神の子急襲?
「バレンタインデーかぁ…」
昼休み、桜乃は早々とお弁当を教室で食べ終えた後、ふぅと肘をつきながら溜息をついていた。
そう、今日はバレンタインデー当日、二月十四日。
世の乙女達が恋を告白する絶好のチャンス…の二十四時間。
まぁリミットは二十四時間としても、学生達、しかも懸想の相手が同じ校内にいる場合はチャンスタイムは更に狭まり、概ね登校している時間帯に限定される。
まぁ、誰もいなければその生徒にとってはいつもと同じ一日に過ぎないのだが…
「…はぁ」
もう一度溜息をついて、桜乃はちら、と机の横に掛けられた自分の鞄を見遣った。
(…結局持ってきちゃった…チョコレート)
見えないが、この鞄の中には自分のお手製のチョコレートが入っている。
生チョコ仕立てにしたそれを、いかにもなハート型のボックスに入れて赤いリボンを掛けて、しかもメッセージカードまで添えてみた。
誰がどう見ても、バレンタイン仕様である。
昨日、放課後から寝るまでの殆どの時間を費やし、腕によりをかけてそれらを作ってみたのだが、桜乃はまだそれを意中の相手に渡せずにいた。
(…そう言えば生まれて初めてだもんね、こういうの渡すの…慣れてるっていうのも哀しいものがあるけど、実際これまではこんなの縁がなかったしなぁ…)
そう、去年までは学内でのそういうイベントは全く興味も関係もなく、身近な父親にしか渡した事が無かった。
更に、野次馬の様に他人のバレンタイン事情に首を突っ込む様な真似もしたことがなかったので、いざ本番になっても、やり方がまるで分からないのである。
一応、作戦だけは立てていた。
朝登校して、さり気なく相手に手作りのチョコを渡して、あわよくば告白まで考えていたのだ。
幸い、彼と自分は所属している部が同じだし、朝なら人目を避けて渡す事も出来る!
そう思っていたのだが…
(甘かったなぁ……流石だよぅ)
その朝から、桜乃の目論見は早くも粉々に打ち砕かれてしまった。
『きゃ〜〜〜〜っ! 幸村く〜んっ(せんぱ〜い)!!』
そう、立海の中でもダントツに女子人気が高い中学三年生、幸村精市その人こそが、一年の竜崎桜乃の想い人だった。
文武両道で容姿端麗、おまけに性格も温厚篤実の好青年。
常に穏やかな笑みを絶やさず人当たりの良い彼は、学内の女性達から憧れの眼差しを向けられる、正に「愛しのロミオ」。
しかしそのロミオは今は恋よりもテニスに夢中であるらしく、誰か決まった恋人はこれまでも一度ももった事はないらしい。
それ故に、その空いた座を狙う女子は数知れず、普段もよくラブレター等を受け取っているらしいという噂も実しやかに流れていた…が、成就したという噂は一切聞こえてこないので、やはり、どれも不発に終わっているらしい。
そしてこの日、彼にとっては中学生活最後の運命のバレンタインデー。
朝から女子達の意気込みは例年以上に物凄いものがあり、部活の朝練前からコート周囲では実に賑やかな求愛を兼ねた接戦が繰り広げられていた。
(そりゃね…何人かはいるとは思ってたけど…まさかあんな集団で押し掛けられるなんて思ってなかった……現実って厳しいなぁ)
あの集団を目の当たりにしてしまったら、とてもチョコを渡すどころではない。
何十人といるライバル達の中から自分が選ばれる確率を考えると、それだけで鬱になる。
それに遠目に見ても自分より美人な人も一杯いた感じだし…勝負になんかなるわけもない。
(幸村先輩はいつも通り笑顔でチョコとか受け取ってたけど…まんざら悪い気はしてない筈よね、あんなにモテて……騒がない様に注意していても凄く紳士的で嫌みがなくて、ファンが増えるのも分かるなぁ…)
ダメだ、チョコを渡す渡さない以前の問題で、気持ちがもう不戦敗の方向へ向かっている。
沈む気持ちのまま、桜乃はもう一度鞄を見た。
どうしよう、これ…もうこのまま持ち帰って自分で食べてしまってもいいかも…と一瞬、かなり弱気な気持ちが湧きあがったが、何とかそこは堪えた。
いや、幾らなんでもそれは 卑怯過ぎる。
敵わないまでも、せめて渡すぐらいはしておきたい…でも…
(多分、放課後の部活の時も似た様な感じなんだろうな…だとしたら近づくのも難しそうだし…あ、そうだ)
ぴん、と桜乃は閃いた。
(今なら昼休みだし、誰もいないよね…幸村先輩達もいないんだから、他の女子達が来ているはずもないし、こっそりそこに入れとこう)
仮にロッカーの中から彼がそのチョコを見つけても、部活動に忙しい時間だから、きっとその場では中身を見ないで帰宅後に開く事になるだろうし…そうしたら他の部員の皆さんにばれる事もないだろうし…
(次の日が怖いけど、それまでに振られる覚悟をしておけばいいもんね…あ、でも先輩の事だから、ちゃんとメールなり電話なりで断りを入れてくるかも…それはそれでスッキリするし)
よし、と心を決めて、桜乃は鞄の中からこっそりと例の小さな贈り物を取りだすと、弁当箱を包んでいたナプキンでそれを包んでカムフラージュした。
これなら誰が見てもただのお弁当箱だと思う筈。
ちゃんと見た目も確認した後、桜乃はこそこそこそ、とテニス部部室へと向かって行った。
部室…
マネージャーである桜乃が鍵を借りる事はいとも容易い事で、彼女は閉められていた扉を開いて中への侵入を果たしていた。
「お邪魔しまーす……」
誰もいない部室って、結構広いのね…などと呑気な事を考えながら、桜乃は部屋の電気をつけて更に中へと入り、いよいよ相手のロッカーの前に立った。
誰もいないと分かっていても、つい辺りをゆっくりと見回して無人を確認してしまう…根っから小心者なのだ。
(よ、よし、誰もいないわね…ここのロッカーは鍵はかかってない筈だから…)
マネージャーたる者、どれが誰のロッカーなのかという事はとっくに覚えている。
向こうの壁際に並んだロッカーの一番奥…それが彼に割り当てられているものだ。
(無許可で開くのはちょっと気が引けるけど…しょうがないよね、ちょっと開けて入れるだけ、入れるだけ…)
何を取る訳でもないし盗む訳でもないし…と自分を納得させながら、桜乃はいよいよ相手のロッカーの前に立ち、その取っ手に手を掛けた。
そして力を込めて引こうとしたその瞬間!
「あ、竜崎さん」
「わきゃああぁぁぁぁぁっ!!!!!!」
どき――――――――んっ!!
前触れなくいきなり声を掛けられたことで、桜乃の口から物凄い悲鳴が飛び出した。
ついでにその口から心臓も飛び出そうとしたらしいが、それは何とか命の危機を感じた彼女の身体が阻止してくれたようだ。
慌てて振り向いた先には、扉を抜けて立つ幸村精市の姿があった。
その両手に、限界まで膨らんだ紙バッグを二つ抱えた状態で。
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