい。
家に戻り、宿題を仕上げながらも、桜乃は繰り返し今日の練習の不出来を嘆き、反省していた。
そんな時、桜乃の携帯の着信音が鳴り出し、机に向かっていた彼女は驚いてベッドの上のそれを振り返った。
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