放課後…
 朝練の時と同じく桜乃がいち早く部室で準備をしていると、そこにドアを開けて二番乗りの人物が入って来た。
「あ、幸村部長」
「やぁ、やっぱり君が一番だったね。感心」
 穏やかな笑みを浮かべた幸村が、手に学生鞄を持って入ってくると、彼はそのまま自分のロッカーへと移動していった。
 中に鞄を放り込む前に、それを開けて何かを取り出すと、彼はくるっと少女に振り向いた。
「ねぇ竜崎さん、ちょっとこっちに来てくれる?」
「はい?」
 素直に桜乃が相手の乞うままにロッカーへと近づいてゆくと、彼は鞄から取り出した物を見せた。
 青い蓋の、軟膏容器だ。
「? これ…?」
「俺がよく使っている傷薬。前に入院していた時の主治医の先生から、特別に処方してもらっているものなんだ。市販の傷薬よりずっと効き目はあるから、これを使ったらどうかな」
 使う、というのは、朝に自分が見せたあの脚の傷についてだろうというのは桜乃もすぐに察しがついた。
「わ、いいんですか? 有難うございます」
「うん、あ、でも…立っていたら塗りづらいよね」
「あ、そうですね…じゃあ…」
 すぐ傍の椅子に座って、傷口に薬を塗ろうかと考えた桜乃の耳に、相手のとんでもない台詞が飛び込んできた。
「じゃあ、俺が塗ってあげるから、そのままじっとしてて」
「…え!?」
 思わず聞き返した時には、既に相手は膝を折り、桜乃の脚の前に跪いていた。
「ちょ、ちょっと幸村先輩っ! 大丈夫ですっ、自分で塗れますから…っ」
「ダメだよ、綺麗な脚なのに、傷が残ったら大変じゃないか」
「いえいえいえっ! た、大した傷じゃありませんし、大体これぐらいの傷なら唾つけてたら治るぐらいの…」
「唾つけたら治る…?」
 ぐい…っ
「!」
 そういうやり取りをしている間に、桜乃は右脚のニーソが彼の手によって引き下ろされる様を自分の目で確認し、更に…
 ぺろ…っ
「ふ…っ!!」
 男の舌が、自分の脚の傷跡を直に舐め上げる姿まで目の当たりにしてしまった。
 しかも、彼の腕がするりと己の脚に蛇の様に巻き付き、動きを封じてくる。
 瞬間
 ぞわぞわっと産毛が総毛立つ程の感覚が、右太腿から湧き起こり全身へと伝播してゆく。
「ゆ、幸村せんぱ…」
「動いたらダメだよ、桜乃。消毒中に」
 急に『竜崎』呼びから『桜乃』呼びへと変えた男は、唇を相手の傷跡に押し当て続けながら、くすりと悪戯っぽく笑った。
「暴れたら、スカートまで捲れちゃうから」
「っ!!」
 瞬間、真っ赤になった桜乃が少しだけ前かがみになり、スカートがそうならないように強く手で抑える。
 その代わりに自由を奪われてしまう結果となり、彼女はそれからも幸村に為されるがままだった。
「…精市さんっ…」
 二人だけの時の秘密。
 実は恋人同士となっていた二人が、彼らだけの時に呼び合う呼称を、桜乃が震える声で呼ぶ。
「可哀相に…こんなに赤くなって」
 少しだけ顔を離し、幸村がじっと相手の濡れた傷跡を見てから、それを指先でなぞる。
 再び桜乃が戦慄に背を震わせていると、若者がぼそりと悔しさを滲ませた声で言った。
「俺のものなのに」
「え…」
「君は俺だけのものなのに、俺じゃない誰かが君を傷つけるなんて…許せないな」
「だって…猫ちゃんです、よ…?」
「そんなの関係ないよ」
 そう言ってから、彼は軟膏容器の蓋を開けて中身を人差し指で掬い取り、丁寧に傷口に沿って塗り始めた。
「桜乃も油断し過ぎ…俺だけじゃなくて、他の皆にもあんな格好見せる事になるなんて…正直、気が気じゃなかったよ」
「す、みません…」
 謝罪の声が心なしか小さいのは、幸村が太腿に滑らせてくる指先の感覚に必死に耐えているからだ。
 ふるふると、生まれたばかりの小鳥の様にうち震え、羞恥に頬を染めながら瞳を閉じている桜乃の様子を見上げていた幸村が、満足げに笑って立ち上がる。
 どうやら、軟膏の塗布は終わった様だ。
 やけに時間がかかったのは、気の所為か、それとも彼の丁寧な仕事の所為か…
「あ…」
 終わった、の…?
 相手が立った気配を感じた少女が、ほっと肩の力を抜いたところで…
「お大事に」
「っ!!」
 不意を突かれる形で、桜乃の唇が相手のそれで塞がれる。
 そして、離れる間際、
「治るまで、俺がこの薬を塗るからね……お仕置き」
「〜〜〜!」
 ではこれから、当分あの指で太腿に触れられる事になる訳か…
「覚悟しておいてね…桜乃」
 ひそりと囁かれた言葉だけで、熱が上がる。
 下手な風邪より余程高く、厄介な熱だ。
 下げようと思っても、こればかりは薬でもどうにも出来ない。
(こ…こっちの方が、よっぽど重症…)
 気安く野良猫と遊ぶんじゃなかったかも…と思いつつ、心の何処かで幸村に介抱してもらえる事を喜んでいる自分に気づき、桜乃はまた更に顔を赤く染めていた…





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