「なーんかおっかしいと思ったんだよなー。三年生になってから、幸村の弁当の中身が何となく変わったって思ってたからさー」
「お前、普段どんだけ人の弁当チェックしてるんだ…」
 いつも中身を略奪されることも多いジャッカルがややげんなりとして丸井に尋ねたが、相手は今正に開かれようとしている幸村の弁当箱に注目していて聞いていない。
「あ、それは俺も気付いてたっすよ。でも俺は、てっきり彼女でも出来て、その相手からのラブラブ弁当かもって…」
「またお前は下らん事を…」
 切原の茶化しに、真田が眉間に皺を寄せて苦言を呈しているところで、幸村の手が蓋に掛かり…
 ぱかっ…
と、開かれ、話の流れで全員がそちらに視線を遣ったか遣らなかったというところで、

 ばんっ!!

『……………』

 勢い良く…果てしなく勢い良く蓋が再び部長自身の手によって閉じられた。
「……」
 閉じた本人は顔を俯け、髪に表情が隠されてその心情を伺い知る事は出来ない。
 そしてその周囲にいたメンバー達全員は…一様に微妙な表情を浮かべていた。
 笑うでも悲しむでも怒るでも嘆くでもない…本当に微妙としか言い様のない表情を。
「……え、ええっとぉ…」
 正直声を出すのは躊躇われたが、このいたたまれない沈黙の世界に耐え切れず、切原がぼそっと発言した。
「…今の…目にも鮮やかなお弁当って…」
 そんな後輩の台詞に、今度は丸井が便乗した。
「……ハート型に切り抜かれた人参ちゃんが見えたのは…低血糖がもたらした幻覚…に違いない」
「いいなぁ、そう思い込める適当なキャラクター…」
 続けて言ったのは、幸村の弁当の米飯部に大きく桜でんぶでハートが象られ、その中央に黒ゴマで『頑張ってね』とメッセージが記されていた事実までも読み取ってしまったジャッカルだった。
 他にも色とりどりのおかずがぎっしりと詰め込まれていたが、彼らの視線を一斉に惹き付け、記憶に刻まれたその弁当は、まさしく女性が恋人に届ける形そのものだった。
 あまりにもお約束且つ典型的な姿だった為、いやしかし…というこじつけも思い浮かばない。
 そんないわくありの弁当だが、幸村が家から持って来た以上は、作成者は彼の妹である桜乃以外にありえないだろう。
 なのに、今日のそれはいつものオーソドックスな外観とはあまりにかけ離れている。
 そこから考えられる可能性で最も考えられるものは…

