(え? 誰だろう…)
 あまり夜には携帯が鳴るなんてこと、無かったのに…
(朋ちゃんかな? でも、今までこんなに遅くかけたことないよね…)
 悪戯かもしれないけど取り敢えず出てみよう、と思い携帯を取った桜乃は、発信者の名前を確認して思わずそれを取り落としそうになってしまった。
『幸村精市』
「幸村…さん?」
 どうして、今の時間に…?
 何とかうろたえそうになった気持ちを押さえ込み、桜乃は受信のボタンを押して携帯を耳元に当てた。
「もしもし?」
『竜崎さん? 夜遅くに、ごめんね。今、少しいいかな?』
「は、はい……どうしたんですか?」
『うん、ちょっと話したい事があるんだ…少し出てこられるかな』
「え? で、でも、こんなに遅いんじゃ、立海まではその…」
『いや、君の家の近くに公園があるよね。そこに来て欲しいんだ。そこなら、大丈夫?』
「は…ええ、そこなら……って、まさか、幸村さん、今そこにいるんですか!?」
『うん。じゃあ、待っているから。慌てなくていい、ゆっくりおいで』
「ちょ…」
 答えを待たず、相手は通信を切ってしまった。
 どうして、立海の彼が、こんな遠くまでこんな遅い時間に…
 もしかして、部活動が終わってから、こっちに向かって来たのだろうか…?
(どっちにしろ、急がないと…!)
 ゆっくりおいで、とは言われたけど、向こうがこんな夜遅くに遠出をして待ってくれているのだから、急がない訳にはいかない!
 桜乃は大急ぎで、家人に「友人と少しだけ会ってくる」という言い訳をつけて外へと飛び出し、幸村が待っているという公園へと急いだ。
 夜でもようやく肌寒さが和らいできた季節だが、やはりまだ肌に当たる風は冷たい…
 桜乃は、公園に着くと、すぐにそこに動く影を見つける事が出来た。
「幸村、さん…?」
「! やぁ、ごめん、こんな夜遅くに…」
「いいえ、近いから、大丈夫です。幸村さんこそ、ここまで来るなんて大変じゃなかったです?」
「ふふ、君も立海まで同じ道を来てくれているじゃないか」
 おあいこだよ、と笑う幸村の表情は、月下に在ってより美しさが際立っている様だ。
 見蕩れそうになり、桜乃は慌てて目を逸らしながら用件を尋ねた。
「それで、あの…御用件は…?」
「うん、今日はホワイトデーだっただろう? 明日とかに持ち越すのは嫌だったから、この日の内に渡しておきたかったんだ」
「え…?」
 だって、幸村さん、あの時は……
 心を沈ませる原因になってしまったあの日の事を思い返している桜乃の前で、幸村は手にしていた紙バッグから一つのブーケを取り出した。
「わぁ…」
 月明かりの下、日光の下と比べたら映えた色は望めないが、代わりに何とも言えない幽玄な美しさが漂っていた。
 蘭、ベゴニア、薔薇、水仙、チューリップ…
 様々な花が美を競うように束ねられ、シートと色紙に包まれている…
「はい」
 差し出された花束を受け取った桜乃は、うっとりとした表情でそれを見つめた。
「…なんて綺麗…大輪の花ばかりで、宝石みたい……あ、でも幸村さん、その…」
「ん?」
「…不躾なこと言っちゃうかもですけど…これ、お返しのお菓子どころじゃなくて、凄く高かったんじゃないですか? こんなに綺麗で立派なお花、お花屋さんでもあまり見たことないです」
「そう? そこまで褒めてもらえると凄く嬉しいよ」
 何故か、とても楽しそうに幸村はくすくすと笑っていたが、やがて口元に当てていた手を下ろして種明かしをする。
「それ、別に買った訳じゃないから、お金は払ってないよ。但し、手間隙はかけているし、愛情も注いでいるけどね」
「え…?」
「…俺の趣味、覚えてる?」
「…あ!!」
 思い出した!! 幸村さん、ガーデニングが趣味だった…てことはもしかして…!!