『兄と恋人に渡すお弁当を、うっかり逆に渡してしまった』

 やはりそう思うのが一番自然だ。
 問題なのは、その恋人という存在を、幸村が一切知らないという事実だった。
 もし兄公認の仲であったのなら、驚きはするものの後で笑い話にするなり冷やかすなりで、軽く流すことも出来ただろう。
 しかし妹を過剰な程に大事にしており、変な虫がつくことを何より恐れ、嫌悪しているこの若者の場合、目の前の物体にどれだけショックを受けていることか…
 そしてそんな暴発寸前の可能性がある「神の子」を前にしてしまったレギュラー達の恐怖…並のものではない。
『…あーあー…とんでもない現場に居合わせてしまったもんじゃの〜…』
『これは…参りましたね』
 ちょっと急用が…と中座するにも余りにも不自然だし逆効果かもしれないし…と、仁王と柳生は内緒話をした他は発言を控えている。
 そしてようやく幸村本人に声をかけたのは、やはり親友である真田達だった。
「せ、精市?」
「気絶してはいないが、かなりの精神的苦痛を受けてしまったな…保健室に行くか?」
 そんな親友達の声には答えず、幸村は顔を俯けたまま、ふるふると身体を震わせてようやく一言を搾り出した。
「…見てはならないものを見てしまった」
(まぁ確かにそんな感じだろうな〜…俺の場合は姉貴のそんなの見たら、後でひでぇ目に遭わされそうだけど)
 けど、この場合酷い目に遭うのは弁当を作った桜乃当人ではないだろうな…とうっすらと切原が考えていると、それを認めるように幸村の地を這う声が続いた。
「…俺の大切な桜乃を誑かすなんて、何処の馬の骨が…っ」
(すげぇ!! 会ってもねぇのにもう骨呼ばわりっ!!)
(既に話し合いの余地ゼロどころか、マイナスだろこれって…!!)
 会ったが最後、向こうは生きて帰れないかも…!!と真剣に見たこともない相手の身の上を案じていた心優しい丸井とジャッカル達の向こうでは、仁王と柳生がふーん、と相変わらず遠巻きにその様子を眺めている。
(…あんまり過剰に保護しとったら、却ってうざがられて秘密にされとったってトコロかのう)
「今思っているコト絶対に口にしないで下さいよ、仁王君。巻き添えは御免ですから」
 下手な事を言って暴発を誘発しないでくれ、とばかりに柳生が眼鏡を押し上げつつ苦言を呈していると、幸村が俯けていた顔をくっと上げた。
 そこにはいつもの柔和な笑みはない、至極真面目な表情の彼がいたのだが、長年付き合ってきたレギュラー達は更にそこに見えない暗黒オーラを感じ取った。
「………まさかとは思うけど、よりによって君達の内の誰か…なんて事はないよね?」
「いいい!?」
 思わず声を上げてしまった切原だったが、それに特に他意はなく、純粋に驚いただけの事だったのだが、そのあからさまな声の所為で、却って疑念が一気に彼に向かうことになってしまった。
「…随分驚いているようじゃないか、切原…」
「べ、べべべべべ、別にっ…!」
「……今のお前の発言、及び態度から鑑みるに…」
 後輩に掛けられてしまったあらぬ嫌疑を解こうともせず、その部で参謀の呼び名を欲しいままにしていた柳は、相手に淡々と確認した。
「見ず知らずの他人が妹御の恋人であるより、俺達七人が対象であった場合の方が情が絡む分、厄介だと思っているのだろうか?」
「嫌だな蓮二、赤の他人より君達の方が余程ましだよ」
 即答した部長の台詞に、一瞬友情の尊さを感じたメンバーだったが、彼らはまだまだ甘かった。
「君達なら、まだ試合中の事故として片付けられるじゃないか…」
「ちょっと待て精市!!」
「ナニ!? ナニ今の不吉且つ物騒なオコトバ!?」
「お前さん、俺らをどうするつもりなんじゃ…」
 真田と丸井と仁王がそれぞれ突っ込んでいる間に、その試合中の事故で片付けられそうになっていた切原は必死に否定した。
「だーかーらー!! 俺は別にそんなんじゃありませんってば!!」
 涙目になって訴えている彼に、ようやく柳が助け舟を出した。
「取り込み中申し訳ないが、赤也の可能性は殆ど無いと思っていいぞ、精市。大体考えてもみろ。日々遅刻を常習とし、隙あらば即座にサボる事を考え、キレたら周囲の人間の迷惑も考えずに暴れ回り、弦一郎の鉄拳制裁を幾度と無く食らって尚生き方を改めようとしない、懲りない人間の生きた見本である赤也が、お前の妹御の気に入る筈がないだろう」
「! 言われてみればそうだね、疑ってごめん、切原」
 あっさりと柳の忠告を受けて思い直し、一転爽やかな笑顔で謝罪した幸村だったが、された切原の心中はかなり複雑だった。
「わーい嬉しいから赤目になっちゃおうかなー俺…」
「やめとけ、言い返せない分お前の負けだ」
 色々な意味で三強には敵わない、とジャッカルが相手を宥めている間も、幸村の憂慮は当然続いていた。
「じゃあ…本当に誰なんだろう…」
『あー! お兄ちゃんだー』
「え…?」
 ふと遠くから聞こえてきた女性の声に振り返ると、そもそもの騒動の発端である妹が、こちらを見ながら手を振っていた。
 兄達の騒動など知りもしないという朗らかな笑顔だったが、この状況では素直に笑顔を返せる筈もない。
(な、何か最悪のシチュなんですけど…!)
 元凶が来た…!と丸井が慄いている間にも、桜乃はとことことこちらへと歩いてきて、彼らの輪の近くに来たところでにっこりと全員に笑いかけた。
「わぁ、レギュラーの皆さんも、今日は一緒にお食事ですか?」
「う…うむ」
 当たり障りない返事を真田が返している間に、遂に幸村が意を決したのか、桜乃へと声を掛けた。
「…ねぇ桜乃、ちょっと聞きたいことが…」
「あ、そうそうお兄ちゃん」
 しかし彼の声がいつもより小さく力がなかったことで、桜乃はそれを聞き逃してしまったらしく、自分の話を始めてしまった。
「今日のお弁当どうだった? いつも盛り付けが似た感じだったから、昨日買ったレシピ本見て思い切ってイメージ変えてみたんだけど」