「ええ!? もしかして、これ、幸村さんが育てた花!?」
「当たり」
 あっさりと答えた若者の態度とは裏腹に、ブーケを持ったまま桜乃は右往左往と異常な程に取り乱してしまう。
「そ、そんな大事なお花をこんなに〜〜〜!? どど、どうしよう、私その…えと、お、お金払います〜〜〜!!」
「いや、お金は別にいいから…」
 完全にテンパっているらしい少女の珍しいリアクションに、幸村は落ち着かせるべく肩をぽんぽんと叩いた。
「だって、折角幸村さんが大切に育てたお花なのに、こんなに…!」
「いいんだよ…君になら、あげてもいいって思ったんだ。人から貰った花を、そんなに大事に思ってくれる君だ、この子達も、喜んでくれると思う」
「……幸村さん」
 ようやく落ち着いてきた心の中で、桜乃はあれ?と思った。
 ちょっとおかしい…と言うか、凄くおかしい……
 ただのバレンタインのお返しに、自分が丹精込めた花をそんなにあっさりあげるものだろうか…?
 あの立海の人たちも貰ったんだろうか…?
 でも、そうしたら幸村さんの家の庭……どれだけ広いんだろう…あれ…?
「…え?」
 頭の中で疑問がぐるぐると渦巻いて桜乃が混乱している間に、幸村は更に紙袋の中から白い化粧箱を取り出した…しかしあの時に見たものではなく、それより随分と大きさがある。
「で、これはクッキー。月並みで悪いけどね」
「…これ…?」
「あ、でも一応ウチの親と妹には免許皆伝もらったから」
「手作りーっ!?」
 あの幸村さんが、手作りのクッキー!?
 この時点で、やはり何かが違うと桜乃は確信する。
 どうして!? あの時見たものとはやっぱり全然違うし…手作りって…
「あ、あのっ…幸村さん、その…」
「? どうしたの?」
「あのう…この間のクッキーじゃないんですか? こんなに一杯…」
「ああ、あれは義理だから」
 さらりと言うと、幸村は何かを察した様に桜乃を見下ろした。
「…もしかして、自分もあれと同じ物を貰うって思ってた?」
「あ、いえ…私は…まさか貰えると思ってませんでしたから…正直びっくりです…」
「どうして?」
「え、だって…あの日幸村さんにお会いした時、立海の人にはクッキーあげてましたし…」
「…ああ、あの時のこと」
 思い出した若者は軽く頷くと、桜乃ににこりと笑いかけた。
「他の人はともかく、君にはそんなついでみたいな事、出来る訳ないだろう」
「どうして…?」
 桜乃が自分を試しているのではなく、本気で分かっていないのだと察した幸村は、すうと彼女へと身体を寄せた。
「…特別、だから」
「え?」
「俺にとって、君は特別…だからね。他の人と同じものなんてあげられない。カードなんかじゃなくて、ちゃんと言葉で伝えたいんだ」
「!!」
 月光の下でもはっきりと分かるくらいに桜乃の頬が朱に染まり、ふい、と彼女は恥らいながら目を伏せる。
 自然と潤む瞳が、まるで月光を受けて密かな湖の様に煌く様を、幸村はただひたすらに見つめていた。
(目が離せない…初めてだ、こんな…)
 やっぱり…彼女は、俺にとって……
「あ、あの……そんなに見つめられると…恥かしい、です」
「! ふふ、ごめんね…君が全然俺を見てくれないから、ちょっと意地悪をしたくなったんだ」
「え…!」
「だって、さっきからずっと下ばかり向いてる……俺を見て、竜崎さん」
「〜〜〜」
 確かに相手の指摘は尤もなもので、桜乃は相手に乞われるままにちらっと相手を見上げたが、彼の微笑があまりにも蟲惑的で見つめる程に自分の頬が紅潮していくのが分かった。
「や、やっぱり恥かしいです、ね…」
「ふふ…じゃあ、ちょっと気を紛らわせてみようか? 正直に俺の質問に答えてくれる? 俺の事…嫌い?」
「そんな事ないです!」
 即答する声も力強く、桜乃は思い切り否定する。
「幸村さんが嫌いだなんて…絶対ないですから!」
「有難う…じゃあ、次の質問。俺の事…好き?」
「…っ!」
 先程の即答に対し、これにはぐっと声を詰まらせた。
 答えられない訳ではなく、迷っている訳でもない…単に恥かしいだけなのだが…
「ねぇ…答えは?」
「そ、れは……す、好き、ですから、チョコ、あげてる訳で…」
「そう、良かった。そうじゃないと、この『特別』はあげられないからね……じゃあいいよ、恥かしいなら、目を閉じて?」
「…?」
 軽くくしゃりと前髪をかき上げられ、反射的に桜乃の瞳が閉じられた…瞬間…
「…っ!?」
 柔らかい感触が自分の額にそっと優しく押し当てられた。
(え…)
 ぎょっとして思わず瞳を開くと、相手の胸が視界に飛び込んできた。
 これって、もしかして…?