『……………』

「……え?」
 全員が沈黙し、それに続いて幸村が聞き返した。
 今、何か大胆な種明かしをされてしまった様な気がするんだけど…
 きょとんとしている兄に、だから、と桜乃は続けた。
「ハートとかの切り抜きで飾ってみたりしたんだけど、まだ見てない? 工作みたいで面白かったから、色々やってみちゃった。ちゃんとメッセージも入れたりしたんだよー」
「……」
 無言のまま、幸村がひょいっと自分の弁当箱を取り出して妹に見せる。
「そう、それそれ」
 頷く相手に、今度は一度だけ開かれた蓋を再び開ける。
 その中身の煌びやかさに動じる事も無く、桜乃は再びうんうんと頷いた。
「そうそう、何だぁ、お兄ちゃんまだ見てなかったの。結構頑張ったんだよー」

 結論…恋人へのものではなく、いつもと同じく兄に作った弁当だった。

「それを早く言ってよ!!!」
「えええ!?」
 寿命が十年ぐらい縮んだ!!と訴えている兄に驚いている妹だったが、本当に寿命が縮む思いをしたのは、巻き添えを食った他のメンバーだった。
「ちっ…地球が救われたぐらいの安堵感を感じる…!」
「少なくとも、俺らの安全は確保出来たッスね!!」
 よよよ…と感動にむせび泣いているジャッカルと切原の隣では、丸井が遠い目で青空を眺めている。
「……テニス部だったよなぁ、俺ら」
「ちょっと自信ないのう」
 何で部活から遠く離れた話題で命の危機を感じないといかんのじゃ…と、仁王もいつになく渋い表情だったが、柳生は淡々と相棒に言った。
「生きていたら問題ありません」
「お前さん、もしかしたら俺より修羅場くぐっとるのかもしれんのう…」
 そんなメンバー達の会話が繰り広げられている中、桜乃はこれまでの経過を兄を含めた三強より教えられていた。
「まぁ、そんな事に!? やだ、それじゃ逆に迷惑かけちゃってたんですね」
「いや…まぁ誤解が解けたなら何よりだが」
 この場で解けたから良かったものの、長引いたらどんな事になっていたか…と思いはしたが、かろうじて真田はそう答えるに留めた。
 元々彼女にも悪意というものはなかったのだし、誰が悪い訳でもない以上、責めるというのも筋違いだ。
「お兄ちゃんもびっくりしちゃったんだね…ごめんなさい、精市お兄ちゃん」
「いや、俺にってことだったなら、別にいいよ」
 恋人という存在がいなかったという事実を知った兄は、至極満足そうに妹の愛情篭った弁当を食し始めている。
(うわぁ、態度で丸分かりな程にご機嫌だぁ)
 そこまで…と皆が思っていたところに、食事を邪魔してはいけないと兄から桜乃が少し離れたところで柳が質問した。
「…少々立ち入った事を聞くが、これからもああいう弁当を作ってやるつもりなのか?」
「んー…暫くは続けてみたいと思ってますけど…スキルアップにも繋がりますし」
 そして、彼女は無邪気に、えへ、と笑って続けた。
「それに、もし本当に私に恋人が出来た時の為の練習にもなるかと思って」
(また新たな死亡フラグがっ!!)
 その時の桜乃の言葉が、丁度少し離れていたお陰で幸村の耳に入っていなかったのは幸いだった。
「いや! 人生の先輩として言わせてもらえば、諦めろ!!」
 がしっと桜乃の肩を掴んで否定した真田の顔色が物凄く悪くなっている。
「その恋人の命が惜しければ、絶対に下手な愛情表現は止めといたがいいって!!」
 同じく止めた切原の顔には、一筋では済まない冷や汗が浮かんでいる。
「日の丸弁当で十分だって、日の丸弁当で!! な!? そうしよう!!」
 必死に同意させようとしている丸井の目が、明らかに潤んでいる。
「え…もしかして私の愛って重過ぎるんですか…?」
 無邪気な兄好きの妹は、理由を全く分かっていない様子で戸惑っている。
 何ともフォローの仕様が無い光景。
「本当にいい子なんじゃが…世の中、上手くいかんもんじゃの」
「それが人生でしょう」
「…」
 図らずも、弁当を通じて人生観まで語ることになってしまった、立海レギュラーメンバーのある日の昼下がりだった…







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