「…っ」
 自分の意識が全て額に集中してしまい、思わず少女はバランスを崩して腕の隙間から花束とクッキーの箱を落としてしまった。
「あっ…!」
 幸村さんがくれた、大切な贈り物…!!
 大変な事を!と慌てて手を伸ばして拾い上げようとしたが、その行為は贈り主によって阻まれてしまった。
「幸村さん、お花が…」
「いいんだ」
「でも、大切に育てて……」
 尚も手を下へと伸ばした桜乃を、幸村はしっかりと胸に抱き締め、決して離さなかった。
「俺は君の方がいい…どんな花よりも君が好きだよ」
「!!」
 男の言葉が桜乃から羞恥心を吹き飛ばし、彼女は今度こそ彼を真っ直ぐに見上げ、その目の前で相手は再び額に唇を寄せた。
(ああ、やっぱり…さっきのも、そうだったんだ……)
 しかし、それを理解しても拒むなど全く思い至らず、桜乃は素直に相手の接吻を受け、身体を預ける。
「…俺だけの花になってくれる?」
「…え?」
「俺だけの為に、綺麗に咲いてくれる花…俺だけの、もの言う花になってほしい」
 こんなに可愛くて綺麗な花…手放すなんて、出来ない……
「〜〜〜!」
 穏やかで知られる性格の若者のあまりに情熱的な告白に、桜乃は身体が燃え上がりそうな程の熱を感じてしまった。
 どうしよう…このまま気を失ってしまいそう……
 夢じゃないよね……この暖かな胸の中は、間違いなく現実だよね…?
「…私なんかで…いいんですか?」
「ふふ…君は、まだ自分の魅力に気付いてもいないんだね。君が欲しいって男性は、きっとこれから沢山現れると思うよ」
「そ、そんなこと…」
「でも、絶対に譲らない…誰にも」
 君は、俺だけの大切な女性だから…
 優しく、しかし力強く身体を抱かれ、桜乃は幸村の告白にこくんと頷いた。
「…はい」
 何だか、凄い記念日になっちゃった…
 バレンタインのお返しをするのがホワイトデーだった筈だけど、お返しどころか、こんな情熱的な告白をされるなんて…しかも、幸村さんから……
(…三倍返しどころじゃない…もう一生分の『お返し』、貰っちゃったのかも)
 でも、凄く嬉しい…!
「…私も、幸村さんが凄く好きです」
「!」
 幸村の胸をどきりと高鳴らせたとびっきりの笑顔を向けて、桜乃は彼の胸に顔を埋め、両手で相手の身体を抱き締め返した。
 意外な反撃に一瞬瞳を大きく見開いた幸村だったが、すぐに満面の笑みを浮かべて頷いた。
 本当に、可愛い花だな…きっと、一生かけても見飽きることもないだろう、自分だけの…

 二人の若い恋人達は、それからも月光の中、睦まじく抱き合っていた……






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